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坂井晃介 著
『福祉国家の歴史社会学 19世紀ドイツにおける社会・連帯・補完性』
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序章 統治実践をめぐる「社会的なもの」の探求
0. 1 「社会的なもの」の現代的再編
19世紀後半から20世紀初頭の西欧諸国においてその原型が誕生した福祉国家は、歴史上それまで存在しなかった構造を備えた国家形態であるとされる。人びとの生を安定させるためのさまざまな福祉は、伝統的に家族や教会、地域的・職業的自助団体によって個別的に行われていた。それに対して福祉国家の成立が可能にしたのは、多様な小集団を統一的な基準のもとで統治制度に再編・統合し、人びとに対して包括的な生の保障を提供することである[Stolleis 2003]。
さらに、福祉国家の成立の背景には理念的な転換もある。それ以前の福祉がしばしば君主の恣意に基づく場当たり的かつ非対称な慈善として行われてきたのに比して、19世紀以後のヨーロッパにおいては、人びとの自由な行為と集団形成が常に前提された[高田・中野編2012 : 1-13]。それゆえ、人びとの生の安定とその見通しを保障しつつ、彼らの自由な行為可能性を阻むことなく、むしろそれによって自由な生き方を可能にすることが目指されることとなった[齋藤2008 : 154-5]。福祉国家という国家形態は、さまざまな既存の諸制度を統一するとともに、人びとの自由な生を擁護しつつ、時に人びとの自由が相互に対立する際には、それに制度的な折り合いをつけることをも主要な目的とすることで発展してきた[小野塚編2009]。
さらに、こうした制度的・理念的転換によって生み出された福祉国家は、手放しで持続されるものではなく、規範的に擁護することで維持・促進されている。特に福祉国家を支え、近代以後の人びとにより醸成されていった規範的価値は、総じて「社会的なもの(the social)」と呼称されている。たとえば「社会的連帯」はその筆頭である。
しかし2000年代以降の福祉国家は、グローバルな規模で変容を経験し、存続の危機にあると考えられている。そのため「社会的なもの」の理念は、国内外の人文社会科学で盛んに議論されるようになった。
そこでの基本的なモチーフは、「福祉国家の限界」に対して「社会的なもの」を再発見し規範的に擁護するというものである。すなわち、1970年代の「福祉国家の限界」に端を発し2008年の経済危機でますます深刻化している格差や不平等の拡大は、労働市場および雇用の柔軟化を促し、福祉の縮小と再編を余儀なくしている[新川2014 ; 田中2017 : 1-6 ほか]。こうした状況では、福祉国家を支えてきた匿名の人びと同士の連帯は蓋然性の低いものとみなされ、福祉国家を支える価値理念も共有されず、結果的に「社会的なもの」は忘却されているという。それゆえ、福祉国家の縮小・再編に対抗するために今求められるのは、第1に忘却されつつある人びとの協働や連帯のための包括的な理念を過去の思想家や哲学者から再発見し、第2にそれを手がかりとして、改めて福祉国家を設計していくことであると捉えられているのである[Leisering 2013 ; 齋藤・宮本・近藤編2011 ; 市野川・宇城編2013](1)。
さらに、この取り組みは学問的実践としてだけでなく、政治的マニフェストに地続きの実践としても自覚されている[市野川・宇城編2013 : xiv]。つまり「社会的なもの」の遍歴と帰結を問うことは、記述的な分析としてだけでなく、現実政治の制度形成のための規範的な構想や働きかけとしても探求されているのである。
