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『ヒューマンサービスとコミュニティ』

 
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秋山美紀・宮垣 元 編著
『ヒューマンサービスとコミュニティ 支え合う社会の構想』

「はじめに」「第1 章 ヒューマンサービスへのコミュニティ・アプローチ〜射程とフレームワーク」「おわりに」(pdfファイルへのリンク)〉
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はじめに
 
 ヒューマンサービスの諸課題をコミュニティの取り組みによって解決しようとするアプローチがある.「ヒューマンサービスとコミュニティ」という主題を掲げた本書の関心は,こうしたアプローチを志向するさまざまな取り組みから,その意義や課題について共通認識を得たいという点にある.
 ほぼカタカナ語で表現されているこの主題は,必ずしも目新しいものではない.私たちの社会では,子育てや教育,高齢者や障害者のくらし,病や就労など,人の心身や将来に直接関わる課題や困難を,地域社会のなかで他者とともに分かち合ってきた.こうしたことは,かつては本来的にコミュニティに備わっていた力であるともいえる.
 その一方において,課題を抱える当事者を,私たちとは異質な存在として排除することもなされる.〈わたしたち〉を強調することは,その向こうに〈あなたがた〉を同時に生み出すからである.こうして,コミュニティは包摂もするし,排除もする.とくに,戦後の日本社会においてはこうしたコミュニティの排除的な側面への忌避感があったと思われるが,いつの間にか,再びコミュニティを希求する時代になってきている.
 たとえば,共生社会の理念のもと,高齢者や障害者を包摂しながら地域コミュニティで支えるしくみである地域包括ケアの整備は,各基礎自治体が保健・医療・福祉の分野を超えて重点的に取り組む急務の課題となっている.地域コミュニティを含む重層的な支援体制を構築する必要性が高まっているからにほかならない.教育分野でも,コミュニティ・スクールのように学校運営に多様な地域住民の関わりが求められる時代となり,地域や学域の連携が一段と進んでいる.家族のあり方やライフスタイルの変容も背景に,子育てにおいても第三者が関わる社会的な育児の必要性がより強く求められ,子どもたちと社会をつなぐ居場所などの取り組みも急速に増えている.また,うつ病など精神疾患が増加するなか,職場や学校におけるメンバーの相互承認や相互理解の場づくりが,メンタルヘルスの分野においても重要であることが広く認識されている.住まいやキャリアといった一見個人的な問題とされることでも,その新しいあり方を他者とともに模索する動きがある.このように,医療,福祉,教育,子育て分野をはじめ,さまざまな境遇にある人びとの課題を共有し,支え合うしくみが求められ,実践される時代となっている.
 これらに共通するのは,各分野の専門家がその「専門性」から個別課題にアプローチする発想とは別に,当事者を中心に据え,多様な立場の人びとがその課題を共有するプロセスを通じて互いに支え,困難を克服していこうとするアプローチである.もちろん,これは既存の施策や民間サービスに“ 取って代わる” ものではないだろう.しかし,前述のような取り組みは,これまでの発想や枠組みでもまた限界があることを端的に示しているのではないだろうか.広く「ヒューマンサービス」全般においてコミュニティ的アプローチへの関心と必要性の高まりがあることは,ヒューマンサービスのさまざまな領域で「コミュニティ」が共通のキーワードとなっていることからも明らかである.私たちは,低成長時代における社会のセーフティネットとして,そして排除の構造を再び生み出さないように注意しながら,どのようにコミュニティを活かすしくみを構想するかという課題に直面しているともいえるだろう.
 今日,こうした認識は広く受け入れられるものだと思われるが,しかし,多様に展開している取り組みをヒューマンサービス全般に広く共通するものとして捉え,さまざまな実践が参照するフレームワークや方法論をともに考えることは十分に行われているわけではない.もちろん,各領域には個々の研究蓄積があり,また多くの実践事例も存在する.ここで必要なことは,それぞれの領域で模索されている取り組みが,実は共通する問題意識やアプローチを志向しているということを分野を越えて共有し,相互参照できるようなより広いテーマ設定と体系化にあるのだと考えられる.
