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三谷文栄 著
『歴史認識問題とメディアの政治学 戦後日韓関係をめぐるニュースの言説分析』
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序文
問題の所在
コミュニケーション技術が発達した現代社会において、我々は遠くの出来事をメディアを介して間接的に経験している。近年のソーシャルメディアの広まりにより、「遠くの」出来事とされてきた国際的な出来事を瞬時に経験できるようになった。例えば、二〇〇一年九月一一日、米国ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突入した。この映像は直ちに世界の人々に伝達され、テロリズムに対する恐怖心を植えつけた。二〇〇五年、デンマークの『ユランズ・ポステン』紙に掲載されたムハンマドの風刺画はインターネットを通じて広く閲覧され、中東で反発を引き起こした。二〇一〇年、チュニジアの青年が警察に抗議するために焼身自殺をした。ソーシャルメディアのフェイスブックで共有されたその映像は、その後の中東各地で生じた民主化運動を発生させる一つの契機となった。二〇一一年の東日本大震災の津波の映像は世界をめぐり、日本への支援が相次いだ。Black Lives Matter やMeToo 運動のように、世界のどこかで生じた出来事がニュースとなり、一瞬にして世界中に広まっている。国際的な出来事を伝えるニュースを通じて人々が恐怖心や同情といった何らかの感情を喚起させることは日常的なこととなった。
このように、国際社会の出来事に関するニュースを通じた間接的な経験は、現代社会において促進されてきた。その間接的な経験を通じて、我々は国際社会に対する様々なイメージや感情を抱いている。国際社会や他国に対するイメージや感情は、出来事が発生する以前の報道によって構築・共有されており、諸外国で生じた出来事に刺激されて社会で表出・噴出する。こうした現代社会の状況は、国際社会の出来事に関する報道が社会で受容され、共有されていく過程を分析する必要性を示している。
重要な点は、国際社会で生じる戦争や紛争、その中でも自国の外交政策は、メディアで大きく報道される傾向があるということである。それにより我々のイメージや感情が形成されている。その一方で、現代の民主主義社会において、外交政策は社会の価値観を反映して決定される。それは、外交政策に関する報道がイメージや感情を形成するのみならず、こうしたイメージや感情といった社会で広く共有されている価値観もまた、外交政策に反映されることを意味する。換言すると、現代の民主主義社会においては外交政策にかかわるアクター、メディア、そして反応する世論が関係していく諸過程が存在するのである。このような外交政策とメディア、世論の相互に作用する諸過程を考慮する必要性が高まっている。
歴史認識問題は、こうした観点からの分析が必要である。とりわけ、二〇〇〇年代以降の東アジアでは、中国や韓国において反日デモが発生し、そうしたデモの報道が日本の反韓・反中感情を刺激することで、歴史認識問題が争点化した。日本では排他的なナショナリズムは主としてインターネット上で噴出し、それが他国に伝わることにより東アジア諸国間の溝が一層深められている。さらに報道を通じて関係国のイメージが構築され、イメージに基づき形成された世論が外交政策の遂行に影響を及ぼすことは近年では珍しいことではない。
こうした東アジアの複雑な現状は、国際社会や政府間のみならず、メディアと世論を加えた枠組みを用いて分析される必要がある。また、長期にわたって社会で議論されてきた歴史認識問題は現状の分析のみならず、これまでその問題がどのように議論されてきたのかを検証する必要がある。すなわち、この問題を考えるときには、過去との連続線上で人々の意識が作られている点を視野におさめることが求められる。
