あとがきたちよみ
『グライス 理性の哲学』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2022/3/10

 
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三木那由他 著
『グライス 理性の哲学 コミュニケーションから形而上学まで』

「はしがき」「第二章 日常言語に目を向ける」(第2節)(pdfファイルへのリンク)〉
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はしがき
 
 ハーバート・ポール・グライス(Herbert Paul Grice)は、主に会話的推意の理論や非自然的意味の分析といった業績で知られる哲学者だ。だがそのグライスが、心の哲学や理性論、形而上学といった広範な射程のもとで議論を展開していたことはそれほど知られていない。グライスがそういった領域で実際にどのような議論を展開していたかとなると、なおさらだ。そして、そうした各領域でグライスが論じていることを総合したならばどのような哲学体系が見出せるかという問題になったなら、答えられるひとはほとんどいないのではないかと思う。
 本書は、この問題にひとつの答えを与えることを目指している。その答えを端的に述べるならば、「グライスの哲学は理性の哲学である」となる。会話的推意の理論も非自然的意味の分析もその他の業績も、グライスにおいては理性というテーマに収斂していくことになるのだ。
 しかし「理性の哲学」と言っただけでは、それが具体的にどういった哲学体系なのかはわからない。本書では、次のような順でグライスの理性の哲学の輪郭を描き出す。
 第一章では全体の準備として、グライスという哲学者がいかなる人物であり、どういった影響関係のもとで哲学に取り組んでいたのかということを紹介する。グライスの生涯やグライスの人柄をめぐるエピソードについては、主にグライス自身が自らの退職記念論文集で語っていることと、シボーヌ・チャップマン(Siobhan Chapman)によるグライスの伝記を参照している。第一章の焦点となるのは、ジョン・ラングショー・オースティン(John Langshaw Austin)らの日常言語学派の哲学に大いに影響されながらも、それにも批判的な目を向け独自の道を進もうとするグライスの姿だ。グライスをめぐる愉快なエピソードは数多くあり、本当なら愛を込めてそのすべてを語りつくしたいのだが、さすがにそれは控えている。
 第二章では、グライスが自身の哲学的方法論として提示した概念分析という手法について取り上げている。グライスの方法論は、基本的にはオースティンの影響のもとで構築されており、その点で日常言語学派らしいものとなっている。しかし同時に、グライスは他の日常言語学派の哲学者たちが言語への十分な反省を欠いており、それゆえに好ましくない仕方で概念分析をおこなってしまっているとも考えている。従って第二章で重要となるのは、グライスは自身の方法が他の日常言語学派の哲学者たちとどう違っていると考えていたのか、ということである。
 それを受けて第三章では、概念分析を精緻化する道具として考案された会話的推意の理論を紹介する。会話的推意の理論は、主に言語学において私たちの会話の語用論的分析のためのツールとして利用されている。しかし、グライス自身が想定していた役割はそうしたものではなかった。私たちの言語使用のありかた自体を分析するためというより、グライスはそれを、概念分析をより問題のない仕方で遂行するための補助器具のように捉えていたのである。第三章ではそうしたグライスの哲学的な動機を背景にしながら、会話的推意の理論について論じている。
 会話的推意の理論がグライスにとってどのようなものであったのかは十分に理解されていないように思われる。第三章での紹介は、あくまでグライスの議論をなぞって理解できることをまとめたものとなっている。しかしその本当の姿を理解するには、会話的推意について直接的に扱っていない文献でのグライスの議論も参照し、より踏み込んだ解釈をしなければならない。第四章ではそうした踏み込んだ解釈を試みている。これにより、会話的推意の理論と非自然的意味の分析のつながりがしっかりと理解されることになるだろう。
 第五章では非自然的意味の分析を取り上げている。グライスは「意味する」と呼ばれる現象を、自然の因果関係に関わる自然的意味と、社会の慣習や人間のコミュニケーションに関わる非自然的意味とに大別し、後者を話し手の意図という概念によって分析しようとした。スティーヴン・R・シファー(Stephen R. Schiffer)などの多くの哲学者を惹きつけたこのテーマにおいて、グライスはどのような議論を展開したのか。第五章はグライス自身が詳しく論じていない個所を私なりに補足しながら、その展開を追うものとなっている。
