あとがきたちよみ
『ちょっと気になる政策思想 第2版』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2021/12/8

 
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権丈善一 著
『ちょっと気になる政策思想 第2版 社会保障と関わる経済学の系譜』

「第2版の刊行にあたって」「第1章 社会保障政策の政治経済学(抜粋)」(pdfファイルへのリンク)〉
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第2版の刊行にあたって
 
 へのへのもへじのシリーズ本の中でも,けっこうなお気に入りの『政策思想』も,めでたく重版となったそうです.そこで,手を入れて第2 版にすることにしたけど,でも一体,この本,誰が読んでいるんだろうかね?
 手にした学問が異なれば答えが変わるよっ.君がそう信じているのは,君が手にした学問がそう思わせてくれているんだけどね,アハハッ(笑)というような軽い話が各章に書かれているこの本を読むと,人が,労働者,生産者というよりも消費者に見えるようになってしまうはず.どんな職業に就いている人も,仕事に就いていない人も,まずはマクロの消費需要にどの程度貢献しているのかという視点で見てしまうようになる.そして何かを生産していようが生産していなくても,両者,国民経済に対する貢献はさほど違いがないように見えてきたりもする.
 哲学者ヤスパースがBC5 世紀前後を「枢軸の時代」と呼んでいて,あの時代に,仏教,ジャイナ教,儒教を始めとした諸子百家,パレスティナの預言者,ギリシヤ哲学など,今にいたる思想の源ができあがっていたわけだけど,あの背景には,鉄器が普及し,そこに地球温暖化が起こって,農業生産力が飛躍的に高まったことがあって,その中,生産活動に就く必要のない有閑階級の誕生を社会が許したからだな──似たような話として,今の時代に戦争でも起こって食糧不足になったら,僕ら大学の教員たちは田畑を耕して食料生産にかり出されることは間違いなし.どうも職業には,人間の生物学的な必要性に沿った優先順位というものがあるようで……,などということを,この本を手にしたら,ついつい口にしたりするようになるかな.
 国民みんなが立派な消費者になってもらうためには,国民みんなに立派な購買力を分配しなければならないわけだけど,まぁ,世の中,おおかた,みんなそれなら仕方がない(つまりは不平不満がでにくい,いわゆる,公正?)と考えがちな学歴に応じて所得は分配されている(といっても教育には家族の資産・所得が大きく影響するわけだけど).そこからの誤差として,運に運が重なったりして大きな所得を社会からゲットしている場合もある.だけど,特に金融経済がこれだけ大きくなった社会では,市場はそうした人を立派な人にスクリーニングする機能はあまりもっていないのかな,と考えるようになったり.
 市場メカニズムという分配を苦手としている社会の仕組み上,購買力が十分に行き渡らない人たちがどうしても出てくるわけで,その人たちには,あまり消費をしてくれない人たちから購買力をもってきて,国民経済のために社会全体の消費を増やそうよと,ポロッと言ったりする.
 アメリカでは1950 年代になると,サービス産業に従事する人たちが大幅に増えてきて,今でこそ医療経済学の泰斗として有名なフュックスは,1968 年にService Economy を書いたりしていた.あの頃フュックスは,「この国は経済発展の新しい段階を切り拓いている──われわれは“サービス経済”のなかにいる,つまり,われわれは世界の歴史上初めて,雇用人口の半分以上が衣食住の生産にも自動車,その他の耐久性のある財貨の生産にもかかわらない国に暮らしているのである」という観点から当時のアメリカ経済を眺めていたんだけど,そうしたサービス経済による雇用の吸収とそこで働く人たちによる消費の増加が国民経済を支えていることを理解していき,後にフュックスは医療経済学者となっていく.
 この本を読んだりすると,AI で仕事がなくなると大騒ぎしている人がいれば,いやいや,医療や介護をはじめ,人々のQOL を高めるための対人サービスは山ほどあるんだから,そっちの充実もよろしく頼むよっと言い始めるし,再分配が組み込まれた公的医療や介護の領域で働いている人たちが大勢いる町があったら,その町,ひいては国民経済のために彼らの購買力を高めるためにはどうすれば良いかを考えたりするようになったりもする…….
 
