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原田 謙 著
『「幸福な老い」と世代間関係 職場と地域におけるエイジズム調査分析』
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まえがき
「幸福な老い」の条件
人生100 年時代といわれる今,幸福に老いる条件とは何だろうか.条件として思い浮かべるものは,人それぞれ違うかもしれない.この「幸福な老い」,すなわちサクセスフル・エイジング(successful aging)については,社会老年学において,高齢者の主観的幸福感(subjective well-being)に関する研究が積み重ねられてきた.そこでは,疾病のリスクの低さ,心身機能の維持ととともに,社会活動への参加や人間関係の重要性が議論されてきた.
人間関係は,家族・親族,隣人,友人関係のサイズや接触頻度といった社会的ネットワーク(social network)と,経済的あるいは情緒的な支援などの社会的サポート(social support)によってとらえられる.一方,人間関係は,支援といった肯定的側面だけでなく,イライラさせられたり,過剰な要求をされたりする否定的相互作用(negative interaction)もともなう.われわれは,困ったときに助けてくれる「つながり」とともに,不快な気持ちにさせられる「しがらみ」に埋め込まれて暮らしているのである.
これまでの幸福な老いの議論では,親子関係という世代間関係(intergenerational relationships)については,とくに老親扶養に関する研究が蓄積されてきた.この第一の生活空間である家庭内の世代間関係に対して,第二の空間である職場や第三の空間である地域における世代間関係は,高齢者の就業継続や地域における世代間の助け合いが政策課題になっているのにもかかわらず,意外なほどにきちんと議論されてこなかった.
そこで本書では,「超高齢社会」日本における職場と地域における世代間関係を,エイジズム(ageism)という概念を鍵に,再考したい.
日常生活におけるエイジズム
このエイジズムという概念は,あまり聞きなじみがないかもしれない.
日常生活には,さまざまな偏見や差別がひそんでいる.たとえば,白人による黒人差別のように,人種や民族による差別である「レイシズム」が,世界中にいまだに残っている.この文章を書いている今も(2020 年6 月),アメリカでは,黒人男性が白人の警察官に押さえつけられて死亡した事件を契機に,レイシズムに反対する抗議デモが続いている.これは他人ごとではない.日本でも,ヘイトスピーチというかたちで,在日コリアンに対する偏見や差別が社会問題になったことは,記憶に新しい.
一方,性(とくに男性による女性に対する)差別である「セクシズム」について,われわれは,職場におけるセクシャル・ハラスメントであったり,女性の管理職比率の低さであったり,さまざまな男女格差の現実を知っている.
このレイシズムとセクシズムにくらべると,エイジズムという言葉の認知度は低い.しかし,誰でも年をとる.エイジズムを「高齢者に対する偏見・差別」ととらえれば,レイシズムやセクシズムとは異なり,誰もが差別の対象になりうる.また,多くの日本人は年齢に敏感である.初対面の人だと「この人は年上かな,年下かな」と思ったり,同じ年であることがわかると,ちょっと盛り上がったりしてしまうことはないだろうか.
就業や社会保障をめぐる問題では,高齢者と若年者(本書では20,30代をさすことが多い)という世代に分けて議論されることが多い.最近では,地域では高齢者向けの施設を充実させるべきか,それとも若年者(子育て世代)向けの施設を充実させるべきかという議論もある.ちなみにわたしは「団塊ジュニア」「氷河期世代」「ロストジェネレーション(失われた世代)」とよばれる40 代後半である.高齢者を研究対象とする研究者であるととともに,大学では学生という若年者を指導する教員でもある.まさに高齢者と若年者の「あいだ」に位置している.
とくに職業生活をめぐっては,定年を何歳に引き上げるべきかとか,年金支給年齢の引き上げにともない何歳まで働くべきかという「年齢」を基準にした議論が展開されやすい.人口減少社会における労働力不足という現実もあって,こうした高齢者の就業継続が既定路線になると,景気が上向きの時は良いが,そうでないと若年者の雇用を圧迫することにもなりかねない.
さらに職場によっては,定年延長や継続雇用で,朝の数時間しか姿をみせない「妖精さん」がいるのではないだろうか(朝日新聞2019 年11 月12 日朝刊).職場に居続ける高齢者が,ろくにパソコンもできずに,デスクで新聞を読んでいるだけで,それなりの給料をもらっていたら,若年就業者は「あの人,はやく会社やめてくれないかな」と思うだろう.
地域生活をめぐっては,高齢者の介護や,若年世代の子育て支援といった課題に関連して,高齢者と若年者の世代間の助け合い(=世代間互酬)が各地で展開されてきた.しかし,日常生活で「キレる」高齢者をみかけることも少なくない.実際に,ベビーカーを押している母親にむかって「邪魔だ」と声を張り上げているお年寄りや,スーパーなどで若い店員さんに食ってかかっている高齢者をみかけると,がっかりする.
本書で明らかにしたいこと
年齢にもとづく偏見・差別というエイジズムの議論のみならず,エイジング(老い)をめぐる議論は,このように一般的にネガティブな話になりやすい.あるいは,「アンチ・エイジング」といったかたちで,老化という生物学的な過程を無理に押しとどめよう,あるいは見た目を若返らせようとする話になりやすい.そこで本書では,エイジズムの反論として提示されたプロダクティブ・エイジングといった概念も紹介しながら,老いといったものをよりポジティブな観点から見つめなおしてみたい.
「若年者の高齢者に対する否定的態度」あるいは「高齢者の若年者に対する否定的態度」としてとらえられるエイジズムはどのように測定され,こうした「年齢にもとづく偏見・差別」は何によって規定されているのだろうか.そして職場における世代間関係や,地域におけるボランティア活動は,高齢者自身の主観的幸福感にどのような影響を及ぼしているのだろうか.本書のねらいは,実証研究の知見にもとづいて,これらの問いに答えることである.
本研究は,学際的な科学としての老年学における理論枠組みをふまえながら,エイジズムにかかわる分析課題を,量的データを用いて実証する「心理・社会調査」のアプローチをとる.具体的には,第Ⅱ部以降の各章で設定されたリサーチ・クエスション(「どのように高齢者に対するエイジズムを測定するのか?」「職場でのエイジズムは幸福感を低下させるのか?」など)が,「エイジズム調査」「世代間関係調査」「東京中高年者調査」の3 つのデータを用いて解明される.
本書は,社会学,心理学や老年学の研究者や学生のみならず,エイジズムという言葉をはじめて聞いた人や,みずからの「老い」を考えてみたい人などにも読んでいただきたい.だから「手っ取り早く内容を知りたい」という方は,序章と第Ⅰ部にざっと目を通して,エイジズムという概念,そして国際比較データからみた日本の高齢者の状況を理解したうえで,終章(=結論)を読んでほしい.そのうえで関心を持てそうな第Ⅱ部と第Ⅲ部の各論に戻っていただきたい.もちろん研究者や,高齢社会論や心理・社会調査に関心があって本書を手に取った学生には,第Ⅱ部以降の各章も,丹念に読んでいただきたい.多くの章は,(かなり手を加えたが)『老年社会科学』に掲載された原著論文が下敷きになっているので,「目的・方法・結果・考察」という科学論文のスタイルをとっている.とくに,どのような尺度(ものさし)を使って分析をしているのかに関心がある方は,方法のセクションを熟読してほしい.
本書が,エイジズムという概念を鍵にして,「超高齢社会」日本の職場と地域における世代間関係,そしてひとりひとりの幸福な老いを再考する一助になれば幸いである.