 そして,世界で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症は,こうした流れにより本質的な課題を突きつけることとなった.いわゆる「三密」を避けねばならない感染症対策は,一方において人の健康や生命を守るためでありながら,他方において,人びとの孤立を生み,もっとも支援が必要な人の存在や課題を見えにくくさせている.こうした状況下にこそ,人びとのくらしを守り,あるいは地域を活性化させるための取り組みが必要となるが,従来どおりに進めることが困難な状況となった.かくして,人との接触を増やすベクトルと避けるベクトルとの間で,新しいアプローチが求められることになる.従来の発想とは異なる,新しい生活様式や価値観に適用できる視座が求められる時代に入ったのである.
 本書は,こうした現状認識と必要性を前提に,ヒューマンサービスとコミュニティのさまざまな結びつきを多角的に論じ,その意義や重要性,課題などについて論点を浮かび上がらせたいと思う.そのことを通じて,この主題のもつ可能性について提示していきたい.
 まず第1 章と第2 章では,本書全体のフレームワークと方法論的特徴について論じられる.第1 章では,ヒューマンサービスとコミュニティというテーマの背景と,2 つの概念の捉え方について整理を行い,本書の射程を確認する.ここでは,ヒューマンサービスという語の含意を検討し,それがなぜコミュニティを要請するのかについて述べられる.第2 章では,実際にどのようにアプローチしていくのかという観点から,私たち自身のこのテーマへの向き合い方が論じられる.政策を含む実践と研究の関係,個別分野とその統合,専門性とその間のインタラクションなどが,越境性をキーワードに提示されることになる.
 続く7 つの章では,地域の居場所からグローバルヘルスに至る広範なテーマが取り上げられ,歴史分析や社会調査,プログラム開発,そして当事者の取り組みといった多様な立場,視点,方法から検討がなされる.第3 章では,コロナ禍の影響が直撃した地域の居場所をいかに継続できるかという問題について,「場」を実現するためのオンライン化の可能性と課題が見出される.第4 章では,世紀転換期のドイツの社会保険とホームケアを振り返ることで,地域社会による家族支援の可能性を再検討する.ここにおいて,この主題を考える際の「いま・ここ」(現代・日本)という私たちの暗黙の前提が相対化されるだろう.第5 章は,働くこととメンタルヘルスの問題を,職場のみならず地域全体の枠組みから捉え,ワーク・エンゲイジメントというより広い視野からのプログラム開発が紹介される.やはり,働く=職場という捉え方の相対化がなされている.第6 章と第7 章はともにスポーツとの関連でコミュニティが捉えられており,前者では,トップアスリート,とりわけ女性アスリートとコミュニティとの相互作用が双方にもたらす影響が示され,後者では,地域スポーツが障害者を含む多様な人びとを包摂するプラットフォームとなる可能性に言及されている.ともに,スポーツがコミュニティに「開かれる」ことのもつ可能性だといえるだろう.そして,第8 章と第9 章は研究者であるとともに実践者であるという立場から,自身が取り組んだ経験がもつ意味について省察される.前者は,筆者が設立した保育園が,コロナ禍に伴うオンライン化により関係性が園外へと開かれていくプロセスの記録である.後者では,ニジェールで展開された協働の実態が紹介され,筆者が取り組んだ実践活動がコロナ禍に影響を受けつつ直面した困難や課題を振り返り,そこからの気づきが提示される.ここでは,研究者もまたコミュニティの一部であることに気づかされるだろう.
 そして本書の主題に具体的な実感を与え,ヒューマンサービスとコミュニティというテーマの広がりを伝えるのが16 のコラムである.これらのコラムでは,本書の考え方を前提にしながら,さまざまな具体的事象,政策,実践事例,調査結果などが概説される.ヒューマンサービスとコミュニティを考えるうえで重要となる概念や政策動向,子育て,教育,高齢者ケア,障害,キャリア,防災などといった諸分野におけるさまざまな主体との関わり方やIT などを用いた課題の乗り越え方,さらにはコミュニティという視点があるからこそ見出せる新しいテーマ群など,実践から理論まで,さまざまな重要トピックが扱われている.あわせて,17 番目のコラムとして,さらにこのテーマを深めていくためにおすすめしたい文献案内を付した.
 いずれの章・コラムでも,概念的で一見捉えどころのないヒューマンサービスにおけるコミュニティの意義や効果について,どのような切り口から迫ることでそれが見出せるのかということを念頭に置きつつ,理念をどのように実現するかという問題意識から論じられている.具体的な取り組みのなかにある困難や過程を見出すこと,それに対して試行錯誤される工夫は,ヒューマンサービス全体にとって相互参照すべきことに違いない.
 本書のねらいは,それぞれ異なる文脈をもつ分野,立場,方法によるさまざまなテーマを,広く「ヒューマンサービスとコミュニティ」という主題のもとに位置づけることで,支え合う社会を構想するための対話の場とすることである.この試みを契機に,異なるテーマの背後にある共通の理念を改めて問い直し,一層豊かな対話が生まれてくることを願ってやまない.
 