本書は、政治コミュニケーション論の観点から、外交政策や外交問題に関与する政治エリート、メディア、世論の三者間の関係を考察するものである。こうしたアプローチの意義としては、以下の二点が挙げられる。第一に、政治コミュニケーション論の知見を活かしながら、外交政策や外交問題の政治エリートとメディア、世論の関係を分析する、新たな枠組みを構想しうる点が挙げられる。政治コミュニケーション論の研究対象や研究手法は多様であり、また政治的・社会的な状況に影響を受ける。伝統的には情報伝達の動機や背景、影響力の資源などに焦点が当てられ、特に何らかの政治的な目的を持った政治エリートたちが人々に情報を伝達するという過程が重視されていた(Lilleker 2006: 1、図1参照)。
しかし、こうした伝統的な政治コミュニケーションの定義は、現代の民主主義社会において、特にメディアの役割を考えると適切とは言えない。本書はそうした伝統的な政治コミュニケーションとは異なる定義を用いて論じている。近年の政治コミュニケーション論では以下の三つのアクターに焦点を当て、それぞれの相互作用の過程を重視する(図2)。そのアクターとは政治エリート、有権者や社会運動組織など政治エリートとは異なるアクター、そしてメディアである。すなわち、本書は外交政策及びそれに携わる政治エリート、メディア、世論の相互作用がどのように外交問題に影響を与えるのか、または外交問題が三者間の相互作用にいかなる影響を及ぼすのかを考察する。こうした政治コミュニケーション論の有する広範な政治的・社会的文脈から外交政策を捉える視点が、政治エリートとメディア、世論の関係を対象とした先行研究では十分に活かしきれていないというのが、本書の見解である。
無論のこと、外交政策に携わる政治エリート、メディア、世論の三者を取り上げた研究は少なくない。例えば、国際政治学においてもメディアと世論に関して言及されてきた。しかし、そこでは主として政治エリートらによる情報操作の観点からメディアと世論は論じられている。すなわち、メディアと世論は、政治エリートらが支持を取り付けるために用いられる「道具」とみなされ、主体的・自律的な存在と位置づけられていない。他方、政治コミュニケーション論で三者関係にアプローチしてきたこれまでの研究でも、マス・コミュニケーションの一方向的な伝達モデルに基づくものや、ニュース制作過程における直接取材の困難性といった観点から結果的に政治エリートの情報操作の優位性を指摘するものなどが見られる。これらの研究においては、メディアと世論は道具的な役割を果たすとみなされている。
本書は、こうした見解とは異なる視座に基づいている。外交政策以外の問題や争点を対象とした多くの政治コミュニケーション論においては、ジャーナリストは自身の観点から取材・報道する主体的かつ自律的な存在とされてきた。世論もまた、必ずしも政治エリートらによって操作される対象ではなく、むしろ世論が政治エリートらの政治的な行為に影響を与える場合も想定され、重要な分析対象として位置づけられている。そこで、本書はこうした政治コミュニケーション論の全体的動向に依拠しながら、外交問題が展開、発展していく過程に、政治エリートのみならずメディアや世論がいかに関与するのかといった三者間の相互作用の観点から論じる。
第二の意義としては、外交政策とメディアと世論の関係を対象とした政治コミュニケーション論の多くの先行研究で取り上げられてきた戦争・紛争ではなく、歴史的・社会的に認知され議論されてきた外交的な争点を事例とした点が挙げられる。外交政策の政治エリートとメディア、世論の三者関係を対象とした研究の多くは、戦争や紛争といった危機的な状況を事例としてきた。第一の点と関連するが、そうした事例を取り上げるため、政治エリートが分析の中心となる。つまり、そこでは政治エリートがどのように情報操作を行い、世論の支持を獲得するのかといったことが問われる。しかし、外交政策は戦争や紛争といった安全保障政策のみならず、経済や文化などの様々な領域から構成されている。そのため、本書では平時において、ある時は社会の中で重要な争点となり、ある時は重要な争点とみなされない外交問題を取り上げる。戦争や紛争以外の外交問題を取り上げることにより、外交政策や外交問題に関与する政治エリートとメディア、世論の三者間の相互作用を分析する枠組みを構築することが可能になると考える。
