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『ルソーの戦争/平和論』

 
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ジャン=ジャック・ルソー著、ブレーズ・バコフェン、セリーヌ・スペクトール監修、ブリュノ・ベルナルディ、ガブリエッラ・シルヴェストリーニ編
永見文雄・三浦信孝 訳
『ルソーの戦争/平和論 『戦争法の諸原理』と『永久平和論抜粋・批判』』

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訳者あとがき
 
 本書はJean-Jacques Rousseau, Principes du droit de la guerre. Ecrits sur la paix perpétuelle(dir. Blaise Bachofen et Céline Spector, éd. Bruno Bernardi et Gabriella Silvestrini), Paris, Vrin, 2008 の全訳である。原著のタイトルはルソーの『戦争法の諸原理』と『永久平和論抜粋・批判』を並べているが、訳書のタイトルは『ルソーの戦争/平和論』とした。本書の目玉は、原初の形で復元されたルソーの『戦争法の諸原理』である。ただし、「復元」前の、ルソーによる加除訂正が一目瞭然となっている草稿については、翻訳のしようがないので、冒頭の校訂者による解説部分のみ日本語に直し、残りのテキスト部分は原書そのままに本書に収録した(原書43〜61頁、本書xii〜xxxi 頁)。また「戦争に関する断片」と「付録の断片」、「永久平和論に関する断片」(原書62〜67頁と127頁、本書xxxii〜xxxviii 頁とxxxix 頁)もルソーによる加除訂正がそのままの形となっており、訳出を省略した。
 今から二〇年前の二〇〇〇年に、原著のテキスト校訂者のひとりブリュノ・ベルナルディのイニシアチブで研究チームGroupe J.-J. Rousseau が結成され、その共同作業の目覚ましい成果がルソーの作品の解説付きコレクション(Textes et Commentaires シリーズ)の出版という形でパリのヴラン書店から次々と世に出ることになった。二〇〇二年の『エコノミー・ポリティック論』、二〇〇五年の『山からの手紙』につづき、二〇〇八年刊の本書は三作目で、そのあとに二〇一二年の『社会契約論ジュネーヴ草稿』、二〇一八年の『コルシカ論草稿』がつづく。
 このシリーズはテキストとコメントという体裁を取っているが、本書に収められているのはルソーの『戦争法の諸原理』とサンピエール師の著作『永久平和論』(邦訳『永久平和論』本田裕志訳、京都大学学術出版会、二〇一三)のルソーによる『抜粋』と『批判』の三種類のテキストと、これらのテキストに関する四名のルソー研究者―バコフェン、ゲナール、スペクトール、ベルナルディ―による四本のコメント論文である。各論文には代表執筆者が署名しているが、研究チームの共同討議の成果であるため、各論文の末尾に執筆協力者の氏名が付されている。テキストに先立って編者(バコフェンとスペクトール)による「序文」と校訂者(ベルナルディとシルヴェストリーニ)による「校訂版(あるいは校訂作業)の紹介」が掲載され、四本のコメント論文の後に「書誌」と「人名索引」が続いている。
 本書で特筆すべきは、ルソーの幻の戦争論がついに「発見」され、的確な校訂作業の結果、通読可能な形で正確に「復元」されて、一般読者にも手の届くものとなったことである。なるほど、『戦争法の諸原理』のベルナルディとシルヴェストリーニによって復元されたテキストの最初の公刊は、二〇〇五年に遡る。『ジャン=ジャック・ルソー協会年報』の第四六巻(Annales de la Société J.-J. Rousseau, t. XLVI, 2005)でなされたのだが、これは専門家向けの研究誌であり、広範な読者に向けたものではなかった。一国の正当な国制のあり方を論じた『社会契約論』とは別に、国家間関係を論じた著作の執筆をはたしてルソーはしていたのかどうか、これは長らく研究者を悩ませてきた問題であったが、『戦争法の諸原理』のテキストの復元によって、『社会契約論』(副題は「国制法の諸原理」)と対をなす、個々の政治体相互の関係についての戦争と平和の理論をルソーが構想していたことが、白日の下に明らかとなった。保存されている草稿の状態やテキストの「発見」から「復元」に至る複雑な経緯とめまいのするような校訂作業の実際について、またテキストの執筆年代の推定については、「校訂版の紹介」で詳しく述べられている。
