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ナオミ・ザック 著
髙橋隆雄 監訳、阪本真由美・北川夏樹 訳
『災害の倫理 災害時の自助・共助・公助を考える』
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ペーパーバック版序論
ハードカバー版『災害の倫理』が二〇〇九年四月に出版された。それから十五ヵ月、世界的な大不況の進行、壊滅的な被害をもたらしたハイチ地震、チリの巨大地震、メキシコ湾のこれまで類を見ない重油漏洩が立て続けに起きた。ハリケーン・カトリーナから五年となるニューオーリンズの復興問題もある。近年、災害からの復興は効果的になっただろうか。次の災害はいつ、どこで発生するのか。それに対する備えはされているのか。過去の教訓や知見は活かされるのか。次の悲劇的な出来事から得られる教訓は、未来の行動や政策に実装されるのか。世界中の観衆は次の災害で誰を非難し、またその非難はどのように対処されるのか。
これらは部分的には、哲学者が「経験的問題」と呼ぶものである。未来の事象が答えをもたらすのである。しかし、事実を超え、義務、価値、選択の領域に入ってくる側面がある。それは災害の倫理的な部分であり、これらの問題の根底にあるものに「~すべき」という形で答えをもたらす。ハリケーン・カトリーナの犠牲者たちは、日常に戻るため、もしくは容認できる「新しい日常」をつくるための十分な助けと継続的なサポートを享受すべきだった。私たちは次なる災害がいつどこで起こるか知らないが、今のような気候変動、世界的貧困、政治的混乱の時代では、国民と政府は将来想定される災害に対する準備をするべきである。国際的なメディアから出される災害速報は、苦しみの中にいる人々を救わなければという緊急の義務を受け手にもたらす。そんな突然のどうしようもない義務を背負い込むことは不公平だし、普通ではない。しかしそれは非常時における、避けようのない道徳的な構造である。すべての住民、役人は彼らの地域で起こりうる災害に備えるべきであるし、発災時の対応や復興支援のための準備をすべきである。皆が、過去の教訓をもって未来の災害にアプローチするべきである。皆が、次の災害で得た知見をその次の災害に活かすことを率先して行うべきであり、またその能力を有するべきである。被災者やオブザーバーたちは、事件を起こした人々や、天災や人災への対応を公的に担っている人々の悪意や手抜き、リーダーシップの欠如に対し倫理的、法的に責任を問うべきである。先進的で大胆で、成果のある活動・計画は、人々に肯定的に受け入れられるべきである。
これらの道徳的、倫理的なべきはどこから由来し、何を基盤とし、どのように正当化されるのか。こうした哲学的な問いへの答えが、本書の内容をなす。この第二の序文ではまず、災害倫理という分野の外観について示し、はじめに言及した最近の災害について倫理的な側面から改めて考察する。災害倫理は、差し迫った出来事への人道的な援助や救助活動の緊急の義務以外については、まだ新しく、理論化が十分でない分野である。特定の環境破壊や人々の苦しみ、死といったものの具体的イメージは、今や、それらの分類学なしでも数多く映像化されている。こうしたことは災害倫理を、ある種のジャーナリズム的企てと化す。最近の理論はともすれば、新しい情報に影響されて急速に伝搬したり、重視される点が変化しがちである。私はアカデミックな哲学者として、理論的な革新が、最新の情報源に頼っている現状に当惑している。しかしその当惑は、的を射たものであるか、知的な見当違いであるかのどちらかである。災害倫理の基本原理は、新しい手に負えないことが起こるにつれて変化するものではないが、そうした原理の適用はより包括的かつ、状況に則したものとなっていく。それゆえに、この序論の最後のパートには、最近の災害をふまえて、災害に対しての本書の内容を超える倫理的な示唆が含まれている。
災害倫理の概要
自然災害も、近年の人為的災害も、科学の進歩の複雑化や期待との関連の中で、社会的に構成されている。少数の遊牧民族を除いたすべての人間は、破壊可能なインフラに依存した特定の地理的コミュニティの中で生活している。インフラがひとたび壊されると、産業に依存しない社会の住民たちでさえも、自然の中で生計が立てられない。技術の進歩は技術への依存に拍車をかける。技術への依存が高まると、脆弱性が高まる。そして、災害発生の可能性が高まれば、人命や物質的な幸せがより脆弱なものとなる。
リスクと災害
災害は、国際機関によって「人命救助や破壊からの復興に外部の助けを必要とする、突発的な物理的出来事」と定義されてきた。金融破たんによる二〇〇八年の大不況は、数百万人の生活に破滅的な結果を生み、緊急「救助」を引き起こした。しかし、株式市場の崩壊や銀行の破産といった抽象的、無形的な事象はなおも「災害」というステージで語られることはなかった。災害は物理的なものなのである。
