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あとがきたちよみ
『入門・行動科学と公共政策 』

 
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キャス・サンスティーン 著
吉良貴之 訳
『入門・行動科学と公共政策  ナッジからはじまる自由論と幸福論』

「目次扉」「第1章 イントロダクション」「訳者あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉
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原題:Behavioral Science and Public Policy


*サンプル画像はクリックで拡大します。第1章と訳者あとがきの本文はサンプル画像の下に続いています。


目次扉
 
行動科学が公共政策に果たす役割はとどまるところを知らない。政府の役割、選択の自由、パターナリズム、人間の厚生といった原理的な問題について、行動科学は新たな課題を投げかけつづける。多くの国の公職者たちは、たとえば貧困、大気汚染、交通安全、COVID-19、差別、雇用、気候変動、労働衛生……といった深刻な問題に対処するために、行動科学の知見を用いている。私は理論と実践を探りながら、この分野をよく知っている人でも、初めての人でも使えるコンビニエンスストアとして本書を提供したい。ナッジ、税金、命令、禁止といったことに触れながら、行動科学の情報に基づいた政策の具体例を示す。また、それらの知見を踏まえたうえで厚生の適切な分析などの原理的な問題にも取り組む。本書で言いたいことは、人々の選択が十分な情報に基づき、また、さまざまな行動バイアスから自由である限り、選択の自由は尊重されなければならないということだ。
 
