あとがきたちよみ
『成長幻想からの決別』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2021/1/7

 
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村上 亨・柳川 隆・小澤太郎 編
『成長幻想からの決別 平成の検証と令和への展望』[日本経済政策学会叢書]

「第1章 成長戦略の再構築──平成の検証と令和への展望──」「第7 章 特集「コロナ禍の経済と経済政策」への序言」(pdfファイルへのリンク)〉
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第1章 成長戦略の再構築──平成の検証と令和への展望──
 
村上 亨
 
1.はじめに
 令和改元(2019 年5 月1 日)を機に平成の30 年間を振り返ることも決して無意味ではないだろう.むしろ,その間の日本経済の状況と未解決の課題を再確認する作業は,次世代の政策課題を策定するための必須の要件である.少なくとも,30 年間は検証すべき期間としては十分な長さである.もちろん,改元と30 年という長さだけではない.
 平成の30 年間は,平成元年(1989 年)をピークとするバブル経済から一転,低成長経済へ突入し,その状態から抜け出せないまま経過した30 年間であった.景気指標でみると,実質経済成長率はバブル期の1987 ~ 90 年度までは5 ~ 6%もの高成長を記録していたが,1991 年度は2.2%,1992 年度は1.1%,1993 年度はマイナス1.0%であった.平成30 年間の平均成長率は1.3%程度にとどまる.1986 年11 月から始まる景気拡張期は1991 年2 月を山にバブル景気は終わり,それ以降,5 回の景気拡張期を経て現在に至っている.いずれの景気拡張期も1%前後の低い成長となり,近年では拡張期と後退期の成長率が0%近傍であまり差がなく,実感のない景気回復が繰り返されている.また,2012 年12 月から始まる景気拡大期は,戦後最長といわれた「いざなみ景気」の73 か月を抜くといわれたが,内閣府は2020 年7 月末,2018 年10 月が山だったと発表した.景気拡張期が終わったことも定かでないような低成長経済を象徴する出来事である.
 平成の30 年間は,長引くデフレによって特徴づけることもできる.1990 年代半ば以降,四半世紀以上にわたって物価はほとんど上昇していない.物価は体温にたとえられるが,日本経済は低体温症という重篤な症状に陥ったともいえる.この間の超金融緩和にもかかわらず低インフレ状態が長い間続いていることに加え,2000 年代以降,賃金が上がりにくい状況も含めて,「低温経済」と呼ぶべき状態にある.
 平成から令和にわたる経済成長率鈍化とその長期化の原因究明,そして成長経済への転換に向けた方策の探求は,令和時代を展望するための不可欠の作業であり,経済政策研究の現代的かつ最重要な課題であろう.2020 年度の日本経済政策学会第77 回全国大会の統一テーマを,「成長戦略の再構築─平成の検証と令和への展望─」とした所以である.なお,本書はこの統一テーマにおいて報告された内容に基づくものであり,出版に際しては,編著による検討の結果,書名を『成長幻想からの決別』としたことについて,はじめにお断りさせていただきたい.
 
