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リリ・ヤン・イング、マーチン・リチャードソン 編
浦田秀次郎 編・監訳
『東アジアの経済統合』[ERIA=TCERアジア経済統合叢書]
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第1章 はじめに
リリ・ヤン・イング/マーチン・リチャードソン/浦田秀次郎
世界貿易機関(WTO)が1995年1月に設立された直後から,二国間・複数国間の自由貿易協定(FTA)が急増し始めた。FTAの数は1995年の44から2018年11月には290まで増加した。東南アジア諸国連合(ASEAN)においても同期間にFTAの数は5から47へと増加した。ASEANを1つの組織として捉えると,2018年11月時点で5つのFTAが発効している。1つはASEAN加盟国を構成メンバーとするFTA(ASEAN自由貿易地域:AFTA)であり,その他はASEANの主要な貿易相手国である6か国とのFTAである(ASEAN・オーストラリア・ニュージーランドFTA,ASEAN・中国FTA,ASEAN・インドFTA,ASEAN・日本CEPA,そしてASEAN・韓国FTA)。財貿易,サービス貿易および投資に関する自由化水準の向上を目的として,ASEANとこれらの6か国は新たなFTA(東アジア地域包括的経済連携:RCEP)の交渉を行っている。
RCEPは2012年11月に交渉開始が宣言されたが,本書の編集作業を行っている2018年11月までに20回の交渉を行っている。われわれは本書が研究者,ビジネスマン,政策立案者などにとって東アジアにおけるこれまでの地域統合や地域協力に関する知識を深めるだけではなく,地域におけるより望ましい自由貿易協定あるいは経済連携協定の策定に関して有益な見解を提示するような基盤を提供できるような有益な分析となることを期待している。
第2章の浦田論文は東アジアにおける地域主義を概観する。東アジアでは1993年のAFTAを皮切りに,この30年間でFTAが激増している。21世紀に入って,ASEAN加盟国,中国,日本,韓国などの東アジア諸国を巻き込む形で,多くの二国間および地域レベルのFTAが競争するような形で交渉され,発効されてきた。FTAが活発に構築されてきたが,すべての東アジア諸国を含むような地域レベルのメガFTAは構築されていない。それに最も近いFTAは,2018年12月に発効が予定されている包括的・進歩的環太平洋パートナーシップ(CPTPP)協定であるが,それは少数の東アジア諸国を含むだけである。
東アジア16か国を含むRCEP協定は2013年5月から交渉を行っているが,合意には至っていない。トランプ政権の下でのアメリカによる保護主義の進展やWTOの下での多角的貿易交渉の行き詰まりの状況において,RCEPのようなルールに基づく貿易制度を構築することの重要性は増している。同章では,東アジアにおけるFTAの進展状況について,それらの競争的関係に注目するとともに,それらの特徴を明らかすることを通じて概観し,RCEP交渉において合意を実現するにあたっての課題を克服するための提案を提供する。
第3章の板倉論文では,RCEPの下での東アジアの16か国による統合の経済効果を推計している。板倉はRCEPの形成のASEAN諸国の国内総生産(GDP)成長率,輸出,輸入,経済的厚生への影響を推計する。逐次動学一般均衡世界貿易モデルを用いて,同章では以下の3つのシナリオ(シナリオ1:関税削減,シナリオ2:シナリオ1+サービス貿易コストの削減,シナリオ3:シナリオ2+投資自由化)を考察する。
Global Trade Analysis (GTAP)-11を適用して行われる,RCEPの効果に関するシミュレーション分析では,地域における財およびサービス貿易の自由化,財貿易に関するロジスティクスの効率向上,投資の促進による経済的潜在性の可能性を分析する。シミュレーション結果は,RCEPに参加するすべての国々において実質GDPは上昇し,ASEANの実質GDPはベースラインの値と比べて2035年には4.7%上昇する。RCEPの個々のASEAN加盟国への影響は,それら国々の経済規模や自由化の程度などの違いによって大きく異なる。RCEPは投資の自由化も含むことから,実質GDPへの影響はより大きくなる。RCEPが実現することによってすべての加盟国の投資と貿易は拡大する。