2021 年11 月
秋山美紀・宮垣 元
 
 
第1 章 ヒューマンサービスへのコミュニティ・アプローチ〜射程とフレームワーク
 
宮垣 元
 
1.ヒューマンサービスとコミュニティの時代
1.1 コミュニティを指向するヒューマンサービス
 私たちの社会では,どの国,どの時代にあっても,人が人に寄り添い,支えることが当たり前になされてきた.たとえば,家族や親族のなかで,地域や職域のなかで,あるいは専門職として,自分以外の他者の心身や将来に関わり,支え,ともに状況を改善し,道を切り開いている.本書では,このように他者が「人の心身や将来に直接的に関わる対人サービス」全般をヒューマンサービスと捉えようと考えている.後述するように,さまざまな理念や含意のある用語だが,ここでは広く対人サービスを総称する概念として捉えることにしよう.
 このヒューマンサービスにはさまざまな分野が含まれるが,それぞれの実践や政策の場,研究主題に共通して登場する概念に「コミュニティ」がある.また,つながりやネットワーク,連携や協働という語も頻繁に登場しているが,いずれも,分かち合い,支え合う,という含意がある.高齢者ケアの分野では地域包括ケアシステムが,学校教育の分野では地域連携教育が進められている.子育ての分野では,地域内の支援活動やネット上の子育てコミュニティが大きな支えとなっている場合も多い.障害者福祉の分野においては,社会参加の機会や社会全体の理解を深める点で,地域コミュニティとの関わりが重要だといわれて久しい.また,いまこの瞬間も,シェアハウスやグループリビングでは,お互いの暮らしをまさに分かち合いながらの生活があり,グローバルヘルスの現場では,さまざまな国からの活動が地域で協働している.防災分野では,その取り組みの場としても,被災後のリカバリーにおいても,命や将来を守るために地域の人びとの関係性は決定的に重要であるに違いない.
 コミュニティという語からすぐに想起されるであろう「地域」社会自体のあり方もまた,リスク社会に生きる私たちにとって重要なテーマとなっている.大都市か中山間地域かにかかわらず,地域活性化やまちづくりを担う推進主体や,人びとが参加し交流する場が必要とされている.また,こうした主体や場への参加を通じて,高齢者ケアや子育て,教育などの諸課題に対応することも期待されており,その意味で,地域づくりとヒューマンサービスへの対応は表裏一体の関係にある.私たちの暮らしを少し見渡せば,こうして関連する言説や施策,取り組みがいかに多いかということに気づくのではないだろうか.このように,広くヒューマンサービスという捉え方をしたとき,それぞれの分野の実践の場や資源,関わり方や方法論として,シンボリックな意味でコミュニティが大きな役割を果たすという基本認識が共通して浮かび上がる.結論を先取りすれば,多様な主体が関わるなか,支援する/されるという関係を超えて,互いの生と課題を分かち合う社会の構想だともいえるだろう.
 全体のイントロダクションとなる本章では,この「支え合う関係をどのように構想するのか」という共通課題の背景を概観しよう.そのうえで,ヒューマンサービスという捉え方の含意と,コミュニティという概念について考えよう.これらを通じて,「ヒューマンサービスとコミュニティ」というテーマの意義や可能性を提示し,このパースペクティブの輪郭を浮き彫りにしていきたい.
 
