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あとがきたちよみ
『食農倫理学の長い旅』

 
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ポール・トンプソン 著
太田和彦 訳
『食農倫理学の長い旅 〈食べる〉のどこに倫理はあるのか』

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日本語版序文
 
 『〈土〉という精神:アメリカの環境倫理と農業』に続き、農業と食に関する私の著作の翻訳に力を注いでくれた太田和彦さんに感謝の意を表したい。もともと私は、環境倫理学を志す若い哲学教授としてこの仕事に携わることとなった。私の初期の研究は、エネルギー技術、特に原子力発電に関するものだったが、教職を務めるなかで、次第に農業に関心を持つようになった。私はすぐに、食というテーマは哲学的考察のための多くの機会を提供することと、他の環境哲学者たちがその機会を見落としていることに気がついた。
 二〇世紀後半の英語圏の環境哲学者は皆、菜食主義以外の食の問題を扱ってこなかった。特にアメリカの環境哲学者たちは、農業と食についてほとんど関心を持っていなかった。その背景には、農業は自然の一部ではないという確固たる見方があった。別の言い方をすれば、農作が行われている景観には、環境保護主義者が興味を持つような独自の価値はなかったのである。公衆衛生が産業公害から、野生の生態系が資源採取から保護される必要があるのと同じように、自然は農業から保護される必要があるものだったのだ。この姿勢は、自然保護区の設立や、大気や水の汚染を防ぐための法規制、原生自然や絶滅危惧種を保護しようとする取り組みから生まれた。農業は、野生生物の生息地の保全を目的とした土地に多大な影響を与える活動であり、化学農薬と合成肥料による汚染源と見なされていた。
 フードシステムのエコロジカル・フットプリントを制限することは、確かに環境倫理学が取り組むべき問題である。しかし、私は環境倫理学の主流に欠けていた視点に気付いた。それが農業だった。かねてより多くの哲学者は、農業を、自然の中に人間が溶け込むことを理解するための重要な活動として位置付けていた。しかし、二〇世紀後半の哲学者たちが食料生産の議論を避けてきたことは、大きな変化を表している。過去世代が農業を話題の中心に据えていたのに対し、現在の世代は、農業を工業生産のプラットフォームとして捉え、製造業や交通機関、医療などの産業経済における一分野に過ぎないと考えたのである。また、農業は他の産業分野と同様の倫理観に基づいて行われるべきであると考え、農業と食における環境問題や社会問題にも、それに応じたアプローチをしてきた。
 しかし、二一世紀の最初の一〇年間で、フードシステムに関する一般向けの書籍が次々と刊行されるようになった。レストランは地元の生産者とのつながりを築きはじめ、ファーマーズ・マーケットに人が集まるようになった。コミュニティ支援型農業のモデルは、日本から輸入されたものである。二〇一〇年までに、多くのアメリカの大学は食農倫理学に関するコースを新設し、学生の活動のための農場(実際には農園)を造るようになった。それまでの私の著作は、フードシステムの関係者や環境哲学者を対象にしていたが、『食農倫理学の長い旅』は、このような新しい読者のために書かれたものである。食農倫理学を初めて学ぶ人が手にとれる一冊になるよう心がけたつもりだ。
 原書の序文にあるように、私は本書を、農家や研究者、その他のフードシステムの専門家と一緒に働いてきた三〇年の間に学んだ多くのことを、より広く、一般の人々に届けるために執筆した。私の知る哲学研究者たちがそうであったように、読者諸氏も、農業のことを、工場のラインや、発電所や、鉱山のような、バラバラに存在している生産拠点の一つであるように捉えているのではないかと思っている。食農倫理学は、次の一つの質問から出発する。「この生産拠点が生産する製品や、それらを生産するための方法は、周囲にどのような影響を与えますか?」。この影響には、汚染、食生活の変化による有害な影響、労働者の処遇、そしてもちろん動物の処遇も含まれる。おそらく読者諸氏は、これらの質問への答えは、エネルギー分野、医療分野、交通機関など、産業社会の他の形態の社会倫理とよく似たものであると考えるだろう。本書は、そのような思い込みと闘うのではなく、そのような思い込みについて考察することを目指している。
 私はこの本が、特に北米で受け入れられたことに満足している。かつてマーサ・ヌスバウム、アマルティア・セン、ラヘル・ジャエギにも贈られた、北米社会哲学協会の栄えある賞「ブック・オブ・ザ・イヤー」に選出された。本書の読者の中には、フードシステムで働く人たち、特に農家の人々が直面している課題や展望に共感された人もいると思う。出版社の報告によれば、この本の売れ行きは悪くないそうだ。しかし、本書は私自身の哲学的懸念を十全に表していない。第6章「地場産の魅惑」を除いて、フードシステムにおける倫理的な問題が、食以外の分野(エネルギー分野、医療分野、交通機関など)における倫理的な問題と根本的に同じであるという見解に、異議を唱えてはいない。人々が食料を生産し、流通させ、消費することを通じて、人間性を自然に深く結びつけていると見なしていたかもしれないカントやヘーゲル以前の哲学者たちに読者の関心を向けるものにもなっていない。
 アジアの状況、特に日本の状況は、欧米諸国とは異なっているかもしれない。日本や中国の伝統的な思想を持つ哲学者たちと語り合ってわかったのは、私と同世代の著名な環境思想家たちは、農業について考えることへの抵抗感をほとんど持っていないということだ。これが正しければ、コミュニティ支援型農業が日本で生まれたのは偶然ではないし、アメリカやカナダの生産者がビジネスとしてはあまりにも小規模であると思うような農場を、日本人が今も大切にしているのも偶然ではない。私もまた、多くのアメリカ人のように、日本で大切にされてきたフードシステムから多くのことを学んだ。その日本で、本書が紹介されることを心から嬉しく思う。本書の最後の文章で述べたとおり、この本が、技術と自然の間、農業と産業の想像力の間、そしてもちろん、東洋と西洋の人々の間の、より深い対話への招待状として読まれることを願っている。
 
二〇二〇年五月六日 ミシガン州ランシング
ポール・B・トンプソン
(注は省略しました)
 
 
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