 グライスの名を知るひとの多くは、グライスを会話的推意の理論と非自然的意味の分析の哲学者としてしか知らないと思われる。第六章では、これまであまり語られてきていないグライスの心の哲学について論じている。第五章で述べているように、グライスは非自然的意味を意図という心理的な概念へと分析しようとしていた。である以上、非自然的意味がグライスの哲学において本来の位置を持つのは、その心の哲学においてである。グライスは意図を、あるいは広く心理をどのようなものと考えていたのか。第六章ではそれを論じる。それによって、グライスの哲学において心理が推論と分かちがたく結びついていることが明らかになるだろう。
 第七章では理性をめぐるグライスの議論を取り上げる。グライスにとって、理性は推論の能力であるとともに、理由を与える能力でもあった。第六章で論じるように心理が推論と結びついているのであれば、グライスの心の哲学を真に理解するためにはグライスの理性論を踏まえなければならない。そこでは、理性とはいかなる意味で推論の能力なのか、そしてその推論を介して物事に与えられる理由にはいかなる種類のものがあるのか、といったことが論じられている。また第七章では、これまでの議論を振り返り、理性の哲学としてのグライスの哲学体系のスケッチを試みる。
 グライスの哲学は理性の哲学である。しかし第七章で見る理性の哲学には、いくつかの概念や原則が前提とされている。グライスの哲学において、それらに正当化を与える役割を果たしているのがその形而上学、特に「構成主義」と呼ばれる独特の形而上学的枠組みである。第八章ではこの構成主義の形而上学について紹介し、超越論的論証のための枠組みとしてそれを解釈する。またこの章では、グライスが最晩年に語った「哲学的終末論」という奇妙な名前の形而上学の構想についても触れる。
 本書では、このような流れでグライスの哲学について論じていく。その際、私はひとつの大きな方法論的なポリシーを採用している。それは、グライスが全体として大きなひとつの哲学体系をつくりあげようとしていたという仮定のもとで、グライスのさまざまな議論を統一的に見る、というものだ。当然ながら、ひとりの哲学者がその生涯のなかで考えを変えたり、以前の主張とは不整合を来す主張をおこなったりといったことは、しばしばあることだ。しかし私はその可能性をできるだけ排除し、一見するとばらばらに見えるグライスのさまざまな議論がひとつの体系に収まるという仮定のもとで、グライスの議論を再構成している。
 理由はふたつある。ひとつは、私の知る限りまだそのような試みが本一冊の長さでなされたことは、英語圏を含めてもいちどもないということだ(論文としては、Grandy & Warner (1986a), Petrus (2010a)などがある)。そうした試みがあったうえでそれでは説明できないような何かが見つかったなら、それをグライス自身の立場の変化として説明することには一定の説得力があるだろう。しかしそれはあくまで体系的理解の試みという指針があったうえで、それにかみ合わない事柄を説明するということであって、指針がそもそもない段階で体系的な理解にかみ合わない事柄を説明しようとしても、あまり得るものはなさそうに思える。それゆえ、本書ではその指針のひとつを提供することを目標とした。
 またもうひとつの理由として、グライスが晩年近い一九八二年に発表した「意味再論」(“Meaning Revisited”)という論文の存在がある。本書の終盤になるとわかってくることだが、「意味再論」では非自然的意味の分析というテーマに、心の哲学、形而上学におけるグライスの議論が(あまりしっかりとした説明はないままに)接続され、そうした議論を利用して非自然的意味の分析に新たな光を当てようとしている。もしもグライスが、非自然的意味の分析、心の哲学、形而上学を単にそれぞれ別個のトピックとして捉えていたとしたら、「意味再論」においてそれらが一か所に集まる理由はないように思われる。「意味再論」という論文の存在が、グライスには複数のトピックが絡み合って構築される哲学体系があったのだ、ということを示唆している。
 本書は、グライスが好む言いかたを借りるならば、「最後の言葉」ではなく「最初の言葉」となる性格のものだ。私はグライスの哲学を理性の哲学として描き出すが、それによってグライスの哲学について「語り終わる」わけではなく、むしろこれをきっかけに多くのひとが「語り始める」ことを望んでいる。
 最後に、文献の参照の仕方に関して述べておく。本書には参考文献リストを収録しているが、再録版がある文献は再録版の情報も併記しており、本書でそうした文献を参照する際のページ番号は再録版に基づいている。また翻訳がある文献の引用の際には、既存の翻訳を参考にしつつも基本的に私自身の訳を用いていることをお断りしておきたい。
 