1.2 「支え合う社会」を求める背景
 古くからなされてきた「支え合う関係」が今日注目される理由のひとつに,それが政策的な課題となってきている点があげられるだろう.その背景には,ニーズの多様化が進む一方での行財政の機能縮小や,専門職に期待される役割の拡大とその限界性があり,このジレンマは一層切実な問題となってきている.増大する社会保障費の問題をあげるまでもなく,あらゆるヒューマンサービスの分野に見られる構造で,ここに担い手確保の観点からヒューマンサービスとコミュニティが接続する契機があるともいえる.しかし,より重要なことは,単に代替的なマンパワーとしてではなく,課題を抱える人びとをさまざまな連携のなかで支えるしくみ,コミュニティに関わる人びとの支え合う関係をどう構想するかという点にある.それは,既存のシステムの限界性や,人口減少社会や定常型社会(広井 2001)といった社会構造トレンドと深く関連している.
 経済学的な理解に基づけば,医療や福祉,教育のように,多くのヒューマンサービスは外部効果や公共財的性質(準公共財)をもつとされる.一般に,公共財の供給については市場が十全に機能しないことが指摘され,ここに政府の果たすべき役割が生じる.しかし実際には,政府(公的サービス)だけでも市場(民間サービス)だけでも対応が難しい場合が少なくない.たとえば,世界的なソーシャルセクターの台頭などは,こうした2 つのシステムの限界性への対応の必要性を象徴的に示しているともいえるだろう(宮垣編著 2020).
 公的サービスの場合を考えると,政府は限られた財源のなかで,できるだけ多くのニーズにかつ平等に対応する必要がある.このことはサービスの平準化を招くが,実際のヒューマンサービスの課題やニーズは多様化の傾向にある.他方において,生産年齢人口の減少や経済成長の鈍化などを背景に財政的制約はますます厳しくなっており,これにすべて応えることはそう容易ではない.
 市場を介した供給である民間サービスの場合,個々のニーズに対応できるという強みがある一方で,それは企業の利潤最大化(最大化原理)に叶う必要があり,いわゆるクリームスキミングなどの可能性も排除できない.また,情報の非対称性を利用した機会主義的な行動を利用者が忌避することも考えられ,ニーズはあれども利用しない(契約の失敗)という問題もある.こうした市場の限界性は,ヒューマンサービスにとってとくに深刻となるだろう.
 だからといって,伝統的な家族制度に戻ることも旧来の近隣関係に期待することも難しい.本来これらが有してきた機能が「外部化」(広井 2000,宮垣2003)されてきたのが近代化だからであり,ある意味で私たち自身がそれを選択してきたのである.現実に,共働きやひとり親世帯など,家族の多様化が当たり前の社会においてその負担を増やすことはできないし,地縁団体のひとつである町内会・自治会の参加率はとりわけ都市部で低く,高齢化している.
 高まるヒューマンサービスの諸課題に対して,理論的にも財政的にも,また社会構造的にも,十分対処できない社会のなかに私たちはいる.既存のシステムだけに頼るわけにいかず,かといって昔に戻ることもできない.こうした不完全な世界で,ともによりよき生を実現したいという切実なニーズの向かう先に,「新しいコミュニティ」への関心の高まりがあるように思われる.
 
1.3 閉塞感のなかの新たな展開
 本書が関心を寄せるのは,たとえこうした困難ななかにおいても,豊かな発想でヒューマンサービスとコミュニティのつながりを構想しようとする模索そのものにある.各分野の政策はその現れであるし,実践のレベルでは“大きな意思決定”を待つまでもなく,これまでもさまざまな活動がなされてきた.
 国の政策について見てみよう.たとえば,高齢者ケアの分野では,医療や介護,住まいなどのサービスを地域で一体的に提供することを目指す地域包括ケアシステムが2025 年を目途に推進されており,専門的なサービスを前提としつつも,同時に地域住民の互恵的な関係の必要性が強調されている.自分らしい暮らしを人生の最期まで地域で続けるためのしくみづくりであるとともに,そこに高齢者自身もボランティアとして参画すること自体が社会参加機会となるという点で,生きがいや介護予防につながることも期待されている.
 教育分野では,学校運営に地域住民やさまざまな地域の主体が参画するコミュニティ・スクールが推進され,地域のなかで取り組む課題解決型学習や地域住民による学習支援などの地域連携教育(地域学校協働活動)が行われるようになっている.コミュニティや地域がキーワードとなっているように,生徒・学生と教員のみの空間である学校や施設のみならず,地域社会全体で子どもの学びや育ちを支えていくことが重要だとの考えが背景にある.幅広い地域主体の参画とネットワーク形成を推進する地域学校協働本部は,2020 年度には1万を超え,公立の小中,義務教育学校の60% をカバーするに至っている.子育て分野では,子育て親子の交流や地域の子育て情報に触れる場となる地域子育て支援拠点は7,500 ヶ所を超えている.主に民間が先導する子ども食堂の数も2020 年には5,000 ヶ所に迫り,近年急増している.
 そしてこれらの現場では,専門職だけではなく,地域からのさまざまな主体の参加が不可欠である.たとえば,2021 年3 月末までにNPO 法人は5 万を超えるに至った.このうちの6 割程度は保健医療福祉分野を活動目的のひとつとしており,社会教育や子どもの健全育成,まちづくりなどを目的とする団体も相対的に多い.その後の公益法人制度改革で急増した一般社団法人のなかにも,地域で活動を行うところは少なくない.また,主に地域での活動が多いと考えられる社会福祉協議会が把握するボランティア団体数は約17 万,ボランティア数としては770 万人超ともいわれる.ボランティアやNPO は相対的に高齢層の参加が多いとされるが,このことは逆に高齢者の社会参加の可能性を示している(宮垣 2020).
 しかも,こうした政策の取り組みも,あるいはNPO もボランティアの活動も,個々無関係になされているわけではない.これらがさまざまな地域団体や民間団体,行政や企業といった主体の関わりのなかで展開されている点が重要である.とくに昨今の状況を見渡すと,地域に関わる主体による協議会型の自治組織や協働型の組織も提案されている.さらに,クラウドファンディングやSNS を通じた関わりも増えるなど,多様な人や組織の関係のなかでこれらが展開されている.こうした歴史的経緯については第3 節で改めてみよう.
 