しかしながらこうした議論においては、「社会的なもの」の理念が特定の知識として制度(2)内で通用するプロセスを等閑視する傾向にある。たとえば、ある歴史的コンテクストにおいて、思想家や哲学者が「社会的なもの」の理念を構想していたとしても、それが同時代の「社会的」政策実践―すなわち福祉国家の実現―にとっても同様に意義があったとは必ずしもいえない。なぜなら学術従事者の分析が、政策形成過程に直接関わる人びとにとっていつも重要な意味をもつとは限らないからである。にもかかわらず、「社会的なもの」の理念についての議論は、しばしばそうした制度間関係についての考察抜きで展開されている。実際には、歴史的な理念の分析にとって、諸制度間で「社会的なもの」がいかなるバリエーションのもとで把握されているのかは欠かせない論点であるはずだ。
こうした分析上の短絡は、現代福祉国家の「危機」や「限界」を批判的に乗り越えるという射程、すなわち規範的実践としても問題含みである。確かに、さまざまな歴史的コンテクストから「社会的なもの」の理念を再発見した上で、現代政治におけるその忘却を批判することは可能である。そしてこうした再発見と現代における忘却の指摘は、現実政治を動かすための理念的原動力になることもある。しかし、「社会的なもの」の理念的インパクトが制度間でいかに異なるかについての洞察が不在であるならば、そうした考察は、歴史的分析としてだけでなく、現代における望ましい制度の構想のための資源としても十分とはいえない。なぜならそうした洞察なしでは、現代の「社会的なもの」の忘却に対する嘆きや批判、規範的メッセージは、どれほど真摯で誠実なものであっても、学術の内部でのみ通用するにとどまり、現実政治に対する規範的実践としては空転しかねないからである。
本書はこうした問題意識から、「社会的なもの」の理念の政策的意義を明らかにすることを目的とする。特に、人びとが持ちうる知と、それが作用する制度の関係を踏まえ、「社会的なもの」が実際には歴史的にどう働いていたのかを考察する。それにより、現代において危機にあるという福祉国家を支えてきた理念を、これまでとは異なるかたちで歴史的にたどり直す。縮小と再編を経験している現代福祉国家の前提が、人びとの生の安全性を考慮するための思考によっていかに可能となっていたのか、その一端を明らかにすることが本書の課題である。
0. 2 ドイツ社会保険制度からみた「社会的なもの」の制度化
本書が主要な分析対象とするのは、19世紀後半にその原型が成立したドイツ社会国家(Sozialstaat)(3)である。社会国家という語はしばしば福祉国家と互換的に用いられるが、ドイツの文脈での福祉国家(Wohlfahrtsstaat)が18 世紀以前の啓蒙君主が貧者への施しを行う非民主的なポリツァイ国家(Polizeistaat)あるいは扶養国家(Versorgungsstaat)を含意するのに対し、社会国家とは自由な個人同士による相互性のもとで形成される国家を意味する(4)。
とりわけ、ドイツ社会国家を歴史的に特徴づけてきたのは社会保険である。ドイツは西ヨーロッパにおいて最初期に国家レベルでの保険制度を構想し近隣諸国のモデルとなったことで知られるが、1880年代に順次成立していった労働者社会保険立法は、工業化に伴う労働環境の劣悪化をはじめとした新たな社会問題を解決する手段として、それまで各自治体や中間集団によって個別的に行われていた保険組織を再編・統合することにより、包括的に安全性を担保する仕組みとなった。そして、政策形成の際には、あらゆる労働者に対する強制保険を実現するために、新たな価値理念の提示と正当化が試みられた。その意味で、労働者社会保険立法はドイツ社会国家における「社会的なもの」の理念が制度として結実した際の成果物であるとされる。そこで本書では、この労働者社会保険立法の形成過程において人びとの理念がいかに作用したかを研究課題とする(5)。
第1章で詳述するが、ドイツにおける社会保険制度を理念的に基礎づけたものとして、先行研究では「社会科学(Gesellschaftswissenschaft)」の学術的成立や、社会民主主義運動および宗教勢力(カトリシズム)の台頭が指摘されている。