 
第二章 日常言語に目を向ける
 
(略)
 
2─意味と使用を区別する
 オースティンを中心とする日常言語学派の方法は、しばしば「意味使用説(use theory of meaning)」の一種に基づくものと理解されている。すなわち、「言葉の意味とは、その使いかたである」という思想だ。だがこの思想をオースティンに帰するのは、実は難しい。というのも、オースティンは「言葉の意味」などと呼ばれるものの存在そのものを疑問視し、論文「語の意味」(“The Meaning of a Word”)では、「「語の意味」であるような何かが存在すると考える」ことを戒めている(Austin 1940, p. 60, 邦訳七九頁)。オースティンは、確かに言葉の使いかたを観察し、それをもとに哲学的な議論を展開した。ただそれは「言葉の意味とは何か?」という問いへの答えが「言葉の使いかたである」として与えられるということではなく、そうした抽象的な問いについて考えてしまうことさえ戒めながら、ただ言葉の使われるありかたをしっかり眺めようという、ストイックな方針に則ったものであった。
 だがグライスはそうではなかった。グライスにとって日常言語への関心は、「概念分析(conceptual analysis)」という営みと一体のものとなっていた。実際グライスは、「戦後オックスフォード哲学」(“Postwar Oxford Philosophy”)と題された論文にて、自身の関心を「概念分析」と呼んだうえで、それを次のように定義している。

与えられた表現Eの概念分析を探すというのは、個々の事例においてEを適用したり、Eを差し控えたりということができる立場にありつつ、Eを差し控えることなく適用するであろうタイプの事例がいかなるものかという、普遍的な特徴づけを探すことである。(Grice 1958, p. 174)

 私たちは、例えば「善い」という表現の使いかたを習得しており、日常的に「善い」と言ったり、「善い」と言わないようにしたりしている。そのうえで、「この条件を満たしたならばきっと「善い」と言うであろう」というような一般的な条件を見出したなら、「善い」の、あるいは善という概念の概念分析が得られる、というのがグライスの考えだ。このように言うと単に比較的素朴な哲学観が開陳されているだけに思えるかもしれないが、ここで重要なのはオースティンとの相違点である。オースティンであれば、語に概念が対応しているというような、意味なる存在の措定に当たることは言わなかったのではないだろうか。しかし、グライスはまさにそのように考えたうえで、日常言語の観察を通じて概念の分析を目指すことを自身の方法論として述べているのである。
 グライスの言う概念分析があくまで日常言語の観察に基づく営みであるということは、ここでしっかりと頭に入れておくべきだろう。実際グライスは、同じく「戦後オックスフォード哲学」にて、自分は次のふたつの立場に同意していると述べている。

⑴私見では、哲学者の取り組むべき課題のすべてではないにせよ、その重要な部分は、あれこれの表現や表現のクラスの日常的な使いかたを、(可能な限り一般的な言葉づかいで)分析したり、記述したり、特徴づけたりすることにある。[…]⑵私見では、具体的に特定可能なタイプの状況において日常的に用いられそうであったり、真なるものとして受け入れられそうであったりするような言明の何らかのクラスを、偽である、不条理である、言語として間違っているなどとして拒絶する哲学説は、それ自体がほぼ確実に(ことによるとかなり確実に)偽であると言える。(Grice 1958, p. 172)