2.ヒューマンサービスの捉え方
2.1 なぜヒューマンサービスか
 そもそも,ヒューマンサービスにとってなぜコミュニティが重要なのだろうか.それには,「ヒューマンサービス」の捉え方や特性について改めて考えておく必要がある.まず,冒頭で述べた「人の心身や将来に直接的に関わる対人サービス」の総称とした際に想起されるのは,保健医療福祉の分野,子育てや教育の分野だろうか.もちろんこのなかには多種多様な専門分野と専門職があり,またそれぞれの課題やニーズがある.これらのニーズ全体の増大を反映するように,産業としても急速に拡大しており,さまざまな市場推計がなされている.一例ではあるが,公的保険外サービスのヘルスケア産業の市場規模は,2025 年に約33 兆円になるという推計もある.また,労働力調査から産業別に就業者数の推移を見ても,医療・福祉は579 万人(2007 年)から862 万人(2020 年)に,教育・教育支援業も279 万人(2007 年)から339 万人(2020 年)8 第1 章 ヒューマンサービスへのコミュニティ・アプローチへと一貫して増加している(地域活動やボランティアとして関わる人などはこれに含まれていない).以上は一例に過ぎないが,積算された規模と推移から見ても,現代社会が「ヒューマンサービスの時代」にあるということをさまざまなデータが示している.
 しかし,ここで考えたいのは,「ヒューマンサービス」として捉える意味の方にある.それには,市場や産業の分類,公的な制度・政策,学術分野ごとに分化した個々の枠組みではなく,それらに共通する,人の課題をどう理解し,心身や将来にどのように関わり合うかという視点が含まれている.
 そもそもヒューマンサービス(Human Services)の語は,保健福祉全般から対人社会サービスや対人援助までを含み,今日では多義的に用いられている.米国では,1960 年代以降に広がった脱施設化の運動,人材の不足などといった社会状況などを背景に,人間のニーズを充足し,生活の質を向上させる諸サービスの統合という理念を推進する運動的側面があった.そこでは,ソーシャルワークや精神保健などの専門性を学際的に結びつけるジェネラリスト的専門職の育成(独自の資格や教育プログラムなど)が重視されてきた(Eriksen1977=1982, 高田 1983, Harris, Maloney and Rother 2003 など).
 他方,米国の歴史とは異なる文脈をもつ日本においてこの語が用いられるとすれば,こうした流れにも一部影響を受けつつも,今日ではその理念とは別により広義に用いられることが多いように思われる.たとえば,田尾雅夫は「対人的に提供されるサービスで(中略)医療や保健,福祉,さらには教育などのサービス」(田尾 2001)を包括的に捉える概念としている.保健福祉分野に限定した場合,阿部志郎は,より実践レベルの統合を志向して「保健・医療・福祉が,人間の直面する問題に全人的に対応し,(中略)専門職間の調整を図り,包括的共同目標に向けて連携と互換性を深め,(中略)利用者主体のサービスに統合」(阿部編 2006)するものだとしている.
 また,関連する用語に「ケア」(care)がある.ケアマネジメントなどの固有名詞から世話や配慮といった他者を気遣う人間の倫理まで,さまざまなレベルで用いられる.1990 年代頃からは,医療モデルに基づく「キュア」(cure)から生活の質の向上を目指す「ケア」へのパラダイム転換が唱えられ,今日ではそれが一般化している.ケアされる側への支援という側面だけでなく,それがケアする側の充足や成長という側面がある点が重要で,それは本来的に人間の社会に備わっていたとの見方(広井 2000)や,それこそがコロナ禍における利他性の本質とする考え方(伊藤編 2021)もある.前述したように,こうした行為は外部化され,今日では社会的に目的化・組織化された行為(政策や事業,活動)となっている.ヒューマンサービスとは,このケア的行為が社会的に活動化された次元を指すという捉え方も可能であろう.
 個別の政策分野や実践領域があるなかで,あえて「ヒューマンサービス」の語を用いるのにはいくつかの理由や理念が考えられるだろう.第1 に,理論的もしくは政策的な利点である.いうまでもなく,医療や福祉,教育などの諸分野においては専門的な見地から各々の知見が蓄積されている.一方で,直接的に人の心身や将来に関わるという点で関係や構造に類似点も多くあり,そのなかには相互に参照すべき知見も少なくない.とりわけ,各分野の境界に近いテーマほどその意義は増すだろう.第2 章でも述べられるように,各専門に閉じず,分野を越境しつつオープンに議論なされることが必要となってきている.
 第2 に,実務家や現場で実践する人びとにとっての必要性もある.課題の背景が複雑化した現代社会において,実際の現場ではさまざまな分野間の協働が求められ,現にそのような場面も多く見られる.高齢者ケアは保健医療と福祉の問題に,子育ては教育や家族の問題とそれぞれつながっている.こうした状況下においては,連携し,ともに向き合うための視野の広がりが必要だろう.また現実的な問題として,コミュニティの形成という同じような取り組みを,分野ごとに推進するのは人的にも財政的にも限界があるし,個別分野ごとにコミュニティを構想するという発想自体,ある意味で矛盾している.
 第3 に,そしてもっとも重要な点として,当事者にとっての意味があるだろう.そもそも,人は課題ごとに分節化された存在ではない.医療や福祉,教育などにおいて,専門職的見地からは個々の必要(治療し介護し教えること)に対処することだが,当事者の側からするとこれらは個々人のおかれた事情や生活と不可分である.福祉でも教育でも,貧困や差別などの問題を避けて通ることはできない.ヒューマンサービスという枠組みを採用することは,提供側の専門分野を起点に課題にアプローチするのではなく,当事者を中心に据える関わり方へのパースペクティブの転換を意味する.
 
