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『公共選択論』

 
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川野辺裕幸・中村まづる 編著
『公共選択論』

「まえがき」全文と「序章」「第1章」「第4章」「第8章」「第10章」「第11章」「第14章」のそれぞれ冒頭(pdfファイルへのリンク)〉
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まえがき
 
 グローバリゼーションの潮流により政治の民主化や経済の自由化が進んできたが,近年は,それに対抗するような揺り戻しの動きが起きている.一方で,産業技術はAI やビッグデータ時代の到来により新たなステージが期待され,多極化,多面的な連携の方向も模索されていた.その最中に世界的なパンデミックに見舞われ,さらに気候変動による自然災害が多発している.長期的展望とともに目前に山積する課題に取り組むために,民主主義政治,そして,日本の社会はどのような対応を迫られ,どのような変化が必要となるのだろうか.
 公共選択論は,経済学の分析用具を使って,市場以外の場での決定を研究領域とする学問である.政策決定プロセスを研究の対象として,特に民主主義的な政府の分析を中心に発達してきた.わが国でも1960 年代に公共選択論の理論的研究が始まり,次第に公共選択論が1 つの研究分野として認知されるようになった.それにしたがって,経済学部や法学部,政治学部等の伝統的な社会科学系の学部における授業科目の中に,公共選択論の名称が定着するようになってきた.
 教科としての公共選択論の定着は,社会科学の研究領域において,経済学の分析手法を応用する学際的な研究の拡がりから理解することができる.経済理論では,政策が決定される政治プロセスは分析の対象から外され,これらの理論を応用して政策を主張するだけでは実現性のない提言となってしまう.公共選択論は市場を分析する経済学と同じ方法論的前提に立脚し,市場と政治の両方の領域にまたがる分野において連続した分析が可能であり,学生の理解も得やすいという利点がある.さらに,政策分析に総合的な視点が必要とされ,行政分野でも公共政策論,公共経営論,などの新しい分野が発展し,公共選択論が政府の活動を分析する理論的支柱に位置づけられている.
 特に公共選択論は,経済学,政治学,だけでなく,法学,経営学,社会学,心理学などの諸研究分野と重なる領域が広く,それぞれの学問分野の研究者が異なるバックグラウンドを持って公共選択的研究を展開している.それを反映して,さまざまな学部で開講される教科としての公共選択論はいろいろな側面を持って描かれている.また,経済政策論,財政学,公共経済学,公共政策論,総合政策論などのテキストには必ずといっていいほど公共選択論の章がおかれるようになった.
 しかし,公共選択論はあくまでもその一部であり,字数の制約もあってか,公共選択論の研究分野が十分に紹介され,その基本的前提が整合的に説明されているとはいえない.公共選択論への関心は高まりをみせているが,各大学での授業ではその初歩を教えるテキストに苦慮している.
 こうした需要をふまえて,学部レベルの授業を想定し,公共選択論を体系的に紹介するテキストを発刊することが編者の年来の願いであった.加藤寛編『入門公共選択:政治の経済学』(2005 年勁草書房より復刊)以降,わが国において公共選択論を基礎理論から包括的に解説した書籍が刊行されていないため,2013 年に刊行された『テキストブック 公共選択』は,このような状況に応えて,社会科学に関心を持つかなり広い範囲の読者を想定し,初学者が公共選択を学ぶためのテキストとして企画された.
 その後10 年近くの間に,新しい政策課題や研究分野の出現に進展があった.リーマンショックや東日本大震災を経験して財政再建はさらに遠のき,税と社会保障の一体改革,デフレ脱却と経済再生を目指したアベノミクスが注目を浴びた.最近では,新型コロナウイルスの対策や,その後を見据えた展望も求められてきている.各施策においても,法的規制より国民の行動変容に期待がかけられ,その提言や評価においては科学的知見に基づく説明責任が求められている.
