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『質的社会調査のジレンマ 上・下』

 
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マーティン・ハマーズリー 著
谷川嘉浩 訳
『質的社会調査のジレンマ ハーバート・ブルーマーとシカゴ社会学の伝統』(上・下)

「訳者解題 イングランドからシカゴ社会学をみる――環大西洋的(トランスアトランティック)で分野越境的(トランスディシプリナリー)な方法論研究」(pdfファイルへのリンク)〉
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訳者解題 イングランドからシカゴ社会学をみる――環大西洋的(トランスアトランティック)で分野越境的(トランスディシプリナリー)な方法論研究
 
 本書は、Martyn Hammersley, The Dilemma of Qualitative Method: Herbert Blumer and the Chicago Tradition, Routledge, 1989 の全訳である。主タイトルを直訳すると『質的方法のジレンマ』だが、悩んだ末に『質的社会調査のジレンマ』とした。本書の内容を振り返ると、純粋に方法論の議論だけというより、具体的な社会調査の内容についての話もそれなりに紙幅が割かれている上に、「ジレンマ」という言葉があるだけで、結果的に「方法に関する話である」とのニュアンスを読み取りうると思われたからだ。
 マーティン・ハマーズリーは、一九四九年生まれのイギリスの社会学者である。ロンドンスクールオブエコノミクスで社会学を学び、マンチェスター大学大学院でPhD を取得した。一九七五年からオープン大学に勤め始め、二〇一五年に退職。現在は同大学の名誉教授。ミルトン・ケインズにあるオープン大学は、労働党政権下で一九六九年に設立された通信制の公立大学で、世界中から受講できる。学生の大半が働きながら受講しているようで、彼の専門的ながら親しみやすい語り口や、教科書や一般書を精力的に執筆している姿勢は、こうした教育環境から来ているのかもしれない。
 彼はエスノグラフィー、事例研究、社会科学の方法論などについての研究書や概説書を精力的に執筆している。哲学の造詣も深い。先に「社会学者」と書いたが、あえて言えばそうなるというだけで、彼は教育学者であり、公共政策学者であり、そして哲学者でもあると言いたくなる幅がある。彼一人が既に学際的であり、特定の名前で彼をラベリングすることには常に無理が生じる。
 論文も含めると数限りない刊行物があるため、一部の著作のみ以下に掲げる。

Troubling Sociological Concepts: An Interrogation, Palgrave Macmillan, 2020
Ethnography: Principles in Practice, fourth edition, Routledge, 2019 (ポール・アトキンソンとの共著)
The Concept of Culture: A History and Reappraisal, Palgrave Pivot, 2019
The Limits of Social Science, SAGE, 2014
The Myth of Research-Based Policy and Practice, SAGE, 2013
What is Qualitative Research?, Bloomsbury USA Academic, 2012
Ethics in Qualitative Research: Controversies and Contexts, SAGE, 2012
Taking Sides in Social Research: Essays on Partisanship and Bias, Routledge, 1999
The Politics of Social Research, SAGE, 1995
Classroom Ethnography: Empirical and Methodological Essays, Routledge, 1990

いずれも、本書で論じられたトピックを継続して取り扱うものとして読める。ハマーズリーの著作を熟知しているわけではないので印象論にはなるが、彼は、論争を歴史的背景から解きほぐすことに長けていると同時に、その理論的対立やすれ違いを整理し、私たちが何に照準を合わせるべきかを明示することを得意としてきた。特に方法論や用語定義など、解決や解消が容易にはなしえない困難な論点において、その手腕は発揮される。その雰囲気は本書にも色濃く表れているはずだ。
 方法論に関する研究が多いこともあってか、彼の読者は社会学に限定されない。実際、私がハマーズリーを知ったのは、公共政策学者の杉谷和哉さん(岩手県立大学講師)との会話を通じてだった(政治学者を通じて社会学者の文献を知るというのは、第一章注(21)の指摘を思えば、興味深いものだと言える)。二〇二一年九月末にGoogle Scholar で確認したところ、彼の著作の被引用数はおよそ七万四〇〇〇件と相当多く、国際的に、そして分野を超えて著名であることがわかる。けれども、国内では、教育学(「教育実践・政策に対する教育学研究の関わり方」『三田教育学研究』一七号や「英国におけるエビデンスに基づく教育政策の展開」『国立教育政策研究所紀要』一三九集など)や公共政策学(「『エビデンスに基づく政策』における政策過程論とガバナンス論の検討」『社会システム研究』二三号など)、EBPMやエビデンシャリズムを論じる際に多少言及される程度の存在感であるように見える。それゆえ、今回の翻訳が、日本語でまともにハマーズリーが紹介される初めての機会だと言える。
 