 
第1章 イントロダクション Introduction
 
 本書のテーマは人間の厚生=福祉であり、どうすればそれを改善できるかである。このテーマを掘り下げるには、自由、選択、合理性、剥奪、そして何がよい生を形作るのかといったことについて述べる必要がある。そのためには、理論と実践の両方を探求しなければならない。
 行動科学が強調するのは、人間がどのようにして、完全な意味での合理性から離れていってしまうかということである。ここで関係してくる知見には、パンデミック、交通安全、移民、貧困、気候変動、差別、犯罪行動、雇用、教育、人権、法の支配……、などがある。人間が実際にどのように行動するかを理解すれば、具体的な問題をもっとよく解決できるようになる。多くの国で、こうした実践はよりよいものになってきた。行動科学の知見を生産的に活用している国には、ニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、カタール、レバノン、デンマーク、インド、イギリス、オランダ、スウェーデン、アメリカなどがある。こうした国々で、あるいは他の国々でも、行動科学に基づく実践はまだまだ改善されていくだろう。また、国際機関も同様に行動科学を用いている。国際連合、世界銀行、世界保健機構でたいへん多くの実践がなされている。
 同時に、行動科学がもたらす知見は、人々の選択と厚生の関係について多くの新しい問いを投げかけてもいる。こうした問いにどう答えればいいのだろうか。それがここでの私の最優先の関心事の一つである。
 行動経済学は、心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーの画期的な研究に端を発し、経済学者のリチャード・セイラーを経由して、多方面に莫大な影響を与えるようになった。それは学術研究だけでなく、さまざまな種類の公的機関や民間セクターに対してもである。病院では、人命を救い、お金を節約するために行動科学の知見が活用され、患者だけでなく、医師や看護師を助けるためにも行動インサイトが用いられている。企業も大小に関係なく、顧客を獲得し、業績を上げるために行動インサイトを活用している。大学も、学生がよい成績を取れるように(退学してしまわないように)行動経済学を使っているし、政府も、さまざまな問題に対処するために行動インサイトを利用している。フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディア企業も、行動インサイトをよいことに(よくないことにも)用いている。こうした活用例をリストアップしはじめればきりがない。
 ここでの私の主な目的は、本書をコンビニエンスストアにすることである。① 何よりもまず、公共政策に関心を持つ人々に対し、行動科学の鍵となる知見の紹介、② 政府が何をしているかということの理解(私が最もよく知っている国なのでアメリカに特に重点を置くが、得られる教訓はそれよりもずっと一般的だと思っている)、③ 行動経済学と人間の厚生の関係の探索、をしたい。このテーマになじみのない人々にとって、あるいは行動経済学への歓喜の声がいったい何なのか、また行動インサイトが今後数年のうちにどのように導入されていくかを知りたい人々にとって、行動科学による処方箋の多くは最適の素材だろうと思っている。
 同時に、行動インサイトは、選択や自由、国家の役割をどのように考えるべきかという重要で未解決の議論にも刺激を与えてきた。私たちはずっと昔から、そうした議論を続けてきたのだが(本書の何箇所かに登場するアリストテレスも実は、それに関係する重要なことを数多く述べている)、行動科学による新しい知見は、原理的な問題について新しい問いを投げかけている。私の目的は、政府の正統な機能、選択の自由の位置付け、パターナリズムの難題……といったことについて考えるための体系的な枠組みを示すことだ。これから見ていくように、政府にはやるべきことがたくさんあるし、やるべきでないこともたくさんある。
 始める前に、用語法の説明をしておく。「行動科学」という用語は通常、認知心理学、社会心理学、行動経済学という、重なり合う三つの分野を指している。認知心理学は人間の心の働きを探る。人々はどのようにしてリスクが高いか低いかを判断し、どのようにして何らかの対応をすべきだと判断しているのか、ということである。社会心理学は社会的相互作用の影響を探る。集団の相互作用はどのようにして人々のリスク評価に影響を与えるのか、それを防ぐための予防措置を取ることに意味があるのかどうか、といったことである。行動経済学は、人間が現実にどのように行動するかということの理解を使って経済分析に取り組む。バイアスのかかったリスク評価は、株価の動きをどのように説明できるか。注意力不足は、たとえば住宅ローン、学生ローン、クレジットカード会社とその顧客間の契約によく見られる条項をどのように説明できるか、である。
 政府関係者がよく用いる「行動インサイト」という用語は、これらすべての分野の行動科学の知見を指している。「行動厚生経済学」は行動科学の知見に照らして人間の厚生を分析する取り組みのことで、ここでも私のメインテーマの一つである。
 「厚生(welfare)」という言葉は、多様な分野で異なった意味を持っている。だが、本書では最もよさそうな候補をお見せすることになる。私が好む「厚生」の理解は、人々が生きている「生のあり方」を示すものである。つまり、人がよりよい生を送るならば、より多くの厚生を得るということだ。「厚生」には、人がどれだけ日々を楽しんでいるか、どれだけ苦しんでいるか、そして自分の人生がどれだけ有意味で価値のあるものだと感じているかが含まれる。厚生のこうした理解は、ジェレミー・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルの考え方と結びついている。私はベンサムには反対し、ミルとともに、快楽と苦痛には尽くされないものとして厚生の理念を理解するつもりだ(快楽と苦痛ももちろん重要なのであるが)。しかし、本書は哲学書ではないのだから、次のようなことを示せれば私の目的にとっては十分だろう。人々の選択が往々にして自分自身の厚生を減らしてしまうことや、経済学で理解されているような資源配分効率は適切に理解された意味での厚生と同等ではなく、経済学のなかでさえそうとはいえないこと。また、人々が生きる「生のあり方」に焦点を当てた、より広い理解こそ、理論と実践の両方を生産的な方向に導くということである。
 
 
訳者あとがき――キャス・サンスティーン「社会厚生主義」構想
 
 本書はCass R. Sunstein, Behavioral Science and Public Policy, Cambridge University Press, 2020 の全訳である。原著は、最先端の学問領域のコンパクトな入門であるCambridge Elements の公共経済学シリーズの一つとして出版された。
 本書が焦点を合わせているのは、人の無意識のバイアスを解明する行動科学(本書の説明では認知心理学、社会心理学、行動経済学の三つの分野)の知見を生かした公共政策のあり方である。その手法の目玉となるのが「ナッジ」(肘でそっと押す、という意味)である。
 ナッジは無意識のバイアスを利用し、人の行動をよりよい方向に導く手段である。本書の著者キャス・サンスティーンと経済学者リチャード・セイラーの共著『実践 行動経済学(Nudge)』(原著初版二〇〇九年)以来、世界的な流行語となっており、また、各国の政策でおおいに用いられてきた。今般の新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)では、人の行動を変える安上がりな手段として民間でも爆発的に用いられるようになった。たとえば、ソーシャル・ディスタンスを取るためにコンビニエンスストアのレジの前に一定間隔で引いてある線を思い浮かべればわかりやすい。そのように人の行動の物理的な環境(アーキテクチャ)を変えるものから、情報伝達型ナッジ(本書の言葉でいえば「教育目的」で、情報開示などがその例とされる)まで、ナッジは多様な形をとる。
 ナッジは強制ではなく、人の選択の自由を保障する。つまり、従わなくてもよいし、ひとたび従ったとしても簡単に元に戻せる。いわば、自由と幸福を両立させる手段として便利に用いられる。しかし、そうしたナッジには、無意識のうちに行動を操作されているかのような気持ち悪さがあるのも否めない。本書はその懸念に応えながら、ナッジの具体的な用いられ方から、その根底にある「自由」「幸福」の概念分析まで、サンスティーンの現時点での考え方が明快に示されている。本書の副題「ナッジからはじまる自由論と幸福論」は、そうした本書の試みを端的に表すために訳者が付した。
 
