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植原 亮 著
『思考力改善ドリル 批判的思考から科学的思考へ』
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はしがき
本書のねらいと特色
本書は、読者の思考力を改善することを目標にしたテキストである。ここでの思考力改善とは、おおまかに言えば、頭をうまく使い、誤りを避けながら、思考を進めていけるようになることだ。
この思考力改善というゴールを目指して、本書では次の2 点を重視する。
1 .人間に備わる「頭の弱点」に注意できるようになる。
2 .「思考ツール」、つまり思考をきちんと進めるための方法や道具を身につける。
人間の頭はしばしば私たちをまちがった考えに導いてしまうような働き方をする。そうした頭の弱点について学び、そこから生まれる誤りが避けられるようになることが、思考力改善のための最初のステップだ。頭の弱点に関しては、心理学をはじめ、人間の心を対象とする分野で研究が進められてきたので、本書でもそうした分野の成果を積極的に活用していきたい。
二番目のステップとして、きちんと考えるための方法や道具が使いこなせるようになりたい。本書で取り上げる思考ツールは、おおむね科学に関連するものである。科学で用いられる方法や道具、あるいはアプローチなどについては、科学リテラシーや科学哲学といった研究分野の豊かな蓄積を参照することにしたいと思う。
では、テキストとしての本書の特色はどのような点にあるか。まずは大枠について説明しよう。本書は全部で6 つの部から構成されており、前半の3 つの部ではさまざまな頭の弱点を中心に学び、後半の3 部では科学に関わる各種の思考ツールを身につけることを主なゴールとしている。はじめは準備体操としてごく日常的な内容から出発し、そこから少しずつレベルを上げていくという構成なので、安心して取り組んでほしい。
次に、章ごとの流れを説明したい。本書は、それぞれは短めの全27 章からなる。ほとんどの章は、人間の頭の弱点や思考ツールについて、例題をまじえて解説することから始まる。章によっては、解説の最後に、理解を助けるための資料を示しているときもある。解説を読んだら練習問題へと進み、読者は思考力改善のためのトレーニングを自ら行ってほしい。練習問題のほぼすべてに解答と解説をつけることで 、独習用のテキストとしても十分に対応できるようにしてある。解答・解説ではさらに類題を追加している場合もあるので、合わせて取り組んでもらいたい。
他の要素として、各部の最後に置いたBOX では、興味深いけれども本文中には盛り込みきれなかった話題を扱っている。また、巻末には、本書に関連する内容にもっと触れてみたい読者のためのブックガイドを掲載した。なお、補足のために注も付しているが、本書の問題作成にあたり参照した文献や資料として引用した文献については数が多いので、本文中では注番号を付さずに巻末の使用文献一覧で挙げるにとどめた。適宜、参照されたい。
最後に、本書の性格をもう少し特定しておこう。第一に、本書は広い意味での「批判的思考(クリティカル・シンキング)」の力を養うためのテキストと言える。用意した問題はかなりの数にのぼるので、批判的思考の実践的な訓練をたっぷりと積んでみたい人に向いているだろう。第二に、本書は「科学的思考」に関する入門書と言うことができる。ただし、いきなり科学的思考を扱うのではなく、それに入る前の準備の段階をかなり充実させているのが、本書の際立った特徴だ。そして第三に、哲学には「知性改善論」というジャンルが昔からあるのだが、思考力改善をうたう本書は、まさしくその現代版をねらったものとして位置づけることができるだろう。やや大げさに言えば、人間知性の改善という伝統的な課題の後継者、という性格も本書は備えているわけだ。いずれにしても、本書は思考力に磨きをかけたいあらゆる読者に開かれている。
本書を授業で教材として使用される方へ
先にも述べたように、本書は、ほとんどの問題に解答・解説をつけることで独習用テキストとしても対応できるようにしてある。そこで、大学の授業などで本書を教材として使用する場合、練習問題に取り組むのは受講者の自習に任せて(授業の中にそのための時間を設けてもよい)、授業自体は以下のような要素を取り入れて組み立てることができるだろう。たとえば、本書で扱っている人間の頭の弱点についての心理学実験を詳しく解説したり、科学史上の事例をその時代背景とともに紹介したりすることを中心にして進める。あるいは、受講者に対して、本書で登場する問題の類題を作らせる、解答や解説で納得しにくかったところを材料にしてディスカッションさせる、関連する文献のリストを示したうえで、それを読んで発表させる、もしくはレポートを書かせる、といった課題を与えるのもよい。他にも工夫の仕方をいろいろ考えて本書を活用してもらえれば、筆者としては幸いである。