災害による目に見える驚きや、ドラマ、臨場感は、亡くなった人の数よりも、私たちの関心を引きつける。災害はリスクと同じものですらない。私たちは災害を出来事として、リスクを平常時の状態として見ている。私たちはいかにリスクと共に生きているのか──二十世紀を見ると、第一次・第二次世界大戦では一億人が死んだ。二〇〇九年のアメリカでの自動車事故の死者は約三万四千人であり、二〇〇八年は三万七千人以上だった。二〇〇一年から二〇〇七年の間、二十四万五千人ものアメリカ人が交通事故で亡くなっており、世界規模では六百万人だった。アフリカでのエイズのパンデミックは、二〇一〇年までに二千五百万人の孤児を生むと見積もられる。世界的な水不足は二〇二五年までに世界人口の三分の一に、安全な飲料水や公衆衛生の不足をもたらすのではと予測されている。現在では、途上国における八十%の病気が、水中の病原菌を原因としている。では、これらの数値を災害の被害者数と比較してみよう──二十世紀を見ると、約五百万人が自然災害で死んでいる。二千七百五十人が、九・一一の世界貿易センターでのテロで死んでいる[1]。二〇〇四年のインド洋津波では三十万人が犠牲になったと言われている。ハリケーン・カトリーナでは千八百人以上である[2]。
リスクとしてみなされる事象の犠牲者数を考慮すると、倫理学者や人道主義者たちは何故災害にこだわって携わる必要があるだろうか。合理的にいえば、彼らはリスクに焦点を当てるべきである。しかし、私たちは人間の心理から逃れることはできない。私たちは、突然の大きな危害に対し、継続中の小さなものより激しく反応する。たとえ小さな危害の総計が、突然の大きな危害をはるかに上回ったとしてもである。だが、私たちは災害と同様の結果をもたらす平常時のリスクについて注意を払うべきである。すなわち、人々の道徳心が向上している世界においては、災害の呼びおこす激しい共感や懸命な対応の類は、リスクという興奮に乏しい問題にまで及ぶであろう。シンガー(Singer, P.)は著書『あなたが救える命──世界の貧困を終わらせるために今すぐできること』の序文で、五歳以下で貧困のために亡くなる子どもの数が一九六〇年から二〇〇七年の間で毎年二千万人から千万人以下に減少し、その間に世界の人口は二倍になったと記している。シンガーはこの改善を、経済的な進歩のみならず、天然痘やはしか、マラリアといった疫病対策の成果であると見ている[3]。これらの対策は、「たった一人の子どもでも貧困のせいで死ぬのは道徳的に誤っている」という道徳的議論なしには成立しなかっただろう。
災害における政府の役割
遠くの地で起こる災害は(テレビ等で)家に居ながら見ることができ、今や家の中に災害がある。権力や安全の中心と被災地との距離が近くなることで、災害倫理は必要なものとなってきた。災害倫理は難解な学術問題や演習ではない。国や社会が信心深いとか、民主主義的であるとか政治的な弾圧が行われているといったことに関係なく、災害倫理は世界中で普遍的に受け入れられるようなしっかりした原理にもとづかなければならない。この原理には次のことが含まれる──一人一人の命のもつ内在的[本来的]価値の認識、人命を守るという政府の義務、自分や家族を守るという個人の義務、他人を害さない義務、自分に害が及ばないかぎりにおいて他者を助ける義務、自身の行動が物理的環境や将来世代に及ぼす影響について熟考する義務。こうした一般的な義務は、既にひどく恵まれない暮らしをしている人を助けることまではしないという人々や、環境や将来世代のための義務は個人の自由を侵害すると考える人に、反対されるかもしれない。また、人道的な支援を即座に行うことばかりが優先される一方で、道徳的や政治的、また現実的な不和といったものは隅に追いやられている。そのことが災害復興や将来的な災害における減災のための行動だけでなく、リスクを最小化する行動も制限してしまっている。
民主主義社会において、災害倫理における利他的な原理は自明に見えるが実は曖昧である。抑圧的な政治をしている政府の中には、そのような原理を脅威や干渉とみなすものもあれば、利益になるという理由で受け入れるものもある。例えば、ミャンマー(ビルマ)と中国の両政府が二〇〇八年五月にサイクロン・ナルギスに対してとった対照的な措置を見てみよう。ナルギスでの約八万人の死者のほとんどは高潮によるものである。ミャンマーの軍事政府は、外国人に対し二百万人が家を失ったイラワジ・デルタに入ることを許さなかった[4]。中国では、温家宝総理は諸外国の援助を歓迎し、後日中国西部で発生したM七・九の地震のさいも、即座に外国に対し援助を要請した[5]。
両国の災害対応の違いは、災害倫理が政治学や政治哲学と深い関連があることを強調している。人命や幸福の価値といった、国家の法と違って個人的なものであり、政府の方針に批判的となりうる価値についての倫理的議論を続けることは大切である。そして、災害倫理と政府の義務について関連づけることは重要である。なぜならば、現代の突発的な巨大災害に対して効果的に備えるとともに対応できる資材と管理能力を有するのは主として政府だからである。個人が自他を守る義務を負わず、災害に準備し対応する義務がないという意味ではない。どのような形にせよ、政府が現代の巨大災害の主たる対応者であるかぎり、政府は状況を悪化させたり、保有する基礎的な組織化された努力を怠るべきではないのである。