用語解説
 
 本書は平易に書かれているが、簡潔に過ぎるかもしれない部分も見受けられるため、本解説では最初に、一部の重要な用語について多少の説明を行っておく。
 
 【厚生 welfare】 サンスティーンが公共政策の目標とするのは社会全体でのwelfare の増大である。このwelfare は、本書では基本的に「厚生」という訳語をあてた(一部、社会保障政策の文脈では「福祉」とした)。この「厚生」は簡単にいえば人の幸福だが、本書の目的の一つはその中身を明らかにすることである。
 本書では厚生の捉え方について、① 快楽主義、② 選好ベース説、③ 客観的な善、の三つが示されており、それぞれ一長一短が述べられている。なお、これは哲学者デレク・パーフィットによる価値論の三分類を踏襲している。① 現在状態説、② 欲求充足説、③ 客観的リスト説、といった用語法が一般的であるが、本書で特に異なった意味が込められているわけではないので、この分類をすでに知っている読者はそれぞれ対応させて読んでかまわない(こうした幸福論の分類について関心のある読者には、簡便な解説として、森村進『幸福とは何か:思考実験で学ぶ倫理学入門』(筑摩書房、二〇一八年)を参照)。
 本書でサンスティーンはどのように厚生を理解しているか。社会全体での厚生を増大しているかどうかを考えるにあたって、サンスティーンが用いるのは、コスト・ベネフィット分析である。公共政策の効果は、コスト(費用)とベネフィット(便益)を比較して測られなければならない。ここで主たるベネフィットとして位置付けられるのが厚生であり、そうである以上、厚生には一定の比較可能性と集計可能性が必要である。つまり、他者との比較がまったく不可能な私秘的な幸福や、長期の時間的スパン(「人生全体」など)によってのみ判断される有機的・全体論的な幸福はその対象とはなりにくい。そのため、本書が対象としている厚生は、あくまで客観的な幸福である。
 サンスティーンが採用している厚生の理解は、前述の①~③分類の「いいとこ取り」のようなところがある。厚生にとって快楽と苦痛はもちろん重要だが(快楽主義)、人はそれだけを求めて生きているわけではない。本書でサンスティーンは、J・S・ミル的な「質の区別」を導入している。さて、いかなる選好(欲求)が「上級」なものとされるべきなのだろうか。ここでミル的なエリート主義が素朴に振りかざされるわけではなく、行動科学の知見が用いられることになる。経済人ならぬ現実の人間はさまざまな欲求を持っているものの、無意識の行動バイアスによって自分自身の欲求そのものを誤ることがある(欲求ミス)。本書が述べる公共政策の目的はまず、そうした行動バイアスから人を逃れさせることだ。そして、無意識の行動バイアスから逃れ、十分な情報や判断能力があったならば有していたであろう選好の実現が「厚生」であり、社会全体での増大が目指されることになる。
 
 【行動インサイト behavioral insight】 行動科学(本書の説明では認知心理学、社会心理学、行動経済学の三つの分野)による、人の行動に影響を与える無意識のバイアスについての洞察・知見を指す。そうした知見をもとに人の行動の変容を促す手段の代表がナッジだが、ナッジ以外の多様な規制手段(法的な強制、経済的インセンティブによる誘導、アーキテクチャへの介入など)にも行動インサイトは活用されている。世界各国の公共政策の実例や、その批判的検討として、次のような書物が参考になる。
 ・白岩祐子・池本忠弘・荒川歩・森祐介(編)『ナッジ・行動インサイトガイドブック:エビデンスを踏まえた公共政策』(勁草書房、二〇二一年)
 