 テキストの「発見」に続いて、テキストそのものの検討が四つのコメント論文で、気鋭の政治哲学系ルソー研究者たちの手によってなされているのも、本書の大きな魅力である。新しいテキスト『戦争法の諸原理』に照らして、ルソーの政治思想全体を見直す必要が起こったのである。と同時に、国家間関係に関するルソーの具体的な議論を吟味するにあたっては、当然のこととしてルソー以前のホッブズや、グロティウスやプッフェンドルフら自然法・万民法学者たちの思想と突き合わせる必要がある。万民法(droit des gens)とは現代の国際公法(droit international public)を意味し、ジュス・ナチュラリストたちの得意の分野であった。加えて論者たちは、これまで見過ごされてきたルソーと同時代の国際法学者エメール・ド・ヴァッテルやカール・シュミットの戦争論、あるいは永久平和論ではイマヌエル・カントとの比較検討もここで行っている。詳しくは本書の各論文を参照されたい。いずれも長文の力作ぞろいだが、いちばん短いゲナール論文が最も明解でまとまっているように思われる。
 本書の翻訳・刊行に先立って日本語に訳された、ルソーの『戦争法の諸原理』を論じている有益な参考文献を二つ挙げておく。ひとつはベルナルディが二〇一三年一月に来日した折りに行った講演をまとめた講演集『ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学――一般意志・人民主権・共和国』(勁草書房、二〇一四年)の第四章「『戦争法の諸原理』と政治体の二重の本性」と、訳者川出良枝による解題(同書一〇九〜一三三頁)である。もうひとつはバコフェン来日時の二〇一六年一月一五日に東京恵比寿の日仏会館ホールで行われた講演「ルソーの政治思想における戦争論―戦争するとは何をすることか?」の翻訳と、訳者三浦信孝による解題(岩波書店『思想』二〇一六年九月号)である。実はバコフェンは、二〇一二年に我々が企画したルソー生誕三〇〇年記念国際シンポジウムに参加しており、記録論文集『ルソーと近代』(風行社、二〇一三年)に「ルソー、戦争に関する政治的理論」が収録されている。川出良枝の「ルソーと「連合」構想―パトリオティズムとコスモポリタニズムをつなぐもの」と合わせ、本書のテーマの出発点になった短いが優れた論考として挙げておく。
 なお、『戦争法の諸原理』の邦訳自体はすでに次の本の中でなされていることを付言しておく。板倉裕治訳『人間不平等起源論 付「戦争法原理」』(講談社学術文庫、二〇一六年六月)。
 本書の翻訳・出版の意義についても、ここで簡単に触れておく必要があろう。それは第一に、すでに述べたとおりルソーの「新しい」著作が出現したということであり、こうした形で日本の読者に提示されるのは、ルソーと一八世紀研究の日本における来るべき展開を考える時、きわめて意義深いことと思われる。第二に、テキストが新しいというだけでなく、テキスト発掘の綿密な生成論的研究の醍醐味を「校訂版の紹介」によって味わうことができるということだ。共同研究の成果だけでなくその方法に関しても、今後のルソー研究にひとつの指針を示したと言えるであろう。プレイアッド版の全五巻完結(一九九五年)でルソーのテキスト校訂の問題は解決済みと考えるのが間違いであったことが明らかになったからである。ちなみに、『ジャン=ジャック・ルソー協会年報』の第五一巻(Annales de la Société J.-J. Rousseau, t. LI, 2013)には「今日ルソーを校訂すること」と題された特集が組まれており、ベルナルディはそこに「ルソーを読み校訂すること―テキストの生成と概念創出」と名づけられた論文を発表している(同誌二九九―三三一頁)。第三に、ルソーの著作の執筆年代確定にも本書は大いに貢献している。『戦争法の諸原理』を構成する断片はサンピエール師関連の著作に付随するものではなく、実は後者に先立って執筆されたのであり(本書では一七五五年夏から一七五六年春の間、すなわち『社会契約論』の「ジュネーヴ草稿」執筆と同時期と推定)、サンピエール師関連著作は『戦争法の諸原理』を参照しながら一七五六年春から夏の初めの間に執筆したことが明らかにされた意義は小さくない。