本書は、こうした視点に立ち、戦後日韓関係における歴史認識問題を事例として取り上げる。戦後日韓関係における「歴史認識問題」とは何を指すのか。歴史認識問題は、東アジアで争点化していることや、第二次世界大戦時の日本の行為をどのように評価するのかに限定されたものでもない。むしろ、第二次世界大戦以前に日本が実行したアジアへの政策をどう評価するのかという点が問われており、より広い文脈に位置づける必要がある。すなわち、明治以降、近代国家としての「大日本帝国」が成立する過程で見られる植民地政策や、植民地となった国の人々の同化政策とその後に続く差別や偏見をどのように考え、評価するのかが問われているのである。
こうした歴史認識問題は歴史教科書や慰安婦問題などと連関し、戦後日韓関係において幾度も争点化されてきた。戦後日韓関係における歴史認識問題の争点化の過程を考える上で、メディアと世論の果たす役割に注目することは重要である。それは、我々はなぜ今、歴史認識を「問題」としているのか、なぜ我々はそうした歴史認識を共有しているのか、または共有していないのかを考えることなく、現在の歴史認識問題をめぐる外交政策を議論することは困難であるためである。こうした我々の認識を形成する過程に、メディアと世論が関与してきたことは周知のとおりである。
本書は、外交政策や外交問題に関与する政治エリートとメディア、世論の関係を理論的に考察し、分析枠組みを提示するものである。その分析枠組みを用いて、戦後日韓関係における歴史認識問題を事例に、その争点をめぐる言説がどのように編成されていったのかを明らかにする。それを通じて、外交政策の政策過程におけるメディアと世論の役割を考察することが目的である。
本書の構成
本書の構成は以下のとおりである。本書は二部で構成され、第Ⅰ部では理論的考察を、第Ⅱ部では事例研究を行う。第Ⅰ部の理論編では、外交政策の政治エリートとメディアと世論に関する先行研究を整理し、批判的に検討した上で、政治エリートとメディア、世論の三者関係の分析枠組みを提示する。
第1章では政治コミュニケーション論の展開を概観しながら、本書の位置づけを明らかにしていく。政治コミュニケーション研究は、マス・コミュニケーションの効果研究と連動しつつ発展してきた。効果研究を踏まえながら、政治コミュニケーション研究の近年の展開を提示し、その上で本書の特徴を示す。
第2章は、外交政策の政治エリートとメディアと世論の関係に関する先行研究を、政治コミュニケーション論の観点から整理する。外交政策の政治エリートとメディアと世論の関係を対象とした政治コミュニケーション論は、米国を中心に進められてきた。そこでは、メディアの主体性・自律性といった観点は十分に重視されることなく、一方向的なコミュニケーションモデルの観点から論じられてきた。冷戦終結後、コミュニケーション技術の一層の発展や、人の往来のみならず情報伝達・流通の爆発的増加を背景に、外交政策の政治エリートとメディア、世論の関係をめぐる研究において、一方向的コミュニケーションモデルから脱却しようとする動向が見られるようになった。メディアと世論をより積極的に評価しようとする研究(CNN効果論やカスケード・モデルなど)が登場し、新たな潮流が生まれつつある。第2章では、メディアと世論が受動的なものとして捉えられてきた背景を考察する。そして政治コミュニケーション論の中でもメディアと世論を積極的に評価し「フレーム」概念を用いて分析枠組みを提示した「カスケード・モデル」を取り上げ、その議論を批判的に検討する。
第3章の目的は、政治コミュニケーション論で注目されてきたフレーム概念を再構成することを通じて、第2章で検討したカスケード・モデルの問題点を修正し、外交政策の政治エリートとメディア、世論の関係を分析する新たな枠組みとして「相互作用モデル」を提示することである。その際に、近年の言説分析の成果を参照しながらフレームの先行研究を整理する。
第Ⅱ部の事例研究では、第Ⅰ部で提示した相互作用モデルを用いて戦後日韓関係における歴史認識問題を分析する。歴史認識問題は、近年の日韓関係において幾度も顕在化しており、日韓両国の社会で高い関心が寄せられる争点である。しかし、歴史認識問題は、常に関心を持って議論されてきたわけではない。戦後から今日に至るまで顕在化と潜在化を繰り返しながら日韓両国の政府、メディア、世論において取り上げられてきた問題である。