 
おわりに
 
 人生というライフコースにおいて,私たちは折に触れて,いろいろな困難に直面する.一見まったく異なる分野の課題のように見えていたことも,「わたし」という当事者を中心に据えると,すべてがつながっていることに気づく.子育てや介護の負担を軽減するような家事援助,心地よく働ける職場,安心できる学び場や遊び場,災害から命を守る取り組み,どんなときも包摂してくれる場,活気ある地域づくり…….「わたし」が健やかで幸せに生きていくために「こうあったらいいな」と思うさまざまなサービスや環境は,縦割りで硬直的になりがちな行政や専門家だけにまかせていては手に入らないだろう.「わたし」や「あなた」や「あの人」が,ともに考え,議論をし,創意工夫をすることで,もっと柔軟で包括的な,分かち合いの関係性を築くことができるに違いない.
 本書では,背景や専門性がまったく異なる筆者たちが,そんな考えをゆるやかに共有しながら,それぞれが取り組んできた実践や研究を紹介してきた.本書の根底に流れる考え方やアプローチ(第1 章と第2 章)を踏まえ,以降の各章と数々のコラムでは,さまざまなイシューに挑んでいる筆者たちが,リアルな試行錯誤や実践,思考の過程を共有した.
 第1 章でも述べたとおり,本書では「人の心身や将来に直接的に関わる対人サービス」全般をヒューマンサービスと捉えたが,その幅広さゆえに,当然ながらすべての分野や対象を網羅できたわけではない.たとえば「スポーツ」というキーワードひとつをとっても,本書ではトップアスリートとコミュニティの関わり(第6 章)や,障害者のスポーツ参加(第7 章)のように,各筆者の問題意識を切り口に,かなり焦点を絞った内容になっている.また,国外のヒューマンサービスとコミュニティについては,第9 章でニジェールという一国における取り組みを紹介するにとどまった.さらに,ちょうど執筆を始めようという頃に,新型コロナウイルスの感染拡大が始まり,新たなチャレンジに立ち向かう様子を,現在進行形で赤裸々に綴ることになった筆者もいた.
 このように各章やコラムの多くは選択的な事例ではある.しかし,これら全体を通して,ヒューマンサービスの課題解決へのアプローチの方向性,コミュニティが果たす役割や可能性に関して,そこに通底する重要な知見を導き出せたのではないかと考えている.筆者たちの取り組みはこれで終わったわけではないが,ここまでの研究と活動実践のなかに,読者の皆さんの現場での実践に何かしらの示唆があれば幸いである.
 
