あとがきたちよみ
『地域社会のつくり方』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2022/1/12

 
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荻野亮吾 著
『地域社会のつくり方 社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ』

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序章 地域社会と社会教育
 
1.地域社会と社会教育をめぐる問題
 近年,人々の間の「縁」や「絆」,あるいはつながりへの注目が高まっている。例えば,2011 年の東日本大震災後に「絆」がメディアで強調されたことや,2020 年以降の新型コロナウイルス感染症(COVID─19)の影響でつながりの希薄化が取り上げられたりしていることが想起される。ただし,それ以前より,人々のつながりの変化に焦点を当てる言葉は幾度も登場していた。
 例えば,「限界集落」は,2000 年前後から用いられるようになった言葉である。地方部における過疎化は,1960 年代以降の都市部への人口移動の中で,避け難い地域課題として指摘されてきたが,限界集落とは,その地域に住む住民が共同生活を営むことができなくなるほどに過疎化や高齢化が進んだ状態を指す新たな概念であった。これらの集落では,人口の減少だけでなく,住民が生活する上で最低限の機能を維持できないほど,人々の間のつながりが衰退している点が問題とされた。地方部で生活を送る上でのセーフティ・ネットであった,地域社会の秩序の崩壊が論点になったと言える。
 つながりの希薄化は,地方部だけに留まらない。都市部でも住民の半数以上が高齢者という「限界団地」の出現が問題にされている。そして,2010 年代に日本全体が人口減少期に入ったため,高齢化率が4 割を超える地域は,もはや珍しいものではなくなっている。高齢期には,心身の機能が徐々に衰え,移動範囲も狭まるため,介護予防や日常生活支援,あるいは住民相互の交流を促す観点から,社会システムや都市の再設計が強く求められている。
 さらに,メディア報道を契機に2010 年頃から使用されるようになった「無縁社会」という言葉は,人々のつながりの希薄化や,単身世帯の孤立,自殺や孤独死の増加を背景にしていた。世界的にも孤立や孤独の防止への関心が高まり,イギリスで世界初の「孤独担当大臣」が創設されただけでなく(2018 年),社会的孤立を防ぐための「社会的処方」の概念が広まりを見せつつある。日本でも2021 年に「孤独・孤立対策担当大臣」が任命され,この国際的な潮流の中に位置づけられる。コロナ渦ではつながりを築くための重要な機会であった対面型の接触が制限され,孤立や孤独に関わる問題はさらに深刻になっている。以上のように,つながりに関わる様々な言葉や対策が次々に生み出され続ける背景には,人と人とのつながりをどう構築していくかという点に対する私たちの少なからぬ関心がある。
 このつながりに関わる様々な問題解決の「処方箋」として,しばしば示されるのが,「コミュニティ」の再構築というビジョンである。実際に,2000 年代に入り,国の政策文書や各種審議会の答申の中で,「コミュニティ」への期待が頻繁に示されるようになった。政策の中では,日本社会の様々な問題を,「コミュニティ」の構築によって解決する方向性が示されている。しかし,ここでいう「コミュニティ」とは何を指すのだろうか。そして,「コミュニティ」は,誰がどのようにして「つくる」ものなのだろうか。
