あとがきたちよみ
『メディアと感情の政治学』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2020/11/30

 
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カリン・ウォール=ヨルゲンセン 著
三谷文栄・山腰修三 訳
『メディアと感情の政治学』

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日本語版への序文
 
 私の本が日本語に翻訳され、新たな読者に届くことを大変うれしく、光栄に思っている。あなたが本書を手に取ったのは、メディア政治における感情の役割に関してより多くを学ぶことに何らかの興味があるからに違いない。この一〇年間、様々な状況下で、そしてグローバル、国民国家、ローカルといったあらゆる規模で生じる出来事をめぐるニュースが展開する中で私はこのテーマの研究に没頭してきた。とはいえ、メディア政治における感情の役割は長らく多くの研究者たちによって否定され、あるいは無視されてきた。私が研究を開始した時期には、このテーマを取り上げることに価値や関心を見いだす研究者がほとんどいなかったのである。本書は、そのような考え方がなぜ広範に抱かれてきたのかについて詳細に説明している。それでも私はこのテーマが重要だと固く信じ、固執し続けた。そして幸運にも、本書の執筆段階ではすでにジャーナリズム研究やメディア研究、コミュニケーション研究の研究者によって感情が再検討される大きな転換期に差しかかっていたのである。
 二〇一八年五月に本書を書き終えたとき──すでに二年以上前だが、世界は二〇二〇年の今日の状況とは大きく異なっていた。イギリスでの新型コロナウイルス流行によるロックダウン一三週目に私はこの序文を書いている。現下の緊急事態がゆっくりと進展する中で、私たちの関心事もまた変化してきた。私たちは世界中の多くの人々の日常生活が予期しない形で破壊されるのを目の当たりにした。メディアはこの混乱状況、そしてそれにより引き起こされる感情的な動揺を報道に反映させるという点において、今まで以上に重要な役割を担うようになった。あまりにも多くの人々の死に対する恐怖や悲しみ、自らの生命と生活を失うことへの恐怖、そしてこの困難に向き合う中で生じた共感と連帯に至るまで、危機をめぐる具体的語りはソーシャルメディアだけでなく、伝統的なニュースメディアの媒介作用を通じて活性化したのである。
 二〇二〇年一月に、この新しく謎に満ちたウイルスが中国武漢でパンデミックを引き起こしたと報じられたまさにその時から、私はこのアウトブレイクに関する報道に見られる感情的なトーンに衝撃を受けた。新型コロナウイルスの流行の初期段階、少なくとも西側メディアのオーディエンスにとって、この出来事は中国の一地方という遠く離れた場所で生じる恐怖のドラマであった。二〇二〇年二月一四日に〔非営利のニュースサイト〕『ザ・コンバセーション』で公表した新型コロナウイルス報道に関するささやかな研究の中で、私は次の点を明らかにした。すなわち、未知の部分が多いこの病気に関して、報道の多くが人々の恐怖を喚起するセンセーショナルな憶測に頼っていたのである(Wahl-Jorgensen, 2020)。その後、私たちはこのパンデミックがこれまでにない深刻な被害をもたらす危機へと発展する様を目撃してきた。それはあらゆる場所を同時に襲い、グローバルなレベルでもローカルなレベルでも測り知れない影響をもたらしたのである。かくして中国の人々が感じた恐怖は、世界中の人々が経験することとなった。
 ここでとりわけ新型コロナウイルスの問題に言及しているのは、本書が多様な感情について幅広く分析する重要性を前提としている一方で、恐怖の役割についてはあまり触れていないためである。その代わり、いくつかの章では重要な政治的感情としての怒りに注目し、支配的な感情のレジームにとって怒りは不可欠な要素であると論じた(Reddy, 2001)。新型コロナウイルスをめぐる最近の出来事からも明らかなように、恐怖は優勢であるものの、唯一の感情ではない。ロックダウンで動けない人々は恐怖だけでなく、退屈や孤独も感じている。あるいは恐怖は命を奪われた人々に対する悲しみの感情に伴って現れる。そして怒りはこうした状況の中でも消え去っていない。この数か月の間、私たちは怒りが「ブラック・ライヴズ・マター」(Black Lives Matter 以下、BLM)運動をグローバルなレベルで駆り立ててきたのを目撃した。そしてこれらの抗議活動は正義をめぐる問いが連帯や共感といった肯定的な感情的関わりの基盤を提供することも明らかにしたのである。これは本書の議論でも反映された知見である。他の場合と同様に、BLM運動を支える感情的関与はどこからともなく生じたのではなく、長きにわたる構造的な不正義に対する不満によって増幅されていた。BLM運動をめぐる報道はまさに本書の重要なテーマを浮かび上がらせる。つまり、感情とは合理性と対立するものではなく、むしろ現状に対する合理的反応と理解されるべきなのである。私たちが二〇二〇年を振り返るとき、おそらく恐怖を重要な感情として新たに認識することになるだろう。それは私たちが経験している恐ろしい状況におけるきわめて合理的な感情であり、感情・メディア・政治をめぐる今後の研究が注目すべき対象である。これは感情が決して静的なものではなく、むしろ私たちを取り巻く出来事への反応の中で継続的に変化するという事実を浮き彫りにする。
 言うまでもなく、新型コロナウイルスのパンデミックとそれを取り巻く出来事は、個々の報道に収まると理解されるべきではない。むしろ、長期にわたって私たちの生活の基本的な諸相を変えてしまうような重大な危機なのだ。それは人との関わり方から情報の共有、買い物、学習、抗議の仕方、くつろぎ方、愛情の示し方にまで及ぶ。パンデミック収束後に現れる世界と、それを意味づけようとするメディア組織はこれまでとまったく異なる形になるに違いない。基本的に人文社会科学の今後の研究は、パンデミックそのものではなく、そこから現れる世界を対象とするだろう。こうした変化に社会が対応するとき、それに伴って生じる感情や、それがメディアで報道され議論される方法は私たちの集合的な意味構築過程に不可欠となるのだ。
 いずれにせよ、本書の執筆時に私が最初に感じた疑問、つまり感情がメディアコンテンツの生産やテクスト、オーディエンスを介してどのように広がるのかということは、これまで以上に切迫している。メディアにおける感情の複雑性や、感情が時間の経過とともにどのように変化し、いかなる結果をもたらすのかを理解することは重要な課題である。とはいえ、その課題について私一人だけで取り組んでいきたいとは思わない。本書がこれらの問いについての議論を多くの人々に向けて開く一助となることを願っている。
 