 【リバタリアン・パターナリズム libertarian paternalism】 ナッジ等を用い、人の行動を望ましい方向へと変容させるべきだとする思想。ナッジは従わないこともできるために選択の自由が保障されている。この点がリバタリアニズム(自由至上主義)的である。また、行動バイアスによって望ましい選好や判断がなされていないときに人を正しく導くという点でパターナリズム(父権的温情主義)的である。
 この二つの要素は本当に両立するのか。無意識の誘導によってリバタリアンが重視する自由が骨抜きにされてしまわないか、逆に、従わない自由があるならば本人の意思に反してでも強制するパターナリズムの意味がないのではないか、といったことが論点となってきた。それぞれ多くの文献があるが、簡潔な論点整理として参照、福原明雄「「リバタリアン」とはどういう意味か:リバタリアニズム論からみたリバタリアン・パターナリズム」および瀬戸山晃一「自律にはナッジで十分か?:パターナリズム論からみたリバタリアン・パターナリズム」(那須耕介・橋本努編『ナッジ!?』(勁草書房、二〇二〇年)所収)。
 
サンスティーンの経歴、著書
 
 著者のキャス・サンスティーンは一九五四年生まれのアメリカの公法学者であり、現在、ハーバード大学ロースクール教授である。きわめて広範囲にわたる業績があるが、憲法基礎理論としては司法の謙抑性を説く「司法ミニマリズム」論、それを支える「完全には理論化されていない合意」といったアイデアが有名である。また、インターネットの普及による情報化の発展が熟議民主主義に与えるネガティブな影響について、「分極化(polarization)」といった言葉で早くから分析を行ってきた。ほか、動物の権利論などの著作もある。
 近年は行動科学の法学への応用に力を注いでおり、経済学者のリチャード・セイラーとの共著『実践 行動経済学(原題:Nudge)』(原著二〇〇九年)で、選択の自由を保障しつつ、人々をよりよい厚生へと導く手法である「ナッジ」を世界的な流行語にしてみせた。謝辞に述べられているように、本書の第3章はもともと、この世界的ベストセラーに収められる予定だったということである(なお、原著の「最終版(the final edition)」が二〇二一年八月に出版予定であり、大幅な拡充がなされているとのことである)。
 サンスティーンはオバマ政権下で情報規制問題室長として行動科学の知見を実際の政策において実践してきた。その成果もまたいくつかの著書にまとめられているが、本書はその最新版であり、行動科学と公共政策の関係をコンパクトに述べるとともに、自由や厚生といった基礎的な概念についてもサンスティーンの現在の考えを述べるものとして重要である。「ナッジ」を代表とする行動科学の成果を公共政策に用いるにあたって、基礎から具体例まで一通り知ることのできるガイドブックになっている。
 サンスティーンの著書・論文は膨大な量があるが、邦訳のあるものだけ示すと次のとおりである。
 
 ・Free Markets and Social Justice, Oxford University Press, 1997(有松晃・紙谷雅子・柳澤和夫訳『自由市場と社会正義』、食料・農業政策研究センター、二〇〇二年)
 ・Republic.com, Princeton University Press, 2001(石川幸憲訳『インターネットは民主主義の敵か』、毎日新聞社、二〇〇三年)
 ・The Laws of Fear: Beyond the Precautionary Principle, Cambridge University Press,2004(角松生史・内野美穂監訳『恐怖の法則:予防原則を超えて』、勁草書房、二〇一五年)
 ・Worst-Case Scenarios, Harvard University Press, 2007(齊藤誠・田沢恭子訳『最悪のシナリオ:巨大リスクにどこまで備えるのか』、みすず書房、二〇一二年)
 ・Simpler: The Future of Government, Simon & Schuster, 2013(田総恵子訳『シンプルな政府:〝規制〟をいかにデザインするか』、NTT出版、二〇一七年)
 ・The Ethics of Influence: Government in the Age of Behavioral Science, Cambridge University Press, 2016(田総恵子訳『ナッジで、人を動かす:行動経済学の時代に政策はどうあるべきか』、NTT出版、二〇二〇年)
 ・Valuing Life: Humanizing the Regulatory State, The University of Chicago Press, 2017(山形浩生訳『命の価値:規制国家に人間味を』、勁草書房、二〇一七年)
 ・Choosing Not to Choose: Understanding the Value of Choice, Oxford University Press,2015(伊達尚美訳『選択しないという選択:ビッグデータで変わる「自由」のかたち』、勁草書房、二〇一七年)
 ・The World According to Star Wars, Dey Street Books, 2016(山形浩生訳『スター・ウォーズによると世界は』、早川書房、二〇一七年)
 ・#Republic: Divided Democracy in the Age of Social Media, Princeton University Press,2017(伊達尚美訳『♯リパブリック:インターネットは民主主義になにをもたらすのか』、勁草書房、二〇一八年)
 