(傍点と太字は省略しました。pdfでご覧ください)
第1 章●スキーマとその呪縛
この章では、批判的思考を妨げかねない頭の働きの一例として「スキーマ」について理解することを目指したい。スキーマの解説に入る前に、まずは次の例題に取り組んでもらおう。
例題 お年寄りには席を譲ろう
ある路線の電車の車両に、かなりの高齢で足元がおぼつかない様子のやせたおばあさんが杖を突きながら乗ってきた。ところがその車両に居合わせた乗客は、誰ひとりこのおばあさんに席を譲ろうとしない。乗客たちはみな若く、身体に問題があるわけでもなく、またおばあさんが乗車してきたことに気づかなかったわけでもない。
なぜ誰も席を譲ろうとしなかったのだろうか。一番もっともな理由を考えよ。
よく出てくるのが、乗客は互いに他の誰かが席を譲るだろうと思って、けっきょく誰も譲らなかった、という解答だ。なるほど、それと似たような状況はいろいろな場面で実際に経験したことがあるだろう。けれどもそれだと、そのときに乗り合わせていた乗客がたまたまみんなそう判断したから、という偶然に頼った説明になってしまう。そうではなくて、誰も席を譲ろうとしなくてもそれは当然のことだった、と納得できるような理由は他に考えられないだろうか。
ここはまだウォーミングアップの段階なので、分からなくても問題はない。とはいえ、自力で正解したいという人もいるだろうから、解答の前にヒントを示しておこう──この電車は、満員電車だったのだろうか?
例題の解答・解説
電車がそもそも空いていたからだと考えられる。自由に座れる状況であれば、わざわざおばあさんに席を譲る必要はない、というわけだ。なお、これに類した解答として、指定席の車両だった、という可能性も考えられる。
ヒントでも示唆されているように、この例題のポイントは、問題文を読んで勝手に混雑した電車内の状況を想像し始めると正解にたどり着くのが難しくなってしまう、というところにある。このとき、勝手に想像し始める──つまり本人の意志とは無関係に作動を開始している──ものこそ、スキーマにほかならない。
スキーマとは、物事を理解して適切に行動するための知識の構造や認識の枠組みのことを言う。私たちはたくさんのスキーマをもっているおかげで、日常生活で出会う多種多様な課題を難なくこなすことができている。
例として、レストランに食事に行った場合を考えてみよう。店に入り、席に通されて、メニューを渡され、そこから食べたいものを選び、ウェイターに伝える。料理が運ばれて来たら、順次それを食べ進める。食事を終えたら、会計を済ませて、店を出る。このとき、レストランがどんな場所で、メニューは何のためにあり、ウェイターは何をする人で、会計がなぜ必要なのか……といったことは、いちいち考える必要のないことだ。それは何よりも、私たちがレストランに関するスキーマ[*]をもっているからであり、そうしたスキーマが自動的に働いてくれているおかげで、レストランで食事をするという課題がスムーズにこなせるというわけである。
こうしたスキーマは、日常のおよそありとあらゆる事柄に関して存在していると考えられている。もしスキーマというものがなかったらどうなるか。簡単に想像がつくように、頭に重い負担がかかり続けるつらい生活を送らざるをえなくなるだろう。スキーマの存在はとてもありがたいということが分かる。
ところがその反面で、スキーマは、人の思考を縛り、ものの見方を制限してしまう働きもする。これが「スキーマの呪縛」だ。例題を通じて理解してもらいたかったのは、まさにそうした呪縛としてスキーマが働いてしまう局面の存在なのだ。
それでは、以下に挙げたスキーマに関する資料を一読したら、練習問題に進もう。資料に登場するウィリアム・ジェイムズ(1892 ~ 1942)は、米国の心理学者・哲学者である。
資料1 スキーマとウィリアム・ジェイムズ
スキーマのない人生は、ウィリアム・ジェイムズの有名な表現を借りれば「とてつもなくうるさい混乱」になるだろう。結婚式や葬式、あるいは医師の診察を受けることについてのスキーマ、つまりは、これらの状況のそれぞれにおいてどのようにふるまうべきかという暗黙のルールがなければ、つねに物事を台無しにしてしまうことだろう。
──リチャード・E・ニスベット『世界で最も美しい問題解決法』より
《練習問題》
問1 会社の部長
ある会社の昼休み、女性社員たちが女子トイレで化粧直しをしていると、部長が突然入ってきた。そして部長は平然と個室で用を足し、手を洗って何食わぬ顔でトイレから出ていったのである。ところがトイレにいた女性社員たちはこの事態に戸惑うどころか、まったく驚きもしない様子であった。さてなぜだろう。一番もっともな理由を考えよ。
問2 ポチは弱虫じゃない
「よく鳴く犬は弱虫だ」が常に正しいとしよう。そして、うちのポチはよく鳴く。ところが、実際にはポチは弱虫ではない。さて、そんなことがありうるだろうか?