災害に対して政府が責任をもつことの一部は、社会契約論と普遍的人権理論という明らかに西洋的な伝統に、また一部は倫理の本性に起因する。このように、人命は、人間が個人や家族、集団の一員として生きるうえで本来的に価値のあるものである。人命は、普遍的に尊重されるに値する尊厳をもつのである。また、人間は地球の物的資源に究極的に依存しているが、その力が環境におよぼす力のために、今日では環境保全や保護が必要である。こうした倫理的な捉え方を、政府とその支配下にある人々の関係にまで拡大すると、政府が正当なものであることが部分的にではあるが示されることになる。
実践的な災害倫理
実践的な災害倫理には、公共政策で長きにわたり無視されてきた四つの重要な要素がある。備えと計画の重要性、功利主義と備えの関係、安全と安全保障の違い、そして災害が老人、障がい者、とくに貧困者に最悪の影響を及ぼす仕方の四つである。
人間はお互いに対して、思慮深いことや、不慮の事態に対し備えていることを日常的に期待している。保険やシートベルト、予防接種が、貯金と共に生活の必需品となっている理由である。(二〇〇八年の株価暴落の後、貯金は改めて人気を得ている。)食品や薬品は購入時に不純物がないと思われているし、車は安全に運転できるよう作られているはずである。橋は一定の重量を支えられるし、商業ビルは火災や地震に強く作られている。沖合の油田は爆発しないよう保安が万全なはずである。こうした予防の数々は生活の一部であり、予防策がとられず死傷者が出た場合、民事責任が問われるし、刑事罰が適用されるかもしれない。こうした法的措置は広く認められている道徳的直観にもとづいている。それによると、身体の完全性と人命はもっとも価値のあるものであり、それらを毀損することは重大な道徳的悪であり、法的に罰せられるべきである。比較的近年に法整備がされたにもかかわらず、地域が限定されたり活動が限定された災害への備えは、こうした義務としての思慮の範疇にあり、そのような備えの失敗は、義務としての思慮の失敗と同様に道徳的な問題とされる。ただし、それへの法整備は比較的近年になってなされた。災害への備えの失敗が道徳的な悪とみなされると、それが犯罪となるのは、時間と対策の仕方にかかってくる。
災害救助や緊急対応において通用している「功利主義」の用法では、「最大の人数を救え」という原理が批判なく受け入れられているようである。耐震化された建物や洪水対策に徴収された税金は、地震に弱い建物や不適切な税金よりも多くの人を救いうる。資材と人員の制限のもとでは、最大人数を救うことは、いかなる場合も道徳的に意味がある。しかし、救うことのできる最大人数は、事前対策の妥当さに強く関連する。「最大の人数を救え」よりも善い原理は、「適切な備えのもと、救える人は全員救え」である。加えて重要なのは、救われるべき全員とは誰なのかは公平に、必要であれば無作為に選ばれる方が、その人のもつ生産性、コミュニティでの価値や、医学的予後によって、事前に選定するよりもよいということである。こうした公平性は人間の価値は平等であるという平等主義の原則のみならず、人々の選好にも一致する。そのような人々の選好は、トリアージにおいて、単なる無作為選抜や「最初に来た人を救う」以外の仕方が用いられてきたことが知られるたびに明らかにされてきた。
安全保障(security)にかんする規定とは別の規定によって、災害は事前の備えや対応の結果としての安全性(safety)を要する緊急の状況として捉えられるべきである。この違いは、九・一一の後、連邦緊急事態管理庁(FEMA)が国土安全保障省に組みこまれた再編のときに不鮮明になった。安全にかんする脅威は継続中であり、犯罪やテロ、軍事攻撃は安全の問題ではない。それらは安全保障上の問題としてある。安全保障の綻びは安全の脅威となり、安全でない状態は安全保障上の問題に見えるかもしれない。しかし平常時の物理的な予防や災害への備え、災害からの復興には、安全保障とは違った人的資源や政策が必要となる。安全と安全保障が安全保障に統合されるとき、日頃の用心や、公共の安全の維持に必要なインフラの保全は、警察や軍によるドラマチックな安全保障対策を重視することで、最小化されてしまうだろう。
ある人は、災害でもっとも犠牲になるのは年寄りや障がい者だと予測する。また、サポートが必要な人とともにいる人、特に女性はケアする者として災害時の移動性に乏しい。しかし、災害の顔となる、技術的に発展途上にある国の貧しい、白くない顔の人々──その「顔」はハリケーン・カトリーナの際のアメリカでも現れた──彼らこそ特別な弱さをもつ。貧しい人々は、来る災害に備えるにも、逃れるにも、立ち直るにもお金がない。この経済的な理由による無抵抗は、道徳的な観点から、埋め合わせとしての助けを必要とする。現在では、こうした償いの気持ちは人道支援、慈善支援の形で現れるが、多くの場合、こうした支援は一時的に、最低限度の生活を引きのばさせる程度にすぎない。同情の感情を超えて、災害時の不平等が道徳的問題であるならば、この人類におけるもっとも脆弱な集団が自立するための物的基盤の再建、場合によってはその形成のための国際的な協力が必要とされるかもしれない。
近年の災害
