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あとがきたちよみ
『ゆるぎなき自由』

 
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ジゼル・アリミ、アニック・コジャン 著
井上たか子 訳
『ゆるぎなき自由 女性弁護士ジゼル・アリミの生涯』

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訳者あとがき
 
 本書は、二〇二〇年八月にパリのグラッセ社から出版されたUne farouche liberté(御しがたき自由への渇望)の全訳である。著者のジゼル・アリミは、奇しくも、その少し前の七月二八日、九三歳を迎えた誕生日の翌日にその生涯を閉じた。本書はわたしたち女性への、そして、共著者のアニック・コジャンが「序文」で記しているように、とりわけ#MeToo 世代の女性たちへの、アリミからの遺言だとも言えるだろう。少なくともわたしはそんな気持ちで、彼女が灯してくれた「松明の火」を未来へとつないでいくことを願いつつ翻訳した。
 
 本書は、アリミが自らの生涯について友人のジャーナリスト、アニック・コジャンのインタヴューに答えるかたちで構成されているので、著者の紹介や作品の内容についての解説は蛇足であろう。本書を読み終えた方々の心中にさまざまに渦巻いているに違いない感動を尊重したい、壊したくないという思いも強い。
 けれども、なぜわたしがこの本を翻訳したいと思ったのか、いささか個人的な経緯について記すことをお許しいただきたい。
 読書は、出会いだと思う。著者が伝えたかったことが読者の心に響き、両者が連帯しあう瞬間。そうした出会いは、読者の人生を変えることさえある。
 その意味で、わたしにとって最も重要な出会いは、一九六一年に朝吹登水子さんの訳で紀伊國屋書店から出版されたシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『娘時代』だった。『娘時代』は『育ちの良い娘の回想』という原題が示唆しているように、フランスのブルジョワ階級に生まれ育ったひとりの女の子シモーヌが、伝統的な道徳秩序から脱出して、自由な知識人として巣立つまでの自己形成の物語である。当時、二十歳の東大生だったわたしは、自分の立場に居心地の悪さを感じ、漠然とした不安に苦しめられていた。『娘時代』を読んで、この苦しみの正体は「女らしさ」という規範なのだということに、そうした規範に縛られずに自分らしく生きていくべきだということに気づくことができた。わたしたち女性は、自律した意志をもった主体として認められるために、男性よりも一層執拗に闘い続けなければならないのだという覚悟のようなものを教えられたのだった。こうして、ボーヴォワールはわたしにとってかけがえのない存在になった。
 だから、二年後の一九六三年に手塚伸一さんの訳で集英社から、シモーヌ・ド・ボーヴォワールとジゼル・アリミの共著、『ジャミラよ朝は近い――アルジェリア少女拷問の記録』が出版された時も、すぐに読み始めた。もっとも、ボーヴォワールの著作だと思って手にしたこの本は実質的にはアリミが編纂したもので、ボーヴォワールは「責任を分担するために」、共著者として名前を連ねていたのだった。当時、アルジェリア独立のために闘う人たちを支援することは命がけの危険なことだったのだ。実際、彼女にも、「気をつけろ! 爆弾で吹っ飛ばすぞ」といった類の脅迫電話がかかってきたという[1]。
 こうして、わたしはアリミに出会った。衝撃的な出会いだった。彼女もまた、主体として生きることを求める女性だった。彼女はこの本のなかで、性的拷問に対して激怒し、正義と自由のために闘うことの凄まじさを身をもって示していた。本書(特に第二章、第三章)でも詳しく語られているように、アリミは弁護士として――当時はまだ女性の弁護士は少数だった――、植民地化された人々の解放のために闘わずにはいられなかったのだ。
 本書(第一章)によると、彼女は十歳のときにハンガーストライキをして「初めての自由の分け前」を手にしたが、その後も彼女が飽くことなく執拗に求め続けた自由は、「もしそれが他の人たちの自由のために役立つものでなければ、意味がなかった」というのだ。
 また、本書では言及されていないが、彼女はベトナムにおける戦争犯罪を裁くために開かれたラッセル法廷(一九六七年)にも参加している。法廷メンバーとして参加したボーヴォワールの証言によると[2]、アリミは法廷メンバーを補佐する法律委員会の委員として、北ベトナムやアメリカ本土を視察して、すぐれた報告を行った。他にも彼女は、一九七〇年のブルゴス裁判――スペインのバスク地方の分離独立を目指す民族組織「バスク祖国と自由(ETA)」の活動家六人に死刑判決が下されて、ヨーロッパを中心に世界中に抗議が沸き上がった――を傍聴した報告書を出版し、サルトルが序文を寄せている(文末の著作リストを参照)。
 