 経済学のモデルから導かれた行動原理にとどまらず,より現実に近づいた人間行動の実証分析も蓄積されてきた.ゼミ学生の研究指導においても実証分析を加え,因果推論に基づく客観的根拠などを提示することが必要とされるようになった.本書は,2000 年代以降に発展した公共選択論の新しい研究成果を紹介し,学生が共同研究をするうえで研究の進め方や分析の仕方のヒントとなるような新たなテキストとして企画することとなった.全体の構成を見直し,新たなコンセプトを加え,若手研究者による行動経済学やマクロ経済理論の進展を反映した分野を補強した.本書は,おおむね経済学の入門的授業に接した初学者が次のステップに進む段階を想定したテキストとなった.
 本書は,以下の3 部構成になっている.第1 部「公共選択論で考えよう」では,現在の政策的なトピックを公共選択論で説明する研究分野を紹介する.財政赤字,公共投資,地方財政,民営化,社会保障,金融政策など,読者は各章の叙述から政府と政策プロセスに関わる問題が公共選択論によってどのように説明されるのかを知ってほしい.また,興味のあるトピックを選んで読み進めるうちに,現実の政治を公共選択論がどのように説明するのかを知ることもできる.
 第2 部「公共選択論と政策形成過程」は,具体的な政策トピックスに関心を持った読者が,それぞれの背景となる公共選択論の基礎理論を確認してもらうことを意図し,あえて第1 部の後に配置した.民主主義の政治制度のもとでの多数決合意による政策形成過程に注目し,公共選択論の基本的な理論的枠組みを示し,代議制民主主義において政府の活動を構成する行動主体のモデルに注目して投票行動,選挙制度,議会制度,行政組織,行政制度における政策形成の特徴を理論的に説明する.さらに近年の研究手法である実験経済学を公共選択論の分野に応用した研究を紹介する.
 第3 部「制度選択と制度改革の公共選択論」では,公共選択論の前提から政府が誕生するプロセスを説明し,政治制度の選択や改変に関わる立憲的政治経済学を扱う.政治制度の違いによる政策形成の違い,国際的合意形成に関わる実証分析を紹介し,近年発展のめざましい異なる制度のもとで生じる政治的帰結を比較する実証理論から,制度間の競争や立憲的改革の考え方を説明している.
 テキストの常として,本書は多くの公共選択論研究者の研究成果のたまものである.その中でも,逝去された次の方々の名を挙げて感謝をささげたい.1986 年ノーベル経済学賞受賞者ジェームズ・M・ブキャナン教授(1919 ~2013)は,共同研究者のゴードン・タロック教授(1922 ~ 2014)とともに『公共選択の理論:合意の経済論理』(1962)を著して公共選択論の基礎を創始し,生涯を通じて公共選択論研究の先頭に立ってこられた.
 加藤寛慶應義塾大学名誉教授(1926 ~ 2013)は,わが国における公共選択研究の草分けであり,公共選択学会の初代会長として,多くの後続の研究者に公共選択研究の機会を提供されただけでなく,第2 次臨時行政調査会,政府税制調査会等数多くの政策形成の場において自ら政策決定に関与された.公共選択学会第2 代会長の黒川和美法政大学大学院教授(1946 ~ 2011)は,学会の前身であるパブリック・チョイス研究会発足当時以来,わが国の公共選択論研究における第2 世代の中心であり,夭折が惜しまれてならない.また,本書表紙の挿画を担当していただいた秋本不二春氏は黒川教授の岳父である.
 最後に本書の出版にあたって,公共選択学会誌『公共選択』の前身である『公共選択の研究』が1981 年に発刊された当初から,40 年の長きにわたって出版面で多くの研究書の刊行を支えてくださっている勁草書房の宮本詳三氏の出版企画への支援をはじめ,緻密な編集作業と温かい励ましなくしては本書刊行の実現は語れない.記して深く感謝の念を表したい.
 多くのトピックを含むテキストの刊行には大勢の執筆者が参加する.編者は本書の刊行に当たって,全編を読み合わせ執筆者との調整を図ったが,なお誤りがあれば,それは編者が負うべきものである.
 