災害として認識されるには、人道的支援の枠を超えた社会的、政治的、経済的な変化を必要とする。それは、メディアが公の声を形作り政策に影響を及ぼすような、裕福な民主主義国家における純粋な事実問題とは異なる。アメリカでは国内の災害だけが国民意識に働きかける力をもち、先述の災害と同様のリスクは国のレーダーにすら記録されていないかもしれない。重油の流出について考えよう。BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)の流出事故よりも注目を集めなかったのが、二〇一〇年の七月に起きた、パイプライン爆発を引きおこした中国の流出事故である。この事故では四百平方マイルにわたる沖合地域も影響を受けた。ナイジェリアデルタでの流出事故は数十年にわたっており、BP社の流出を上回ると推定されているが、ナイジェリア政府がシェルオイル会社に課した法的努力は極めて不十分である。イラク軍は一九九一年の第一次湾岸戦争の際、クウェートの七百もの油井を爆破し、その環境被害は未だ十分に評価されていない[6]。
ハリケーン・カトリーナからの復興
国際的な事柄に対する想像力と共感の欠乏が世界的に広がっているとしても、自国の災害の道徳的側面にも注目しないアメリカ人は鈍感にちがいない。BPの流出以前にあった、直近のアメリカの大災害は、二〇〇五年にニューオーリンズで起こった人命と財産を奪う破壊であった。どうして復興に五年以上もかかっているのか。二〇〇九年時点で、カトリーナの死者は千八百三十六人。二十七万五千件の家が失われ、被害額は百十億ドルにのぼる[7]。二〇〇六年の「カトリーナによる社会的、経済的影響の一次報告」の中で、パターソン(Petterson, J.)、スタンレー(Stanley, L.)、グラジア(Glazier, E.)、フィリップ(Philipp, J.)はニューオーリンズ復興の険しい道のりについて報告した。もっとも壊滅的な被害を受け、別の地域に移っていった貧しいアフリカ系アメリカ人たちにとって、戻って家を再建し、仕事を得るための財源は不十分である。筆者らがエクソン・バルディーズ(Exxon Valdez)号によるプリンス・ウィリアム湾の流出事故での経済的反応[8]になぞらえた、二〇〇六年の湾岸地区の再建は、裕福な投資家が被災地の所有権を得る様相となっており、地域にお金をもたらすものではなかった。高級化と「カジノ化」が二〇〇六年夏までには拡大しており、中央アメリカから労働者がやってきて新しく作られた職を得るようになっていた。第二のカトリーナやそれ以上の嵐に対抗するための課税強化や新しい建築基準については十分計画されなかった[9]。四年が経ったいま、この報告についての確認はなされたのだろうか。
二〇一〇年の三月はじめ、PBSのリポーターは言った、
マルディグラ(1)ではビッグバンドやカラフルな山車があります。フレンチ・クオーターに集まった群衆はバーボン通りで浮かれ騒ぐためひしめいています。ニューオーリンズ・セインツが初めてスーパーボウルに勝った至福(〝クラウドナイン〟)がまだ続いているようです。見たところ、ニューオーリンズの街は、まだまだ元気のようです。
しかし、ロウワー・ナインス・ウォード(Lower Ninth Ward)にあるクレイボーン・アベニュー(Claiborne Avenue)橋が架かる産業運河(Industrial Canal)では、かつて一万八千人ものアフリカ系アメリカ人のワーキング・プアたちがいたが、彼らには嵐によるたくさんの建物の破壊の他には何も残されなかった[10]。二〇一〇年の四月、国際アムネスティ(政治犯救済や人権擁護のための国際委員会)は報告書「非自然災害」の中で、アメリカ政府はニューオーリンズの地勢を恒久的に変えてしまうことで人権を侵害していると述べた。公営団地は取り壊され、安価な復興住宅は建てられず、多くの学校、病院は再建、再開されなかった。アメリカが採択している国連の「国内強制移動にかんする指導原則」では、政府が国内の住まいを失った人々を自発的に元の家に返し、資産を失った補償金を得るようにさせることとなっている[11]。
つまり、カトリーナに対する復興施策は、もっとも大きな損失を味わったもっとも脆弱な人々に補償を提供していないのである。この復興が住居を奪われた人々に対して国際的に認められている権利を侵害しているかもしれない事実は、アメリカ国内で広く認知されていない。個人の利益となることを掲げた復興が、次なる嵐でも維持できるものなのかどうかは、わからない。
BPの流出事故
BP以前の最大の流出事故は、メキシコのカンペチェ(Campeche)湾で一九七九年七月三日に起こった、Ixtoc(イストク)I の探索井戸の約三百三十万バレルの流出である。Ixtoc I はPEMEX(メキシコ石油)から借りた半潜水プラットフォームSEDCO一三五の地点を二マイル掘削した。そこは、テキサスから南に六百マイルの地点にあった。泥の循環不足のため噴出が起こり、プラットフォームが燃えて油井の入口に落ちた[12]。二〇一〇年二月、イギリスの企業であるがアメリカ資本が大株主であるBP社(British Petroleum として知られる)は同社のマコンド(Macondo)プロジェクトで、トランスオーシャン(Transocean)社からリースした削具「ディープウォーター・ホライズン(Deepwater Horizon)」を使って沖合掘削をしていた。ディープウォーター・ホライズンの掘削はルイジアナ州ベニスの海岸から四十二マイル地点のミシシッピ峡谷二五二ブロック(五千フィートの深さ)に位置した。掘削の目的は油井を一万八千フィート掘ったら栓をして、後の海底油井とするために海に放置することだった。ディープウォーター・ホライズンは四月二十日に爆発し、十一人が亡くなった。