 近年の政策で期待が寄せられている「コミュニティ」は,「地域社会」とほぼ同義に用いられる。しかし,その発祥を考えると,概念の使用には慎重であるべきである。日本におけるコミュニティ概念の普及に一定の役割を果たした社会学者の松原治郎によれば,コミュニティとは,「地域社会という生活の場において,市民としての自主性と主体性と責任とを自覚した住民によって,共通の地域への帰属意識と共通の目標と役割意識とをもって,共通の行動がとられようとする,その態度のうちに見出されるもの」と定義される(松原1978 :25)。この「コミュニティ」の定義には,地域という範域だけでなく,帰属意識や共通の役割認識等の規範的な意味も込められている。つまり,地域社会を実態概念とすれば,「コミュニティ」の概念は,実態と規範の双方を兼ね備えた概念と言える。しかし,政策で「コミュニティ」という言葉が多用されるにつれて,実態と規範が入り混じり,地域社会自体が規範性を帯びた「コミュニティ」であるという錯覚が生まれ,地域社会における紐帯の弱まりや,相互扶助機能の低下といった実態が捉えにくくなっている危険性がある。そこで本書では,「コミュニティ政策」や「コミュニティ・センター」といった専門用語を除いて,「コミュニティ」でなく地域社会という概念を用いて,地域社会の実態の分析と,その再構築の方法を提起する。
 なお,日本では2000 年代以前から,地域社会に対して政策上の関心が向けられてきた。遡れば,20 世紀初頭の日露戦争後に農村の疲弊が進んだ際に,内務省を中心にした地方改良運動によってその立て直しが図られたことが想起される。この中で,地域の有力者を指導者とする形で,青年団等の地域の組織の組織化が進められた。時代が下った第二次世界大戦後には,GHQ により,町内会の解散が命じられたが,この背景には,戦前の地域社会で,町内会が行政の末端組織として,国民教化に寄与したことの反省があった。時を経て,農村型社会から都市型社会への移行期であった1970 年代には,都市化に伴う諸問題に対応するために,「コミュニティ」という概念が,政策の中で用いられた。当時は,地域社会の封建的な家族秩序や,共同体の同化圧力等に対する批判的認識が存在し,人々はこのような地域のしがらみから逃れ,自律した個人としての生活を望んでいたものと考えられる。この意味で,当時の「コミュニティ」という言葉には,新たな地域社会の姿を示す規範的な概念として,大きな期待がかけられていたと言える。このように,歴史を紐解いていくと,地域社会への期待が高まる時期と,社会構造が大きく変化する時期とは重なり合っていることに気づかされる。
 それでは,2000 年代以降に,地域社会に期待が寄せられる背景には,どのような社会構造の変化があるだろうか。その一つに「福祉国家の危機」がある。具体的には,各国で経済成長率が鈍り,財政赤字が拡大する中で,第二次世界大戦後に形成された社会保障制度の大幅な見直しを迫られることになった。これを受けて,行政が市民の生活保障を積極的に担う構造が変化しつつある。2章で見るように,1970 年代までは,行政による公共サービスの提供や,生活保障が前提とされた上で,市民の参加によって,生活の向上に資する行政施策がいかに実施されるかが重要な論点となっていた。しかし,1980 年代の「福祉国家の危機」以降,行政が公共サービスを中心的に提供する枠組みは変化しつつある。NPO や社会的企業等の市民社会組織への期待に見られるように,近年の政策の方向性は,徐々に市民の自助・互助・共助を強調する方向へと移行している。
 そして,1990 年代以降,自助・互助・共助を重視する流れは,一層顕著になっている。例えば,公共サービスの民営化や規制緩和を積極的に進める新自由主義に基づく行財政改革や,地方分権改革,そして市町村合併の推進等の政策がこの流れを後押ししている。この時期になると,市民が生活を送る上でのセーフティ・ネットとなっていた家族や企業,そして地域社会の機能不全が問題視された。このような社会構造の変容の一面を切り取ったのが,上で取り上げた「限界集落」「限界団地」「無縁社会」という言葉であったと言えよう。これらの政策のもとで,地域社会の形成を担うよう,市民に主体的な行動を求める流れも強まっていく(1 章参照)。しかし,市民の社会的・経済的状況を考慮せず,地域社会への参加を推奨することは,自己責任の論理と結びつき,「〈参加〉への封じ込め」(渋谷望2003)を引き起こしかねない。