第4章では,ジホン・ユが中国の詳細な税関統計を用いて,中国の東南アジア諸国連合(ASEAN)との貿易構造の変遷を分析している。分析は,過去20年間において中国・ASEAN貿易は所有形態,品目,加工貿易に関して劇的な構造変化があったことを明らかにしている。特に,1990年代後半以降において中国の世界生産ネットワークへの活発な参加が,高度な加工貿易集約度と中国で操業する外国企業による高い集中度といった特徴を有する中間財と機械製品への変化を促した。その結果,ASEANの中国への輸出が急増し,大きな貿易収支黒字をもたらした。
しかしながら,このような傾向は近年においては継続していないだけではなく,どちらかというと逆行している。実際,中国のASEAN企業からの輸入の伸びは,機械や中間財の割合の低下や加工貿易集約度の低下を伴いながら,2011年以降鈍化している。反対に,中国地場企業からASEANへの非加工貿易が,特に上述したような産業において急増している。以上のような変化の結果として,ASEANの対中国貿易における黒字は赤字へと変化した。そして今後は貿易赤字が拡大する可能性がある。これらの分析結果は,ASEAN諸国の政策立案者は将来における中国とのより健全な貿易収支を実現するために貿易成長における「新常態」モデルの実現へ向けての中国の構造転換に対応できるように適切な政策の変更を実現しなければならないことを示唆している。
第5章では,岡部は細分化された貿易統計を用いてASEANが加盟するFTAの東南アジア諸国における財貿易への影響を分析する。彼女はFTAダミー変数と各ASEAN加盟国により形成されたFTAの特恵マージンを用いて,各FTAの26部門における輸出入への影響に関してグラビティ・モデルを適用することで推計した。主な分析結果は以下のとおりである。第1に,AFTAは天然資源,工業原料,消費財については加盟国間の貿易を拡大するが,地域生産ネットワークが構築されている製造業部門においてはASEANの地域レベルでの貿易を縮小させる。他方,ASEAN・中国FTAおよびASEAN・韓国FTAについては,これらの部門の貿易は拡大する。これらの分析結果は,ASEAN・中国FTAとASEAN・韓国FTAは,ASEAN加盟国間の貿易を転換させる効果を持つことを示唆している。
第2にASEANの加盟するFTAはASEAN新規加盟国の地域生産ネットワークへの参加を促し,それらの国々の経済発展におけるキャッチアップを容易にする。第3にFTAにおける関税削減の効果は,FTAの総効果のほんの一部でしかない。関税削減以外の自由化措置はより大きな加盟国間の貿易促進効果を有している。第4に同一の国を構成メンバーとするFTAが存在する場合には,新たなFTAの効果は極めて限られている。新たなFTAは,既存のFTAと比べて,より高い自由化度か,あるいはより低い利用コストを有するべきである。最後に,新しいFTAに関する分析結果からは,FTAが貿易への効果をもたらすまでには数年かかることが示されている。
第6章のコーパイブーンとジョングワニッチ論文はタイの企業によるFTA条項の取り込みに関する詳細な分析を行うことで現在交渉中のRCEP協定についての理解を深めようとしている。主要な分析結果としては,分析期間においては原産地証明書の発行数は増加したが,その金額は総貿易の3分の1以下に留まっている。FTA利用率は輸入においては,総輸入の5分の1で,より一層低い。FTAの特恵貿易制度を利用して貿易される商品は自動車製品(完成車および自動車部品),電気製品,石油化学製品,加工食品など特恵制度が適用されやすい製品に集中している場合が多い。
重要な政策的示唆としては,タイの企業によるFTAの利用からはRCEPは加盟国間の貿易を推進する可能性があることが推測されるが,RCEP交渉は既存のFTAの問題点に焦点を当てなければならないということである。RCEP交渉では既存のFTAにおいて例外扱いされている商品の自由化と原産地規則の作成を優先すべきである。さらに,RCEP交渉の対象範囲としては,財貿易の自由化を超えて,最終的にはRCEP加盟国間における貿易と投資の円滑化へと進むべきである。