2.経済成長力の低下──長期停滞論をめぐって
 経済成長率の低下傾向は,先進国共通の政策課題でもある.アメリカの元財務長官でハーバード大学教授のローレンス・サマーズが提唱した長期停滞論は,過剰貯蓄,すなわち需要不足による成長率の低下が長期停滞の原因であると考える.2008 年のリーマン・ショックによる世界同時不況の後,長期にわたる経済の低迷が,アメリカをはじめ多くの先進国で顕在化しつつあると警鐘を鳴らすものであった.
 サマーズによると,過剰貯蓄や投資不足によって均衡金利が極端に低下し,金融政策が機能不全に陥っているという.こうして新たな需要が創出されず,経済は停滞する.過剰貯蓄(消費不足)の大きな原因は所得格差の拡大にあり,富裕層の消費性向は中・低所得層に比べ低く,近年のように富裕層に富が集中すれば消費需要は停滞することになる.
 人工知能(AI)など,産業のデジタル化も従来の製造業分野と比べて投資需要を減退させ,非正規雇用の拡大は賃金の上昇を抑え消費需要の減少を招く.サマーズは,アメリカを念頭にインフラ投資の増加,社会保障の強化などを提案している.
 先進国の低成長の背景には慢性的な需要不足・貯蓄超過があり,その理由としてサマーズがあげる要因を整理しておこう.
 第1 は先進国で進行している少子高齢化と技術進歩率の低下である.人口減少は需要を低迷させる.また近年,イノベーションが停滞しており,伸び悩みを引き起こしているという.前者は特にわが国で顕著であり,人口減少あるいは少子化・高齢化が経済成長にどのような影響を及ぼすか,わが国が取り組むべき喫緊の課題である.
 第2 は前述した所得格差の拡大である.所得格差の拡大は富裕層への富の集中をもたらす.一般的に富裕層は総資産に占める消費の割合が低いため,経済全体でみた場合に貯蓄は増加し,さらに大企業も投資を控えて内部留保を抱えるために経済全体における貯蓄の増加,投資需要の減少を引き起こす.わが国の貯蓄投資バランスにおいても,企業部門(非金融法人企業)では1990 年代に投資超過(資金不足)は大幅に縮小し,1998 年以降20 年以上にわたり貯蓄超過(資金余剰)の状況が持続している.
 第3 は大きな資本を必要としない産業を主力とする経済構造への転換である.技術進歩率の低下に加えて,従来の製造業に比べて巨額の資本を必要としないデジタル技術,IT を中心とするネットワーク型産業を主力とする経済では,これまでのような大きな投資需要を期待することはできない.わが国においては,IT, デジタル化,AI などを中核とする新産業の発展が従前のような投資需要をもたらすか否かという問題以前に,こうした分野でいわゆるGAFA に匹敵するようなユニコーン企業が誕生するか否かがまず問題になるだろう.
 先進国の低成長の背景に需要不足・貯蓄超過があることを指摘するサマーズの議論は,一部供給サイドの問題を含むが,基本的には需要サイドの議論である.これに対して供給サイドに低成長の原因を求める見方もある.停滞の原因を供給能力の伸び悩みに求める考え方であり,技術進歩の停滞が経済の供給能力の拡大を低下させ,それが最近の長期停滞につながっていると考える.その代表的な論者であるロバート・ゴードンは,技術進歩の限界が今後の世界経済の成長に大きな足かせになっていると主張している.
 ゴードンによると,世界経済は1300 年以降,1750 年代の第1 次産業革命以前は年率0.2%程度の停滞状態であったが,その後の250 年間,3 次の産業革命を経て,一気に経済成長に転じた.最もインパクトが大きく重要なのは,重化学工業部門での技術革新を中心とする第2 次産業革命で,1890 年から1972 年の80 年間に生産性は急速に向上し,経済や社会へきわめて大きなインパクトを与えた.これに対して,第3 次の1996 年から2004 年までのイノベーションは,生産性の向上をもたらしてはいるが短期に収束し影響も小さかったという.つまり,1 人当たりのGDP は20 世紀の中葉にピークに達して第3 次産業革命の時期にはダウンしていることから,20 世紀の第2 次産業革命が人類の歴史においてピークであり,それに比べれば,その後のイノベーションはたいした影響はないと考えている.
 1991 年から2007 年のアメリカの平均経済成長率は2%であったが,ゴードンの推測では,これが年率0.2%にまで下がり,産業革命以前の状態に戻るという.その理由として,ベビーブームや女性労働ボーナスの終焉,学歴下位半分の成人男性の労働人口からの脱落,教育費の高騰と質の低下,下位99%の所得の減少と格差拡大,資源の枯渇や価格の上昇と環境の悪化,財政赤字と個人債務など,アメリカ資本主義の病巣がアメリカ経済の前途を阻むというのである.
 供給能力の伸び率,技術進歩の可能性,生産性の向上など,経済の供給サイドに着目して,きわめて長期的な視点から技術進歩の停滞による長期停滞を論じたゴードンの主張は,その妥当性に関わる議論とは別に,わが国には示唆するものが多い.
 