問3 事例報告
スキーマの呪縛は日常のいろいろなところで見られる現象である。そこで、自分自身の体験や人から聞いた体験で、スキーマの呪縛の具体例が見つかるか、検討せよ。もし見つからなければ、「個人的な恥ずかしい思い込みや勘違い」や「うっかり体験」の例でもよい。
問4 一筆書き(関連問題)
下のような紙がある。その上の2 点を一筆書きで結んでほしい。ただし、太い線は通ってはいけないものとする。どうすればよいだろうか?
問5 人生は……(関連問題)
以下は、人間の笑いについての研究書から引用したやりとりである。
「人生は橋のようなものだ」
「どんなところが?」
「知らんがな」
──このやりとりの面白さのポイントはどこにあるか、スキーマという観点から説明せよ。ただし、笑いのポイントは人によって違うので、うまく考えられなくてもあまり気にしなくてよい。
(本文つづく。傍点は省略しました)
[*]レストランでの食事の場面のような、一連の行動の流れを表すスキーマは、特に「スクリプト」とも呼ばれる。
第23 章●非科学・疑似科学(1)──予言
反証主義に立って、反証可能性の度合いを仮説や予測が科学的に優れているかどうかの物差しにすると、何かが非科学的であることを反証可能性の乏しさという点から理解できるようになる。反証可能性という基準に照らせば、科学とそうでないものとの間に境界線が引けるだろう、と考えるわけだ(本当はそれほど簡単な話ではないのだが、その点は第25 章であらためて触れる)。この章からしばらくは、そうした観点から、非科学的であるとはどのようなことかを学んでいくことにしよう。
さて、ひと口に「非科学」といってもその範囲は広く、中には「疑似科学」、つまり見かけは科学のふりをしているけれども、本当は科学とは言えないものも含まれている。疑似科学──「ニセ科学」「似非科学」とも呼ばれる──については次章から扱うことにして、この章ではもっとあからさまな非科学の例として「予言」を取り上げてみたい。
ここで言う予言は、何らかの神秘的な力によって将来の出来事を知ることができる、というタイプのものである。そうした予言も、これから起こる将来の出来事についての予測を立てるという点では、科学的な仮説や理論と似ているように見える。しかし、これから説明していくように、反証可能性という点で両者は大きく異なっているのである。
それでは例題で、超有名な予言者に登場してもらおう。
例題 ノストラダムスの予言能力
16 世紀フランスの医師・予言者のノストラダムスは、自身の著作におよそ1000 篇もの予言詩を書き残している。若き獅子が年老いた獅子を打ち倒すであろう、戦場での一騎打ちによって。金のかごの中で、両目がくりぬかれる。
こうした詩がその1 つであり、実際ノストラダムスが仕えていたフランス王は、馬に乗って槍競技をしていたときに相手の槍が目に刺さり、それが原因で亡くなったため、この予言詩は的中したとされる。金のかごは、王の兜かぶとを意味しているという。
他にも、巨大彗星の出現のような天体現象や、第二次世界大戦の勃発といった歴史的事件など、ノストラダムスが残した予言詩はいくつも的中したと言われている。もっと現代に近い出来事については、たとえば以下の詩が、2001 年9 月11 日に米国で起こったテロ事件を予言したものだとする解釈がある。大地の中心より来たれる地を揺るがす火、新しき都のそこかしこに震えをもたらし、新しき岩ふたつ末永く戦い、そして泉の精は新しき川を朱に染めん。
「新しき岩二つ」「新しき都」などの語句が、ニューヨークのツインタワー(世界貿易センター)の崩壊を意味している、というのである。
──さてそれでは、ノストラダムスは本当に未来の出来事を正しく予言する能力をもっていたのだろうか。
解答の方向を先取りして述べておきたい。ここでは、ノストラダムスの予言が原理的に外れないようにできているカラクリが見抜ければよい。言いかえれば、その予言がそもそも反証を免れるようになっている理由を説明することができれば十分である。
例題の解答・解説
ポイントは2 つある。1 つは予言詩がおよそ1000 篇も存在するという点で、かなり膨大であること、もう1 つは、問題文からも見てとれるように、予言そのものがきわめて曖昧に書かれているために、それを読む側の解釈の余地が大きいということである。そのおかげで後世の人間は、のちに起こった事件や出来事に当てはまっていると解釈することができるような詩を、1000 篇の中からうまく選び出して、予言がいくつも当たったと主張することが可能となる。こうして、ノストラダムスの残した予言詩の中にはどうやっても的中するもの(あるいは的中したように見えるもの)が含まれることになるため、全体としてほとんど反証は不可能になる。もちろん、ノストラダムスが未来の出来事を正しく予言する能力をもっていたとは結論しにくい。