社会科学の成立は、それに先立つ学術的制度の再編によって条件づけられている。17世紀を通じて成立した官房学(Kameralismus)は、領邦君主の中央集権的統治を官僚養成を通じて支えることを標榜したが、その後19世紀に入ると「フンボルト理念」と呼ばれる学術の政治からの自律性を謳う大学が作られる。しかし20世紀になると、ナチスドイツやドイツ民主共和国(DDR)のように、再び特定の学問領域と内容が政治実践と結びついていく時期もあった。このように、ドイツでは政治と学術の関係が、結合と分離の間で歴史的に揺れ動いてきたのである。そのなかで社会科学は、官房学的な統治と学術の関係が再編されていく過程で、国家や経済を分析する自律的な学問分野として成立していった。これまでの研究では、こうした社会科学の成立が、社会国家にとっての重大な理念的意義をもっていると考えられてきた。
他方、19世紀後半以降の社会民主主義の拡大や社会カトリシズムの躍進をドイツ社会国家の形成要因とみなす見解においては、「連帯」や「補完性」といったドイツ社会国家にとって主導的であるとみなされてきた諸理念とその働きを、特定の社会的ミリュー(6)のプレゼンスから説明する。たとえばドイツを「保守主義レジーム」に分類する比較福祉国家論的考察は、カトリシズムの強さから社会国家の特性を説明する立場に数えられる。
しかしながらこうした諸研究は、貧困や労働者問題など、同時代において解決すべき諸問題を認識し、その解決を積極的に標榜する多様な立場やその具体的提言を考察してきたものの、それらが知識や理念の面で社会国家形成に対しいかなる位置価を有していたかについては、適切に検討してこなかった。それは、こうした諸研究が理論的・方法論的な反省を徹底せず、社会国家の形成と知の関係について、「社会的なもの」の議論と同様の分析的短絡を起こしているからであるように思われる。またそれゆえ、自らの研究対象が有する社会国家形成についての影響力を高く見積もる傾向にある。
さらに、社会国家の中核として実現していく労働者社会保険についても、従来の研究ではその成立過程をめぐり、認識の齟齬がある。一方で保険史研究では、ドイツにおける社会保険の成立が資本主義化の遅れた国による例外的な事例であるとみなされているが、他方で統治性論的な福祉国家研究では、社会保険こそが近代保険の典型であるとみなされている。ここでも、政策担当者にとって社会保険の導入がなぜ・いかに選択されたのかという理念上の合理性を問うことなしに保険の本質が論じられてきたため、ドイツにおける労働者社会保険の形成過程における理念の役割について、整合的な説明が阻まれてきた。
0. 3 「社会的なもの」の歴史社会学
以上のように、ドイツ社会国家の形成過程を理念的に説明するこれまでの研究は、主として特定の学者や思想家、社会運動家の議論を仔細に明らかにするかたちで進められてきた。そして社会保険制度の導入については、その意義に関する相異なる見解が混在していた。それに対して本書は、こうした諸研究が主題的に扱ってこなかった、政策形成過程における「社会的なもの」の理念の実際の運用を考察対象とする。すなわち、ある時代において卓抜した思想家や学者による「社会的なもの」についての洞察がどのようなものだったのかということだけでなく、それらがいかに特定の立法や行政的決定に関わる統治実践においてレレバントなものとしてみなされていったのか(あるいはみなされなかったのか)を問うのである。
こうした統治実践における「社会的なもの」の位置価を明らかにするために、本書は歴史社会学的な視座から分析が行われる。本書において「歴史社会学」とは、①理論モデルの設定によって既存の歴史資料を再構成し、②それによって比較分析を可能にする研究方針のことを指している。
すなわち第1に、本書は新しい歴史的事実を明らかにするものではなく、すでに明らかになっている諸事実を踏まえた上で、特定の理論的観点から史資料の再検討を行い、既存の分析とは異なるかたちで歴史現象を描き直すことを目指すものである[Schützeichel 2004 : 10-1]。
