あとがきたちよみ
『侵食される民主主義(上・下)』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2022/2/8

 
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ラリー・ダイアモンド 著
市原麻衣子 監訳
『侵食される民主主義(上・下) 内部からの崩壊と専制国家の攻撃』

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日本語版への序文
 
 本書『侵食される民主主義(原書名はIll WInds)』の日本語版は、アジアと世界の民主主義にとって非常に重要な時期に出版されることになった。原書が二〇一九年に出版されて以来、世界の民主主義は急激に悪化し続けている。二〇二一年版の世界の自由度(Freedom in the World)報告書においてフリーダムハウスは、十五年間にわたる着実な民主主義の衰退傾向を記録しており、政治的権利や市民的自由またはその両方が減少している国の数は、それが増加している国の数をいずれの年も上回っていることを示している。私の計算では、二〇一九年は一九九二年以来初めて、人口百万人以上の国の過半数が民主主義国ではなかった年であった。また、世界の人口の過半数(約五二%)が非民主主義国に住んでいたのも、この年が一九九〇年代初頭以降初めてのことであった。インドは今でも選挙民主主義であると私は考えているが、同国で市民的自由、政治的対決のための空間、政治的競争の公正性が低下するペースは憂慮すべきものである。仮にインドが民主主義でなくなったとしたら(V-Dem 研究所は、インドがすでに民主主義でなくなったと考えている)、民主主義国に住む世界人口の割合は、約十七%減少し、全体の三分の一以下になると考えられる。
 一九八〇年以降、民主主義の崩壊率は十年ごとに上昇している。世界的な民主化の「第三の波」が勢いを増していた一九八〇年代には、当時存在していたすべての民主主義のうち、それが崩壊した国の割合はわずか六%であった。その後、一九九〇年代にはそれが十%、二〇〇〇年代には十一・五%、二〇一一年から二〇二〇年の十年間では十五・四%と着実に上昇している。他方で、民主主義への移行を果たした国の数は著しく減少している。別の場所で最近紹介したように、二〇〇九年以降に世界で起こった二十の主要な民主化運動は、チュニジアと最近のボリビア(問題を抱えたこの国では、選挙によって民主主義が回復した)を除いて、ほぼすべて失敗に終わっている。民主主義の崩壊が加速する一方で、民主主義への移行速度は劇的に低下しているのである。一九九〇年代には、専制国家の四三%が民主主義への移行を果たしていた。この割合は二〇〇〇年代には二十%に減少し、二〇一一年から二〇二〇年にかけては十七・三%になっている。この二つの傾向を並べてみると、世界的な民主主義の後退という厳しい実態がうかがえる。民主主義国数の変化率は、一九八〇年代(三四・五%増)と一九九〇年代(二七・三%増)には劇的にプラスであった。しかし、二〇〇〇年代に入るとその拡大は事実上とまり(一・三%増)、ここ十年間では第三の波が始まって以来初めてマイナスになった(二〇一一~二〇二〇年に六%減)。このような理由から、私たちが世界的に経験していることは、本書で私が言う「民主主義の不況(democratic recession)」ではなく、サミュエル・ハンティントンの言う「第三の揺り戻しの波(third reverse wave)」ではないかと指摘する研究者が増え始めている。
 過去二回の揺り戻しの波(一九二〇~三〇年代、および一九五〇年代後半~一九七〇年代半ば)が、世界の平和と人権にとって恐ろしい時代であったことを考えれば、現在の長引く民主主義の不況が本格的な「揺り戻しの波」になるのを防ぐことは、アメリカや日本を含む世界の自由民主主義諸国にとって最優先事項であるはずだ。それにはいくつかの理由がある。第一に、民主主義の後退は、きわめて広範な世界的現象である。世界のあらゆる地域、あらゆる種類の政治体制に影響を与えている。自由民主主義国では自由度が低下し、アメリカ、ポーランド、ハンガリー、イスラエル、そして(フリーダムハウスではなく、V-Dem 研究所の評価では)日本を含む多くの先進工業民主主義国において、チェック・アンド・バランス、司法の独立、メディアの自由、市民的自由が侵食されている。実際、本書で詳述するように、腐敗したポピュリストであるヴィクトル・オルバーン首相下のハンガリーは、民主主義国ではなくなって久しい。同時に、より多くの民主主義が崩壊しているのみならず、トルコ、フィリピン、バングラデシュなど、戦略的に重要な大国でも崩壊が起こっている。また、インドを筆頭に、ブラジル、メキシコ、インドネシア、ポーランドなど、新興市場の大国がますます非リベラルで権威主義的な方向に向かっている。さらに、ビルマやカンボジアのような競争的権威主義体制の国々は、残忍な独裁に向かって後退しており、他方で、ロシアや中国をはじめとする多くの強力な閉鎖的独裁国は、ますます抑圧的になっている。