 現在,考えるべき問いは,地域社会とは,誰によってどのように構成されるのかである。私たちは,規範としてのコミュニティでも,あるいは,昨今の政策で期待が寄せられる行政の機能を代替する存在としてでもなく,生活の前提でもあり,日常生活の中で社会関係が紡がれていくような,現実的な「地域社会のつくり方」を考えるべき時期を迎えている。ここでの地域社会とは,住民が共同的な活動の中で相互の紐帯や信頼が育まれるような,人々の日常生活圏域を指す。「地域」という単なる範域ではなく,関係性を含んだ「地域社会」という言葉を用いることに重要な意味がある。本書は,かつての地域社会を良きものとして懐古的に振り返るのではなく,現代でも,地域のつながりや,地域社会の有する相互扶助や課題解決の機能が,人々の暮らしを支える基盤として一定の価値を持つものと認め,このような地域社会が成り立つ過程と,その構成に行政が果たすべき役割を明らかにするものである。
 本書では,特に,地域社会の構築において重要な役割を果たす社会教育に焦点を当てる。社会教育は,第二次世界大戦前(以下では戦前)から,大戦後(以下では戦後)を通じて現在に至るまで,その形を徐々に変化させながらも,地域社会の紐帯を保つことに一定の役割を果たしてきた。例えば,戦前の地域社会では,前述した地方改良運動に代表されるように,内務省を中心にした中央官庁と,地方の名望家層との密接な結びつきの中で社会教育が展開され,地域社会の統治手段の一つとして,地域の「自治民育」がなされた歴史がある。このような動きが,戦前・戦中の動員体制と結びついたこともあって,戦後の民主化に向けた動きの中で,社会教育の役割は大きく見直された。
 社会教育の領域では,戦前と戦後の断絶が強調されることもあるが,戦後の地域社会においても,青年団や婦人会・PTA・子ども会・老人クラブといった社会教育関係団体の活動が基盤になり,地域の紐帯が保たれてきた。例えば,1940 年代後半から1950 年代には,青年団や婦人会等の団体が中心になり,生活上の諸課題を話し合いや生活記録を通じて解決しようとする共同学習運動が進められた。また,1960 年代以降の都市型社会への移行期にも,都市化に伴う諸課題に対し,住民運動や住民自治を担う市民を形成するために,確かな知識・教養を身につける拠点として都市型公民館の像が示され,生活上の問題解決に一定の役割を果たしてきた。このように,戦後の地域社会において社会教育が果たした役割は決して小さなものではなかった。
 しかし,1980 年代中頃になると,政治学者の松下圭一(1986)による『社会教育の終焉』に代表されるように,市民の活動が活発化する社会において,社会教育の役割はもはや存在しないとする議論も現れた(2 章参照)。実際に1990年代以降,特定非営利活動促進法の制定や,市民大学・ソーシャル系大学の設立等,市民活動の活発化が見られた。この動きと並行して,公民館の統廃合や,社会教育関連事務の教育委員会から首長部局への移管や補助執行の動きが進められ,社会教育の役割が「終焉」に近づいているように見える。
 ただし,近年の政策の中では,社会教育への期待が表明されることも少なくなく,「終焉」への流れが見えにくくなっている。社会教育への期待は,地方創生政策の中で,公民館を地域の「拠点」施設として位置づける動きや,社会教育の役割を地域の課題解決学習に見出す動きに代表される。
 このような社会教育に関する批判と期待の動きは,一見,正反対のことを主張しているようでいて,双方の議論とも,地域社会の実態を十分にふまえず議論を展開する点に共通の課題を抱えている。社会教育に対する批判論は,市民社会が到来した際には,従来の社会教育の役割は不要になると主張してきたが,現実の地域社会は様々な問題を抱えており,その有効な解決策を提示できていない点に問題がある。また,近年の政策に見られるように,地域社会(コミュニティ)の形成に,社会教育の役割を積極的に見出す議論にも問題がある。この議論では,成功した一部の地域の事例のみを取り上げ,実際の地域社会が抱える問題の本質的・構造的な分析に踏み込まない傾向がある。つまり,実際の多くの地域社会に援用することが難しい政策が展開されている。双方の議論とも,実際の地域社会の構造や変化を精緻に把握しないまま,表面的に社会教育の役割を論じている点に問題がある。