 ほか、本書に関わりの深い共著書として、次のようなものがある。
 
 ・Richard Thaler and Cass R. Sunstein, Nudge: Improving Decisions about Health, Wealth, and Happiness. New Haven, Yale University Press, 2009(遠藤真美訳『実践 行動経済学:健康、富、幸福への聡明な選択』、日経BP社、二〇〇九年)
 ・Cass R. Sunstein & Reid Hastie, Wiser: Getting Beyond Groupthink to Make Groups Smarter, Harvard Business Review Press, 2014(田総恵子訳『賢い組織は「みんな」で決める:リーダーのための行動科学入門』、NTT出版、二〇一六年)
 ・Cass R. Sunstein and Lucia A. Reisch, Trusting Nudges: Toward A Bill of Rights for Nudging, Routledge, 2019(遠藤真美訳『データで見る行動経済学:全世界大規模調査で見えてきた「ナッジの真実」』日経BP、二〇二〇年)
 
 このほか、サンスティーンの憲法基礎理論、法哲学、民主主義理論に関わる重要論文をセレクトした論文集として、那須耕介(編・監訳)『熟議が壊れるとき:民主政と憲法解釈の統治理論』(勁草書房、二〇一二年)がある。特に、本書で随所に出てくる「完全には理論化されていない合意」については、同書所収「司法ミニマリズムを超えて」(原著二〇〇八年)で詳しく述べられている。
 日本でのサンスティーンの議論の検討も増えつつあるが、本書で扱われているナッジやリバタリアン・パターナリズムについては、那須耕介・橋本努編『ナッジ!?:自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』(勁草書房、二〇二〇年)が、多方面からの批判的検討を含んでいて有益である。同書の出版記念イベントを電子書籍化した、那須耕介・橋本努・吉良貴之・瑞慶山広大『ナッジ! したいですか? されたいですか?:される側の感情、する側の勘定』(勁草書房、二〇二〇年)とあわせて参照されたい。
 
本書の論点
 
ナッジは変わったのか?
 人々の自由を損なうことなく、低コストで行動を変える手段としての「ナッジ」は、近年、世界中で一般的に用いられるようになっている。特に、新型コロナウイルスのパンデミックが起こった二〇二〇年には、感染拡大を防ぐための多種多様なナッジが官民を問わず使われることになった。あまりに多様なナッジが出現しているため、果たして「ナッジ」に共通の特徴といえるものがあるのかさえ疑問に付される事態にもなっている。まず、この点について本書でどう述べられているのかを見ておく。
 サンスティーンとセイラーによる、ナッジの当初の定義は「どんな選択肢も閉ざさず、また人々の経済的インセンティブも大きく変えることなく、その行動を予測可能な方向に改める選択アーキテクチャの全要素」(Thaler and Sunstein 2008, 6)というものである。このナッジの定義はその後、サンスティーン自身によって、あるいはその他の論者によって融通無礙に広げられていく。本書ではたとえば、補助金などの多少の経済的インセンティブ付与はナッジの趣旨に反するものでないことが述べられている。公共政策において用いられる規制の手段にはアメとムチの度合いによってさまざまであるが、ナッジはそれらを「ナッジらしさ」といった言い方で評価するような概念にもなっている。
 サンスティーンが本書で強調するのは、選択の自由の保障である。ナッジには、それに従わない(オプトアウトする)自由が保障されていなければならない。この点は当初から変わらないといえるが、一方、本書の特徴として、人々の選択と「厚生(welfare)」の関係が概念的に検討されていることがあげられる。サンスティーンとしては、行動科学の最大の成果は人々の選択が必ずしも真の厚生につながらないことを明らかにしたことにあると考えているようである。しかし、そのように理解された厚生は自由を骨抜きにしていかないのだろうか?
 