翌日には百十五人が避難した。四月二二日には、約五十万ドル相当の削具が、五マイルもの油層をのこして潰れ沈んだ。BPは油井の噴出防止装置を作動できず、沿岸警備隊によると一日当たり五千バレルの油が流出したとみられている。四月三十日には、オバマ大統領が、BP事故の損害がわかるまでアメリカ海岸付近のすべての沖合掘削を停止した。五月までには、メキシコ湾の二十%の水域での漁業が停止された。六月までには、油の分離剤が事故地点の近くでまかれ、BPは「トップの閉塞(top kill)」と呼ばれる油井の閉塞作業を開始した。BPは損害賠償として二百億ドルを第三者預託口座に預けた。トップの閉塞戦略は成功したと、七月十五日に公表された。八月四日、アメリカの政府系科学者たちはこの事故で四十九億バレルが流出したと推定している。その頃には、BPのシェアは六月に達した十四年ぶりの低水準から回復していた[13]。七月二十七日、事故に対して終始無能かつ尊大とされていたBP取締役のヘイワード(Hayward, T.)は、年間百万ドル近い退職後の手当とともに辞任した[14]。
BPの事故は二〇一〇年の四月から夏の初めまで、新聞の第一面を飾る強い関心と激しい批判の対象となった。最初から環境活動家と生物学者が、メキシコ湾の環境の崩壊を警告した。六月には、BPが油湧出の現場にインターネットカメラをつけたが、これは多くの視聴者に催眠効果を与えたようである。視聴者たちは油まみれになった海鳥や死んだ亀のイメージにさいなまれた。二〇一〇年六月七日、IUCN(国際自然保護連合。本部はスイスのグラン)の管理団体は「深海や南北両極を含む生態学的に影響を受けやすい地域における重油およびガスの調査の一時停止」を求めた[15]。しかし八月五日、ニューヨーク・タイムスはアメリカ政府の報告として「ディープウォーター・ホライズンから流出した油の四分の三は蒸発、拡散するか捕捉、除去されており、残りの多くも水で薄まって無害になっている」と報じた。それでも、海の生物やメキシコ湾内の環境には長期間の傷跡が残る[16]。BP事故に向けられた関心は、危険性を大いに誇張されたものなのか、あるいは単にアメリカ沖合の油井掘削の禁止解除につながる楽観的なイメージなのだろうか。現代の災害は今回のような力をもつ感化された参加者をもっており、その不確実性のある部分は、まさにそのような解釈を必要とする問題を中心としている。
二〇一〇年ハイチとチリの地震
BPの石油流出事故と比較して、ハイチ地震とその余波は恐ろしい爪痕を残している[17]。二〇一〇年の一月一二日、M七(リヒタースケールに代わる、より正確な尺度であるモーメントマグニチュード)の地震がポルトー・プランスの南西十マイル地点を襲った。震源は地下六・二マイルだった。一月二十四日までに、M四・五を超える余震が五十二回計測された。ハイチの人々は、百万人が家を失った二〇〇八年の地震からの復興段階にあった。二〇一〇年の地震の最終的な死者は二十五万人、百万人が家を失ったと推定されている。世界中の国々や人道支援団体が、総計三百九十万ドルの支援を、四十八時間以内に行った。地震により病院、学校、道路、電子通信といったインフラは破壊され、ハイチは混乱状態だった。飛行機管制塔や港湾の破壊、地上の障害物が救助の妨げとなった。暴動や略奪、水や食料の不足が生じ、家を失った百万人もの人々の多くは建物の中に戻ることを恐れた。隣国のドミニカ共和国は最初の医療支援を行ったが、難民の数に圧倒されすぐに撤退した。薄いテントだけが大勢の人たちの唯一の避難所であった。数千~一万の遺体が、大きな集団墓地に並べられた。孤児を別の場所に移す国際的な取りくみがあったが、孤児たちに生きた肉親がいるかどうか不明で中断した[18]。
二〇一〇年の七月までに、救助のための寄附十一億ドルのうち、二%しか分配されなかった。約四十億ドルは緊急時の病院の建設や物資、職員確保のためと表明された。CBSは二〇一〇年五月までに、家を失った家族一世帯あたり三万七千ドルの国際支援が集まったと報じた。しかし、瓦礫が除去されたのは二%に過ぎず、ポルトー・プランスは通行不能のままだった。仮設住居は建てられず、百六十万人もの人を収容するテント場ではしばしば、電気、水、下水処理、安全が行き届かなかった。さらなる地震やサイクロン、豪雨に見舞われれば、まちがいなく数千人以上が亡くなるだろう。
二〇一〇年のチリ地震は、ハイチ地震よりもさらに壊滅的な地震であった。二月二十七日、マウレ地域沿岸でM八・八の地震が発生し、人口の八十%が地震を感じた。地震学者は一日の長さが一・二六マイクロ秒短くなり、地軸が八センチ動いたと推測した。チリ第二の街であるコンセプシオンは、もっとも被害を受けた都市であるが、この地震では「静振(seiches)(2)」が五千マイルも離れたニューオーリンズ付近のポンチャートレイン(Pontchartrain)湖ですら発生した。三月六日までに、百三十回の余震があった。この地震は津波を二月二八日に発生させ、その後も二回起こし、世界中の海岸部で警戒された。サンティアゴからの空路は不通となり、数週間の間、食料の不足や暴動が起きた。死者は初期の段階で八百人、その後五百人以下と修正された。五十万戸の建物が破壊され、二十二万ドルの支援が二日以内に集まった[19]。