 地域社会の実態に基づいた議論を展開するために,本書では,現代の地域社会がどのように構成されているか,この地域社会の構成に社会教育がどのような役割を果たすのかを,理論的・実証的に明らかにする。地域社会の実態から現代における社会教育の役割を照射することで,地域社会の再構築を志向する政策立案者や研究者,市民,実践者の間で建設的な対話を促すことができる。
 
2.本書の構成
 本書では,以上の問題関心のもと,地域社会の構成と関連づけて,社会教育の現代的な意義について理論的・実証的な検討を行う。この検証を通じて,人々が生活していく上でのセーフティ・ネットの再構築の過程と,具体的な方法を示したい。
 結論を先に述べれば,本書で描きたい社会教育と地域社会との関係は,次のようなものになる。社会教育は,地域での様々な活動に住民を導く環境を創出することで,地域社会における社会関係を組み替え,この過程で市民の地域社会への意識を醸成するインフォーマルな学習を促す。つまり,社会教育とは,社会関係と市民意識の醸成を通じて,地域社会を常に新たな形に創造し続ける営為である。社会教育が十全に機能することで,地域社会は,その構成員が緩やかに入れ替わりながらも,持続的に地域の課題解決に取り組む共同体として維持される。以上が本書で示す,社会教育を通じた「地域社会のつくり方」である。
 本書では,この結論を導くために,以下の構成で,地域社会と社会教育をめぐる問題を検証し,その関係を明らかにしていく。まず,前半の1 章~3 章では,地域社会をめぐる政策や,これまでの社会教育学のレビューを行う。このレビューの目的は,行政と市民という二者の関係でなく,地域社会という媒介項も含めた新たな図式を構築することにある。
 1 章では,2000 年代以降に進められている地域社会に関する代表的な政策を取り上げ,批判的な検討を行う。2000 年代以降の政策には,「コミュニティ政策への社会教育・生涯学習の包摂」(松田2012a : 11)という動きと,「学校教育の補完へのシフト」(石井山2009 : 48)という二つの動きがある。この二つの政策に共通するのが,地域社会への過度な期待である。また,これらの政策では,保護者や地域住民が,地域活動や学校支援の活動に参加する能力や意思を十分に有しているという「市民社会論的前提」(仁平2003)が置かれている。しかし,地域社会の存続や,市民の能力形成をめぐる問題を解決しない限り,政策は十分に機能しない危険性がある。この章では,行政というシステムと地域社会との関係をどう捉えるのかという政策の根底にある問題を照射していく。
 次に2 章では,地域社会と社会教育をめぐる問題に対し,既存の社会教育学が有効な枠組みを提示できていないことを明らかにする。つまり,地域社会の実態と社会教育の理論との間に齟齬があることを示す。社会教育学の基本的枠組みは,1960~1970 年代にかけて形成されてきた。その基本的構図は,①社会教育行政による市民への学習機会の提供,②社会教育行政による条件整備と,市民参加との相補的関係,③参加を行うための市民の主体形成という三つの要素から成り立つ。しかし,このような社会教育学の構図に対して,前述の松下(1986)の『社会教育の終焉』で,批判的なまなざしが向けられた。さらに近年では,社会教育行政論の変化の中で,主体形成に関する議論が問い直され,市民と行政,そして地域社会の三者の関係性を捉える枠組みが求められつつある。この章では,以上の議論の内容を詳細に紹介した上で,「自己」に関する見方を更新し,市民の主体形成に関する研究方法を,「個体論」的アプローチから「関係論」的アプローチへと組み替える必要性を示す。
 3 章では,「関係論」的アプローチの具体例として,「社会関係資本(Social Capital)」の概念の検討を行い,4 章~6 章で,地域社会と社会教育の関係を実証的に検討するための理論的枠組みを示す。まず,社会関係資本に関して,「集合財」と「個人財」という二つの流れがあることをおさえた上で,社会教育や生涯学習との接点を探る。次に,社会関係資本の醸成に関する二つのアプローチとして,中間集団の役割に着目する「社会中心アプローチ」と,制度・政策の役割に焦点を当てる「制度中心アプローチ」を取り上げる。この議論の中で,地域の社会関係資本の基礎単位となる「関係基盤」(三隅2013)に焦点を当て,新たな「関係基盤」の形成を促し,既存の「関係基盤」の結びつきを変化させる制度や政策に注目するという分析の方針を示す。