 われわれは、相互のつながりがますます強まる世界に生きている。良い政治システムとは何かという問いは国境を越えて伝播し、ドイツ人が「時代の精神(ツァイガイスト)」と呼ぶものに集約されていく。二〇世紀の最後の四半期に起こったように、自由の風が吹くと自由な人々の安全性は高まり、民主主義を深め、改善し、高い水準の説明責任を求める社会的勢力を後押しする機運が高まる。これは、既存の民主主義国でも、新興の民主主義国でも同様に言えることである。権威主義の蝕まれた風が吹き荒れると、権利と説明責任をめぐる世界の全般的な環境が悪化し、本書で私が示したように、アメリカをはじめとするきわめてリベラルで安定していると思われていた民主主義国でさえ、ポピュリストや非リベラルな「時代の精神」の影響を受けやすくなる。何世紀にもわたって世界が自由な国と不自由な国に分かれてきたことを踏まえれば、世界のあらゆる場所で自由が不可分であるというのは言い過ぎかもしれないが、自由と民主主義の状況はどこでも重要なのである。
 三つの理由から、アメリカ、日本、オーストラリア、ヨーロッパの一般市民は、こうした暗い傾向を懸念すべきである。第一に、私が本書で説明しているように、世界における権威主義的な傾向は、ますます強力になる少数の権威主義国、とくにロシアと中国に後押しされ、操られている。これら二つの屈強な専制国家─一国はかつての全体主義的な超大国で、現在は大国として復活の途上にある国であり、もう一国は新技術を使って全体主義的な性質を取り戻そうとしている新進の超大国である─は、ヨーロッパやアメリカのみならず、日本、韓国、台湾、オーストラリアなど、すべての先進的な自由民主主義国の自由と安全に対する脅威を増大させている。ロシアと中国が大西洋とインド太平洋の自由を脅かすには、領土やシーレーンを占領する必要はない。彼らは急速に決意を強固にし、洗練されたやり方で「シャープパワー」を用いて先進民主主義国を含む世界中の社会に浸透し、プロパガンダを拡散し、社会を動揺させている。シャープパワーは、人を公に魅了し説得するソフトパワーと、軍事力や経済的強制力といったむき出しのハードパワーの間にあるグレーゾーンで行使される。オーストラリアのマルコム・ターンブル元首相が説明したように、これは「隠密的、強制的、または腐敗的」なパワーである。ソーシャルメディア上での操作や攻撃から、企業、大学、シンクタンク、華僑集団への圧力、合弁事業や研究協力を装った技術機密の窃盗まで、多岐にわたる方法で行使されている。
 どのような形であれ、中国とロシアによるシャープパワーの展開は、世界のパワーバランスを変えつつある。シャープパワーによって、中国の人民解放軍は驚異的なスピードで拡張しかつ近代化しており、国際法や国際法廷での判決にもかかわらず、南シナ海の事実上全域で主権をますます大胆に主張するようになっている。また、ロシアが二〇一六年のアメリカ大統領選挙をハッキングしたり、人種間の対立や陰謀論を煽っていることにも見られるように、シャープパワーは、しばしばソーシャルメディアを利用した直接的な介入によって、民主主義社会の分裂を操作している。これらの権威主義国は、古いメディア(紙媒体や放送媒体)や新しいメディア(デジタル媒体)を通じてシャープパワーを行使し、市民を民主主義国の同盟関係から遠ざけ、さらには民主主義が最良の政府形態であるという信念からも遠ざけようとしている。もはや民主主義の発展を阻止するだけでは飽き足らず、世界を専制主義にとって安全なものにしようとしている。そのために、高度な監視技術を世界中の専制的支配者に売り込んでいる。そして、国際秩序のルールを書き換え、人権やデジタル権に対する保護を世界的に後退させようと、国際的なフォーラムや制度への浸透を図っている。彼らのグローバルな規範をめぐる計画は、ますます明白かつ攻撃的になってきている。その背景には、一方では支配の正当性に対する永続的な不安があり、他方では多元主義、個人の尊厳とプライバシー、国民主権などのリベラルな価値に対する深い憎悪と疑念がある。こうして、自由の未来をめぐるグローバルな争いが加速している。そして国を問わず、すべての人間に影響を与えている。
 第二に、戦いはシャープパワーからハードパワーへとますますエスカレートしている。二〇〇八年以降、ロシアは軍事力を用いて、ソビエト連邦崩壊後で最も民主的な隣国であるジョージアとウクライナを威嚇し、領土を奪取してきた。ウクライナの一部(クリミア)を飲み込み、その東部国境地域を血みどろにして不安定にしたウラジーミル・プーチンのロシアは、(この文章を書いている現時点で)再びウクライナの国境に軍事力を集結させている。その目的は、ウクライナに西側民主主義諸国との提携模索をやめさせることにある。同時にロシアは、北大西洋条約機構(NATO)同盟を分断し、バルト三国(および場合によってはポーランドも)に自分たちの脆弱性を思い知らせるために、軍事的な挑発行為を行っている。
 しかし、第三に、世界の民主主義に対する最大の、そして現在おそらく最も差し迫った軍事的脅威は、ヨーロッパでも旧ソビエト地域でもなく、東アジアにある。一九九六年に台湾が民主主義への移行を完了して以来、中国は、台湾における人民主権が、台湾市民の多くが心の底から望んでいるよう共和国の自由を転覆させた者の大多数は、新たな経歴の開始当初から民衆にへつらった。(以下、日本語版への序文・本文つづく。注は割愛しました)
 