3.わが国の現状と成長戦略の再構築に向けて
 2010 年代半ばに展開された長期停滞論争は,主としてアメリカ経済を対象にするものであるが,これまでの議論から明らかなように,現代の日本経済への処方箋を考えるうえでも多くの有益な論点を提供している.
 わが国は人口減少と少子高齢化に伴う労働人口の減少に直面しており,消費需要とそれに呼応した投資需要の低迷が経済成長率の長期停滞状態の原因であるという見方は,需要サイドに重点をおいた視点といえる.所得格差についても,欧米諸国ほどではなくても,地域間経済格差を含めて徐々に拡大しつつある.需要不足・貯蓄超過が長期にわたる経済成長率低迷の原因であるとすれば,需要を拡大するために,また貯蓄を投資に変えていくためにはどのような対策が必要なのであろうか.
 長引くデフレと急速な人口高齢化の進行,それに伴う社会保障関係費の増大,さらに国と地方を合わせた長期債務残高はGDP の2 倍強に達するなど,まさに「課題先進国」としての様相を呈する状況の中で,財政を中心とした需要拡大策はほぼ限界に近いといってよい.消費税引き上げのたび重なる延期を含めて,先送りされた財政再建に向けた道のりは依然として遠く,財政支出の拡大による需要不足解消といった成長戦略は,はたして可能なのであろうか.
 他方,供給サイドからみた場合,供給能力の伸び悩みという点では,わが国の状況は他の先進諸国に比べて一層深刻である.過去30 年間,1 人当たりGDPは主要7 か国の首位から2018 年時点で6 位に転落した.国際通貨基金が公表する1 人当たりGDP は,2017 年データでは25 位となり,アジアでもシンガポール,香港の後塵を拝するに至っている.株式時価総額でみると,1989 年(平成元年)には上位50 社に32 社の日本企業が名を連ねたが,2019 年4 月時点では50 社中43 位にトヨタ1 社が登場するだけである.
 経済成長率の長期低迷状態からの脱却には,需要・供給両サイドの議論が必要であることはいうまでもない.両者は密接な関係にあることも多く,両サイドからの分析を深めていくことが必要であろう.第2 章のアトキンソン氏の論文は,生産性を中心として供給サイドに着目した分析を展開している.わが国企業の生産性の低さはすでに周知のことである.時間当たりでみても,就業者1 人当たりでみても,わが国の労働生産性は先進主要7 か国の中で最低水準にある.こうした状況を踏まえて,経済成長や景気対策ではなく,生産性の向上を中心とした経済政策への転換を主張している.
 前述したロバート・ゴードンのように,これからの経済社会では20 世紀の第2 次産業革命のような技術進歩は期待できないと諦めるのではなく,少なくともわが国においては生産性向上の余地は大きく,生産性に着目することの重要性は明らかであろう.アトキンソン氏の論述の中で特に重要な点は,労働生産性と企業規模との関係に関する考察である.労働生産性の低さはとりわけ中小規模以下の企業において顕著であることを指摘し,1 企業当たりの雇用者数の国際比較を示して,生産性の低い中小企業の割合が多いことに生産性の低さの原因があることを提示している.
 中小企業の割合が多いことの背景には,中小企業を温存させるような政府のさまざまな政策がある.国際的にわが国の労働生産性が長期にわたり低水準にあることも含めて,企業の規模構造,中小企業対策のあり方など,長期的・構造的な問題が存在する.あるいは日本固有の要因が左右している可能性も高い.いずれにしても経済活動の背景にある制度・慣行の点検作業は,きわめて長期的かつ構造的な問題である.
 成長戦略の再構築を考えるうえで,経済成長の捉え方自体をまず確認する必要がある.四半期ごとのGDP の変化率を経済成長率として把握する一般的な方法は,景気動向を探るための短期的な視点に基づいている.これによって,経済の長期的・構造的な問題を論じることはできない.経済成長に対する戦略は,本来,長期的な視点に基づくものでなければならない.
 たとえば,成長戦略の名のもとに展開される財政支出拡大による景気浮揚策は,長期的課題に対して短期的な手法で対応しようとする政策的ミスマッチとも呼ぶべき状況といえる.その効果が短期的であり成長への寄与が乏しいことはいうまでもない.もちろん,ロバート・ゴードンのように,200 ~ 300 年にもわたる時間視野に基づいて経済政策のあり方を考えることは必ずしも容易ではないが,成長戦略の再構築を考えるうえで,少なくとも5 年ないし10 年以上の時間視野に立つことが必要ではないだろうか.
 