 グライスにとって、日常言語はあくまで哲学説よりも優先される。哲学説からの帰結として、「この手の言葉づかいは実はみな誤りなのだ」などといった主張が生じるならば、退けられるべきは哲学説のほうだ、とグライスは言っているのだ(これは実際、のちに見るような懐疑論をめぐる議論でグライスが採用している立場である)。
 とはいえ、概念分析としての哲学という発想には、すでにオースティンからの乖離が見られる。さらにグライスのこの関心からすると、哲学をするうえでは単に言葉の使いかたに着目するだけでは十分ではない、ということにもなる。目指しているのが概念分析である以上は、問題はまさに言葉の意味に到達することとなるだろうが、言葉の使いかたには、意味に由来するものもあれば、そうでない別の事情に由来するものもあるからだ。そこでジェームズ記念講義の冒頭を飾る「プロレゴメナ」(“Prolegomena”)で、グライスはこう述べることになる。「実のところ、慎重に意味と使用を区別すべきだという教えは、ひょっとしたら、慎重に意味と使用を同一視すべきだという教えがかつてそうであったのと同じくらい、手軽な哲学の手引きとなりつつあるのかもしれない」(Grice 1967a, p. 4, 邦訳二頁)。
 すでに分析哲学に詳しい読者ならば、怪訝に思うかもしれない。意味というものは、悪名高い分析的言明と総合的言明の区別とともに、初期の分析哲学で想定されていたもので、アメリカでのクワインによる批判や、イギリスでの後期ウィトゲンシュタインやオースティンの議論は、そのような想定に反対するものであったのではないか、と。さらには、オースティンの影響を受けたとされるグライスが言っていることは、単にオースティン以前の言語観への回帰なのではないか、と。事実そうなのだ。グライスはまさに、オースティンを経たうえでオースティン以前の言語観に戻ろうとしている哲学者である。そして単純な回帰ではなく「オースティンを経たうえで」の回帰であるということが、グライスの独創性の源となるのである。そのことは、この章と続く第三章で次第にわかってくるだろう。
 さて、グライスが日常言語への関心を出発点としつつも、意味と使用を峻別し、前者に焦点を絞るかたちで概念分析を試みようとしていた哲学者であるということを述べてきた。実はこうした傾向は、グライスのキャリアの初期から見られる。論文「常識と懐疑論」(“Common Sense and Skepticism”)は、一九四六年から一九五〇年のあいだに書かれたものであり、未発表のまま放置された末に四〇年ほど経ってようやく『論理と会話』に収録され、公開されることとなったのだが、この論文ではすでに意味と使用を区別しようという議論が懐疑論への日常言語学派的な応答の不備を指摘するなかで展開されているのである。
 「常識と懐疑論」で、グライスは懐疑論に対する日常言語学派的な応答のひとつを取り上げ、それが不十分であると論じている。グライスは日常言語学派の中心的哲学者のひとりであるが、ここでは日常言語学派的な批判に対して懐疑論側に肩入れして議論をしていることになる。もっともグライスは、自分自身は懐疑論者ではないと断り、そうした議論をおこなう動機を「懐疑論はそれなりに堂々と扱われたうえで見込みのないものとされるべきだと思う」(Grice c. 1946-1950, p. 149)からだと説明している。とはいえ、日常言語の側の哲学者がそうでない哲学者と対立したとき、ひとまず日常言語側でないほうに肩入れするというのはグライスの基本的な姿勢であり、今後も繰り返し目にすることになるだろう。
 グライスが検討しているのは、ノーマン・マルコム(Norman Malcolm)による懐疑論批判である。マルコムは厳密にはオックスフォードの日常言語学派に属す哲学者ではないが、ケンブリッジでウィトゲンシュタインの薫陶を受け、日常言語に関する観察をもとにした議論を自らの方法とする哲学者であり、とりわけ日常言語を出発点にしていかに懐疑論に応答するかというトピックでいくつかの論文を書いている。グライスが取り上げる「ムーアと日常言語」(“Moore and the Ordinary Language”)、「確実性と経験的言明」(“Certainty and Empirical Statements”)というふたつの論文も、その流れに属すものである。
 「ムーアと日常言語」の冒頭でマルコムは、懐疑論的な傾向を持った哲学者が言いそうなことと、それに対してムーアがしそうな応答を列挙している。一例を挙げれば、哲学者が「物質的事物は存在しない」と言ったなら、ムーアは「きみが間違っているのは確かだ。ここにひとつの手があり、こちらにもうひとつの手があり、それゆえ少なくともふたつの物質的事物が存在するのだから」と返す、という具合だ(Malcolm 1942a, p. 346)。一見すると単に問題の棚上げをしているようにしか見えないこうした応答が、なぜ「優れた反駁」(Malcolm 1942a, p. 349, 強調は原著者)となっているのかを示す、というのがこの論文で公言されている目標だ。そしてマルコムは、懐疑論的な言明が「日常言語に反する」(ibid., 強調は原著者)ことに着目するのである。
 マルコムの考えでは、懐疑論的な哲学者は関連する日常的な言明が常に偽であると見なしている。例えば物質的事物の存在を否定する哲学者であれば、「ここにひとつの手があり、こちらにもうひとつの手がある」のような言明は常に偽であると考えている。そしてそれは、そうした言明が自己矛盾的であるがゆえにアプリオリに偽であるということか、さもなければそうした言明が偽であるということが、経験的な証拠をもとに確かめられているということかの、いずれかでなければならない。そしてここがマルコムの議論のポイントなのだが、マルコムによると、日常的な言明が自己矛盾であることはありえず、それゆえ哲学者たちは経験的な根拠をもとに日常的な言明を退けているのでなければならない(Malcolm 1942a, p. 360)。しかし言うまでもなく、「ここに手があり、こちらにもうひとつの手がある」のような言明を退ける経験的な証拠など、哲学者は与えてはいないのである。こうした議論は、「ムーアと日常言語」ではムーアに帰せられているが、グライスが挙げるもうひとつの論文である「確実性と経験的言明」を見たならばこれがマルコム自身の議論の方法でもあったということが見て取れる(Malcolm 1942b)。
 グライスが注目するのは、日常的な言明は自己矛盾的ではありえないというマルコムの主張だ。マルコムはその理由を次のように説明している。

