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『学力格差への処方箋』

 
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耳塚寛明・浜野隆・冨士原紀絵 編著
『学力格差への処方箋 [分析]全国学力・学習状況調査』

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はじめに
 
 文部科学省は,これまで2 回,全国学力・学習状況調査の一環として,全国から無作為に抽出した保護者を対象とする質問紙調査を実施した。第1 回が2013 年度(平成25 年度),第2 回が2017 年度(平成29 年度)である。質問紙には,保護者の学歴,年収,職業等,家庭の社会経済的背景を明らかにするための質問が設けられている。また家庭の文化的環境や保護者の学歴期待,子どもとの関わり等に関する設問も準備されている。保護者調査を通じて得られるさまざまな家庭的背景についてのデータを,子どもたちの学力調査の結果や児童生徒対象質問紙調査のデータに結合することによって,行政施策の面ではもちろん学術的にも,類を見ない貴重な知見を生産できる可能性がある。とくに,今回の調査は家庭の社会経済的背景や文化的環境と子どもの学力の間の関連を明らかにするだけではなく,不利な環境にもかかわらず成果を上げている学校や児童生徒をも浮かび上がらせるように設計されており,行政的・実践的な意義ははかりしれない。保護者に対する調査の結果を用い,家庭状況と学力の関係をナショナル・サンプルによって分析した研究は,文部科学省として─すなわちわが国では初である。この保護者調査が国により実施されたことによって,日本はようやく,子どもたちの学力を分析可能な,国際水準のデータを手に入れたことになる。
 この本の執筆者である私たち研究グループは,文部科学省から委託を受けて,2013 ~14 年度(第1 回保護者調査について),2017 ~18 年度(第2 回保護者調査について)の4 ヵ年度にわたって分析する機会を得た。受託者は国立大学法人お茶の水女子大学(以下,お茶の水女子大学)であり,主査は前者が耳塚寛明,後者は浜野隆が務めた。研究グループは,お茶の水女子大学に所属していた耳塚,浜野,冨士原を中心に,教育社会学,教育方法学・課程論を専攻する研究者から組織した。
 4 ヵ年度にわたる委託研究の成果は文科省によってWeb 上を中心にすでに公表されている(お茶の水女子大学 2014,同 2015,同 2018,同 2019)。にもかかわらず,私たちがあらためて本書を出版したいと考えたのは,本研究が次のような,学術研究上および実践上の,3 つの特徴的意義を備えているからにほかならない。
 第一に,学力格差の社会学的研究における学術的な意義である。教育の不平等を中心的課題とする教育社会学は,学力の社会階層間格差の測定とその説明を中心的関心事のひとつとしてきた。しかし日本では2002 年まで,戦後のごく初期を例外として,また同和地区における教育と不平等問題を例外として,「学力」を社会学的研究の直接の対象とすることはほぼなかった。それがなにに由来するのかは別稿にゆずるが,結果として,学力格差の測定と説明は教育社会学の中心的テーマでありながら未知の領域のまま置き去りにされてきた。2002 年頃以降,学力データの社会学的分析が行われるようになったものの,家庭の社会経済的背景に関するデータを欠いており,また保護者調査を実施している場合でも特定の地域を対象にした研究にとどまる等,限界があった。今回私たちが分析する機会を得た文科省調査は,ナショナル・サンプルによって学力格差の状況とその規定要因を観察可能な,はじめての,そして唯一の調査である。分析に従事した研究者として,この時代の学力格差の姿を歴史に刻んでおくことは義務であろう。
 第二に,学力格差に対する処方箋の意義について。学力格差の実態について正確に記述し,それが生み出される社会的機構を明らかにすることの意義はけっして小さくはない。しかしそれにとどまるのであれば,「不平等の教育社会学」として成立してはいても「平等への教育社会学」にはなりえない。むろん平等への教育社会学を実現するためには正確な記述と社会的機構の説明が前提となる。だが学術的に厳密で修正の余地のない説明が一朝一夕に可能なわけではない。私たちは,入手可能なもっとも適切だと考えられる学術的知見に依拠して,その時点での処方箋を提言すべきであろう。本書にもその構えが貫かれている。ただし,私たちが引き出した提言は,控えめにいっても部分的ないし限定的な提言にとどまることを明記しておかねばならない。学力格差への処方箋は,教育行政や学校教育,家庭での取り組みにとどまるわけではない。むしろ,学力格差が教育問題であるというより社会問題である以上,社会政策に属する基盤的施策の重要性が大きい。私たちが示す提言は,教育界に可能な施策や取り組みが多くを占めるけれども,それだけで問題が解決すると考えているわけではない。強調しておきたい。
 第三に,本書が依拠している分析の方法的意義について。本書では,統計的・量的分析と事例的・質的分析を併用する方針を採った。知見の一般化可能性を重視すれば,できるだけ統計的・量的分析を貫く方向が望ましい。けれども,とくに教育施策や学校での取り組みについては,質問紙調査によって観察することのできる範囲は限定されてしまう。たとえば,少人数学級を「実施している」と回答した学校であっても,どのように実施しているのかは多様で,結果として少人数学級の学力への影響は統計的研究ではぼやけて出てきてしまう。それを補うのが事例的・質的分析である。本書の第Ⅰ部と第Ⅱ部は統計的・量的分析を中心に,第Ⅲ部は事例的・質的分析を中心に採用している。とくに学力格差を克服している学校の取り組みや成果を上げつつある学校の分析は,事例的・質的分析によって厚みのある記述が可能となった。学力格差を克服している学校の分析において事例的・質的分析を併用しているという本書の方法的特質は,実践的インプリケーションをも有している。学力格差を克服している学校の取り組みとしてなにが有効であるのか,この点に関して統計的・量的に分析するということは,単純化していえば,ひとつひとつの学校が置かれているさまざまな文脈の効果を除去する方向で,一般的に効果的な取り組み(文脈のいかんにかかわらず効果的な取り組み)を法則化して明らかにすることを意味する。これに対して,学力格差を克服している学校の取り組みを事例的・質的分析をとおして明らかにする試みは,一つ一つの学校が置かれた文脈の影響を考慮しながら取り組みの効果を浮かび上がらせることを意味する。本書において事例的・質的分析がなお有効であったことは,学力格差を克服する上で,学校が置かれた固有の文脈を考慮した上で取り組む必要があることを示唆する。すなわち,ある取り組みをどこでも効果を発揮する万能策として実践するのではなく,学校の置かれた独自の文脈に即して眼の前の子どもたちのようすを見ながら「現地化」して取り組んでいく必要性である。
 
 本書が依拠している,Web 上で閲覧可能な報告書(既述)の著作権は文部科学省に属する。本書は,公表済み報告書の分析と知見に依拠しつつ,より読者の理解を容易とし,活用可能性を広げることを意図して,編者と執筆者の責任において書き改めたものである。本書の知見自体は報告書の範囲を逸脱するものではないが,本書で新たに付け加えられた解釈やインプリケーション,政策提言などの文責は,執筆者と編者に属することを明記しておく。
 
2021 年春
編者を代表して 耳塚 寛明
 
参考文献
お茶の水女子大学,2014,『平成25 年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究』.
お茶の水女子大学,2015, 2018, 2019,『学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究』.
 
 
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