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あとがきたちよみ
『パンデミックの倫理学』

 
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広瀬 巌 著
『パンデミックの倫理学 緊急時対応の倫理原則と新型コロナウイルス感染症』

「はしがき」「第五章 COVID-19 パンデミックの哲学分析より第1節」(pdfファイルへのリンク)〉
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はしがき
 
 二〇〇六年三月に、世界保健機構(WHO)の事務局から突然メールが送られてきた。同年五月に新型インフルエンザのパンデミック対応策についての倫理指針を作成するが、そのワーキンググループの一つに参加しないかという内容だった。それまで極めて抽象的な規範倫理学の研究しかしてこなかったので、感染症対策に関する議論に貢献できる自信はなかったし、間違いメールだとさえ一瞬考えた。
 でもなぜ私に? 医療倫理の論文を書いたこともなければ、公衆衛生の学位を持っているわけでもない。誰から私の名前を知って、どうして私に依頼がきたのだろう? 事務局に率直に質問してみた。
 事務局によると、米ハーバード大学のダン・ブロック教授(Dan Brock)とダン・ウィクラー教授(Dan Wikler)からの推薦があったとのこと。両教授とは知人を通じて面識はあったので、ブロック教授に直接相談してみることにした。ワーキンググループに興味はあるのだが、医療倫理を専門にしてもいなければ、インフルエンザや感染症の知識もまったくない。世界から専門家が集まるWHOのワーキンググループに参加して役に立つのか、恥をかかないだろうか。
 ブロック教授の返答はちょっと意外だった。このワーキンググループに関しては、専門家はもう十分確保してあるので、医療倫理とは違った理論的な観点を持ち込んでくれる人物を探していた。私の論文を読んで、今回のワーキンググループに直接応用できるので推薦した、とのことだった。今このことを振り返り、気後れしていた私にワーキンググループへの参加を積極的に促してくれたブロック教授に感謝している。というのもその後ハーバード大学に移籍する機会があり、医療政策と制度の倫理学という新しい研究分野についてブロック教授から多くを学ぶことができたからだ。この経験がなければ、医療資源分配の倫理学が私の研究分野の一つになることもなかっただろうし、ハーバード大学在籍時の同僚グレッグ・ボグナー(Greg Bognar)と医療資源分配に関する本を執筆することもなかっただろう。しかし本書の執筆最終段階の二〇二〇年九月二八日にブロック教授が亡くなられたとの一報を受けた。感謝と哀悼の念を込めて、この本を故ブロック教授に捧げたい。
 実際のWHOの会合では、四つのワーキンググループがそれぞれ個別分野のワーキングペーパーを共同執筆し、その後それぞれのワーキングペーパーに対して他のワーキンググループのメンバーが検討・検証するという流れだった。四つの個別分野は次のとおりであった。

1.治療及び予防への公平なアクセス
2.隔離、検疫、国境管理、ソーシャル・ディスタンシング
3.パンデミック・インフルエンザ発生時に医療従事者が果たす役割と義務
4.パンデミック・インフルエンザ計画作成と対応策、政府の国際的課題