本書はマス・メディアの報道を主要な分析対象としている。マス・メディアの報道──ニュースは、社会で生じる無数の出来事の中から、取材する対象を選択し、記事の作成・編集という制作過程を経て人々の手元に届く。選択・編集にはニュースとして報道すべきか否かを判断する際の基準となる価値観、すなわちニュース・バリューが作用する。ニュース・バリューには、社会で広く共有されている価値観が反映されている。社会的な争点は、社会の価値観によって選択・編集されて、人々の前に「現実」として登場する。換言すると、人々が認識する日韓間の歴史認識問題は、社会的に構築されたものと言える。こうした観点に基づき、第4章から第8章まで以下の歴史認識問題を分析する。
第4章では、日韓国交正常化交渉を対象に日本における外交政策とメディア、世論の関係を検討する。日韓国交正常化交渉を通じて、戦後の日韓関係の方向性が決定された。その過程では、歴史認識をめぐる日韓間の認識ギャップがいくつも見られた。例えば、日本側の首席代表であった久保田貫一郎は韓国の植民地化を正当化するような発言をした。この発言に対して韓国が批判し、正常化交渉は一時中断されることになった。この発言に対して、現在では当然と肯定する見解も、批判的に捉える見解も存在する。しかし、当時の日本のマス・メディアの報道においては、この発言をめぐって日本の歴史認識を問題視するものは見られなかった。第4章ではそうした報道となった要因を探る。それを通じて、日本のマス・メディアの報道が冷戦という国際環境を背景に、その観点から様々な出来事を意味づけていたことを示す。
第5章では、一九八二年に争点化した歴史教科書問題を取り上げる。歴史教科書は従来、「教育の中立性」をいかにして保つのかという国内問題として議論されてきたが、一九八二年の争点化を契機に、外交問題として捉えられるようになった。そうした歴史教科書問題に対する意味づけの変化に、マス・メディアと世論がどのように関与したのかを明らかにする。
第6章、第7章、第8章は、一九九〇年代以降の慰安婦問題を事例に、メディアの言説を分析する。分析を通じて、相互作用モデルの観点から、これらの期間において、政治エリート、メディア、世論がどのように相互作用していたのかを示す。
第6章では、一九九〇年代の慰安婦問題の報道を通じて、慰安婦問題をめぐるメディア言説の編成過程を示す。この時期の議論が基盤となり、現在に至るまで慰安婦問題が報道されている。しかし、一九九〇年代の慰安婦問題もまた、第4章、第5章で取り上げた歴史認識問題との関連の中で意味づけられてきた。この章では、一九九〇年代を通じて慰安婦問題をめぐるメディアの言説が変容した『読売新聞』に焦点を当て、なぜそうした変容が生じたのかを考察する。
第7章で取り上げる二〇〇七年に争点化した慰安婦問題では、米国下院に「慰安婦決議案」という日本の慰安婦問題の対応を批判する決議案が提出されたことを契機に、安倍晋三首相の歴史認識が問われた。この事例では、米国のメディアを分析対象に加えて、日米両メディアが、各国の社会で広く共有されている価値観を反映して報道していることを示す。
第二次安倍政権下では、慰安婦問題の報道そのものが日本社会で大きな争点となり、慰安婦問題は幅広く議論された。第8章では、第二次安倍政権下で争点化した二〇一三年の橋下徹大阪市長の慰安婦問題に関する発言、二〇一四年の河野談話作成過程の再検討と同年の朝日新聞問題、そして二〇一五年の慰安婦問題をめぐる日韓間の合意を事例にメディア言説の編成を分析する。その上で、一九九〇年代を通じて編成された慰安婦問題をめぐるメディア言説に、第一次・第二次安倍政権においていかなる変化が見られたのかを明らかにする。
最後に、本書における「社会」と「政治エリート」について注記したい。現代社会において我々はメディアを介して社会を経験し、それによって世論が形成される。本書で言及する「社会で支配的な価値観」あるいは「社会で広く共有されている価値観」は、メディアや世論によって形成されたものである。本書の「社会」にはメディアや世論が含まれる。また、政治エリートは、通常、政治的な意思決定に影響を及ぼす資源を有する人を指すが、本書における「政治エリート」とは、「外交政策や外交問題をめぐる政治的な意思決定に影響を及ぼす資源を有する人」とする。わかりやすくするために、前後の文脈から「外交政策や外交問題に関与する」という点が不明瞭である場合、「外交政策や外交問題に関与する政治エリート」や「外交政策の政治エリート」、「外交問題の政治エリート」などの表記を用いている。
(図と注は割愛しました)