──上で述べたように、予言の反証を困難にする仕掛けのうち代表的なものとして、
① 量がとにかく膨大である
② 表現がきわめて曖昧で多様な解釈を可能にする
の2 つが挙げられる。②については、前章で示した反証可能性の指標の1 つである「言葉や概念の明晰さ」を満たしていないことを確認しておいてほしい。ちなみに、こうした曖昧な表現に満ちた予言に関してしばしば生じる「あとから振り返ってみると当てはまっているように見える」という現象には、「レトロフィッティング」という名前もついている。
というわけで、これまでよく的中してきたと言われる神秘的な予言には、実は反証を巧みに回避するためのカラクリが施されている。そうした予言は、むしろ外れないようになっている──まちがうリスクをとろうとしない──からこそ、科学的とは言えないのである。では練習に移ろう。
《練習問題》
問1 曖昧な予言
「ローマ教皇は具合が悪くなって、死ぬこともありうる」という予言について、教皇が実際には死ななくても、それでもなお外れてはいない、あるいはそれなりに的中した、と見なすことができるようなケースをいくつか考えてみよ。
問2 世界の終わり
「2012 年の末に世界の終わりが来る」という予言について考えてみよう。現実には2012 年には世界は終わらず、この予言は外れてしまったかに見える。
ところが、「この予言はまだ外れていない」と主張することは、依然として可能である。つまり、工夫しだいで反証逃れができるのだ。では、そのような主張はどのようにすれば可能になるか。反証回避のパターンをいくつか考えてみよ。
問3 霊能力による競馬詐欺
ある日あなたのもとに次のような差出人不明の封書が届いた。「あなただけにお知らせしますが、今週の中央競馬最終レースについて予言します。1 – 5 が当たります」。あなたが週末にテレビで競馬中継を見ていると、本当に1 – 5 が当たった。
その1 週間後、再び似たような封書が届き、そこにはまたその週の最終レースの結果についての予言が記されていた。あなたはまたテレビの競馬中継で、その予言が的中するのを見た。このような封書はその後さらに1週間後にあなたのもとにもう1 通届き、そこに記された予言もみごとに的中したのであった。
そのあとで今度は、霊能力者を名乗る人物があなたを訪ねてきた。いわく、
私には未来を見通す力があります。この力はすでにあなたにご覧いただいた通りです。次はこの力を使って株式投資で利益を得たいと考えています。私にお金を預けていただければ、何倍にもしてあなたにお返しいたします。
あなたはすっかり信用して、指示された口座に大金を振り込んだ。しかし、その直後に、この霊能力者との連絡は途絶えてしまった……。
──さて、この自称霊能力者が競馬については完璧に予言できた(ように見えた)のは、なぜだろうか。
問4 アガスティアの葉
インドのある場所には、「アガスティアの葉」と呼ばれるヤシの葉に書かれた膨大な文書群が保存されている館があるという。その場所を訪れた者は、館の管理人に自分の人生についての教えを授けてもらうことができる。というのは、アガスティアの葉には、すでに死んだ人もこれから生まれてくる人も含めて、あらゆる人間ひとりひとりの人生が記録されているので、それを参照すれば、今後、自分に何が起こるのかを知ることができるからである。
まず、自分がどこで生まれ、どのように育ってきたのかを伝える。すると管理人がアガスティアの葉の中からあなたのことが書かれた文書を探し出してくる──あなたのこれまでとこれからの人生がすでに記された文書が必ず見つかるのだ。管理人はそれにもとづいて、将来についての助言を与えてくれる。「あなたはおよそ5 年以内に人生に大きな影響を与える人物に出会う」とか「あなたは年を取ったときに足が不自由になる可能性が高いので今から注意した方がよい」という具合だ。実際こうした助言の形で示される予言はよく当たるとされ、この館には助言を求めて世界中から人が集まってくる……。なお、「アガスティア」とは今から5000 年前のインドの聖人の名であるという。
──実はここには反証を困難にする仕掛けがある。以下の(1)(2)に答えることでそれを検討せよ。
(1)最初に管理人は、「あなたの人生が記された文書(のように見えるもの)」を見つけてくるが、こんなことができるのはどうしてだろうか。
(2)管理人が将来のための助言として与えてくれる予言について、それがよく当たる(ように見える)のはなぜだろうか。