ある表現がたとえ自己矛盾めいた装いをしていたとしても、それが用いられているならば私たちはそれを自己矛盾的とは呼ばない。またある事態を記述したり指示したりするのに用いられる表現なら、いかなるものについても、その用法においてそれが自己矛盾的だとは、私たちは言わない。(Malcolm 1942a, p. 359)

 この引用に見られるのは、まさしく意味と使用の同一視である。自己矛盾的というのはある文がその意味においてそもそも矛盾しているということであり、意味に関する性質だ。マルコムはある文がそうした性質を持つことと、それが用いられないということとを同一視しているのである。
 論文「常識と懐疑論」において、グライスはこの点を問題視する。実際には、私たちは自己矛盾的な文を使うことがあるし、また逆に自己矛盾的ではないにもかかわらず、それ以外の理由でまったく使われない文というものもありうる、というのだ。例えば前者の例としてグライスは、計算ミスのために発せられた「保管場所が八つあって、それぞれ卵が八つずつ入っているから、つまり六二個の卵があることになる」という文を挙げている(Grice c. 1946-1950,p. 150)。こうした文は、自己矛盾的であるがゆえに、確かに状況を記述するのに成功はしないが、しかし用いられえないわけではない。他方で、「……大司教が……階段から転げ落ちて……に……のようにぶつかった」という文の空隙を、およそ誰もそのような文を使おうとは思えないような汚い言葉で埋めたとしたら、自己矛盾的でないにもかかわらず決して使われない文が手に入る、ともグライスは主張する(ibid.)。
 ここでのグライスの議論のポイントは、自己矛盾的であることと使われないこととは、別の事柄であるということだ。確かに自己矛盾的な文はそうでない文より使われにくいかもしれないし、使われる文はそうでない文より自己矛盾的である見込みが薄いかもしれない。そうした緩やかな相関をグライスは否定してはいない。否定されているのは、それらが同値であるということなのである。一九四〇年代後半ごろに書かれたこの論文には、すでに意味と使用の同一視を戒めるグライスの見方が色濃く現れている。
 同様の議論は一九五三年から一九五八年ごろに書かれた「G・E・ムーアと哲学者のパラドクス」(“G. E. Moore and the Philosopher’s Paradoxes”)でも、より洗練されたかたちで繰り返されている。だがそれよりも重要なのは、後に会話的推意の理論や意図基盤意味論として結実することになるアイデアが、懐疑論者に応答するための手がかりとしてこの論文で提示されているということである。懐疑論に肩入れしてマルコムの不備を指摘するだけだった「常識と懐疑論」では、そうしたアイデアは登場しない。だがそこから一歩進み、改めて独自の観点から懐疑論への応答を試みる「G・E・ムーアと哲学者のパラドクス」では、現在グライスの言語哲学上の業績として知られているこれらの発想の萌芽が見て取れるのだ。
 「G・E・ムーアと哲学者のパラドクス」で、グライスは表現が一般的に意味することと、特定の話し手が特定の場面で意味することとの区別を提唱する(Grice c. 1953-1958, p. 167)。そのうえで、次のように議論を続ける。