はっきり言って、チリの被害は即座に復旧できるものではない。しかし二〇一〇年八月の時点で、チリの失業率は八・八%に下がり、自国通貨の対ドルも金額を維持している[20]。チリとハイチの復興に差をもたらしているのは、チリには地震発生時に十分発達した経済があり、最新のインフラがあったがハイチには建築基準すらなかったということだ。チリの大統領は地震後二時間で声明を出しているが、ハイチの大統領は百六十八時間後だった。チリの平均寿命は七十七歳であるのに対してハイチは六十一歳である。チリの国民千六百万人の平均年収は一万四千六百ドルで、十八%の人が貧困層であるが、ハイチの平均年収は千三百ドルで、貧困層は八十%である。また、ハイチは汚職指数で世界の百六十八位に位置するが、チリは二十五位である21 。二〇一〇年のチリとハイチの地震からの復興の違いは、もともとの貧困や不利な立場が災害に対する脆弱性を増してしまうという悲しい例である。その違いは、ひょっとすると、マグニチュードで五百倍違う二つの地震の差をはるかに超えるものかもしれない。
将来に向けた研究と展開
人間の価値、平等、環境保全にかんする基本的な倫理にもとづく効果的かつ体系だった災害へのアプローチは、現在進行中の課題である。こうした取り組みには、倫理的な関心一般を喚起する議論によって成り立っているものもあれば、必要に迫られて進められるものもある。今後の研究と実践には、資本主義的システムにおける企業の責任や、防災や災害対応にかんする専門的知識の制度的活用、世界の貧困者による貧困者のための政治、経済、文化の使命の新たな方向性が含まれる。
防災や災害対応の失敗のうちいくつかは、自由民主主義の構造が要因である。国や地方の建築基準、連邦安全法、環境への影響にかんする規制のような特別の規制のないかぎり、人には備えをしないことの自由がある。災害に備えるよう促す新しい命令や法があったとしても、効果的な実行には動機づけが必要である。最近の石油流出のような人為災害は、私的な虚構的存在として守られ、特権的ステイタスをもつ世界企業の活動に起因する。今日では、民間企業のステイタスは主権国家の範囲を超えるだけでなく、予期せぬ破壊(災害)の原因となる自由をもたらすこともあるため、その責任が問われる。企業が災害と十分な仕方で共存するには、法律で明文化されていなくても、道徳的な要求を満たすよう努めることが自らの経済的利益にかなうことを見出す必要があるだろう。そのような要求の緊急性を高めていくことは、企業倫理の課題である。
最近の災害を見ると、適切に備えることが極めてむずかしい。たしかに、ドラマチックな出来事には国際的な人道主義的対応が期待されている。しかし、たとえば、現時点でいえば、パキスタン北東部の洪水[22]への場合がそうであるが、それへの対応は、その国がかかえる政治的な緊張によって複雑な問題になりうる。ジュネーブ協定のような国際条約や協定は災害に対応できるように、正式に強化されるべきである。国内的にも、特にアメリカのような国では、不適切とされてきた非常時対応に従って、調査委員会や別の専門の分析組織が作られつづけている。世界は大規模で調整された効率のよい災害救助の初期段階にあるにすぎない。二十一世紀では災害準備だけでなく、災害対応、被害軽減のための、防災の専門家による常設団体が、人々の人生をより長くするため、また先進国の人たちの消えそうな期待を満たすため、必要になると考えられる。
最後に、災害後のコミュニティの再興や被災者の経済的、社会的、物質的な再建のためには、組織的な研究と協力における革新が必要である。貧困者の所有物が災害時に破壊と無慈悲な資本主義的占有にさらされるならば(たとえば、インドネシアの津波以前には伝統的な漁村の経済の一部であった海岸に立つ高級ホテル)、被災者にとってこの「あたらしい普通」は災害以前の「古い普通」のようにはなりそうにない。しかし人間は、あらゆる環境に適応し、革新を起こすことができる。地域が自分たちで強くなるための努力を認め、そのサポートをすることが重要である。たとえば、ミュージシャンであり、二〇一〇年一月の地震後にNGOヤーレハイチのミッションを復興に集中させたジョン(Jean, W.)は、現在大統領に立候補している[23](彼はヤーレハイチを二〇〇五年に設立した)。もし西半球でもっとも貧しい国が、きれいな水や医療、住宅、教育や他の公共サービスを求める国民のために政治方針を転換できるなら、災害対応や復興が、長く存在する世界の構造的不平等を緩和する、あるいは解決するかもしれない事例になるだろう。
ジョンがアーティストだということは偶然ではないかもしれない。デトロイトの街は数十年に渡る米自動車産業の財政的問題、景気後退、高い失業率、犯罪、人口減少、都心のひどい荒廃により破たんした。しかし最近は、二十世紀のアメリカの常態を打ちこわす新しいアイデアと希望を反映した、文化再興の街になっている[24]。フランス人写真家のマルシャン(Marchand, Y.)とメフレ(Meffre, R.)は、二〇〇九年のタイム誌の写真エッセイで、さびれた産業、打ち捨てられたマンション、無人の高級ホテル、学校、工場を組みあわせた写真を掲載した[25]。デトロイトの街も、映画会社や音楽家、画家、概念芸術家、「緑の」建築家、有機農家、革新的な小企業といったよく知られた革新的な活動の支援をはじめた[26]。新しい創作活動は、しばしば町の貧しい地域に集まる。なぜなら、芸術家のほとんどは貧しいからである。多くのアメリカの街では、相対的に家賃や地代が高く、一方で危機的状態にある貧しいエリアは高級化の波にのまれ、接収されていく。その一方で、二〇〇八年~二〇〇九年の財政破たんの間、デトロイトには百ドル以下で売られる家があった[27]。ひょっとすると、災害がきっかけとなって、何らかの理由で、慣習的な大規模資本主義が手を束ねて、土地と開かれた心が生みだされるとき、人々は今までとは根本的に異なる自立の道に進むことができるのかもしれない。