4.令和時代への展望のために
 経済成長に関する研究は,経済政策の重要課題として長らく論じられてきた.しかし,平成の30 年間を検証し,令和新時代を展望するために,わが国の経済社会構造の現状と国際経済社会の変化を背景に,現代における経済成長力低下の原因と背景,新たな成長戦略を再構築するための課題を明らかにする必要があるだろう.
 先進諸国にみられる経済成長率の低迷に対しては,過剰貯蓄・需要不足の原因とそれを解消するための財政政策・金融政策の可能性が重要な課題になる.財政政策に関しては,本叢書第2 巻を参照していただきたい.本書では第3 章の木下論文が,日本銀行のフォワード・ガイダンス(時間軸政策)を中心に金融政策の有効性について論じている.また,消費の拡大,民間投資を喚起する成長戦略として新たなイノベーションの可能性はあるのか,イノベーションを中心とした平成経済の検証と令和への展望については,第4 章の明石論文で考察されている.デジタル化,人工知能(AI)の活用・投資は成長を牽引する力を持つのか,あるいは成長につながる企業・産業の競争力の強化にはどのような制度・対策が必要であるのかを考える必要がある.第5 章の太田論文は,わが国を取り巻く国際経済社会の現状,グローバル化の進展を視野に入れながら,わが国の国際競争力について論じている.
 第3 章から第5 章は,共通論題に関するパネルディスカッションに登壇した3 名の報告に基づくものであるが,わが国の企業・産業システムの概要と,三者の報告の論点・関連性については,第6 章の宮田論文を参照していただきたい.
 その他,長期的な経済成長力の向上に向けて,急速な人口減少と高齢化の進行がもたらす影響,所得格差の拡大を抑制する手段・方策,非正規雇用・賃金問題を含む雇用問題の改善など,わが国全体の経済構造と制度に関わる重要課題が残されているが,現代経済社会が直面している諸問題に切り込むための重要な手掛かりとして本書が一定の役割を果たすものと考えている.
 もはや問題の先送りを続けることは許されない.「そのうちまた良くなる」という成長幻想と決別し,日本を覆う閉塞感を払拭するための手立てを着実かつ確実に実行するほかない.そして,われわれが再構築すべき成長戦略とは,生活する人々や働く人々を置き去りにするような成長のための成長ではなく,多少とも明るい未来を切り開くための展望につながるものでなければならない.
 経済成長という古くて新しい問題を,令和への改元を機に再考するだけでなく,30 年近くに及ぶ低成長経済に真正面から取り組むべき時機として,あらためて取り上げる価値があるのではないだろうか.本書での議論が,平成時代における経済政策の検証と新たな成長戦略の再構築に向けた本質的な論議へと結びつき,令和に生きる私たちの明るい展望につながることを期待したい.
 