2021 年9 月20 日
川野辺裕幸
中村まづる
 
 
序 章 公共選択論とは何か
 
1 .はじめに
 公共選択論は,「経済学的分析を用いた非市場的決定の分析,あるいは,経済学の政治学への応用」と定義され,経済学のアプローチを政治プロセスに応用する分析手法として発展してきた.
 経済学は,市場メカニズムを通じて効率的な資源配分が達成され,個人の利益最大化行動が社会の厚生をも最大化することを示してきた.その一方で,市場メカニズムでは望ましい状態をもたらすことのできない問題が存在することも明らかになった.こうした問題は「市場の失敗」と呼ばれ,政府の政策介入による解決が正当化されてきた.
 政府は公共の利益のために「何をすべきか」を明らかにする規範分析(normative analysis)として公共経済学が発展し,経済政策の基礎理論となった.経済学では「市場の失敗」を補完する主体として政府の意義を想定してきたが,政府活動の分析は政治学の領域であり,問題解決のメカニズムは経済学においてブラック・ボックスであった.経済理論から導かれた望ましい政策が,政治プロセスにおいて確実に実現され成果をあげる保証はあるのだろうか.
 今日,市場経済においても公共部門が経済活動に占める割合が増大している.市場に失敗があるように政府が失敗する可能性もあるのではないか.公共の利益を追求すべき政府の介入が,むしろ,市場に非効率をもたらし経済活動を阻害する要因となることが指摘されるようになった.
 現実の政策決定を検討するためには政治と経済の相互関係を考慮した学際的研究が不可欠である.公共選択論は,民主主義の政治プロセスにおける意思決定のメカニズムを分析し,社会を構成する個々の主体の行動から政府活動がもたらす政策的帰結を解明した.
(注は割愛しました。以下、本文つづく)
 
 
第1 章 財政赤字,財政の持続可能性の諸条件と財政破綻
 
1 .はじめに
 公共選択論で提唱された「政府の失敗」の例として,財政赤字が恒常化することがブキャナンなどによって述べられている.具体的には,景気後退期の財政拡張(公共投資,減税)は支持される一方,景気拡大期の財政引き締め(増税や政府支出削減)は政治的に支持されにくいことが理由となり,財政赤字がなかなか改善せず,政府債務残高が増加し続けていると指摘している.
 本章では,財政赤字や財政再建といった内容について,日本が抱える現状を俯瞰しつつ,財政赤字や財政破綻に関連する議論を紹介していく.内容によっては,数式を交えた説明をしているが,数式の前後に直観的な説明をすることで,議論の大枠を理解できるように心掛けている.同時に,脚注で丁寧な説明や関連研究を紹介しているので,より理解を深めたい読者へのニーズにも応えるようにしている.
 
2 .日本の財政状況の現状
2.1 日本の財政赤字,政府債務残高
 新聞やニュースなどさまざまなメディア媒体で,日本の財政赤字問題が深刻である,日本政府の借金が累増しているということが喧伝されている.一方で,長期停滞やコロナ禍などによる経済停滞局面において,大幅な財政出動の必要性が叫ばれており,一部の人々の間では,財政赤字や政府債務が増えることを問題視しない見方も出ている.
 図1-1 は,日本の政府債務残高の推移を表している.日本の政府債務残高は1980 年代から増加傾向にあり,特にバブル崩壊後の1990 年以降は急増しており,2010 年代以降は1,000 兆円を超えている.政府債務累増の要因としては,1990 年代以降長期にわたる経済成長率の停滞に伴う税収の伸び悩みや,少子高齢化に伴う社会保障費の増加などによる歳出の拡大により,フローの財政収支が一貫して赤字になっていることが挙げられる.
 
2.2 海外との比較
 つぎに,日本の財政状況が他国と比べて悪いのかについて,見てみたい.図1-2 はG7(日本,アメリカ,イギリス,ドイツ,フランス,イタリア,カナダ)のGDP 比で見た政府債務残高の推移を示している.図1-2 より,日本の政府債務残高は先進国の中で高い水準にある.世界中で比較しても,2020年度末におけるドルベースの水準額では日本は世界第2 位(第1 位はアメリカ),対GDP 比でも第2 位(第1 位はベネズエラ)となっており,相対的に見ても大きいことがわかる.
 一方,長期金利(10 年物国債の金利)は,図1-3 のとおり,2010 年代はほぼゼロが負の値となっており,他国に比べて低水準となっていることから,日本の政府債務は深刻ではないと考える見方もある.
(図と注は割愛しました。以下、本文つづく)
 