カドットとイングによる第7章はASEANの原産地規則を使用するにあたって発生する費用を推計している。彼らはHS 6桁分類に対応する独自に作成した原産地規則のデータをグラビティ・モデルに適用することで,ASEANが採用している原産地規則の地域貿易への影響を推計した。彼らの推計結果によると,すべての商品と部門におけるASEANの原産地規則使用に関わるコストの平均値は関税率に換算すると3.4%であった。この推計値は原産地規則使用コストに関する先行研究での結果と整合的である。ただし,彼らの推計は皮革,繊維,衣服,靴,自動車などのいくつかの部門については,かなり高い数値を示している。また,彼らは異なる原産地規則について使用コストが異なることを示している。この点に関しては,繊維に適用される原産地規則は他の商品に適用される原産地規則と比べて貿易抑制効果が大きいことが示されている。
第8章では,カドットとイングはこの地域で深刻な問題となっている非関税措置を取り上げている。現在交渉中のRCEPは東アジアと太平洋地域における地域統合における極めて重要な要素である。同地域では,関税率はすでにかなり低くなっているが,非関税措置は財貿易において依然として重要な問題であり続けている。
非関税措置は調達だけではなく遵守にあたっての費用を発生させることから,産業構造に影響を及ぼす。ASEAN加盟諸国では非関税措置に関して商品ごとに見ると同じような傾向を示している。国際的経験によると,地域貿易協定は各国間での規制の違いを示す規制距離を41%削減することができる。RCEPは東アジア諸国における非関税措置の透明性の向上や相互承認を推進する。
ビバレリ,フィオリニ,ホオクマンによる第9章はRCEPのいくつかの交渉参加国を含む東アジア10か国についてサービス貿易自由化による効果についての定量分析を行っている。同分析は分析の対象となった10か国について大きな差異があることが特記している。各国間の差異は,サービス市場のより一層の開放へ向けて必要な努力の程度だけではなく,それらの国々におけるサービス貿易政策への影響を決定する運営制度の質においても存在する。
本章における実証分析はサービス貿易における制度改革による自由化による下流の製造業部門の生産性への定量的評価である。分析では,金融,交通,通信,専門サービスの4つの生産者サービス部門において,サービス貿易の第3モードについて障壁が完全に撤廃される形の制度改革が実施された状況を想定する。分析結果は,腐敗の抑制,規制の質,法の支配などの広範囲に及ぶ指標で捉えた優れた統治(ガバナンス)制度を有することがサービス貿易自由化の下流部門の経済パフォーマンスへ正の効果を実現されるにあたって重要であることが示された。
RCEP交渉へ向けての重要な含意はサービス貿易における障壁の撤廃は単独あるいは無条件に行うべきではないということである。RCEP交渉加盟国における国内経済制度(ガババンス)の質と関連組織の運営が重要な役割を果たす。RCEPはサービス貿易と投資に関する制限と経済制度(ガバナンス)と規制の質との関係を明示的に考慮すべきである。また,RCEPは経済運営(ガバナンス)組織のパフォーマンスに関する条項も含めるべきである。サービス部門の自由化による正の潜在的効果は極めて大きいことが定量分析による推計で示されているが,それは国内経済制度(ガバナンス)の質が高いという条件が満たされた場合である。もしこの条件が満たされない場合には,サービス部門の自由化による利益は実現しない可能性がある。貿易協定において経済運営(ガバナンス)の弱点に対応できれば,サービス貿易自由化による利益を実現できるだけではなく,優れた組織を実現する可能性を高めることができる。
第10章では,ロサリは国際投資協定(IIA)について「友好通商航海条約」からの発展・進化を説明する。投資に関する取り決めの発展・進化は,投資家は保護を必要とするのに対して,国家は国民のために政策を実施することを国民に保障する必要があるという関係が時代によって変化してきたことから避けることはできなかった。初期段階においては,国際投資協定は欧米諸国で急速に進展する傾向にあった。北米自由貿易協定の合意が代表的な例である。アジアはその後追い付くのであるが,具体的にはASEAN包括的投資協定締結によって進展した。欧米諸国とアジア諸国と区別しない形で,多角的投資制度が設立されることが理想的である。しかしながら,二国間投資協定の時代と比べれば,現在の妥協の状況は好ましい。新しい国際投資協定は利害関係者からの意見を取り入れることで,国民の利益の犠牲を回避する形で投資家を保護するような,より均衡のとれた条項の導入を試みている。