カーディフ、二〇二〇年六月
カリン・ウォール= ヨルゲンセン
参考文献 Wahl-Jorgensen, K. (2020). Coronavirus: how media coverage of epidemics often stokes fear and panic. The Conversation, February 14.
 
 
訳者あとがき
 
 本書は、Karin Wahl-Jorgensen, Emotions, Media and Politics(Polity, 2019)の全訳である。
 著者のカリン・ウォール= ヨルゲンセンはデンマークとアメリカでジャーナリストとして活動した後、アメリカのスタンフォード大学で博士(コミュニケーション)の学位を取得した。そして現在、イギリスのカーディフ大学ジャーナリズム・メディア・文化学部の教授をつとめている。本書を除く二〇二〇年九月現在の研究書(単著、共著および編著)は次のとおりである。

・Lewis, J., Inthorn, S., and Wahl-Jorgensen, K. (2005) Citizens or Consumers?: What the Media Tell Us About Political Participation. Maidenhead, England; New York: Open University Press.
・Wahl-Jorgensen, K. (2007) Journalists and the Public: Newsroom Culture, Letters to the Editor, and Democracy. Creskill, NJ: Hampton Press.
・Wahl-Jorgensen, K. (ed.) (2007) Mediated Citizenships. London: Routledge.
・Wahl-Jorgensen, K. and Hanitzsch, T. (eds.) (2009) The Handbook of Journalism Studies. New York; London: Routledge.
・Pantti, M., Wahl-Jorgensen, K., and Cottle, S. (2012) Disasters and the Media. New York; Oxford: Peter Lang.
・Hintz, A., Dencik, L., and Wahl-Jorgensen, K. (2018) Digital Citizenship in a Datafied Society. Newark: Polity Press.
・Allan, S., Carter, S., Cushion, S., Dencik, L., Garcia-Blanco, I., Harris, J., Sambrook, R., Wahl-Jorgensen, K., and Williams, A. (eds.) (2019) The Future of Journalism: Risks, Threats and Opportunities. London: Routledge.
・Wahl-Jorgensen, K., Hintz, A., Denick, L. and Bennett, L. (eds.) (2020) Journalism, Citizenship and Surveillance Society. Cambridge: Routledge.
・Wahl-Jorgensen, K. and Hanitzsch, T. (eds.) (2020) The Handbook of Journalism Studies Second Edition. New York: Routledge.