 
第4 章 民営化・競争政策
 
1 .はじめに
 1990 年代以降,自然独占によって存在が認められてきた電気通信,郵便,水道等の官業の民営化が世界的な潮流になっている.その背景には政府の肥大化や官業の非効率がある.日本では,1980 年代半ばに,3 公社(電電公社,国鉄,専売公社)が民営化されたのを端緒として,2000 年代に入り,「民間でできることは民間で」を掲げた小泉政権では,日本道路公団(東・中・西日本高速道路株式会社),新東京国際空港公団(成田国際空港株式会社),帝都高速度交通営団(東京地下鉄株式会社)等の民営化が相次いで決定された.
 最後に残った郵政事業は,政治の抵抗によって2005 年の衆議院解散総選挙の争点となり,紆余曲折を経て,同年10 月に郵政民営化法が成立するに至った.しかしながら,その後,民主党を中心とした連立政権になって,民営化に舵を切ったはずの郵政事業が,再び政治関与が及ぶ領域へと逆戻りし始め,さらに自公政権下においても,政治関与が強化されてきた.
 官業には,市場競争と市場によるガバナンスを受けないため,費用最小化のインセンティブに乏しく,民間企業に比べて事業が非効率に陥るという問題がある.これは事業が赤字に陥った場合でも,官業の場合には投資家からのガバナンスが機能しないためである.また,公共目的の名のもとに赤字が正当化され,補填されることすらある.こうした非効率は,生産非効率やX 非効率と呼ばれる.また,多くの国民は望まないが,利益集団への利益誘導のための事業が実施されることで資源配分の効率性を損なうこともある.そのため,事業を政治関与の外に置き,事業の担い手を民間企業に委ね,市場競争と市場によるガバナンスによって効率化と自立を促す民営化が選択されてきた.
 民営化前の郵政事業も同様に官業の非効率に陥るとともに,政治の都合に常に振り回されてきた.また官業に課されるさまざまな制約によって,経営の自立性が奪われ,郵政3 事業はじり貧状態にあった.官業の民営化の意義は,事業の効率化と自立であり,さらに利益集団とそれに結びついた政治の影響力が及ばない領域に事業の意思決定を移すことであった.果たして,効率化と自立という郵政民営化の本来の目的は達成されたのだろうか.
 本章では,民営化の対象を郵政事業に絞り,公共選択論の立場から,近年のわが国における民営化・競争政策の経緯とそれを阻んできたレントシーキングの実態を明らかにすることを目的とする.
 
2 .郵政問題の構図
 2007 年10 月に郵政事業が民営化されたといっても,政府が日本郵政株の100%を保有する政府の完全子会社という状態が長く続いた.郵政民営化の真の狙いは,これを株式上場によって,政府によるガバナンスから市場によるガバナンスに切り替え,事業の効率化を促し,民業として自立させることであった.
 2005 年の最初の郵政民営化法では,政府に株式保有義務がある3 分の1 超を除く日本郵政株を順次売却し,さらに日本郵政はゆうちょ銀行とかんぽ生命の株式を2017 年9 月末までに完全売却することが定められていた.しかし,2012 年の改正郵政民営化法によって,ゆうちょ銀行とかんぽ生命の株式の完全売却は凍結され,できるだけ早期に売却するという努力義務になった.
 株式上場の凍結によって,市場によるガバナンスが先送りされた郵政事業は,効率化と自立に成功したのだろうか.また,民営化後の郵政事業はどのような課題を抱えているのだろうか.図4-1 は,郵政問題の全体像を把握するために,日本郵政グループを,持ち株会社である「日本郵政」と「日本郵便」,「郵便局」および「金融事業(ゆうちょ銀行とかんぽ生命)」の各事業に分け,それらの制約となる外部環境と,それぞれが抱えている課題をまとめたものである.図4-1 では,郵政事業の制約となる主な外部環境として,人口減少やインターネットメールやSNS の普及によるコミュニケーション手段の多様化,超低金利および政治関与が挙げられている.
 
①郵便事業
 まず,郵便事業については,近年のインターネット通販の拡大による宅配需要の増加が見られるものの,人口減少やコミュニケーション手段の多様化によって,手紙やはがき等の郵便物全体の需要が長期的な減少に直面している.
(注は割愛しました。以下、本文つづく)
 
