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『ヨーロッパの世俗と宗教』

 
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伊達聖伸 編著
『ヨーロッパの世俗と宗教 近世から現代まで』

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序論 本書の目的・特色・構成
 
伊達聖伸
 
 本書は、近世から現代に至る時期のヨーロッパにおける世俗と宗教の関係を、総合的かつ多角的に論じようとするひとつの試みである。総合的というのは、おもに政教関係の構造的変容に注目することによって、ヨーロッパ全体にある程度共通する大きな変化を掴み出してみたいということだが、国や地域に応じた違いや特徴的な争点を比較の視座のもとで相互に浮かびあがらせようとする点において、すでに多角的である。ところで、多角的にはもうひとつの意味がある。それは、さまざまなディシプリンのアプローチや切り口を活用しながら、多様なテーマを扱うということである。それによって、宗教研究のフィールドを押し広げ、宗教研究のアプローチをより複合的にすることも狙っている。
 時代や地域を限定してヨーロッパの宗教を論じる研究は多いが、近世から現代まで、西欧から中東欧ロシアまでを見渡してヨーロッパの宗教を論じる日本語の書物となると、かなり通俗的な一般向けの本や事典の類のイメージは湧いても、実のところ研究書はなかなか見当たらないのが実情である。たしかにこの種の企てには、無謀と言われてもおかしくないものがあるだろう。
 だが、ヨーロッパの世俗と宗教の関係を比較の視座から照らし出す企てを、日本語の共同研究として遂行してみるだけの意義や価値は、いくつかあると思われる。ここでは、そのうちのふたつを挙げてみたい。
 ひとつは、「宗教」概念の西洋近代性を再把握する必要性である。「宗教」とは古今東西を通じて普遍的なあり方で存在するものではなく、西洋近代の政治的・軍事的・経済的・道徳的・知的覇権のなかで言説として再構成されたもので、それはキリスト教とりわけプロテスタント的な偏向を帯びていた問題含みの概念であるという認識が、少なくとも日本の宗教学や宗教研究の界隈で共有されるようになってから久しい(アサド、二〇〇四;チデスター、二〇一〇;島薗・鶴岡編、二〇〇三;磯前、二〇一二など)。だが、日本の文脈では、ともすると「西洋近代」や「欧米」が十把一絡げにされることがある。実際には、「欧」と「米」の宗教状況はかなり異なるし(Berger, Davie & Fokas, 2008)、「ヨーロッパ」の「内部」も実に多様である。ヨーロッパにおける世俗化過程の複数のパターンをモデル化したデイヴィッド・マーティンの古典的研究(Martin, 1978)から近年のさまざまな研究成果に至るまで、それこそ欧米では、多くの比較研究が遂行されてきた。しかし、日本の学術においては、ヨーロッパを対象とする比較研究の消化が、ややもすると立ち遅れている。近年の研究成果を踏まえつつ、多様性と一定のまとまりを再記述する必要があるのだが、ここのところが案外盲点になっている。
 もうひとつは、近年の研究動向を踏まえながら日本語の共同研究として記述を試みることは、いわゆるキャッチアップであると同時に、ただのキャッチアップとは異なるアップデートになりうるということである。西洋近代の学問的覇権は、今日では大きく相対化された部分もあるが、今なお根強く残っている。そのなかで見えてきているのは、ヨーロッパの宗教についての学問的記述は、ヨーロッパの言語と各国のナショナルな枠組みに従来大きく規定されてきたということである。日本の研究者もしかりで、通常はヨーロッパのいずれかの国や地域の宗教を専門とし、その国や地域の言語で書かれた研究の影響を受けている。その種の「偏向」はしばしば無意識的に沈潜していくものだが、日本社会に身を置く研究者は、その偏りと日本社会についての認識を、多少なりとも意識的に重ね合わせて類似や隔たりを発見し、独自の観点を練りあげているものと思われる。日本語による共同研究は、視点の偏りを反省的に意識化して持ち寄り、それらを発見的に用いながら、ヨーロッパ諸国・諸地域の宗教を比較の視座から語り直すひとつの戦略になりうる。もっとも、これは本書の狙いのひとつであって、それに成功しているかどうかは、読者の判断に委ねるよりほかない。
 
 本書は、総論と各論の二部構成になっている。
 第Ⅰ部の総論では、ヨーロッパの近世から現代にかけてという、地理的に多様で、時代的にも比較的長いスパンを視野に収め、政教関係という構造を通じて、世俗と宗教の関係の大きな見取り図を提示する。