本書の内容と特徴――大西洋を挟んだシカゴ学派の研究
 
 原書冒頭には、出版社によると思われる推薦文が印字されているので参考のために示しておく。

社会調査における質的アプローチと量的アプローチの価値をめぐる対立は、歴史と自然科学的方法の関係に関する一九世紀の論争に始まっている。社会学の中では、一九二〇年代および一九三〇年代のアメリカで、最初にこの論争が生じた。「事例研究」の支持者と「統計的」方法の支持者の間の論争である。事例研究を擁護した主要な論客の一人は、シカゴ社会学者のハーバート・ブルーマーである。方法論に関する彼の文章は非常に大きな影響力を持っており、その著述はこうした初期の論争と、一九六〇年代および一九七〇年代、そして一九八〇年代の様々な論争との橋渡しをしてくれる。しかしながら、質的すなわち「自然主義的」方法論を支持するブルーマーの主張の中心には、アンビバレンスがある。彼の自然主義的方法は、自然科学と同じ論理を共有しているのだろうか、それとも、歴史に特有の探求や人文諸学の形式とは異なるものを表しているのだろうか。この論点は、〔単にブルーマーの議論に限ったものというより〕質的方法に関する議論の背後に存在し続け、質的研究者が用いる様々な手続きをめぐって根本的な問いを提起している。
 『質的社会調査のジレンマ』は、社会調査の方法論という重要な領域への刺激的なガイドの役割を果たしている。著者は、当該論争の歴史的文脈を素描するとともに、ブルーマーの方法論的著作――彼の博士論文を含む――に関して、詳細な説明と統計的な分析を提示する。ブルーマーとシカゴ社会学の伝統に属する他の論者たちは、質的研究を擁護するのに様々な戦略を用いた。著者は、それらを批評し評価しているのだが、質的方法の現状の身分に関する彼の結論は物議を醸すかもしれない。

一読すればわかる通り、本書には人文社会系の多様な人物が登場する。フランシス・ベーコン、デカルト、ヒューム、カント、トマス・リード、アイザイア・バーリン、ディルタイ、新カント主義、プラグマティズム、初期シカゴ学派、カール・ポパーやヘンペルなどの科学哲学、グラウンデッドセオリー、ウィリアム・ドレイの歴史哲学、ハワード・ベッカー、ノーマン・K・デンジン、ガダマー――。このような多様な文脈があるため、読者は色々な視点から本書を読み解くことができるだろう。
 本書の基本的な問題意識は、何度も明示されている。導入で提示されたバージョンは特に批判的だが、ここではより落ち着いた表現で再訪しておこう。

今日のエスノグラファーが方法論的問題に十分注意を向けていると暗示する意図はない。実のところ、導入で説明したように、この本はエスノグラファーが方法論的問題に注意を払っていないという信念に動機づけられている。(本書第三章注(12))

今日のエスノグラフィーを手に取ればわかることだが、エスノグラファーは、一様に方法論的著作を文献に挙げている。しかし大抵の場合、それは一応挙げられたものであり、アリバイ作りめいた形式的配慮にすぎないのではないか。質的調査や量的調査についてわかったつもりになり、方法論について考えているふりをしているにすぎないのではないか。少なくとも、ハマーズリーそう考えていた。
 「エスノグラファーが方法論的問題に注意を払っていないという信念」をハマーズリーが抱くのは、現代のフィールドワーカーが、社会調査の方法を語るときの道具立てや語り方について無反省であるように感じられたからだろう。その意味で本書は、アメリカ社会学(特にシカゴ社会学)を例に、社会調査をめぐる方法論的関心や対立の生成とその構図を辿り直し、社会調査をめぐる言葉遣いの成り立ちや編成を明らかにすることで、私たちに方法論争史を追体験させるものだと言える。観念論と実在論、啓蒙主義とロマン主義を含む一九世紀の思潮、一九世紀後半から二〇世紀前半にかけて発達したプラグマティズムといった「前史」から十分検討を加えた上で、そうした「問題と関心の考古学」が遂行されている点が本書の魅力の一つである。そしてまた、社会調査における量的方法と質的方法の対立そして、統計的方法と事例研究の対立が前景化し、現在のような議論の構図が形作られたのが二〇世紀中盤以降のアメリカ社会学だったということを考慮すれば、ほかならぬ「アメリカ社会学」を辿り直すという彼の問題意識には、確かにアクチュアリティがある。
 出版年が若干古い本書を訳した動機は、三つある。第一に、本書はシカゴ社会学の前史に十全な記述が充てられ、その後の理論的検討にそこでの議論が関わってくること。シカゴ社会学を扱った書籍の大半が、プラグマティズムやそれ以前の思想について申し訳程度の言及をしているだけであり、類書は多くない。哲学理解が通説的であることは否めないものの、相当見通しのよい整理をしていることも確かである。
 第二に、単に方法や思想について整理するだけでなく、誰がどの地域どの大学で誰から何を学んだかといった具体的な制度や影響関係、つまり、知識人の系譜や位置づけについての検討や記述が多少なされていること。これは、単なる学説史を想定して読み始めた読者を裏切る美点である。
 第三に、シカゴ社会学の伝統に直接属さない人物が、シカゴ社会学について書いた、非アメリカ地域の研究書であること。シカゴ社会学の研究の多くは、やはりアメリカでなされたものだが、シンボリック相互作用論やシカゴ学派の系譜を直接継いでいるわけではないイギリスの社会学者によって本書は書かれている。直接の関係性や利害関心のない人物の手による研究というのは貴重だ。これらの利点にもかかわらず、ハマーズリーは日本国内でほとんど注目を集めてこなかった。彼の著作が紹介できることをうれしく思う。
 
 
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