 
第7 章 特集「コロナ禍の経済と経済政策」への序言
 
柳川 隆
 
 通常,日本経済政策学会叢書では,特集1 は全国大会での共通論題を一般読者向けに書き下ろしたもの,特集2 は経済政策の一つの分野を取り上げて過去5 ~ 10 年の動向について論じたものという構成になっているが,第3 巻の特集2 では,2020 年5 月の全国大会で取り上げた新型コロナウイルスに関する特別セッションでなされた3 つの報告をもとに加筆修正していただいたものを掲載することとした.本章では特別セッションのコーディネーターとしてまた特別セッションを企画した関西部会の代表として簡単に特集2 のご案内をさせていただく.
 新型コロナウイルスの広がりにより,日本経済政策学会も大きな影響を受けた.3 月14 日(土)に関西部会大会を予定していたが,2 月末日にやむなく中止にすることとなった.関西部会としては,全国大会のプログラム委員会の宮田由紀夫委員長のご協力を得て,報告予定者に全国大会での報告を促す一方で,関西部会がスポンサーとなって新型コロナウイルスに関する特別セッションを提供することにした.その時念頭にあったのは,2011 年の全国大会で,同年3月11 日に起こった東日本大震災を受けて直ちに特別セッションが企画されたことであった.新型コロナウイルスに関するセッションはある意味で東日本大震災に関するセッションよりも難しいところがあった.東日本大震災では被害が大きかったが1 回限りの出来事であり,その後の対応を考えればよかったのだが,新型コロナウイルスについては,その後の被害がどうなるか全くわからない状況だったためである.場合によっては新型コロナウイルスについて語るのには適した時期ではないかもしれないという懸念もあったが,やはり喫緊の重要課題について,仮に不十分になったにせよ,学会員が語り合える場を設けることが肝要であると考えて特別セッションを実施することにした.全国大会はオンラインでの実施となったが,開催日の5 月24 日は政府が全国で緊急事態宣言を解除する前日で,ちょうど新型コロナウイルスの第1 波が終了した時点となり,結果的には新型コロナウイルスについて一度振り返っておくにはちょうどいい時期になったと考えている.
 新型コロナウイルスに関する特別セッションは,本書第8 章から第10 章の筆者である3 名により行われた.報告者(敬称略)と所属,および報告論題は下記の通りであった.
(1)櫻庭千尋(追手門学院大学)「所得循環から見通される外出自粛下の日本経済」
(2)鷲尾友春(関西学院大学)「コロナウイルス禍で見えてきたもの─日本・世界経済の実情─」
(3)山岡淳(神戸大学)「新型コロナ(COVID-19)流行下における医療提供体制と住民の受療行動」
 これら3 つの報告はそれぞれ異なる視点から新型コロナウイルスの影響について述べているので,詳細については各章をご覧いただきたい.ここではそれらを俯瞰する意味で一時的・短期的効果と中長期的効果に分けて整理しておくことにする.なお,本章を含む特集2 の各章は基本的に全国大会で行われた報告に依拠するが,一部その後の状況の推移を取り込んでアップデートされたものとなっている.
 はじめに新型コロナウイルスの感染状況をみておこう.国内における新型コロナウイルスの累計感染者は,全国大会前日の2020 年5 月13 日現在で16,024人,死亡者数は668 人であった.本章締切の8 月31 日現在では累計感染者数68,517 人,死亡者数1,301 人となっている.感染者数が増加した割には死亡者数が増えていない.
 新型コロナウイルスをインフルエンザと比較するためにインフルエンザの感染状況をみると,インフルエンザの年間患者数(定点観測推計)は2016/17 シーズンは1,701 万人,2017/18 シーズンは2,257 万人,2018/19 シーズン1,209.9万人,2019/20 シーズ728.5 万人であり,新型コロナウイルスが流行したことにより,前シーズンより約40%減少している.インフルエンザのピーク時の患者数は,2018/19 シーズンは2019 年第4 週(1 月21 日~ 27 日)の推計222.6 万人であったが,2019/20 シーズンは2019 年第52 週(12 月23 日~ 29 日)の推計87.7 万人へと約60%減少している(図表1 参照).新型コロナウイルスの流行とともにインフルエンザの患者数が激減した理由の一つは,マスクや手洗いの励行,人混みを避けるといった生活習慣によるところにあるだろう.その意味で新型コロナウイルス対策はインフルエンザ対策ともなったと考えられる.