 政教関係という構造に着目するのは、時代と地域を比較する戦略として有効だと思われるからである。宗教は各人の主観によって異なるとされることが多いが、実は世俗的価値観についてもほぼ同じことが言える。一般論として、ある現象を比較しながら論じるときには、主観的な恣意性の混入をできるかぎり避ける必要があるが、宗教も世俗もしばしば主観的な見方に偏りがちなのである。より客観的な記述を目指す科学的研究の定石は、「もの」を比較することである。ヨーロッパの宗教を比較する場合にも、主観的な宗教の定義を排して、社会における宗教の位置を見定めることが重要である。それを把握するためには、政治との関係を「構造」として押さえるのがよい。近現代ヨーロッパにおける宗教の社会的位置は、世俗的権力としての政治との関係において、大きな枠組みが決まっているからである。そのような観点から、世俗と宗教の関係に注目して、近世から現代までをたどる戦略を取っている。
 総論は、時代的また地理的に広い範囲をカバーするため、おそらく文系の論文としては珍しいと思われるが、九人の共著論文になっている。執筆の手順としては、編者の伊達が描いた西欧(イギリス、フランス、ドイツ、スペイン)のスケッチに小川、木村、内村が加筆訂正を行ない、南欧(イタリア、ポルトガル)については江川、クラウタウが、中東欧(ポーランドを中心とする東中欧、ボスニアを中心とするバルカン、ロシア)については加藤、立田、井上がそれぞれテクストを執筆した。そして、それらを伊達がまとめ直したものを執筆者全員がチェックするという流れで進めた。対話を重ねるなかで、時代ごと、そして地域や国ごとの違いを際立たせながら、一定のまとまりを持たせようとした。
 この第Ⅰ部の総論が、第Ⅱ部で展開される各論に位置を与える格好になっている。別の言い方をすれば、非常に多様な第Ⅱ部の各論を、第Ⅰ部の総論がいわば求心的な土台として支えている。そうして、拡散的な方向を持つものを、ある程度つなぎとめるというプラットフォームのような役割を果たしている。
 第Ⅱ部の各論は、時代や地域やディシプリンごとにまとめるのではなく、あえてそれらをシャッフルして、テーマ別に五つの柱を立て、ペアを作ることにした。各論の論考は、第Ⅰ部の総論で図式的に示した政教関係の時代と地域に応じた構造的特徴とその変化を踏まえつつ、具体的な時代と地域の事例にフォーカスして展開することを目指している。その際に、総論の枠組みをたんに踏襲して精緻化する方向で図式に収まることは求めず、むしろニュアンスをつけ、枠組み自体を揺るがし、内側から食い破ることをも推奨する方針をとった。
 〈政教関係の自明性を揺さぶる〉は、総論でフォーカスした政教関係をより具体的な歴史的・地理的文脈において展開するものである。地域的には、スペインとポルトガルというイベリア半島の二つのカトリックの国を取り上げる格好になった。時代的には近世と現代で離れているが、ともにそれぞれの国の政教関係の内実が変化する重要な時期に焦点を合わせて、政治権力とカトリック教会のさまざまな駆け引きを歴史に密着しながら描き出している。
 内村論文「一六、一七世紀スペインにおける政教関係─複合君主政と国家教会化」は、近世の西欧では国王が教会を管理統制する主権国家体制が誕生するという大きな流れを踏まえつつ、むしろその図式と支配的な語りに抗する形で、複合国家モデルで近世スペインの政教関係をとらえることを提唱している。王朝による教会統治はカスティーリャ王国とアラゴン諸国で差異があり、地域国家が王朝を牽制する側面と、特権身分層の司教が出身地にかかわりなく王朝に忠誠を誓うという側面があったことに注意を促している。
 西脇論文「ポルトガルにおける権威主義体制の民主化とカトリック教会─リスボン総大司教アントニオ・リベイロの役割に注目して」は、サラザールとカエタノの権威主義体制が長く続いた二〇世紀のポルトガルにおいて、民主化が進む体制転換期に焦点を合わせている。リスボン総大司教リベイロの民主化を求める動きは穏健なもので、権威主義体制の終焉は軍部のクーデタによってもたらされた。カトリック教会は「体制の協力者」の地位から解放され、社会党との連携を模索しつつ、軍部革新派および共産党に向き合っていく。この過程で、教会は権威主義体制を支える位置から、政治体を構成する一要素へと変化した。
 〈教育のなかの宗教を問う〉は、現代ヨーロッパの特に公教育における宗教の位置に注目するものである。世界の他の地域と比較すれば、ヨーロッパは「宗教復興よりも世俗化の進展のほうが目につく」とひとまずは言えるが、世俗的な公教育のなかでも宗教は一定の位置を占めている。宗教教育のあり方は各国の歴史を反映した制度に支えられており、総論で扱うに値するテーマでもあるが、教育制度と宗教の位置は実際には非常に複雑かつ多様で、概論の形で総合的に論じるのは難しく、各論として切り口や地域を絞って展開することにした。