 一九八三年に福井美津子さんの訳で青山館から出版された『女性が自由を選ぶとき』と出会ったときの感動も忘れられない。一九七〇年代初頭の、フランスのいわゆる第二波フェミニズムでは人工妊娠中絶の合法化を求める運動が盛んであった。この運動の経緯については、本書(第四章)でも生き生きと語られているが、『女性が自由を選ぶとき』は、アリミ自身の中絶の経験、ボーヴォワールが起草した「三四三人宣言」、グループ「ショワジール」の結成、強姦されて中絶した少女マリ= クレールの無罪を獲得したボビニ裁判(一九七二年)など、フランスの女性たちが身体の自由を求めて闘った記録である。
 フランスで中絶が合法化されたのは、驚くなかれようやく一九七五年からである(しかも、最初は五年間の時限立法だった)。一九七四年の年末に成立したこの「自由意思による妊娠中絶IVGに関する法律」は、厚生大臣シモーヌ・ヴェーユの頑張りなくしては成立しえなかったかもしれないが、同時に、ヴェーユが法律制定の理由として主張することができた状況――フランス全土で何百万人もの女性たちが合法化を求めて声を上げているという状況――をつくりだしたのは、ボビニ裁判によって喚起された世論であったこともまた否定できないだろう。「ショワジール」をはじめとする女性たちの団結と支援こそが時代を動かしたのだ。
 
 その後も、一九七八年のエクサンプロバンスでの強姦裁判 (本書第三章「強姦、それは日常のファシズムだ」の一言一句が胸に重く響いてくる)、この勝訴が導いた一九八〇年の刑法改正による重罪としての強姦罪の規定、一九七八年の総選挙における「百人の女性議員を!」運動、無念にも憲法院によって無効にされたとはいえパリテ法の嚆矢ともいえる一九八二年のクオータ制 (本書、第五章)……など。アリミの活動をたどることは、まさにフランスのフェミニズムの歴史をたどることでもある。晩年には、EUの女性たちのために理想の共同体を夢見て活動した。
 フェミニストとしてのアリミの功績の大きさは、没後すぐに、男女平等担当大臣を中心に、フランスの偉人たちを祀る霊廟パンテオンへの埋葬を求める運動が進められていることからもわかるだろう。(しかし、いまも「アルジェリアはフランスのものAlgérie française」という考えに固執する人は多く、パンテオン入りへの反対も大きい。)
 
 アリミとの最初の出会いから半世紀、正確には五八年! その間、彼女のことをもっと日本の女性に伝えたいと願ってきた。けれども、なかなかその機会に恵まれなかった。それどころか、現在では、右に挙げたアリミの日本語訳は二冊とも絶版状態であり、わたしの住んでいる区の図書館には入ってさえいないことを知り、愕然とした。
 昨年の七月の末、アリミの訃報を知らせる『ルモンド』紙の記事で、本書の刊行が予告されているのを見て、すぐに予約した。数週間後に届いた本を読んで胸が熱くなった。不正への憤りをエネルギーとし、頑として自由を求め続けた強い女性。それでいて、その軽やかな語り口は、陽気でユーモアに富み、挿入された多くのエピソードとあいまって、まるで小説のような人生だ。こんな女性が存在したことを、どうしても日本の女性たちに知って欲しいと思った。
 こうして、ようやく長年の願いがかなったことは、無上の喜びである。そして、この本が読者の人生にとっても大切な出会いの一つになることを確信している。
 本書の出版の機会を与えてくださった勁草書房と担当編集者の関戸詳子さんに、一入の感謝の念を伝えたいと思う次第である。
 
二〇二一年九月
井上たか子
 
[1]ボーヴォワール著、朝吹登水子・二宮フサ訳『或る戦後下』、紀伊國屋書店、一九六五年、三四二頁。
[2]ボーヴォワール著、朝吹三吉・二宮フサ訳『決算のとき 下』、紀伊國屋書店、一九七四年、九九頁。
 
 
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