福祉国家と知に関する既存の分析アプローチとしては、フランソワ・エヴァルド(François Ewald)をはじめとした生権力・統治性論的な福祉国家研究が知られている[Ewald 1986=1993 ほか]。そこにおいて福祉国家とは、知と権力に関する新たな結びつきによって現れた国家形態であると考えられている。たとえば社会衛生学や人口学といった新たな学術的知見の制度化がドイツ社会国家、ひいては第三帝国における人口・福祉・家族政策における知の基盤となっていったとみなす立場は、こうした知の浸透モデルに依拠しているといえるだろう[Stein 2009 ほか]。
しかし上述の通り、個別のコンテクストに即してみると、新たな知の編成が特定の時空間で実現したとしても、それがさまざまな制度の内部でまったく同じように受け止められ作用していたとは限らない。むしろそうした知が各制度の内部でそれぞれ別様に用いられ、さまざまな意思決定の基礎となったことも考えられる。また、そうした知と制度の関係は時間的に変化していくことも十分ありうる。
だとするならば、統治実践における「社会的なもの」の理念を明らかにする上では、特定の知の全面的浸透だけでなく、個々の制度の挙動を踏まえた上で具体的な知の運用を探究しなければならない。ドイツ社会国家の理念をめぐる歴史社会学という本書のアプローチは、こうした知と制度の個別的関係や変化を踏まえた理論的パースペクティブから、労働者社会保険立法の制定に先立ち、統治実践の水準では「社会的なもの」の理念にいかなる位置づけが与えられていたのかを考察するものである。
こうした歴史社会学的な考察のために本書で参照されるのが、社会学者ニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann)の社会学理論である。ルーマンの社会学理論については、日本語圏でも2000年代からまとまった学説的研究の成果が出ているが[馬場2001 ; 長岡2006 ほか]、経験的研究への意義はいまだ明確になっておらず、歴史社会学的研究への応用としても発展途上である。これはルーマンの理論内在的な問題にも起因すると思われる。そこで本書では、ルーマンの社会学理論を再構成し、経験的研究としての歴史社会学の理論・方法として洗練させることが目指される。そこで示されるのは、統治実践における「社会的なもの」の挙動を歴史的にたどり直す上で、ルーマンの社会学理論はこれまでのドイツ社会国家研究において明確に焦点が当てられてこなかった部分を明晰に分析するための有益な視座を提供するということである。特に検討されるのは、彼の自己言及的システム論と機能分化論である。本書はこうした点で、経験的研究への引き継ぎが十分に進んでいなかったルーマンの理論を、歴史社会学的考察のために「中範囲の機能分化論」として修正・再編成するという理論社会学的課題を遂行するものでもある。
第2に、本書が提示する歴史社会学的方針の射程には、ある単一の歴史事象の分析だけでなく、時間的・空間的な比較分析がある[Schützeichel 2009 : 284-5]。「社会的なもの」についての探究はその忘却という側面からみても、通時的・共時的分析が不可欠である。たとえば上述した知と制度の関係は、第二帝政期とヴァイマール期やナチ期ではどう異なり、いかなる社会政策的な帰結の違いをもたらしたのかは重要な研究課題である。また多国間比較という点でも、異なる語彙によって概念化される「社会的なもの」が与えた政策的帰結の違いは看過できない。本書はあくまで19世紀後半のドイツにおける社会保険立法の制定過程を分析対象とするケーススタディだが、ここで依拠する歴史社会学の理論と方法は、「社会的なもの」の系譜をめぐる比較福祉国家論を視野に入れたものなのである。
0. 4 本書の構成
こうした問題意識から、本書は次の構成で展開される。第I部ではまず、上述した知や理念と諸制度の関係を踏まえた福祉国家形成の理論的・方法的指針を定式化する。とりわけ第1章ではドイツ社会国家形成についての先行諸研究が批判的に検討され、第2章ではそれを受け、本書が依拠する理論的・方法的視座が画定される。なかでも、既存の社会学理論において展開されてきた機能分化論を「中範囲の社会学理論」として再構成した上で、具体的な社会国家形成の知識社会学的考察のために、意味論分析というアプローチを導入する。