 本書自体もまた,ひとつのコミュニティが作り上げたものである.「おわりに」では,そのコミュニティについて少しだけ紹介したい.2018 年,慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに居合わせた私たちは,異なる背景や専門性をもちながらも,「コミュニティ」「ヒューマンサービス」というキーワードで結びつき,大学院生のためのアカデミックプロジェクト「ヒューマンサービスとコミュニティ」を立ち上げた.アカデミックプロジェクト(以下AP)とは,その前年に慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科のカリキュラム見直しに伴い新制度として設置されたもので,複数の教員チームが指導体制を構成し,グローバルやローカルな課題(イシュー)に関する研究・教育活動を推進すること目的とした枠組みである.専門性による縦割りを廃し,国内外のフィールドワークやインターンシップを奨励しながら,実際に課題に直面する地域や組織,他の研究機関等とも連携して研究活動を推進しようというのが,AP 制度の主旨である.
 私たちのAP「ヒューマンサービスとコミュニティ」は,ヒューマンサービス分野におけるコミュニティ・ソリューションの意義,可能性,課題を関心の中心に据え,新たな学際的な研究・教育領域の確立を目指している.ヒューマンサービス分野に共通するコミュニティ型の課題解決アプローチの確立に向けて,理論構築,実証研究の蓄積,政策・活動実践の三層での取り組みを推進している.2021 年度現在,本AP に所属する教員は11 名,大学院生は17 名.その関心領域は.教育や人材育成,公衆衛生,地域福祉,精神保健,まちづくりや地域活性化,自然災害への対応,性犯罪や虐待の防止,社会保障制度など多岐にわたる.メンバーが活動するフィールドは,全国津々浦々,さらにアフリカ,ドイツ,北欧もある.このAP「ヒューマンサービスとコミュニティ」のメンバー全教員,さらに大学院生や修了生たちも筆者に加わり,本書が完成した.
 「半学半教」とは,教える者と学ぶ者との師弟の分を定めず,教員と学生も半分は教えて,半分は学び続ける存在という,慶應義塾の草創期からの精神である.この言葉どおり,さまざまな地域や職域で課題解決に挑む大学院生と教員が,エキサイティングな議論を繰り広げ,互いに学び合い,刺激を与え合いながら,切磋琢磨してきた.この学び合いのコミュニティがなければ,本書が世に出ることはなかった.
 
 私たちは時に誰かに支えられることもあるが,誰かを支えることもできる.違う個性や強みを持った人たちがつながり,問題意識を共有し協働することで,解決できることは少なくない.そんなコミュニティの力を生かしてヒューマンサービスを創造する,それは自分たちの幸せを人まかせにしないという,ごく当たり前のことではないだろうか.
 
謝辞
 本書は,筆者たちがそれぞれのフィールドの皆さまと対話をし,ともに汗を流しながら紡ぎだした実践と研究をまとめ上げたものである.報告した内容は,いわばそれぞれの現場の方々の数知れぬ苦労と努力の結晶である.筆者たちが調査や研究を遂行するあたり,多くの皆さまにお世話になった.お一人お一人の名前を挙げることはできないが,この場を借りて心からお礼を申し上げたい.また,本書の一部には,筆者たちが過去に発表した論文等の内容が含まれていることも申し述べておく.出典については各章の注と参考文献を参照されたい.
 最後に,本書が刊行できたのは,勁草書房の宮本詳三さんの確実で力強い采配と的確なコメントがあったおかげである.暖かいご支援に心から感謝を申し上げたい.
 
2021 年11 月
執筆者一同
 
 
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