特定の話し手が(言明を形成する性質の)特定の発話で特定の場面において意味する事柄というのは、その話し手がその発話でもって聞き手に信じさせようと意図する事柄と同一視されうるというのは、おおよそ正しいように思われる(本格的な取り扱いをするとなると、いま詳しく論じようというわけにはいかないようないくつもの留保が必要になるだろうが)。また、ある文が一般的に意味する事柄というのは、その文によって個々の場面において個々の話し手が標準的に意味する事柄と同一視されうる、というのもまたおおよそ正しいように思われる。(Grice c. 1953-1958, p. 168)

 懐疑論者は、例えば(グライス自身が挙げている例ではないが)私たちが「星が見える」と言うとき、私たちの目に見えているそれが実は錯覚にすぎない可能性もあるから、それによって本当に意味されているのは星そのものが見えるということではなく、せいぜい「星の視覚像が見える」と言い換えられるようなことにすぎない、などと言うだろう。マルコムなら、「懐疑論者は一般的に理解されているような用法における「星が見える」を自己矛盾的だと見なすが、日常的に用いられている以上この文が自己矛盾的であることはありえない」と応答するのだろうが、その議論の問題点を指摘したグライスは、この道を進まない。
 グライスが着目するのは、「本当に意味されている」とはどういうことか、である。それは特定の場面での意味に関することだろうか? だとすれば、「星が見える」と言う話し手は、その特定の場面において星の視覚像が見えるということを意味しているということになる。しかしこれは、グライスの考えでは、話し手に星の視覚像が見えるということを聞き手に信じさせようという意図を話し手が持っているということであった。だがふつう「星が見える」と言う話し手は、自分だけに見える主観的な視覚像について聞き手に何かを信じさせようと意図しているわけではなく、この客観世界について何かを信じさせようと意図しているはずだ。それゆえ、「星が見える」と言う話し手が、その特定の場面において星の視覚像に関する何ごとかを意味しているとは言えそうにない。
 では「星が見える」という文の本当の一般的な意味が〈星の視覚像が見える〉なのだ、ということなのだろうか? しかし、「星が見える」という文の一般的な意味とは、この文を用いる話し手が個々の場面で標準的に意味することなのだ、とグライスは考えていた。そして、「星が見える」と発話する話し手は、たいていの場合、星の視覚像が見えるということを意味している(聞き手に信じさせようと意図している)わけではないだろう。それゆえ、懐疑論者の議論は成功しない。これが実際に懐疑論の論駁に成功しているかどうかはともかく、グライスはこのように考えていた。
 こうした議論から、グライスが哲学的方法として採用していた思考法がくっきりと見えてくる。グライスはまず、オースティンと違い、意味と使用を峻別したうえで、後者をうまく脇に除けて前者を絞り出そうとしている。グライスが考えていた概念分析とは、ひとつにはそのようなものであった。しかし同時に、グライスが概念分析という営みを語の使いかたという観点から説明していたことからもわかるように、それでもなお語の意味は、その語の使用をもとに測られることになる。それゆえグライスの方法をより正確に述べるならば、語の使用のなかで意味に関する側面とそうでない側面を切り分け、前者を一般的に特徴づける、というのがグライスの目指す概念分析ということになる。
 この関連で、いわゆる分析性と総合性の区別について考えてみるのも面白いだろう。「氷とは凍った水である」という言明を考えてみてほしい。「氷」や「凍った」、「水」といった語の意味を理解しているひとならば、この文が正しいということが即座にわかるだろう。それは、そのひとがたとえ「このなかで氷はどれ?」と言われて氷、石、プラスチックなどを見せられたときに、どれが氷であるか答えられなかったとしても変わらない。世界がどのようであるか、話し手が世界をどのように理解しているのかと関係なく、ただ言葉の意味のみに依存して真となる言明を、「分析的真理」と呼んだり、「分析的言明」と呼んだりする。それに対して、「氷は暖房の効いた部屋で放置すると溶ける」は、「氷」などの言葉の意味を知っているだけでは正しいとも間違っているともわからない。この文は、実際に氷というものがこの世界でどういう振る舞いをするのかに応じて真であるか偽であるかが決まる。こうした言明は「総合的真理」と呼ばれたり、「総合的言明」と呼ばれたりする。分析/総合の区別は、第二次世界大戦前ウィーンの論理実証主義の思想において中心的な役割を担っていた。だが一九五一年にクワインによる有名な論文「経験主義のふたつのドグマ」でそうした区別自体が批判されることとなる(Quine 1951)。
 実はオックスフォードでも、オースティンがクワインの論文の公開に先立って、すでに分析/総合の区別というものが理想言語はともかくとして日常言語ではうまく成り立たないことがあると主張していた(Austin 1946)。このことからすると意外ではあるが(あるいは新しい立場と古い立場が衝突したら古いほうに味方するというグライスの性格からすると意外ではないかもしれないが)、グライスは分析/総合の区別を維持すべき重要なものと考え、クワインによる批判からそれを救う必要があると考えていた。この考えは晩年に至っても変わっていない。

