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中囿桐代 著
『シングルマザーの貧困はなぜ解消されないのか 「働いても貧困」の現実と支援の課題』
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はしがき
シングルマザーは様々な課題を抱えている.不足する子育て支援サービス,住居の確保,元配偶者から養育費の未払い,DV で受けた心身のダメージ……その中で本書が取り上げる課題はシングルマザーの「働いても貧困」である.厚生労働省や自治体もシングルマザーに対し,より収入の高い就業を可能にするための様々な支援を行なっているが,未だ解消が難しい課題である.
本書は,シングルマザーの「働いても貧困」という課題を彼女らの労働実態,キャリア形成から解き明かすことを目的としている.長年,シングルマザーが経済的自立を遂げられないのは,彼女らが育児負担のため短時間労働の非正規雇用に就くためと考えられてきた.しかしながら,シングルマザーの労働実態に関する調査研究は不足している.厚生労働省「全国ひとり親世帯等調査」でも労働に関する項目は限られている.そのため,本書では当事者のアンケートや面接調査から彼女らの労働実態を明らかにし,自立への課題を明らかにする.
シングルマザーの自立を検討する際には,これが彼女らを含む女性一般が日本の労働社会でどのような位置に置かれているかという問題であることを,忘れてはならない.長時間労働や頻繁な配置換えがある正社員,生活賃金を得ることが難しい非正規,非正規から正社員への転換の難しさ,これらの労働社会のあり方はシングルマザーの経済的自立を阻んでおり,決して彼女らの自助努力が足りないわけではない.
また,これまであまり社会的関心が払われてこなかった子どもが成人した後のシングルマザー,寡婦も分析対象として取り上げる.彼女らもまた「働いても貧困」な状態におかれている.子どもが成人したからといって経済的自立が可能になるわけではない.
分析対象として取り上げたのは,北海道札幌市と釧路市という限られた地域ではあるが,本書がこれからのシングルマザーの自立を可能にする社会のあり方を考える一助になれば,幸いである.
序章 問題意識と分析視角
日本のシングルマザーは8 割が就業しているが,ひとり親世帯の貧困率(2010 年)は50.8% とOECD 平均31.1% を大きく上回り,33 ヶ国中33 位となっている[1].なぜ,日本のシングルマザーは「働いても貧困」から抜け出せないのだろうか? この点をこれまで看過されてきた日本の労働社会におけるシングルマザーの労働の実態とキャリア形成から検討するのが本書の目的である.
1 「調査結果報告」にみるシングルマザーの現状
まず,厚生労働省(以下,厚労省)がシングルマザーの状況を全国的に調査するため5 年に1 度行う「ひとり親家庭等調査結果報告」の2016 年度調査(以下,「調査結果報告」)からシングルマザーの状況を確認しておく.
(1) ひとり親世帯になった理由
「調査結果報告」によれば母子世帯[2]は1993 年79 万世帯から2016 年123.2万世帯へと1.5 倍に増加した.2015 年国勢調査では20 歳未満の者がいる世帯は1280 万世帯であるから,その約1 割が母子世帯である.母子世帯は子どもが育つ環境として決してレアケースではない.以下,「調査結果報告」からシングルマザーの現状を確認していく(図表序─1).
シングルマザーになった理由は生別が91.1% であり,その内訳は離別が79.5%,未婚の母8.7% である.死別は8.0% にすぎない.シングルマザーとなった理由は彼女らの生活に大きな影響を与える.多くのシングルマザーは死別ではないので遺族年金[3]を受けられない.そのため自分の賃金と児童扶養手当[4]等の社会手当によって生計を維持しなければならない.また,近年増加している未婚のシングルマザーは,納税する際に寡婦控除を受けることができなかったが,2020 年以降,婚姻歴に関係なく控除が受けられるようになった.控除がないと税額が増えるだけでなく保育料などが上がってしまい,離婚シングルマザーと未婚シングルマザーでは同じ収入でも差が生じていた.
(2) シングルマザーの年齢
シングルマザーになった年齢は33.8 歳(生別33.4 歳,死別38.3 歳),平均の末子年齢は4.4 歳(生別4.3 歳,死別6.5 歳)である.シングルマザーの多くは,未就学の子どもを抱えて30 歳代前半で離婚を選んでいる.調査時点のシングルマザーの平均年齢は41.1 歳(生別40.6 歳,死別46.3 歳),平均の末子年齢は11.3 歳(生別11.1 歳,死別13.6 歳)である.