 一方,インフルエンザによる死者数は,人口動態調査によると,2016 年に1,463 人,2017 年に2,569 人,2018 年に3,325 人,2019 年は3,571 人となっている.それが2020 年の1 月から3 月の3 か月間では898 人であり,2019 年の1 ~3 月の3,050 人から2,152 人,率にして約70%の減少となっている.新型コロナウイルスによる死者の増加を上回るインフルエンザによる死者の減少があったといってもよいであろう.それは新型コロナウイルスの蔓延を防止するために人々が予防に注力したり,経済社会活動の大きな自粛をした結果であろう.
 新型コロナウイルスがインフルエンザと大きく異なる点は,ワクチンがないことと治療薬がないことであるので,今後,ワクチンや治療薬が開発されてくると御することのできるものになることが予想されるが,新しい生活や労働の習慣によるところもある.新しい生活や労働とGDP との間には,IT 化の推進による投資の刺激や生産性の向上などでGDP の上昇が見込める一方で,消費の停滞などによりGDP の低下もみられることになろう.
 次に新型コロナウイルスの影響について俯瞰することにしよう.まず,一時的・短期的な効果についてみることにしよう.GDP への影響は生産面では自動車等の製造業や,外食・観光等のサービス産業への影響が大きい.それは支出面からみても同様に,飲食・宿泊,鉄道・航空,乗用車,百貨店などへの影響が大きい.一方,分配面では1 人当たり10 万円の特別定額給付金に代表される政府支援がみられた.財政・金融への影響として,緊急経済対策の結果,財政赤字の増大と金融緩和の継続となった.
 GDP 以外への影響では,医療面において,新型コロナウイルスの医療が逼迫し,ワクチン開発が促進される一方で,通院・入院患者減少して医療機関の運営にも影響が出た.環境面では,経済活動の低下により,温室効果ガスの削減が急速に進むという効果があった.
 次に中長期的な効果についてみることにしよう.GDP への影響は生産面では,第2 波・第3 波の到来とワクチンの開発次第の面があり,それによる支出面の影響を受けることになろう.支出面では,観光,交通・運輸,不動産といった産業への影響が懸念される.分配面では,長期的に経済社会的なダメージが大きいと,10 万円の給付金はベーシックインカムの議論につながるかもしれない.
 GDP 以外の点については,オンラインの普及が急速に進み,多くの企業で在宅勤務が進んだ.医療面ではオンライン診療の解禁があり,教育・研究でもオンライン利用が広がるという大きな変化があったが,これらが中長期的にどのように社会を変えるかが注目される.一時期学校の9 月入学も取り沙汰されたがこれは立ち消えた.政府に関しては,非常時のガバナンスを考える重要な機会となろう.新型コロナウイルス対応としては,民主対強権の各国の違いが顕著になった.中国だけでなく西側諸国も強権的な対応をとったのに対し,日本の自由重視が顕著であったが,次に述べる国際緊張と相まって日本が強権的なガバナンスに進むのかが注目される.国際関係をみると,南シナ海などの国境問題や香港問題が米中対立に火をつけた.新型コロナウイルスが直接の原因とはいえないまでも多くの感染者や死者が出たなかで大統領選挙を迎えることからアメリカの強硬姿勢が顕著になった側面もあろう.アメリカが西側諸国を巻き込んで東西再分断に進むかが注目される.このように新型コロナウイルスの影響は単にGDP だけでなく社会に多面的で大きな影響を与えることになると考えられる.
 以上,簡単ではあるが,日本経済政策学会叢書第3 巻の特集2「コロナ禍の経済と経済政策」にあたっての序言としたい.来年度の全国大会等でも新型コロナウイルスに関する報告や討議が引き続き活発に行われていくことを期待している.
(注、図表は省略しました。pdfでご覧ください)
 
 
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