ナオミ・ザック
ユージーン、オレゴン
二〇一〇年八月五日
(傍点は省略しました。pdfファイルでご覧ください。)
注
[1]この数値は二〇〇一年九月十一日以降、わずかに下方修正されている。下記URLを参照(二〇一〇年八月四日アクセス)。http : //911research.wtc7.net/sept11/victims/nyckilled.html.
[2]交通事故による死亡者数については、www-fars.nhtsa.dot gov. を参照。災害による死者の統計や近年の関連研究:www.ilankelman.org/disasterdeaths.html;戦争による死者www.infoplease.com;エイズの孤児http : //aidsorphansrising.org;世界の水質危機:www.unwater.org/statistics.html(すべて二〇一〇年八月四日アクセス)。
[3]Singer, P.(2009), The Life You Can Save: Acting Now to End World Poverty, New York: Random House(児玉聡、石川涼子訳『あなたが救える命──世界の貧困を終わらせるために今すぐできること』勁草書房)
[4]ミャンマー政府の対応とそれに対する世界の反応については、下記を参照(二〇一〇年九月一一日アクセス)。Asia-Pacific Centre for the Responsibility to Protect, “Cyclone Nargis and the Responsibility to Protect:Myanmar/Burma Briefing, no. 2,” 16 May 2008, at www.r2pasiapacific.org/documents/Burma_Brief2.pdf.
[5]サイクロン・ナルギスと地震に対する中国とミャンマーの対応の違いについては、下記を参照。“A Tale of Two Disasters: Cyclone Nargis in Burma, Quake in China,” Ed/OpCommentary, May 19, 2008, at http : //www.mizzima.com/edop/commentary/543-a-tale-of-two-disasters-cyclone-nargis-in-burma-quake-in-china.html.
[6]Nossiter, A., “In Nigeria, Oil Spills Are a Longtime Scourge,” New York Times, June 16, 2010, p. A1, www.nytimes.com/2010/06/17/world/Africa/17nigeria.html?_r=1&scp=1&sq=In%20Nigeria, %20oil%20spills%20Are%20a%20Longtime%20Scourge&st=cse; “China Oil Spill after Pipe Blast ‘Worse than Thought,’ ” July 21,2010, at www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-10708375; Ali Mohamed Al-Damkhi, “Planning to Rescue Kuwait’sOil Wells: An Environmental Issue,” Disaster Prevention and Management 16, no. 4, pp. 513─21, www.emeraldinsight. com/journals.(二〇一〇年八月四日アクセス)
[7]その他の統計については、下記を参照(二〇一〇年八月四日アクセス)。www.hurricanekatrinarelief.com/faqs.html.
[8]この災害の情報と予後については、下記を参照(二〇一〇年八月四日アクセス)。www.evostc.state.ak.us/facts/index.cfm.
[9]Petterson, J. S., Stanley, L., Glazier, E., and Philipp, J., “A Preliminary Assessment of Social and EconomicImpacts Associated with Hurricane Katrina,” American Anthropologist 108, no 4, pp. 643─70.