次の章でも述べるが新卒時の就職が持つ意味が日本では非常に大きい.シングルマザーの平均年齢は41.1 歳から逆算すると高卒時は1994 年(平成6 年)である.1994 年3 月の高校生の進路状況を文部科学省(以下,文科省)「学校基本調査」で確認すると,女性の大学(学部)への進学率は21.0%(過年度含む,2019 年50.7%)であるが,短大は24.9%(過年度含む,2019 年7.9%)である.一方,就職率は26.0%(2019 年13.8%)である.2019 年と比べると1994年の高卒時の進路は短大が中心であり,就職者も多かった.現在のように多くの女性が大学を卒業し,出産を経ても働き続けることを求められる「女性活躍」社会とは異なった環境ではないところで社会人生活をスタートさせたのである.また,就職氷河期世代とも重なっている.
(3) シングルマザーの高い就業率と経済状況
「調査結果報告」の調査時点でのシングルマザーの就業率は81.8%(生別83.1%,死別70.3%)であり,大多数の者が働いている.これはOECD の中でトップクラスである.調査時点での就業率は,シングルマザーになる前の就業率75.8%(生別76.5%,死別69.1%)を上回っており,シングルマザーになる事によってより多くの者が就業している.調査時点での就業状況(従業上の地位)は,就業者を100 とすると正規の職員・従業員が44.2%(生別45.0%,死別31.9%),これに対して非正規(派遣社員とパート・アルバイト等の合計)は48.4%(生別48.3%,死別51.7%)であり,若干ではあるが非正規で働く者の方が多い.
そして最大の問題はシングルマザーの収入が低い事である.年間就労収入は平均200 万円(生別202 万円,死別186 万円),児童扶養手当や児童手当等を合わせた年間収入は348 万円(生別348 万円,死別356 万円)である.「平成28 年国民生活基礎調査」の児童のいる世帯の収入は707.8 万円であり,母子世帯はその半分にも満たないレベルである.また,2020 年の札幌市の母子3 人世帯(子どもは小学生と未就学児)の生活保護の最低生活費は夏季約23.4 万円/月,冬季約25.5 万円/月であり,年に換算するとおおよそ300 万円である.シングルマザーの多くが最低生活費と同じかそれ以下の収入で暮らしている事が予想でき,「就業貧困リスク」(大沢2016)にさらされているのである.
2 労働の実態が不明のシングルマザー
シングルマザーの多くは働いているが,その労働の実態について多くは語られてこなかった.「調査結果報告」において雇用形態ごとに集計があるのは,仕事内容(職種),年間の就労収入,帰宅時間等に限られる.「調査結果報告」ではシングルマザーの44.2% が正社員として働いていおり,パート・アルバイト等43.8% よりわずかではあるが多い.正社員の年間就労収入は305 万円であり,事務と専門的・技術的職業に従事する者が多く(31.7% と30.5%),帰宅時間は遅い(18 時~20 時が54.4%).一方のパート・アルバイト等の年間就労収入は133 万円,サービス職業,事務,販売に従事する者が多く(32.8%,15.2%,12.7%),帰宅時間は早い(18 時以前が49.6%).「調査結果報告」で明らかになるのは,ここまでである.
シングルマザーの働き方を明らかにするためには,労働に関する項目,例えば労働時間や休日,有給休暇,勤続年数,手当,賞与,昇進や転勤といった重要な事項に関する調査が必要である.シングルマザーを「働いても貧困」というのであれば,就業がなぜ貧困を解決しないのか,労働の実態や労働条件についてもう少し詳細なデータが必要である.そのため本書では当事者団体である公益社団法人札幌市母子寡婦福祉連合会(以下,札母連)の会員のアンケートおよび面接調査を行い,「調査結果報告」では明らかにならないシングルマザーの労働実態を明らかにする事とした.
本書の分析に利用したアンケートと面接調査の一覧は図表序─2 の通りである.多くは当事者団体である札母連の会員への調査となっている.これらは札母連の調査研修部にご協力頂いて行われたものであり,また,詳細なデータを得ることができたのは,配布回収において札母連の役員に協力を頂いたお陰である.これらの調査の結果は,私が研究論文として発表する以外にも,札母連の研修会での報告と議論,札幌市議への陳情といった機会にも利用されている.後で述べるコロナ禍に対するアンケートは「北海道新聞」にも取り上げられ,記事を見た企業や団体から札母連へ食品等の寄付が多数寄せられた.また,アンケートの公表がひとり親家庭への臨時給付金の支給に結びついたと考えてくれる会員もいる.これらの調査は,当事者団体と研究者が共同で行った調査として貴重なものであると考えている.