 後半の4 章~6 章では,公民館を中心にした社会教育と,地域の「関係基盤」である中間集団を中心に形成される社会関係資本との関連を,実証的に分析する。具体的には,3 章で提示した社会関係資本に関する理論的枠組みをもとに,ミクロ(個人)レベルの社会的ネットワークと,地域の社会的ネットワークを媒介する「関係基盤」の機能と構造を明らかにする。さらに,地域の社会的ネットワークの「結節点」にある職員の役割を議論の俎上に載せる。
 4 章では,社会関係資本の蓄積のメカニズムを,個人レベルのデータの分析から明らかにする。具体的には,社会調査の二次分析により,地域に存在する様々な中間集団への所属が,市民の社会的ネットワークを広げ,ネットワークの広がりが地域活動への関わりを生み出すことを示す。ただし,中間集団の種類や構造は,地域によって,あるいは時代によって異なる。地域社会における中間集団の布置が変化すれば,個々人の社会的ネットワークの構成のあり方も変化し,地域活動への関わり方も変わる。そのため,各地域の事例に基づいて,地域社会の構造を分析する必要がある。本書では,地方部の二つの事例の比較分析を通じて,「地域社会のつくり方」に関する知見を導き出す。
 5 章では長野県飯田市の公民館・分館活動を通じて,地域の社会関係資本がどのように醸成されるかを描く。飯田市では,自治会や地縁組織という中間集団における顔見知りの関係が基本になり,分館や公民館の活動と結びつくことで,重層的な社会関係資本を構築している。地縁組織の活動を契機にして,分館や公民館の活動に継続的に関わる中で,最初は周りから促される形で消極的に関わっていた市民の態度が,地域を意識した積極的な態度に組み替わっていく点も明らかにされる。飯田市の公民館主事は,この地域の社会関係資本の構造の中で,市民の目線で仕事をする術を身につけ,その力量を活かして地域社会の課題解決のための学習の組織化を進めている。この章では,以上の公民館・分館を中心にした地域の社会関係資本の醸成の過程を描く。
 6 章では,大分県佐伯市の「学校支援」に関わる事業に焦点を当て,社会関係資本の再構築の過程を明らかにする。同市では,市町村合併を契機に,活動が停滞した地域の中間集団を,「学校支援」という枠組みのもとで活性化させる事業が実施されてきた。この事業では,校区ネットワーク会議や青少年健全育成会議という「会議体」を組織し,公民館に地域協育コーディネーターを配置することで,社会関係資本の再構築を図ってきた。この章では,従来の中間集団の有する社会的ネットワークを再びつなぎ合わせる,「関係基盤」の「連結性」という観点から,社会関係資本の再構築の過程を描く。
 以上の理論研究と実証研究を通じて,終章では,各章の知見をふり返り,「地域社会のつくり方」のポイントをまとめる。そのポイントは,「関係基盤」の創出と,「関係基盤」同士のつながりを紡ぐことを基礎とし,社会教育が果たしてきた役割を反映しながら,中長期的な戦略に基づいて社会関係資本の醸成に向けたアプローチを行うこととしてまとめられる。この議論の中で,社会教育行政が,拠点施設である公民館に職員を配置することで,地域の「関係基盤」と接点を持ち,その教育的機能が発揮されることを指摘する。そして,「関係基盤」を形成したり,基盤自体を再編したりすることを通じて,地域社会を動態的に再構成していくことに,社会教育の存在意義があることを示す。
 以上に示した,各章の内容と相互の関係を整理したのが,図序─1 である。本書では,この構成に従って,「地域社会のつくり方」を明らかにする。
(図は割愛しました。pdfでご覧ください)
 
 
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