 
僭主政の終わりは、デマゴーグの始まりとなったのである。
─アレクサンダー・ハミルトン(一七八七年)
 
世界の長い歴史の中で、最も深刻な危機に直面した際に自由を守る役割を果たしたのは、ほんの数世代である。私はこの責任から逃げない。むしろ、歓迎する。
─ジョン・F・ケネディ(一九六一年)
 
自由への希求はあらゆる人間の胸に刻み込まれているかもしれない。しかし現状肯定、混乱、臆病の可能性もまた、刻み込まれている。
─マデレーン・オルブライト(二〇一八年)
 
 
監訳者解説・あとがき
 
ミスター・デモクラシー
 初めて会ったその瞬間から、物凄い熱量を感じた。ラリー・ダイアモンドに私が初めて会ったのは、二〇一八年にセネガルで開催された世界民主主義運動(World Movement for Democracy)の年次会議の際だった。クレプトクラシーのセッションに参加していたダイアモンドは、クレプトクラシーがいかに民主主義を後退させているかを論じていた。彼は顔を紅潮させ、机を叩き、国際社会が早急にこの問題に対処しなければならないと説いていた。「ミスター・デモクラシー」と呼ばれる所以を強く感じた。
 民主主義研究をしている人で、ダイアモンドを知らない人はいない。ダイアモンドはこの分野で、研究内容を少しずつ変化させながら、質の高い研究を量産し続けてきた。初期にはナイジェリアの第一共和政に焦点を当てた『ナイジェリアの階級・民族・民主主義(Class, Ethnicity and Democracy in Nigeria)』(一九八八年)を出版し、その後民主主義の定着・促進・発展に関する研究にシフトして『一九九〇年代における民主主義の促進(Promoting Democracy in the 1990s)』(一九九五年)や『民主主義の発展(Developing Democracy)』(一九九九年)を出版している。二〇〇〇年代初頭にはイラク連合国暫定当局の統治担当上級顧問として活動した経験をまとめ、サダム・フセイン政権崩壊後のイラクにおけるアメリカの民主主義体制構築の取り組みを批判的に分析した『無駄になった勝利(Squandered Victory)』(二〇〇五年)を出版。その後は民主主義の後退現象に焦点を当て、『民主主義の精神(The Spirit of Democracy)』(二〇〇八年)と『民主主義を求めて(In Search of Democracy)』(二〇一五年)を経て、本書の原著(原書名はIll Winds : Saving Democracy from Russian Rage, Chinese Ambition, and American Complacency)が二〇一九年に出版されている。それ以外にも、共編著だけでも五十冊を出版しており、論文や各種論考に至っては数えきれない。そして「民主主義なき選挙─ハイブリッド・レジームを考える(Elections Without Democracy : Thinking About Hybrid Regimes)」(二〇〇二年)や「民主主義の不況に立ち向かう(Facing Up to the Democratic Recession)」(二〇一五年)など、ジャーナル・オブ・デモクラシー(Journal of Democracy)誌から発表された優れた論文の数々は、その時代における民主主義理解を形成してきた。
 ミスター・デモクラシーの異名にもかかわらず、今日に至るまでの研究において、民主主義が抱える問題に焦点を当てることが多かったことは皮肉である。民主主義を信じ、比類ないほどに世界各国の政治体制を研究してきたからこそ、彼には民主主義のほころびが見えたのである。二〇〇〇年代はじめ、旧共産圏の民主化による民主化の「第三の波」の継続とさらなる拡大に世界が沸いていた頃にはすでに、民主主義国の増加に比べて自由の拡大が小さいことを指摘し、非リベラルな民主主義の台頭という現実を明るみに出していた。二〇〇〇年代後半には、市民的自由や政治的権利を深化させる国の増加率そのものが低下していると指摘し、過去十年ほどは民主主義が「不況(recession)」に陥っていると警鐘を鳴らしてきた。
 民主主義の不況は、その後も新型コロナウイルスによるパンデミックを通じてさらに加速している。コロナ対策を口実としてハンガリーやマレーシアは議会を停止させ、フィリピンやインドはロックダウン違反者を見せしめにするような人権侵害を行った。エジプトやブラジルはフェイクニュースを禁止する措置を講じて政府のコロナ対策に批判的なメディアを取り締まり、エチオピアやミャンマーはコロナ関連情報の入手に不可欠であるはずのインターネットアクセスを遮断した。コロナによる民主主義状況のさらなる悪化を受けて、本書冒頭の日本語版への序文においてダイアモンドは、民主主義は単なる一時的な「不況」ではなく「揺り戻しの波(reverse wave)」に突入してしまったのかもしれないと記している。この言葉に、彼が持つ現状への深刻な危機感が現れている。民主主義の規範と制度は、衰退局面に入ってしまった可能性があるというのである。国際秩序は、深刻な変節点にある。
 
