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岡田 章 著
『ゲーム理論の見方・考え方』
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はしがき
本書は、ゲーム理論の入門的な解説書です。理論の歴史から最新の研究成果をコンパクトに紹介しています。
ゲーム理論は、「社会とは、自分の価値や利益を求める人びとがルールを守ってプレイするゲームである」という社会とゲームの類似性に着目して、人間行動と社会のあり様を数理的に研究する学問です。
このような大きな目標をもつゲーム理論は、20世紀半ばに数学者のジョン・フォン・ノイマンと経済学者のオスカー・モルゲンシュテルンによって創設されました。ゲーム理論は誕生以来、多くの称賛と批判を受けながら、数学、経済学、経営学、社会学、政治学、心理学、生物学、工学など広い学問分野の研究者の探求心と研究意欲を刺激し、学問の発展に貢献してきました。とくに、経済学へのインパクトは大きく、1994年にノーベル経済学賞がゲーム理論の分野に初めて授与されて以来、現在までにすでに11名のゲーム理論の研究者が受賞しています。他の受賞者の多くの研究もゲーム理論に深く関っています。
ゲーム理論がこのように学問のフロンティアを開拓し続けている理由は、「自律した行動主体の相互関係性」というゲーム理論の研究対象が、理系と文系を問わず、さまざまな学問分野に共通に見いだされるからです。
本書では、ゲーム理論に初めて接する読者のために、理論の発展に沿って、第4章までの前半はゲーム理論の歴史を含む基本的な内容を解説しています。第5章からの後半は、最近のゲーム理論の応用を反映した内容になっています。すでにゲーム理論の知識のある読者は、関心のある章や項目を独立して読むことができます。また、本書の内容をさらに詳しく知りたい読者のために、外国語文献も記載しています。
ゲーム理論は数学的な理論ですが、そのエッセンスを理解するには高校数学Ⅰ、Ⅱの知識があれば十分です。本書では、できるだけ数式を用いないように努めましたが、読みづらい個所も数多くあると思います。読者の方々のご批判を仰ぎたいと思います。
本書の執筆のきっかけは、成城大学社会イノベーション学部の2019─ 20 年度授業「国際協力・開発イノベーション論」の講義を担当したことです。多くの受講生の皆さんに感謝します。とくに、2020年度の受講生は、コロナ禍のオンライン授業というストレスのある環境にもかかわらず、ホームワークや活発な質問を通じて、著者にゲーム理論を講義する喜びを与えてくれました。
最後に、本書の出版では、勁草書房の宮本詳三氏に大変お世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
2022年5月
岡田 章
第1章 ゲーム理論の誕生
要点
●数学者のジョン・フォン・ノイマンと経済学者のオスカー・モルゲンシュテルンが1944年に『ゲーム理論と経済行動』を出版し、ゲーム理論が創設された。
●ゲーム理論は、自由で自律的なプレイヤーの合理的な意思決定を研究する。
●ゲーム理論は、経済学などの社会科学の分野だけでなく生物学や心理学など広範囲な学問分野に応用されている。
ナッソークラブでの朝食
アメリカの東部ニュージャージー州にあるプリンストン市は、ニューヨークから電車で約2時間ほどで着く閑静な学園都市である。学問の世界では、プリンストン大学とプリンストン高等研究所のある町として名高い。プリンストン大学はハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などと並ぶアメリカが誇る一流大学である。プリンストン高等研究所は1930年の設立以来、数学と物理学の分野で世界の最高頭脳が集まる研究所である。相対性理論で有名な物理学者のアインシュタインは設立以来の教授である。
1942年の12月、クリスマスが近いある日、大学の関係者が集まるナッソークラブで二人の男性が朝食をとっていた。二人はドイツ語で熱心に何かを議論している。一人の男性は、ハンガリー生まれの数学者で、20世紀の最高の知性の一人と言われるジョン・フォン・ノイマンである(コラム1)。フォン・ノイマンはアインシュタインと同じくプリンストン高等研究所の設立以来の教授である。
もう一人の男性は、オーストリア出身の経済学者で、プリンストン大学で経済学を講義しているオスカー・モルゲンシュテルンである(コラム2)。二人が時間を経つのも忘れて熱く議論しているテーマが、ゲーム理論である(Morgenstern 1976)。
二人の共同研究
ゲーム理論とは、いったいどんな理論だろうか? 二人は、数学によって社会や経済における合理的行動の一般原理を解明するという大きな目標をもち、当時、誰もが考えつかなかった野心的な研究プロジェクトに没頭していた。