 
第8 章 投票行動
 
1 .はじめに
 最も簡潔には「多数の支配」と定義できる民主主義には,制度的に大別すると直接民主制と間接(代議制)民主制とがある.しかし,古代ギリシアの都市国家アテネで行われていたようなすべての市民が一堂に会して話し合い,自らの未来は自らが決めるという「集会デモクラシー」ともいわれる直接民主制の実現は,たとえインターネットによって瞬時に世界中の人々がつながることが可能と思われる今日においても不可能である.民主主義研究で有名なアメリカの政治学者ダール(Robert A. Dahl)は,直接民主制の実現不可能性を「時間と数の法則」という言葉で説明している(Dahl, 1998, chap. 9).確かにインターネットによって,一堂に会するという規模の問題は超えることができるとしても,すべての人が意見を述べるのにかかる膨大な時間の問題はクリアできない.そこで今日においても実施可能な民主主義の主要な形態は,「日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」と日本国憲法の序文にも書かれているような代議制にほかならないということになる.
 代議制においては,国民や市民は自らの未来を託す代表を選ばなければならない.その制度として存在するのが選挙であるが,選挙は私たち市民にとって,選出した代表の行動や選択をコントロールするための最も重要な武器である.ある国で選挙が外形的に民主的とみなされるためには,複数政党制のもとで自由で公正に定期的に実施される必要があるが,このような選挙にあたって国民は異なった選択をなすのが常である.投票に参加したり棄権したりという投票参加や,複数の候補者や政党の中から1 つを選ぶという投票方向の決定という投票行動に影響を及ぼす要因を明らかにすることは,20 世紀に入ってから展開した実証的な政治分析の重要な課題の1 つである.(以下、本文つづく)
 
 
第10 章 議会制度と権力の分立・融合
 
1 .はじめに
 私たちは資源の有効利用に努めないと地球温暖化が進み,地球規模で不利益を被ると知りながら,ゴミの削減や分別収集を疎かにしてしまう.また,誰かが投票するだろうと思って,投票に行かなかったりするが,誰も投票しなかった場合,私たちが享受している民主主義という利益も失いかねないことを知っている.これらは集合行為のジレンマと呼ばれる問題であり,私たちの日常的な生活の多くの場面で同様の問題が生じている.本章では,そうした利己的な個々人の間に生じる集合行為のジレンマを,権力を創出し,その行使のあり方を左右することによって解決する政治制度として議会を捉えていく.以下,まず政治的意思決定に内在する集合行為のジレンマを投票のパラドックスの問題として空間理論的な解説を加える.そして,権力行使のあり方として,権力を分立させる政治制度として二院制や大統領制を,また権力を融合させる政治制度として議院内閣制における内閣や連立について空間理論的な解釈を提示していく.
 
2 .投票のパラドックス
2.1 空間理論の基礎
 図10-1 は,例えば,福祉に対する政策選好とそれに応じた効用を示している.横軸を福祉支出の多寡とすれば,ある人(A)は福祉支出としてa の水準を最も好ましいと考え,また別の人(B)は福祉支出水準b を最も好ましいとする.A,B それぞれの福祉支出水準に応じた効用はUA,UB のように,それぞれの理想水準において効用が頂点となり,その理想水準から支出が乖離するに応じて減少するものとして表現することができる.
 では,複数の政策を一度に考える場合,どう表現することができるだろうか.(以下、本文つづく)
 
 
第11 章 行政制度
 
1 .はじめに
 現代社会において,官僚組織がなければ,さまざまな政策を立案し実施することが困難であることはいうまでもない.しかし,官僚組織は,その役割が高く評価される一方,その弊害が問題視されることもある.例えば,日本では,第2 次世界大戦後の経済復興における,官僚組織による戦略的経済政策の立案が高く評価された1)一方,官僚組織における前例を踏襲する傾向により,政策的対応が遅れることが批判されることもある.
 このような状況において,各国では,これまでさまざまな行政改革の取り組みがなされてきた.行政改革の1 つの取り組みとして,それぞれの政策に対してつぎのような問いを考えてみることは有意義である.まず政策は社会のニーズを踏まえて立案されているのか,そして政策の目的は達成されているのか,さらには政策は効率的に実施されているのかなどである.このような観点を踏まえて政策を評価する取り組みとして,政策評価が行われている.また,評価にあたってはエビデンスを重視するという立場から,EBPM(Evidence-Based Policy Making)の取り組みも推進されている.
 本章では,行政に関するこのような動向を踏まえて,政策の立案や実施における官僚組織の役割を考慮しつつ,それらの改善に役立つ政策評価について検討する.まず,第2 節では,官僚組織の役割を整理して,政策評価の意味について考える.第3 節では,政策評価の理論を紹介し,評価のポイントについて考える.第4 節では,特に政策の効果を評価する際に重要であるEBPM に関係する手法について整理する.第5 節では,政策主体の多様性および政策過程の観点を踏まえて,政策評価が十分に機能する条件について考える.
 