国内外を包括的に捉える研究の先駆けとしての本書
 民主主義国内におけるポピュリズムの拡大に端を発する民主主義の弱体化については、多くの研究者が警鐘を鳴らしてきている。日本でもスティーヴン・レビツキーとダニエル・ジブラットの『民主主義の死に方』(新潮社、二〇一八年)や、ヤシャ・モンクの『民主主義を救え!』(岩波書店、二〇一九年)など、民主主義の後退に関する著名な書籍の翻訳が次々に出版されている。日本人研究者からも、川中豪編著『後退する民主主義、強化される権威主義』(ミネルヴァ書房、二〇一八年)や納家政嗣・上智大学国際関係研究所編『自由主義的国際秩序は崩壊するのか』(勁草書房、二〇二一年)などが次々と出版され、問題関心が共有されている。
 こうした書籍の重要性が高いことは間違いない。他方で、中国、ロシア、イラン、サウジアラビア、ベネズエラなど、民主主義の侵食を企図して活動する権威主義国も近年増加し、その活動は影響力を増している。権威主義国のこうした影響力工作についても徐々に研究が行われており、日本でもクライブ・ハミルトンの『目に見えぬ侵略』(飛鳥新社、二〇二〇年)、クライブ・ハミルトン、マレイケ・オールバーグ『見えない手』(飛鳥新社、二〇二〇年)、川上桃子・呉介民編『中国ファクターの政治社会学』(白水社、二〇二一年)、小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房、二〇二一年)などが出版されてきている。ただし、権威主義国による影響力工作が民主主義に与える影響は、それだけで民主主義を瓦解させるものにはならない。国内での民主主義弱体化があるからこそインパクトが拡大するのであり、国内と国外の問題を一体的に論じる必要がある。
 その点本書は、国内要因の分析を踏まえた上で、国外からの影響力工作や国境を越えるクレプトクラシーをも包含した議論を行っており、民主主義研究の中でもとくに包括的な議論を展開するものとなっている。権威主義国が行う影響力工作に関する研究分野でも第一人者であるダイアモンドだからこそ取ることのできるアプローチである。本書の原著出版とほぼ同時期には、『中国の影響とアメリカの利益(China’s Influence and American Interests)』(二〇一九年)も共著で出版している。
 ただし中ロの影響力工作を研究しているからといって、ダイアモンドの研究姿勢は反中・反ロに突き動かされているわけではない。リベラル民主主義の価値と制度に損傷を生じさせる原因を分析する中で、中国やロシアなどの権威主義国による影響力工作やクレプトクラシーの問題に辿り着いたのである。ダイアモンドが本書でアメリカの民主主義に見られる問題を何より批判的分析の対象としていることに、その姿勢が表れている。国家間におけるイデオロギー対立のツールとして民主主義を利用しようという姿勢は、ダイアモンドにはない。
 ポピュリズムが拡大する現在の国際社会にとって必要なのは、このような包括的なアプローチである。ポピュリズムはさまざまな形態を取り得るが、ナショナリズムを利用した排外主義や一国主義的な動きとなることが多い。そしてポピュリスト勢力にとっては、中国やロシアの影響力工作やクレプトクラシーに関する研究は、敵視するこれら対外アクターの問題行動を明るみに出し、国内のナショナリズムをさらに強化する上で利用可能な材料となりうる。
 この最大の実例は、トランプ大統領であったと言えるだろう。当初は中国政府によるウイグル族への監視を称賛することさえあったトランプが、中国の監視技術利用や他国への政治介入などを批判し対中強硬的な姿勢に転じるようになったことに、恣意的な対中政策の利用が見てとれる。(以下、監訳者解説・あとがき本文つづく)
 
 
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