 見原論文「ヨーロッパの公教育制度におけるイスラーム教育導入のプロセスと論点」は、西欧・南欧・北欧諸国の事例を参照しつつ、公教育機関におけるイスラーム教育のあり方を比較の視座に位置づけようとするものである。一見するとヨーロッパでは、世俗的な社会にふさわしく、宗教をあくまで「知識」や「文化」の観点から学習する宗教多元主義的なアプローチが支配的であると思われるかもしれないが、実際には信仰実践の習得をも目指すイスラーム教育が行なわれている。本論文は、その諸相を示しながら一定の類型化を試みている。
 井上論文「国家の世俗性のゆくえ─ロシアの宗教教育を事例として」は、二〇一二年にロシアの公立校において導入された必修選択科目「宗教文化と世俗倫理」がどのような背景と理念を持ち、どのような特徴を備えているのかを示している。この科目をソ連時代からの教育政策の流れに位置づけ、「宗教」が「文化」や「伝統」と言い換えられることの意味を探り、六つの選択肢(モジュール)の選択傾向について分析を加えている。この宗教教育は、ロシアにおける「宗教復興」の一端を表わすものだが、論文は、この復興が複数の宗教・宗派に対する連邦政府の対応という面を持っている点に注目し、自由と多様性に一定の管理の枠がはめられていることに注意を促している。
 〈宗教が対立と和解に関与するとき〉は、「宗教」が対立や分断に拍車をかける面と、和解や平和をもたらす面の両義性を持つことに注目する。国家と教会の関係や、公教育の位置と役割は、特に政治との関わりの観点から「制度としての宗教」に焦点を当てているとすれば、ここでは社会の人びとを動員する「アイデンティティの宗教」が問題とされている。
 木村・加藤論文「冷戦下での西ドイツ・ポーランドの和解に宗教はどう関与したのか」は、一九六〇年代半ばに出されたドイツのプロテスタント教会関係者による『覚書』とポーランドのカトリック教会の文書「声明」が、それぞれの社会において世論の変化をもたらし、第二次世界大戦後のドイツとポーランド両国の関係正常化への布石となったことを論じている。宗教による和解への呼びかけは、それぞれの自国内における反発も引き起こしたが、両国の聖職者たちは自国民を代表しているという意識も持ち合わせていた。
 立田論文「スレブレニツァのモスクと教会─内戦後のボスニアにおける宗教と社会」は、宗教対立と語られがちな冷戦後のボスニア内戦が、宗教の教義の違いによって起きたのではないこと、宗教はアイデンティティ・マーカーとして機能する文脈に置かれていることを確認している。そのうえで、虐殺の現場となったスレブレニツァにおいて、宗教は依然として対立的なアイデンティティを強化するようにはたらく面がある一方で、信仰と和解の方向に機能する面もあるのではないかという可能性に期待を寄せている。
 〈宗教を信仰・実践・所属に分節化する〉は、「宗教」の諸側面を「信仰」と「実践」と「所属」の三つに分節化したときに浮かびあがってくる差異に注目している。西洋近代で「誕生」した「宗教」概念はプロテスタント的な「信仰」の側面に傾斜しがちであり、エミール・デュルケムの系譜に連なる宗教社会学は「実践」の側面も視野に収める必要があると強調してきたが、イギリスの宗教社会学者グレース・デイヴィーは「所属」の要素にも注目して「所属」と「信仰」がしばしば反比例の関係にあることを指摘した。
 小川論文「一九世紀イギリス文学の「世俗化」─エミリー・ブロンテの『嵐が丘』とスピリチュアリティ」は、国教会の牧師の娘だったエミリー・ブロンテが、通常は宗教小説とは見なされない『嵐が丘』において、権威主義的な聖職者を批判しながらスピリチュアリティを擁護する姿勢を見せている点に注目している。そして、知や制度ではなく、身体や感受性の方向に引き付けた宗教やスピリチュアリティの理解が見られることを示している。さらに、物質に宿る霊性という考え方が生と死の境界を超えるひとつの方法であったことを示唆している。
 岡本論文「聖母巡礼地における所属と実践─メジュゴリエの事例」は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの小村メジェゴリエにおける「聖母出現」をめぐって、これがヴァチカンとフランシスコ会の対立をはじめとするさまざまな利害関係の見られる重層的な社会的背景を持つ土地において生じている現象であることに注意を喚起する。ローカルなレベルでは、聖母はメジェゴリエの人びとにとって、「信仰」よりも「所属」の色彩を帯びていたが、この聖地のグローバル化にともない、巡礼者は地元の人びとの「所属」の側面には特に関心を払うことなく「信仰」「実践」を行なっている。メジェゴリエの事例は、当事者によってクローズアップされる宗教の側面が異なってくることを示す好例だと言えよう。