[10]Bembry, J. “New Orleans’ Lower Ninth Ward Still Recovering from Katrina,” WYPR Public Radio 二〇一〇年三月三日放送。放送を文字起こししたものについては下記を参照。www.publicbroadcasting.net/wypr/news.newsmain/article/0/1/1622642/WYPR.News.in.Maryland./New.Orleans%27.Lower.Ninth.Ward.Still.Recovering.From.Katrina.
[11]“Un-Natural Disaster,” at www.amnestyusa.org/countries/usa/katrina html. を参照。これらの記事の要約としては、下記を参照。www.huffingtonpost.com/2010/04/09/amnesty-international-hurricane-katrinahuman-rights_n_531349.html.
[12]James, F., “One Gulf Oil Spill Went for Nearly a Year,” NPR, www.npr.org/blogs/thetwo-way/2010/05/one_gulf_oil_spell_went_for_ne.html; “Incident News: Ixtoc,” www.incidentnews.gov/incident/6250(二〇一〇年九月一一日アクセス)
[13]BPの石油流出事故のタイムラインについては下記を参照。“BP Oil Spill: Timeline of Events,” Channel 4,www.channel4.com/news/articles/world/bp+oil+spill+timeline+of+events/3674127 and “BP Oil Spill: The OfficialDeepwater Horizon Disaster Timeline,” Guardian, www.guardian.co.uk/news/datablog/2010/sep/09/bpoil-spill-deepwater-horizon-timeline;マコンドプロジェクトの技術的な説明については、下記を参照。www.offshore-technology.com/projects/macondoprospect/(すべて二〇一〇年九月十一日アクセス)
[14]“BP Boss Tony Hayward’s Pension Could Reach 11m,” Telegraph, at www.telegraph.co.uk/finance/newsbysector/energy/oilandgas/7911712/BP-boss-Tomy-Haywards-pension-could-reach-11m.html(二〇一〇年九月一一日アクセス)
[15]International Union for Conservation of See International Union for Conservation of Nature, http : //cms.iucn.org/?uNewsID=5420.
[16]Justin Gillis, “U. S. Report Says Oil That Remains Is Scant New Risk,” New York Times, August 4, 2010,p. A1 and A14.
[17]ビデオレポートは、下記を参照。BBC News/Special Reports/Haiti Earthquake, at http : //news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/Americas/2010/Haiti_earthquake/default.stm(二〇一〇年九月十一日アクセス)
[18]実際のレポートは、下記を参照。For factual reports, see “Haiti Earthquake 2010: Facts, Engineering, Images,and Maps,” at http : //mceer.buffalo.edu/infoserv1ce/disasters/Haiti-Earthquake. Wikipedia には、ハイチ地震にかんする包括的なレポートと二百を超える引用文献・外部リンクが掲載されている。http : //en.wikipedia.org/wiki/2010_Chile_earthquake.
[19]チリ地震にかんする事実およびハイチとチリの地震の比較については、下記を参照。“Chile EarthquakeFacts. Chile vs. Haiti, in Numbers,” Christian Science Monitor, www.csmonitor.com/Woeld/Global-News/2010/0302/Chile-earthquake-facts-Chile-vs.-Haiti-in-numbers(二〇一〇年九月十一日アクセス)。Wikipedia には、チリ地震にかんする包括的なレポートと百五十もの引用文献・外部リンクが掲載されている。http : //en.wikipedia.org/wiki/2010_Chile_earthquake.
[20]Woods, R., “Chile’s Jobless Rate Unexpectedly Fell as Economy Recovers from Quake,” July 30, 2010,www.bloomberg.com/news/2010-07-30/chile-s-jobless-rate-unexpectedly-fell-as-economy-recovers-from-quake.html(二〇一〇年九月十一日アクセス)
[21]19のChristian Science Monitor の出典を参照。
[22]千五百人が犠牲となり、三百万人が家を失った、過去八十年で最悪であったその水害では、ザルダーリー(Zardari, A. A.)大統領のリーダーシップが疑問視された。米国は一千万ドルの援助を約束したにもかかわらず、パキスタンでは反米感情、タリバン思想が根強い。“Devastating Pakistan Floods Sweep Punjab,” Reuters,August 4, 2010, at www.reuters.com/article/idUSTRE66T3RS20100804.
[23]Padgett, T., “Wyclef Jean to Run for President of Haiti,” Time Magagine, August 4, 2010, www.time.com/time/world/article/0,8599,2008588,00.html. にて入手可。
[24]当時のデトロイトにかんする情報は、下記を参照。http : //Detroit.blogs.time.com(二〇一〇年四月五日アクセス)
[25]“Detroit’s Beautiful, Horrible Decline,” at www.ume.com/time/photogallery/0,29307,1882089,00.html.
[26]Ryzik, M., “Wringing Art Out of the Rubble in Detroit,” New York Times, August 4, 2010, pp. C1 and C5.
[27]二〇〇八年四月、デトロイトには一ドルで売られる家があった。www.zillow.com/blog/the-remains-of-the-1-detroit-house/2008/08/14.
訳者注
(1)マルディグラ。二月~三月に行われる米国で最大のカーニバル(謝肉祭)。
(2)地震等で湖沼、湾などの水が周期的に振動する現象。