 この本の読者は,いまの時代の常識,いわゆるガルブレイスの言う通念(conventional wisdom)に照らせば,そうした不謹慎な人間になってしまう──そうした危険思想? が書かれたこの本が重版出来となったらしい.「通念」は,この本の121 頁で説明していて,世の中に人気のある考え方というものだけど,講義などでは,以前よりも使う機会が増えてきている言葉です.
 
 
第1章 社会保障政策の政治経済学(抜粋)
 
 (略)
分配と経済の活力
 ここで,ひとつ,みなさんに考えてもらいたいことがあります.
 世の中の所得は平等に分配したほうが経済の活力が高まるのか,不平等に分配したほうが経済の活力は高まるのか──みなさん,どう思われますか?
 スミス以来続いてきた信念は,ケインズの言う「資本の成長は個人の貯蓄動機の強さに依存し,われわれはこの成長の大部分を富者の余剰からの貯蓄に仰いでいるという信念」であり,それゆえに〈高所得者から低所得者への所得再分配は資本の成長を阻害するために望ましくないとする思想〉が支配的でした.
 つまり,高所得者の限界的な貯蓄性向は低所得者のそれと比べて高い.高所得者から低所得者に所得を移すという所得の再分配は,社会の総貯蓄を少なくします.したがって,セイの法則が成立すると考える世界では,所得の再分配は経済理論上,望ましくない政策とみなされることになります.そして,低所得者の生活の向上は,経済全体の成長の結果としてのtrickle-down が解決してくれるということになります──こうした考え方はトリクルダウン理論と呼ばれてきたのですが,理論と呼ばれてきたわりに,歴史上,いまだ確認されたことはありません.
 他方,ケインズがその中心にいる経済学では,セイの法則は否定されます.そこはシュンペーターが評するように,「(ケインズの)教義は,実際にはそういっていないかもしれないが,貯蓄をしようとする者は実物資本を破壊するということ,ならびに,貯蓄を通じて,所得の不平等な分配は失業の究極的な原因となる」世界です.セイの法則どおりにことが進まないのは,個々には妥当しても全体を合計すると妥当しなくなるという「合成の誤謬」が成立するからです.これはケインズが『一般理論』で説いた考えの基礎にあるもので,そうした,セイの法則が成立せず合成の誤謬が支配的な世界では,経済に活力を与えるためには,むしろ,限界消費性向の高い中・低所得層の購買力を高めることで,社会全体の需要(総需要)を増やすほうが妥当な政策ということになります.
 (略)
 私が,その人が手にする学問によって,政策解がまったく異なってしまうと言ってきたことは,そういう話です.国民経済を我々人間に理解させる道具である経済学は,人間が理解できる範囲にものごとを単純化するために,(他の学問でも行っているように)前提を置いています.そして経済学全般を,設けられた前提間で相互に矛盾のない群として眺めてみれば,経済学には大きく2 種類のグループがあります.私はこれを右側の経済学,左側の経済学と呼んできました.右側の経済学と左側の経済学は,それぞれが置いている一群の前提は,それぞれの経済学の中では相互に矛盾がないのですけど,互いに互いを照らし合わせると同時には成立するような話ではない.それほどに相対立する前提を置きあった2 つの経済学の中で,右側の経済学を手にした人は,所得の格差は必要悪だ,成長なくして分配なしと言わざるを得なくなり,左側の経済学を手にした人は,平等は生産的である,分配なくして成長なしということになります.
 まず,政策を論じている当人たちが,そうしたことをどこまで自覚しているかということがあります.たぶん,自分が手にした学問がどういう性質のものであり,自分が唱えている政策がどのような前提から導き出されているのかを意識している人はあまりいないと思います.ただ,たまったものではないのが,そういう経済学の世界とはまったく関わりのない人たちです.とくに社会的弱者は,経済学のなかでの思想の闘いに翻弄されることになるわけです.
 
右側の経済学と左側の経済学
 さて,いま,ここで論じた話は,本日の冒頭で紹介した右側の経済学,左側の経済学の話に基づいています.かなり前から,次のような「社会保障と関わる経済学の系譜」という経済学全体のマップを意識していました.
(以下本文つづく。注と図は割愛しました。サンプル画像もしくはpdfをご覧ください)
 
 
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