本分析の目的は,交渉に参加する国々の懸念事項への対応や,それらに対する国家の対応方法に関する条項を(同様の条項に関して発生した過去の紛争からの教訓を参考として)設立するための積み石になることが可能な既存の国際投資協定を基盤として,将来における東アジア統合,特にRCEPへの材料を提供することである。さらに,近年締結された数々の国際投資協定,特に包括的経済貿易協定,EUベトナム投資保護協定,CPTPPなどを参考とした材料を提供することが目的である。
これらの分析結果を基に,東アジアは,より深く包括的な投資自由化,より具体的な投資円滑化,最恵国待遇適用,投資家対国家に関する紛争解決制度などを含んだより好まし投資章を策定することを考えるべきである。これらの改良を行うことによって,特恵貿易協定(PTA)は,その形式にかかわらず,投資に関してより好ましくまたバランスのとれた法的枠組みを提供することが可能になり,この地域におけるより好ましい投資環境の構築に貢献できる。
監訳者あとがき
本書はEast Asian Integration: Goods, Services and Investment, Lili Yan Ing, Martin Richardson, and Shujiro Urata共編,Routledge出版の全訳である。同書に収められている論文はASEAN東アジア経済研究センター(ERIA)によって2017年から2019年にかけて実施された研究プロジェクトのために執筆された。
東アジアでは1980年代後半以降,域内における貿易と投資が活発に拡大したことで実態としての経済統合が進んだが,加盟国間での貿易を自由化する自由貿易協定(FTA)などによる制度面での経済統合は,ヨーロッパをはじめとした他の地域と比べて遅れていた。そのような状況において1993年に東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国によるASEAN自由貿易地域(AFTA)が発足し,東アジアにおいても制度面での地域経済統合が始まった。21世紀に入ると,日本とシンガポールや韓国とインドのような二国間でのFTAが多く構築されるようになったが,東アジア諸国を包摂するようなFTAについては,構想はあったものの,交渉はなかなか始まらなかった。日本,中国,韓国,インド,インドネシア,オーストラリアなど16の東アジア諸国によるFTAである東アジア地域包括的経済連携(RCEP)交渉が2013年に開始されたが,意見の違いなどにより交渉は遅々として進まなかった。そのような硬直状態にあったRCEP交渉を促進することを目的として,本プロジェクトが行われた。その背景には,RCEPが東アジア地域だけではなく世界の経済成長の推進に貢献するという考えがあった。
AFTAに代表されるような1990年代初頭までに設立されたFTAはモノの貿易の自由化のみを対象としていたが,その後のFTAは,サービス貿易,投資,電子商取引,人の移動の自由化や円滑化など多くの分野を含むようになり,交渉も複雑になった。本書では,RCEP交渉で重要な位置を占める,財,サービス,投資に焦点を当てて,東アジアにおける実態を検証するとともに,それらの分野におけるルール構築に関する分析を行った。分析にあたっては,東アジア諸国の研究者だけではなく,地域経済統合の実態および研究が世界で最も進んでいるヨーロッパの研究者にも参加してもらった。両地域混成メンバーによって研究が行われたことで,相互理解を深めるとともに,各研究者にとって新たな視点から分析することが可能となった。本書に収められている論文を執筆する段階で研究会が3回開催され,また,RCEP交渉団と2回会合を持った。会合では,各章に収められているような提案も行った。
この「あとがき」の執筆中に,RCEP交渉合意・署名のニュースが飛び込んできた。貿易・投資政策などの方向性が合わないことから,インドは交渉から離脱してしまったが,残った15か国で交渉合意にこぎつけた。今後,批准が順調に進めば来年(2021年)半ばにも,RCEPが発効する見込みである。新型コロナ禍に見舞われ,保護主義的傾向が強まっている世界経済において,多くのメンバーを含んだメガFTA設立の意義は大きい。交渉段階での本プロジェクト参加者と交渉団との意見交換が交渉合意に向けて少しでも貢献できたのであれば,大きな喜びである。本書が国際経済,その中でも特に東アジアにおける地域経済統合に関心を持つ研究者,政府関係者,ビジネスマン,学生諸氏にとって,同テーマに関する知識・理解を深める一助となることを願っている。
最後に,本書の刊行を快諾され編集の労をとられた勁草書房の宮本詳三氏に,翻訳者一同心から御礼を申し上げたい。
2020年11月
翻訳者を代表して
浦田秀次郎