第II部および第III部では、第I部で導出した理論的・方法的指針から、既存の研究の問題点を乗り越えるかたちで、ドイツ社会国家の形成を知識社会学としての意味論分析により考察することが試みられる。第II部は、社会国家の形成前提となったとされる「社会問題(Sozialfrage)」がいかなる視座によって、そしてどのような語彙で認識されるに至ったのかを、「社会(Gesellschaft)」という語の意味論分析によって明らかにする。とりわけ焦点を当てるのは、こうした認識が「学術」と「政治」という異なる制度においていかに生じていったのか、そこにおける両者の相違はいかなるものなのかということである。
第III部では、そうした認識から導き出された「社会問題」の克服のための政策的帰結であり、ドイツ社会国家の中核となった一連の労働者社会保険立法が、いかなる規範的語彙によって正当化されたのかが考察される。特に検討されるのは、「連帯(Solidarität)」と「補完性(Subsidiarität)」である。両者ともドイツ社会国家を担う伝統的な理念とみなされてきたが、その歴史的出自や社会国家形成にとってのインパクトは、同時代における労働者運動や宗教的教義との関係においては十全に明らかとなっていない。こうした政策形成に対する規範的意義は、第I部第2章で導出する理論的・方法的視座から分析することで、より明確になる。さらに第8 章では、社会国家の中核がとりわけ保険制度によって担われてきたことを踏まえ、19世紀を通じた保険制度の意味論分析が実践される。以上を概観すれば次のようになる(図0-1)。終章では結論として、「社会的なもの」が現在忘却されているという事態を、本書の歴史社会学的研究から照射し、その含意を再検討する。
(1) こうした「社会的なもの」への着目は日本に限ったものではない。福祉国家が20世紀後半から危機を経験するなかで、この概念のグローバルかつ地域的な再編は、国外でも学際的な研究課題となっている[Kaufmann 2015 : 15 ; Leisering 2012 ; Lessenich 2008]。
(2) 本書において「制度(institution)」とは、人びとにより特定の基準のもとで持続的な行為がなされ、それによって行為連関の境界が内外に共有されている状態のことをいう[Lepsius 1990 : 45-8]。ただし以下の考察では、そうした行為連関の境界そのものが意味的に構成されていることが明らかになる。その点で本書における制度の理解は盛山[1995]を受け継ぐものである。
(3) ドイツ社会国家が本格的に成立するのはヴァイマール期(1919-1933)以降だが、その基礎となったのは第二帝政期(1871-1918)に実施された一連の社会政策である[Machtan Hg. 1994 : 19-20]。
(4) 本書ではこの区別に従い、西欧諸国を中心に成立した近代以後の社会政策を担う国家を一般に「福祉国家」と表記し、そうした国家形態の19世紀末以後における特殊ドイツ的形態を「社会国家」と表記する[Ritter 1991=1993 : 9-19](→ 1. 1)。
(5) ドイツ社会国家の原型としての社会保険制度も、上述したグローバルな趨勢としての福祉再編の波を免れなかった。特にこうした社会保険を基軸とする「ビスマルク型」の社会政策は、社会国家の基礎とみなされつつ同時に改革の対象でもあり、そこでは改革を根拠づける「「社会的なもの」の新発明」こそが新たな思想的課題となっている(→第III 部序)[Lessenich 2008 ; 2012b]。
(6) 本書において「ミリュー(Milieu)」とは、「宗教、地域的伝統、経済的立場、文化的志向、媒介的集団の階層特殊的関係といった、さまざまな構造的次元の重合によって形成される社会的統一性」のことを指す[Lepsius 1993]。