3 シングルマザーのキャリア形成への関心の低さ
自立支援策においてシングルマザーのキャリア形成の関心は低い.「調査結果報告」では,シングルマザーのキャリアについて母子世帯になる前の雇用形態の調査があるだけである.また,転職や転職希望の調査はあるものの離職の状況は調査されておらず,シングルマザーがどのような状況で離転職を行い,キャリアの断絶と継続を経験しているのかも明らかにされていない.
一方で,高い人的資本を持つシングルマザーは自立できることは既に明らかにされている(周2014).しかし,これらの特徴をもつシングルマザーが必ずしも自立し,あるいは正社員になれるわけではない.職種ごとの評価基準がなく,同一労働同一賃金,同一価値労働同一賃金が成立していない日本において,何をすれば,あるいは何ができれば正社員たりえるのかという問いの答えは,労働社会では決して明らかではないからである.学生の就活でさえ「本気度」という主観的,かつ曖昧な項目が重視されている.
正社員を新卒採用しその後持ち場を変えながら定年まで働き続けるという日本的な雇用慣行は,多くの場合,健常な男性に対して成り立つものである.シングルマザーだけでなく日本の多くの女性は,出産を機にキャリアを断絶してしまう.その後,仕事に戻り,経済的自立を果たすことがシングルマザーに課せられているが,そのハードルをどうすれば超えられるのか明らかではないままシングルマザーは働き続けるしかないのである.
本書では,自立への道を探るためには,人的資本という考え方ではなく,シングルマザー個々人の長期のキャリア形成を追うことにする.何ができれば正社員になれるのか,その問いは謎のままであるから,どのような状況になれば正社員になれるのか,どのような状況において非正規雇用にとどまるのか,丹念に一人ひとりのキャリアコースを辿ってみる事とする.その中で,何が自立を可能にし,何が阻害要因となっているのかを検討することとする.この課題を明らかにするために,前述の札母連の会員を中心に面接調査を行った.これらのデータは,アンケートや「調査結果報告」では明らかにならないシングルマザーの自立への課題を明らかにするものである.
4 貧困の原因は非正規雇用だけなのか?
シングルマザーの多くは就業しているのに貧困であるというその主な理由は他の女性と同様に非正規雇用で働く人の割合の高さであると考えられている.厚労省「ひとり親の支援について」(2020 年4 月)は,「一般の女性労働者と同様に非正規の割合が高」く「より収入の高い就業を可能にするための支援が必要」と指摘する.
では,なぜシングルマザーに非正規が多いのか? 次章で検討するようにその問題の多くは育児負担との関係で論じられている.確かに子育てはシングルマザーだけでなく多くの子育て中の女性にとって働く上での大きな制約と考えるのが一般的である.しかし,もし,子育てが正社員になることの阻害要因なら子どもが成長した女性は正社員に戻れるはずであるが,多くの者はそうはならない.それは,子育てしながら働く女性を正社員から排除し,子育てが終わった後も女性が正社員に戻るのを拒むシステムが日本の労働社会に内在しているからと考えるべきである.
以上をふまえ,本書の第1 の課題は,シングルマザーの正社員=高収入,非正規=低賃金というステレオタイプの区分ではなく,それぞれの労働内容や労働条件を明らかにし,正社員が経済的自立を果たしているのか,非正規雇用はどのような条件があれば非正規から正社員化が可能なのか,あるいはなぜ非正規にとどまるのかを検討する.勤続年数が伸びれば昇進昇給もあり,定年まで勤続する事が前提の中核的正社員とシングルマザーの就業の隔たりを明らかにする.加えて未就業者についても,どのような就業阻害要因があるのかを検討する.
第2 に日本の労働社会の中にシングルマザーの労働をおき直し,その貧困が解消されない原因をシングルマザーの長期のキャリア形成から考える.新卒時期から結婚,出産での退職,再就職(さらなる退職と再就職もありうる),さらには子どもの成人後の長い期間でのキャリア形成から,シングルマザーが正社員からどのように排除されていくのか,あるいはどのような条件があれば正社員に戻れるのかを検討することによって,日本の労働社会の正社員がシングルマザーを長期にわたって排除する傾向があることを明らかにする.