 〈多様な生と(不)死の時代に〉は、二〇世紀後半以降のヨーロッパにおいて一方では宗教的・文化的多様化が進み、他方では科学技術がさらなる発展を遂げるなかで、人間の生と死を取り巻く状況が大きく変化していることを踏まえ、改めて世俗の時代における人間の条件を問いながら宗教との関係を考えようとするものである。
 諸岡論文「現代イギリスにおける宗教的多様性とホスピス」は、ホスピス・緩和ケアの先進国とされているイギリスを取りあげ、移民の増加にともなう宗教的多様性の増大と世俗化の進展にともなう無宗教層の拡大から生じている新たな宗教状況において、ホスピス・緩和ケアの領域で取られている対応について論じる。多様性を平等に尊重しようとする精神が文化や宗教の実体化を促す場合があること、アングリカンがマジョリティのチャプレン専門職の心的機構、ホスピス利用者の満足度と社会的属性の偏りなど、いくつかの逆説を浮かびあがらせながら、社会が死を扱う姿勢について、将来の課題を指摘する。
 増田論文「トランスヒューマニズムと「人新世」─科学技術時代の「信」のゆくえ」は、フランス語圏における議論を中心に、現代という加速の時代にあって人間の能力を拡張しようとするトランスヒューマニズムはヒューマニズムの延長なのか、それともヒューマニズムに反するのかという問いを提起するそれは宗教に背を向けた世俗を突き詰めるものなのだろうか、それとも世俗の果てでキリスト教を完成するものなのだろうか。新自由主義が支配的な現代においてエンハンスメントされた人間を言祝ぐことは、格差の増大や環境の破壊をもたらしかねない。論文は、トランスヒューマニズムを連帯や平等と両立させようとする議論と、人間の弱さを強調する議論とを対置している。
 以上のように、各論の内容は、時代的にも地域的にも多岐にわたる。各論執筆者のディシプリンも、宗教学、哲学、文学、政治学、歴史学、社会学などと多様である。本書の共著者たちが互いに持ち寄る視点は、対話を通してより豊かになりうる。そこで、本書が共同研究の成果であることを生かすための工夫として、各論執筆者同士で、互いの論文にコメントを付すことにしてみた。本書には、一論文あたりひとつのコメントしか盛り込めていないが、これは各論の内容を外に向かって開こうとする試みである。この仕掛けは、各執筆者が他の専門分野の読者にもわかるように書くことを意識するようにも機能した。他の専門分野の読者とは、一般読者像にも比較的近いものと思われる。これによって、本書へのアクセスのしやすさが増していれば幸いである。
 ここではお名前を挙げないが、データの取捨選択に際しては、本書には参加していない専門家の知見も参考にさせていただいた。
 さらに、本書には、ヨーロッパの世俗と宗教の来歴と現状がわかるようなデータを盛り込んだ資料編も設けることにした。それらはおもに既存の研究によって得られたものをまとめたもので、取り扱いや解釈にはしばしば注意が必要だが、地図や図表を用いた視覚的な提示は概要の把握や、大局的な観点からの考察の材料として役立てることができるだろう。
 本書は、文部科学省科学研究費補助金・基盤研究(B)「ヨーロッパの世俗的・宗教的アイデンティティの行方─政教関係の学際的比較研究」(課題番号一六H〇三三五六)による共同研究の成果の一部である。
 日本の宗教学の分野でヨーロッパをフィールドにしていた同世代の研究者たち、また編者が当時勤務していた上智大学外国語学部の教員でヨーロッパの宗教というテーマと接点がある同僚たちを中心に、この共同研究を立ち上げようと考えたのは今から五年近く前である。多分野でチャレンジングな試みをしているという意識と興奮はつねに持ち続けていたが、遠心力もはたらく共同研究にどのようなまとまりをつけていけばよいのかは、必ずしも正解のない問題でもあった。不十分なところも目につくかもしれないが、読者諸賢のご批判をお待ちしたい。
 ひとつの形にするには、勁草書房の関戸詳子さんの存在が大きかった。計画段階から興味を持って話を聞いていただき、研究会にもよく足を運ばれ、提出される原稿にはつねに迅速で的確なコメントを返してくださった。心よりお礼申しあげたい。
(注と参考文献は省略しました。pdfでご覧ください)
 
 
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