[…]ことによると、「日常言語の哲学」なる営みはいずれにせよ失敗を運命づけられているという非難を投げかける者もいるのではないだろうか。そうした哲学は、実際には維持しえない分析/総合の区別について、それが採用しうるものであると前提しているのだから、と。(Grice 1986a, p. 52)
 
ここで[分析/総合の区別という]このテーマについて何も述べないのはそれが重要でないと考えているからではない。それどころか、この区別は哲学における最重要のトピックのひとつであり、個々の哲学的問題への答えを決する際においてだけでなく、哲学というもの自体の本性を決する際にも必須のものだと考えている。(Grice 1987a, p. 344)

 なぜ分析/総合の区別にこれほどの意義を見出すのか? それはグライスが自身の哲学的営みを概念分析と捉え、しかも概念分析に当たっては言葉の意味というものを重要視していたからだろう。
 例えばグライスの方針に従った結果、「語「歩く」は、あるものが、すべての足が同時に地面から離れることがないような仕方で足を使って移動するとき、そのときにのみ正しく用いられる」というかたちで、歩行概念の分析が得られたと仮定してみよう。グライスの概念分析の方法では、こうした分析は対象となっている語の意味的側面に関わっていることになる。だとすると、こうした分析がうまくいった場合、「歩いている人間は両足が同時に地面から離れることなく移動している」という文は、ただ「歩く」ないし「歩いている」という語の意味のみによって正しいということになり、分析的真理と見なされることとなる。だがもし分析/総合の区別など成り立たないとしたら? そのときにはこの文が分析的真理だというのもまた疑わしくなる。すると翻って、そもそも対象となる語の意味的側面だけに着目して概念分析をおこなうことができるという前提自体が怪しくなりかねない。概念分析などというものをはじめから提唱しないオースティンと違い、グライスにとって分析性をクワインの批判から守ることは、自身の哲学法そのものを守ることだった。
 そうした背景があってのことだろう。グライスはストローソンとともに書いた「あるドグマの擁護」という論文を『論理と会話』に収録している。クワインによる分析/総合の区別への批判に応答するこの論文は、チャップマンによれば出版顧問から収録に難色を示されていたらしい。グライスはそれでもなお分析/総合の区別の重要性を主張して譲らなかったという(Chapman 2005, p. 181)。
 クワインは分析性、同義性、論理的不可能性などが互いに互いを定義する循環的なグループをなしており、この循環を逃れるかたちでいずれかの概念を説明することはできないと考えていた。グライスとストローソンは、クワインもまた懐疑論者たちと同様に哲学者のパラドクスに陥っていると主張したうえで、必要十分条件的な説明だけを想定するからそのような結論が出るのであって、非形式的な説明ならば日常的な実践のなかで、循環に陥ることなく与えうるという反論を試みている(Grice & Strawson 1956, pp. 203-206)。概念分析を自身の哲学的方法と見なすグライスにとっては、こうした反論をおこなわない限りは自身の哲学そのものが立ち行かなくなると思われていたのだろう。
 さて、仮にグライスの思惑通り分析性概念をクワインによる批判から守ることができたとしてみよう。それでも、グライスの思い描く哲学の方法が語の使用における意味的側面に着目してなされる概念分析であるとしたら、まだひとつの大きな課題が残っている。語の使用のなかで意味に関する側面と意味に関与しない側面を切り分けるとはいうものの、いったいそれはどういった手続きで遂行すればよいのだろうか? そもそも「意味に関する側面」とはいったい何なのだろうか? 現在ではあまりそのように解説されることはないだろうが、実は会話的推意の理論はもともとこの文脈で登場した。それは概念分析としての日常言語学派の哲学というグライスの方法論と、密接に関わる理論なのだ。次章では、こうした文脈を踏まえながら、会話的推意の理論について解説する。
(傍点と注は割愛しました)
 
 
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