 これらの研究にウォール= ヨルゲンセンのメディア政治やジャーナリズムと感情との関係性をめぐる問題関心の進展が表れている。Journalists and the Public は、彼女の博士論文をもとにしたものである。フェミニズム研究を介してユルゲン・ハーバーマスの公共圏概念に関心を持った彼女は、新聞の投書欄を公的議論のフォーラムと位置づけ、投書の選択過程の調査からこの公的議論への参加条件を分析した。その結果、「公共圏」として争点に関心を持ったすべての人々に対して開かれ、かつ理性的な議論が期待される投書欄において、実際には感情的な投書が好まれて選択されていたことを明らかにした。この研究の後、デジタルメディア時代における公的討論と市民参加に関して調査を進める中で、ラディカル・デモクラシーの「敵対性」(ムフ 2005=2008)により関心を寄せるようになる(Wahl-Jorgensen 2019)。そして「我々」と「彼ら」とを分断する「怒り」や「憎しみ」といった感情が中心的な研究テーマへと変わっていった。以上のような関心の変遷を通じてメディア政治やジャーナリズムの研究における感情の位置づけや役割に焦点を当て、ニュースの分析を重ねてきた成果が本書である。
 
 それでは、なぜメディア政治やジャーナリズムの研究にとって「感情」が今日的な問題となっているのであろうか。それは目下展開している現実政治をより深く分析するためである。「トランプ現象」や「ブレグジット」に代表される現代的ポピュリズム政治の隆盛に始まり、「Me Too」や「Black Lives Matter」なども含めた広範な政治現象の中で表出・表象される「怒り」に学術的な関心が寄せられるようになった。そして「ポスト真実」という状況とも連動しつつ、これらの政治現象ではメディアが中心的な役割を果たしている。ソーシャルメディアはポピュリストやハッシュタグ・アクティビズムの参加者の感情を拡散する。一連の出来事は主流メディアのニュースによって社会的に広く共有される。あるいはポピュリスト政治家やソーシャルメディアを通じたアクティビズムがしばしば主流メディアに向ける怒りや不信もそこには含まれるであろう。いずれにせよ、メディアを通じた「感情の政治」が注目され、そのメカニズムや機能が問われているのである。
 その一方で、「感情」の分析に正面から取り組むという点において、メディア政治の研究、とくにジャーナリズムも含めたニュースメディアと政治の関係性をめぐる研究は社会科学の中でも最も立ち遅れた領域の一つとも言える。社会科学全体としては、感情を分析の中心に据えた研究の潮流がこの数十年の間で厚みを増してきた。今日に至るこの潮流を形作ってきた中心は社会学であった。本書でもたびたび言及されているアーリー・ホックシールドの『管理される心』に代表される感情の社会学は政治学や人類学など、他の社会科学の諸領域を巻き込みながら発展を遂げた(岡原・山田・安川・石川 1997: 3 )。
 こうした中で──少なくとも「感情」の社会科学的分析が発展したこの数十年間──メディア政治やジャーナリズムの研究は、「感情」を重要なものとはみなしてこなかった。それは同じメディアを対象とした研究の中でもこうした動向にいち早く応答し、さらに近年の「情動論的転回」を受けた独自の研究に取り組むカルチュラル・スタディーズのメディア研究と対照的だと言える(伊藤 2017;
2018 参照)。
 「感情」の分析が立ち遅れてきた理由は本書に詳しい。第一に、ハーバーマスの公共圏概念の影響に典型的なように、メディア政治の研究では「感情」と「合理性」を二項対立として捉え、後者を望ましいものと価値づける暗黙の前提があったことである。そして第二に、出来事は「客観的」に表象可能であり、そうすべきであるというジャーナリズムの客観報道主義という原理ないし理念が支配的であったことである。これらは感情を不問にし、あるいは不可視化する機能を果たしてきた。しかしながら、「感情の政治」が噴出する今日の状況を背景に、メディア政治やジャーナリズムの研究において「感情」の分析を正面から取り組むことが改めて要請されるようになったのである。
 