 
第14 章 立憲的政府の形成と改変
 
 第13 章で述べたように,立憲的政治経済学は政府の成立過程を立憲的契約に参加する主体の合意と二段階契約という概念によって説明している.行動主体としての個人の前提は経済学や政治学で用いられる合理的個人の前提と整合しているだけでなく,個人から出発して政府の形成を説明する考え方は主権在民という民主主義国家の理念とも合致している.さらに,立憲的政治経済学は現代において実際に形成されてきたルール,特に主権を持つ国家間の国際的なルールの形成と説明に有効な分析上の枠組みを提供している.
 しかし,現代における民主主義諸国の政府制度は多様であり,また歴史的にみると,西欧諸国においても民主主義制度はさまざまな形をとりつつ一気にではなく漸進的に形成されてきた.第3 部の以下の章では,立憲的政治経済学が過去60 年に展開してきた各分野での研究成果を示す.本章ではまず政府制度が形成されていく歴史的な過程を説明する分析上の枠組みを紹介する.次に,ルールの重層としての政府の特徴を示し,さらに立憲的制度の改変のプロセスを立憲的政治経済学の観点から説明しよう.
 
1 .民主主義的な政府の歴史的形成過程
 コングルトンは西欧民主主義が歴史的に形成されていく過程を立憲的政治経済学によって説明する.コングルトン(R. Congleton, 2011)は王(統治者)と複数人の組織(評議会)との間の取引によって議会制度が形成されていくと説明する.統治者(王)は統治地域からの利益を確保し,統治地域の範囲を拡大するためには自分以外の主体が必要である.統治を分担する者には近親者が当初は求められるかもしれないが,近親者だけに限ってしまえば常に能力や資質が高い者を得られる保証はない.そこで近親者以外の能力の高いものを選抜して互いにチェックし合うように規律づけて組織を作らざるをえない.評議会はおおむね平等な複数人から構成され,重要な意思決定を投票によって行う.
 コングルトンは,この王と評議会の枠組み(king-and-council template)がさまざまな外生的な変化に対応する過程の中で,王の持つ統治権限が次第に議会に分与されていくものとして議会制度が立憲的な制度として確立していく過程を説明する.
 自分の統治が永続することを願う統治者(王)にとって,自分自身の統治に関わる欲求の変化のみならず,技術革新,生産力の上昇,自然環境,対外環境等の外生的な変化に応じて統治を持続していくために議会(評議会)が効果的に機能することが不可欠である.改革を行うとき,統治者が評議会からの収奪度を一方的に拡大するよりも評議会にとって利益となる方策を示す方が改革の実現度は高い.この立憲的な改革の中で,王の統治権限は次第に議会に分与され,議会は発議権(議題提示権),拒否権を持つようになる.王と評議会の枠組においては双方にとって利益を拡大する余地があることが改革の生じる原因であり,議会が発達していく根拠である.この制度変化の過程を立憲的交換(constitutional-exchange)と呼ぶ.
 立憲的交換の分析枠組みは参政権の拡大をも説明する(Congleton, 2011,邦訳第6 章~第8 章).19 世紀の西欧において農業を主体とする社会から工業主体への社会移行である産業化が生じる.産業化によって経済的利益を受ける層が拡大し,王族以外の商人,工業,建設業の事業者等が保有する資産の相対的な増加をもたらす.他方で王は他国と競争して軍備を拡張し宮殿を充実させようとして,課税対象となる階級層の拡大による増収を必要とする.産業化の受益層は政治的自由の拡大からも利益を得るから,自由主義思想を支持する.自由主義思想を標榜する政党の出現と政党間の競争の中で参政権拡大の要求は高まる.すでに統治権を王から分与されている議会の主要なメンバーは,参政権の拡大による既得権益の縮小に抵抗するかもしれないが,次第に王と議会との立憲的交換による参政権の拡大は実現していく.課税対象の拡大が王のもくろみであるとすれば,新たに参政権を得た層から選出される議会の新しいメンバーは既存メンバーに比べて相対的に所得階層が低いはずである.また主要な議題が産業化と課税に関わっているとすれば,争点は単一次元となり,多数決ルールに基づく議決はより低い所得階層に移った中位投票者の選好に基づくものとなる.こうした立憲的交換が繰り返されていくなかで参政権の拡大が実現していく.
(以下、本文つづく)
 
 
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