第3 に彼女らの厳しい労働と生活には支援が必要であるが,厚労省の就業支援だけでなく,地域において現実にシングルマザーが利用可能な支援の役割を分析する.彼女らの就業意欲は高いが,自助努力には限界がある.彼女らを支える就業支援や子育て支援が,行政や当事者団体によってどのように地域に整備されているのか,どのような役割を果たしているのか,どのような課題を抱えているのかを明らかにする必要がある.
これらの作業を通じて,現在の就業支援策の限界を示し,新たな支援の有り様を探っていく.
5 シングルマザーの労働に関する複合的な分析の必要性
さらに,シングルマザーの労働に関する調査,研究において複合的な分析も必要である.一口にシングルマザーといっても,そこには多様な困難を抱えている人が含まれている.
(1) 寡婦──子どもが成人すれば貧困は解決するか?
「調査結果報告」は,20 歳未満の未婚の子どもが母によって養育されている世帯を母子世帯としている.子どもが20 歳を過ぎれば「母子世帯」からは外れてしまう.子どもが20 歳を過ぎて育児負担が減ったとしても,それがシングルマザーの自立や正社員化に結びつくかはこれまで調査が行われていない.子どもの高等教育機関への進学等により,さらに経済的な負担が増える可能性もある.子どもが20 歳未満のシングルマザーの将来像として,子どもが成人した寡婦が自立できるのかを検討することは重要である.
また,総体として賃金が低いシングルマザーは,高齢になって年金を受給してもその額は多くはなく,高齢でも就労を続ける者も多い.子どもが成人した後のシングルマザーの労働や経済状況を明らかにする必要がある.
(2) 生活保護を利用するシングルマザー
「調査結果報告」では11.2% のシングルマザーが生活保護を利用している.バッシングの対象にされやすい生活保護受給シングルマザーだが,彼女らの4割は,一般的にはあまり知られていないが,就労している.生活保護を利用しつつ就労する彼女らの存在はシングルマザーの就労支援の研究においても看過されてきた.彼女らの労働の実態と自立の可能性を検討する必要がある.
生活保護制度は健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに,自立を助長することを目的としている.2004 年以降は生活保護自立支援プログラムが実施されるようになり,受給者に対して自治体により体系的な就労支援が行われるようになった.就労自立が求められている彼女らがどのように働いているのかを明らかにする必要がある.
(3) コロナ禍がシングルマザーに与える影響
2020 年8 月現在,新型コロナウイルスの感染拡大は収まらず,経済危機の収束も見通せない.新たな経済危機によるシングルマザーへの影響の分析は喫緊の課題である.
コロナウイルス感染拡大を防止するため長期の臨時休校措置が取られ,家庭での育児や家事の負担は増加し,就労と育児を1 人で担うシングルマザーに多大な影響を与えた.加えて,緊急事態宣言に伴う外出自粛要請によって経済は冷え込み,収入の減少したシングルマザーも少なくない.特に非正規雇用で働くシングルマザーへの打撃は大きい.新聞報道等でも散発的にシングルマザーの苦境は伝えられるが,「経済苦」という抽象的な言語で語られてしまう.コロナ禍がシングルマザーの労働と子育て生活に与えた影響を詳細に分析する必要があり,今後必要な支援を考えなければならない.
[1]内閣府「平成26 年版子ども・若者白書」第3 章生育環境第3 節子どもの貧困.
[2]「調査結果報告」では父のいない児童(20 歳未満の子どもであって,未婚のもの)がその母によって養育されている世帯を母子世帯とする.
[3]遺族年金は遺族基礎年金と遺族厚生年金がある.受給額が低い遺族基礎年の場合でも母親と子ども(満18 歳の年度末まで)2 人なら月10 万円程度支給される.もちろんこの金額で生計を維持することは無理であるが,遺族年金は所得税もかからず母親の収入が増えたからといって減額されることはない.年収850 万円未満が受給の条件である.
[4]父母の離婚などで,父または母と生計を同じくしていない児童がいるひとり親家庭に対して,生活の安定と児童の福祉の増進を図ることを目的として支給される手当.児童1 人当たり全額支給で43,160 円,児童2 人目10,190 円,3 人目6,110 円(2020 年4 月)である.母親の収入が上がれば減額される仕組みである.詳しくは1 章を参照.
(図表は割愛しました。pdfファイルでご覧ください)