自由と厚生
 サンスティーンがナッジとの関連で考える自由は、一貫して選択の自由である。より明確にすれば、ナッジによって誘導される方向からオプトアウトする自由である。その選択肢が残されている限り、つまり、ある行為が強制されているのでない限り、選択の自由が損なわれるとは考えない。それがリバタリアン・パターナリズムの「リバタリアン」要素である。
 ナッジが目指すのは人々の厚生の増進である。サンスティーンは厚生について、人々が実際に感じる快楽であるとするベンサム主義的アプローチと、思慮分別のある人々が十分な情報を持ち、またさまざまな行動バイアスから逃れていたならば選んでいたであろう選択肢から得られる厚生を真のものとするミル主義的アプローチに分け、本書では明確に後者の可能性を探っている。
 もちろん、ナッジは隠されていてはならず、透明性が確保され、つねに人々からの批判的検討の対象とされなければならないといった留保はつけられている。しかし、その目的が自由の保障のためであるというのは白々しく響くようにさえ思える。ナッジが人々を真の厚生へと誘導できるかというと、当然ながら設計ミスによる失敗もある。むしろ、失敗こそ貴重なデータであり、その集積によってナッジが改善されていく。ここで人々の選択の自由は、あるナッジが客観的な厚生の促進に成功するか失敗するかというデータへと性格を変えていく。つまり、人々がナッジに従うか・従わないか、それによって厚生が増進したか・しなかったか、というデータの集積が次のよりよいナッジ(第2章の言葉でいえば「その先のナッジ」)につながっていく。あえてナッジに従わないで悲惨な人生を送ることになった人の選択は、表面的には選択の自由が尊重されたことになるが、その自由は実のところナッジ改善のためのデータとしての価値をもつにすぎない。この図式にどこか本末転倒なところがあるのはたしかだが、かといってどこかに出口があるわけでもない。主観的な自由が残されていることにただ安心するか、社会厚生をよく実現できるほどのデータ集積などまだ遠い先の話であると高をくくるか、それとも新しいナッジを作る楽しみに身を委ねることに自由の価値を見出していくか。自由の支持者は悩ましい選択肢の前に立たされている(なお、サンスティーンの直近の自由論として、On Freedom, Princeton University Press, 2019 も参照)。
 
謝辞
 本書は吉良が単独で訳した。本書では哲学的な議論もなされているが、行動科学と公共政策の関係を広く考えるという入門書的な性格が強いため、できるだけ読みやすく、文意を明確に訳すように心がけた。そのため専門的な読者にはやや冗長に感じられる箇所もあるかもしれないが、本書の性格に鑑みてご容赦いただきたい。
 訳文の仕上げにあたっては、松澤拓也さん(早稲田大学大学院、憲法学)、吉原雅人さん(京都大学大学院、法哲学)のお二人にチェックいただいた。本書の訳文がより読みやすく、正確になったとすれば、この二人の俊秀のおかげである。お二人にお願いした私の選択は私の厚生を増大させたが、同じネタをサンスティーン本人がすでに書いている。私自身のさまざまな行動バイアスのせいでお二人のせっかくのナッジから私がオプトアウトし、結果的に誤りを犯した部分も多いかもしれない、と付け加えておくほうが、謝辞にかこつけた本書の要約にもなってよいだろう。
 本書の企画・編集にあたっては勁草書房編集部の鈴木クニエさんにお世話になった。鈴木さんとは、シーラ・ジャサノフ(渡辺千原・吉良貴之監訳)『法廷に立つ科学:「法と科学」入門』(勁草書房、二〇一五年)、那須耕介・橋本努・吉良貴之・瑞慶山広大『ナッジ! したいですか? されたいですか?:される側の感情、する側の勘定』(勁草書房、二〇二〇年)でご一緒してきた。本書も含め、いずれも法政策と科学の関係を問うというテーマが共通している。今後もともにこの分野を開拓するような仕事ができることを願っている。
 
二〇二一年五月
吉良貴之
 
 
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