 私はハーバード大学の両教授とともに第一グループに参加し、当時ユトレヒト大学のマルセル・ヴァウェイ教授(Marcel Verweij)がこのグループの座長を務めた。四つのワーキンググループが作成した文章は二〇〇八年にワーキングペーパー(WHO/HSE/EPR/GIP/2008.2)としてWHOのウェブページに公表された。
 このワーキンググループを経験した後、いくつかの感染症のパンデミックを見てきた。しかし二〇二〇年に始まった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックは、前例のないスケールとインパクトで私たちに襲いかかってきた。ロックダウン真只中のモントリオールで二〇〇六年に私自身が執筆に関わったワーキングペーパーを読んで正直に驚いたのは、二〇二〇年に盛んに議論されているトピックの多くが、もうすでにこのワーキンググループで話し合われていたということである。そこで、ワーキングペーパーで提示した倫理的議論を紹介し、二〇〇六年時点では想定していなかった論点を追加して分析することが有益ではないかと考えた。これが本書を執筆した動機である。
 よって本書には二つの目的がある。第一の目的は、二〇〇六年のワーキンググループでの議論と二〇〇八年のワーキングペーパーの概要を私自身の理解を通して紹介することである。第二の目的は、二〇〇八年のワーキングペーパーでは触れることのできなかった、もしくは想定していなかった倫理的課題を二〇二〇年の新型コロナウイルス感染症の文脈で分析することである。
 本書は次のような構成をとっている。第一章から第三章では、「治療及び予防への公平なアクセス」についての議論を私自身の観点から紹介する。具体的には、第一章と第二章において倫理学の考え方とパンデミック対応策における基本的な倫理原則を示し、第三章でそれが実際の文脈で適用される際の留意点を示す。第四章では、「隔離、検疫、国境管理、ソーシャル・ディスタンシング」についてのワーキンググループの議論を私自身の理解に基づいて紹介し、パンデミック全般の文脈において考察する。最後の第五章では、二〇二〇年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックにおいて特に注目すべきトピックを、現代哲学の観点から分析する。
 本論に入る前に二つの重要な点を指摘しておきたい。第一に、第一章から第四章は私自身の分析と解釈であり、WHO、ワーキンググループ、ワーキンググループのメンバーの意見を代表・代弁しているわけではないということである。また、WHOのガイドラインや推奨が、すべての加盟国にとって最善な、そのまま受け入れられるべきものだと考えているわけでもない。WHOの加盟国は、医療制度、公衆衛生インフラ、法制度、人口構成、経済状態、行動習慣、宗教、死生観など多くの点でそれぞれにまったく違った状況にある。このような多様かつ複雑な状況に関係なく、普遍的に有効なガイドライン、推奨を作ることなどほぼ不可能である。よってワーキングペーパーの内容は、どの加盟国でもおおむね受け入れることができるごく大雑把な倫理指針であり、そのうちのいくつかはある国では受け入れられないかもしれないし、他の国ではもっと踏み込んだ指針が必要とされるかもしれないという性質のものである。しかし大まかな基本方針があることによって、その枠組の中で対応策を調整し具体化することができるのである。
 そして第二に、本書は倫理学の観点から書かれているということである。自明のことと思われるかもしれないが、その自明なことが意味することを明確に指摘しておきたい。政策決定は、いろいろな専門分野の知見を踏まえた上での総合的な判断である。疫学、医療政策、数理モデルによる予測、医療社会学など数多くの専門分野が重要になってくるが、倫理学はその一つにすぎない。倫理的に問題がある政策手段であっても、例えば経済的理由によって許容されることもあれば、倫理的問題があるがゆえに経済的に有効な政策手段が否定されることもある。本書は複雑な感染症対策の政策決定の立案過程における一面を、倫理学・現代哲学を専門とする立場から分析したものである。また、本書は倫理学研究の成果なので、倫理学の研究領域を大きく超えて「コロナ後の人類」のような大風呂敷を広げた文明評論や社会批評をすることもない。
 現代哲学では、一文一文、そして一語一語が何を含意し何を含意していないかをはっきりさせることが、書き手の側の責任だとされる。つまり、読者の解釈に頼らない書き方が求められる。よって正確に書くこと、行間に何も隠さないことに努めた。第一章と第二章では倫理学の理論的基礎の紹介と思考実験による分析を行っているが、その議論が細かすぎて抽象的だと感じられる方もいるかもしれない。その場合は、第三章から読み始めてもらっても構わない。
 