経済社会では、消費者や生産者だけでなく、企業や労働組合、政府などのさまざまな組織が意思決定し行動する。そして、社会や組織を研究する上でも人間行動の研究が基本である。イギリスの大経済学者のアルフレッド・マーシャルは、
「政治経済学、あるいは経済学は、日常生活における人間を研究する学問である。(中略)それは、一面では富の研究であるが、他の、そしてもっと重要な面では、人間科学の一分科である」(引用者訳)
と述べている(Marshall 1890)。
数学によって人間行動を研究するといっても、「そのようなことが本当にできるのだろうか?」「人間は感情に左右される動物であり、人間行動を数式で表すことはできないのでは?」「人間は合理的には行動しない」といった疑問や反論をもつ人も多いと思う。
科学にとって大切なことは、新しいアイディアを生む創造性と新しい問題に挑戦する独創性とパイオニア精神である。二人は、既存の学問や通説が否定的に考える問題に対しても先入観なく探究する深い洞察力と強い知的関心をもっていた。
社会科学と数学
現在でも、数学は物理学や化学、工学などの理系の学問には必要だが、経済学や経営学、政治学、心理学などの文系の学問には必要ないと思っている人が少なくない。しかし、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの考えは、違っていた。二人は、経済学に数学が使えない根本的な理由は何もないと信じていた。むしろ、経済学が厳密な科学として発展するためには、経済学の問題を数学によって明晰に定式化する必要性を強く感じていた。
数学は、あらゆる科学の共通言語である。一つの学問が科学として発展するためには、数学を用いて問題が曖昧なく定式化され、その数学モデルが厳密な論理によって分析可能であることが必要である。
ただし、文系の学問に必要な数学は、二次方程式や微積分の問題が解ける計算力ではなく(モデルの分析には計算も必要だが)、より重要なことは、新しい問題を発見し、その内容を誰もが理解できるように数学の言語を用いて明晰に定式化する能力である。さらに、仮定から命題を導く論理的思考力である。
数学は、社会におけるさまざまな意思決定問題の共通した構造は何か、意思決定の一般原理は何かを解明するために必要な分析道具である。
『ゲーム理論と経済行動』の出版
ナッソークラブに戻ろう。1942年12月には、二人の共同研究の成果である本の原稿はほとんど仕上がり、最後の数ページを残すだけであった。クリスマスの日に最後のペンを加え、1943年1月1日、二人の共同研究は完成した(鈴木2014)。
当初、本の原稿はプリンストン大学出版局と100ページ程度の小冊子として出版の契約をしていたが、最終的に提出したタイプ原稿は、図と数学記号が満載で1200ページを超す大著となっていた。大学出版局はレフリーなしで原稿を受諾し、第2次世界大戦という困難な社会経済状況にもかかわらず、出版作業を進めた。原稿は、1944年9月18日に出版された(von Neumann and Morgenstern 1944)。
本のタイトルは、『合理的行動の一般理論』などいくつかの案が考えられたが、当初からの『ゲーム理論と経済行動』とされた。経済行動というキーワードが入っているが、二人はゲーム理論が経済学だけでなく社会学や政治学にも応用できることを確信していた。ここに、「20世紀前半の科学の主要な出来事の一つ」と評されたゲーム理論が誕生した(Copeland 1945)。
ゲーム理論の最初の論文
ハンガリーで生まれた若き日のフォン・ノイマンは、ヨーロッパの数学界のスターとして数々の業績をあげた。1928年にゲーム理論の最初の論文を発表した(von Neumann 1928)。論文はドイツ語で書かれ、題名は「ゲゼルシャフト・シュピール(社会ゲーム)の理論について」である。
論文は、社会ゲーム(または戦略ゲーム)の数学モデルを提示し、ゼロ和2人ゲームのミニマックス定理(第3章)を証明している。ゼロ和2人ゲームとは、ジャンケン、将棋やチェス、顧客をめぐって競争する2つの保険会社、敵対的な株式公開買付け(TOB)による企業買収、2大政党による政権獲得競争、など2人のプレイヤーの利害が完全に相反するような社会状況を意味する。フォン・ノイマンは、ミニマックス定理によりゼロ和2人ゲームにおける合理的な意思決定の問題を完全に解決した。
さらに、フォン・ノイマンは、ゼロ和2人ゲームだけでなく2人のプレイヤーが協力して1人のプレイヤーに対抗するような3人ゲームの分析も行った。論文の内容は、後に出版される『ゲーム理論と経済行動』の骨格をなすものであった。
1933年1月、ドイツでヒトラーが率いる反ユダヤ主義のナチ党政権が成立し、ユダヤ人を公職から追放した。アインシュタインをはじめ多くのユダヤ人学者は国外に亡命した。ベルリン大学に勤めていたフォン・ノイマンもアメリカに亡命し、1933年にプリンストン高等研究所の教授に就任した。(以下、本文つづく)