 本書の概要は次のようにまとめることができる。
 序章から第3章まではニュースにおける感情を分析するための視座や概念の検討を行っている。序章および第1章では、ニュースやニュースメディアと政治の研究にとって、なぜ感情が重要なのかを論じている。人文社会科学における感情の研究の動向を参照しつつ、感情が構築され、社会的に競合し、あるいは共有される過程とその政治的帰結を明らかにする上でメディア、とくにニュースに注目することの意義が示される。第2章では、ジャーナリズム実践の中に感情がどのように組み込まれ、あるいはニュースのテクストに表象されるのかを「戦略的儀礼」や「感情労働」概念を手がかりに検討している。第3章では、個人の語りが真正性を高め、共感を生むようになった状況をいくつかのメディア表象を事例に論じている。
 こうした視座や概念を踏まえつつ、メディア政治の現代的諸相に焦点を当てているのが第4章から第7章である。第4章と第5章は、感情の中でも「怒り」に焦点を当て、メディアで表象される怒りが常に「非合理的」なものとみなされず、しばしば正当化されることを示している。その一方で、「トランプ現象」をめぐる報道では「怒り」の表現がこれまで以上に多くなり、むしろ「怒り」を表現することで幅広く支持者にアピールしているとしている。そしてこうした「怒り」の表現は、政治社会全体の「感情のレジーム」の変容によって可能になったと指摘する。怒りの表現に加えて、第6章では肯定的な感情である「愛情」を取り上げている。ここではファン文化の研究を踏まえながらオーディエンスやソーシャルメディアのユーザーの政治的関与の実態や可能性が論じられている。そして第7章では、「怒り」や「愛情」といった感情がソーシャルメディアを通じて広がる背景に、ソーシャルメディアのアーキテクチャがあると指摘している。すなわち、メディア企業が収益を得るために人々の肯定的な感情を促進するような制度設計がなされており、それが人々の政治参加や政治的討議にもたらす帰結について考察が加えられている。
 
 以上のように、本書はメディア政治やジャーナリズムの研究にとって「感情」を問うことがなぜ重要なのかを説得的に論じている。その特徴は、第一にトランプ現象やハッシュタグ・アクティビズムに留まらず、ピューリツァー賞受賞記事からソーシャルメディアに至るまでの豊富な事例研究を通じた多様な知見の提示である。そして第二に、「怒りのポピュリズム」、「感情をめぐる戦略的儀礼」、あるいはソーシャルメディアの「アーキテクチャによる感情管理」など、それぞれの事例に興味深い分析概念や分析戦略が活用されている点である。
 言うまでもなく、本書は感情をめぐるメディア政治やジャーナリズムの研究の「出発点」であり、「到達点」ではない。今後、この領域で多くの経験的な分析を蓄積していく必要があり、分析概念や理論も考察を深めていくことが求められる。この点において最も留意すべきは、メディア政治やジャーナリズムの研究の初期の展開に大きな影響を与えた大衆社会論の知見が十分に参照されていないことである。こうしたテーマを扱う上で、例えばウォルター・リップマンの『世論』は批判的にであれ、言及する必要がある。過去の研究において、感情が本当に「不要なもの」と切り捨てられてきたと断言できるのか、慎重な検討も必要であろう。さらに、メディアにおける感情の諸問題や可能性が民主主義にとっていかなる意味を持つのかについても問われなければならない。
 無論のこと、この新たなテーマを学術的、あるいは実践的にどのように深め、発展させるのかは私たち自身にとっての現代的課題である。そのための全体的な見取り図、そして分析概念や分析戦略のいくつかを提示した本書はその有用な手がかりとなる。
 
 本書の翻訳作業は、三谷が序章、第2章、第4章、第5章、終章を、山腰が第1章、第3章、第6章、第7章を担当し、お互いに確認・修正・議論しながら進めた。著者であるウォール= ヨルゲンセン氏にはメールで内容や用語の確認を行った。とはいえ、不十分な箇所もあるかと思う。読者の皆様からのご指摘をいただければ幸いである。なお、本翻訳は慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所の研究プロジェクト「現代民主主義におけるマス・コミュニケーション研究」の成果の一部である。
 本翻訳は多くの方のご助力がなければ完成することができなかった。とくに、メールでの質問に快く回答いただき、日本語版への序文を寄せてくださったカリン・ウォール= ヨルゲンセン氏に深く感謝したい。また、本書の翻訳の企画にお声がけくださり、校正などでも丁寧にご指摘・ご助言をいただいた勁草書房の鈴木クニエ氏にも感謝を申し上げる。
 
二〇二〇年九月
三谷文栄・山腰修三
 
参考文献
Wahl-Jorgensen, K. (2019) “Questioning the Ideal of the Public Sphere: The Emotional Turn,” Social Media +Society, July-September: 1-3.
伊藤守(2017)『情動の社会学──ポストメディア時代における“ミクロ知覚”の探求』青土社。
───(2018)「カルチュラル・スタディーズとしての情動論──『感情の構造』から『動物的政治』へ」『年報カルチュラル・スタディーズ』第6巻:5─23。
岡原正幸・山田昌弘・安川一・石川准(1997)『感情の社会学──エモーション・コンシャスな時代』世界思想社。
ムフ、C.(2005=2008)『政治的なものについて──闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序の構築』酒井隆史監訳・篠原雅武訳、明石書店。
 
 
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