 第四に、四本のコメント論文によって、ルソーの政治学(国制法と国家間の法、内政と外政)がいかにしてルソーの哲学的人間学によって条件づけられているかが、自然状態と社会状態、自己愛と利己愛=自尊心、理性と情念、徳と利益、個人と国家、人間と市民といった対概念との相関によって分析されており、ルソーにおける政治哲学と人間学との架橋が試みられているということである。いわば「政治体の人間学=人類学」(ベルナルディ)とも呼ぶべきものが検討されているのである。その意味で本書はルソーの政治哲学研究の新側面を開拓する斬新な試みとなっていることから、単にルソー研究者にとどまらず、より広く日本における政治哲学・思想史研究者たちにも訴えるものがあるのではないか。最後に、今日の国際情勢への関心から本書を読むこともできるだろう。戦争状態は政治体の本性に由来する必然的な国家間関係であって、一国の政体がいかなるものであろうと(たとえ民主的な共和国であっても)戦争は避けがたく、平和も戦争の一時的休止状態に他ならないとするルソーの冷徹な、ペシミスティックにさえ見える思想は、核軍縮が一向に進まず、いよいよきな臭くなりつつある現下の世界の趨勢を理解する一助となるであろう。日本もロシアや韓国や中国など隣国と領土問題を抱えているが、政治体に関するルソーの考察は問題解決の参考となるだろうか。
 本書の翻訳分担は以下のとおりである。冒頭の「序文」、テキストのうち『永久平和論』の『抜粋』と『批判』、それにスペクトールとベルナルディのコメント論文(それぞれ、「『永久平和論』――サンピエールからルソーへ」と「ルソーとヨーロッパ――ヨーロッパ市民社会の観念について」)は三浦信孝、「校訂版の紹介」、テキストのうち『戦争法の諸原理』、それにバコフェンとゲナールのコメント論文(それぞれ、「戦争の諸理由(レ・レゾン)、戦争における理性(ラ・レゾン)――『戦争法の諸原理』のひとつの読解」と「国(ピュイサンス)と自己愛――ルソーの思想における戦争の理論」)は永見文雄。
 重要な用語については以下のように訳語を統一した。ルソーの著作構想Institutions politiques は『国家学概論』または『政治学概論』、Discours sur lʼéconomie politique は(中川久定は『国家体制論』、戸部松実は『国家運営論』としているが、本書では)『エコノミー・ポリティック論(国家運営論)』、société civile は、国家から独立した一九世紀以降のsociété の観念を指していることがはっきりしている場合は「市民社会」、それ以外は「政治社会」、état civil は「自然状態」に対する「社会状態」、religion civile は「国家宗教」または「公民宗教」、société pré-étatique (またはpré-politique)は「前国家的社会」(「純粋な自然状態」とは区別される、国家設立以前の自然状態。société sans état のこと)、puissance は(川出は「国/力」を提案し、中山元は「主権国家」と訳しているが)、本書では文脈に応じて「国」、「国家」、「強国」、複数形の時は「列強」とし、ルビを振った。fédération は「連邦」、confédération は「国家連合」(ただし一八世紀には区別なく使われた)、peuple は「人民」あるいは「国民」、場合によっては「民族」、nation は「国民」あるいは「国家」、souverain は「主権者」あるいは「君主」と文脈によって訳し分けた。形容詞moral は、明らかに「道徳的」と訳すべき場合以外、文脈に応じて「社会慣習的」、「社会的」、「人為的」などと訳したが、personne morale は「社会的〔人為的〕人格」のほかに「法人格」と訳した箇所もある。そのほか、注意すべき訳語についてはカタカナでルビを振ったり、訳語の後に括弧して原語を補ったりしてある。そのほかの訳出方法については「凡例」を参照されたい。
 なお、特にスペクトールの論文において、原註の一部を訳者の判断で訳さなかったり要約した箇所があることをお断りしておく。
 本書はルソーの『戦争法の諸原理』の本邦初訳を目指したが、前述の坂倉氏の翻訳に先を越されてしまった。本書の刊行の計画はベルナルディ来日講演集出版の一年後の二〇一五年四月に遡る。当初は二〇一六年三月末には完成原稿提出のつもりが実現せず、次いで二〇一七年七月の刊行を目指したが、諸般の事情からその後も先延ばしを繰り返し、その間、勁草書房並びに同社編集部の関戸詳子さんと出版を待っておられた読者の皆様には多大のご迷惑をおかけした。これもひとえに訳者たちの怠慢によるもので、心からお詫びしたい。何とか刊行にこぎつけることができたのも、まったくもって関戸さんの粘り強いご努力の賜物である。末筆ながら深甚の謝意を表したい。
 
二〇二〇年六月
永見文雄、三浦信孝
 
 
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