 
第五章 COVID-19 パンデミックの哲学分析
 
1 二〇二〇年の新型コロナウイルス感染症の経験
 二〇二〇年初頭に始まった新型コロナウイルス感染症の世界的大流行は、誰にとっても最もインパクトのある出来事だったに違いない。医療政策・医療制度の倫理学を専門分野の一つにしている研究者にとっても、思いもよらない哲学的・倫理学的問題が現実社会から表出し、それらの問題を真摯に分析しなければならないという職業意識と道徳的義務感が湧き上がる出来事であった。もちろん医者でも疫学者でもないので、分析できる事柄は限定的である。しかし哲学者が論理と思考をもとに分析できる事柄が存在することもまた事実である。この最終章では、二〇二〇年初頭に始まった新型コロナウイルス感染症のパンデミックからの経験について、いくつかの重要な事柄を哲学者がどう分析するかを示したい。
 まず新型コロナウイルス感染症のパンデミックから得た三つの強烈な印象を共有することから始めよう。
 第一に、新型コロナウイルス感染症に関する強い不確実性が存在したということである。この感染症に関してわかっていることが少なく、時として相反する断片的な情報が錯綜した。二〇二〇年初頭の感染拡大初期にはヒトからヒトに感染する感染例は少ないという情報さえあった。また、感染が世界的に流行し始めても、飛沫感染をするかしないか、空気感染するかしないかもはっきりとわかってはいなかった。感染症の特徴がわかっていなかったことで、どう対処するべきか、効果的な治療法・対処法も確立されていなかったのである。
 第二に、強い不確実性があったためにパニックに近い恐怖感が存在した。本章の第2節で指摘するように、大規模な人口全員にPCR検査を実施すべきだというような非合理的かつ倫理的に不正な対策をとるよう声高に主張する人まで出てきた。
 第三に、膨大な経済的、社会的、心理的な損失や負担が発生した。国外・国内の移動の制限が要請され、飲食店や商店の営業を制限するよう要請され、文化・教育活動も制限され、学校は休校になり、リモート勤務が推奨された。そのため経済活動は停滞した。多くの人が自宅での育児と仕事の両立を強いられ、仕事を失った経済的弱者たちは生活に困窮し、劇場の閉鎖によってアーティストは活動の場を失った。社会的な損失と負担を正確に測ることは難しいが、膨大であることは間違いない。また、ほぼすべての人が憤慨し、疲弊し、追い詰められた。心理的な損害と負担の大きさも無視することはできない。
 新型コロナウイルス感染症パンデミックの経験について哲学的に分析する方法は多数あるだろうが、本章では四つの重要なトピックを選んで分析することにする。それらのトピックとは、⑴PCR検査の大規模全員検査の問題、⑵パンデミック対応策の有効性を評価するための思考方法、⑶超過死亡の概念、そして⑷数理モデルに基づく感染予測の批判の仕方についてである。
 しかしその前に、いかにも哲学者らしい気難しい問いから始めたい。新型コロナウイルス感染症について、これほどまでに大騒ぎする必要があったのだろうか?
 二〇二〇年九月三〇日までに、日本では計一五六四人が新型コロナウイルス感染症への感染によって死亡したと報告されている。しかし二〇一八年の人口動態統計の死因別死亡者数を見てみると、季節性インフルエンザによる死亡者数は二三二五人(二〇一七年は二五六九人)、自殺による死亡は二万三一人(二〇一七年は二万四六八人)だった。また、ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンが存在しているにも関わらず日本ではワクチン接種が進まない(というよりは積極的に勧奨されていない)子宮頸がんによる死亡者数は二〇一八年に二八七一人(二〇一七年は二七九五人)だった。なぜ新型コロナウイルス感染症に対してだけことさら大騒ぎし、甚大な経済的・社会的・心理的な損失と負担を人々に強いなければならないのか? この問いに対しては、本章の最後に答えることにする。なぜなら、本章で四つのトピックを考えることで、この問いへの答えが自然と明らかになってくるからである。(以下、本文つづく)
 
(注は省略しました)
 
 
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