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『米国の陪審』

 
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ハリー・カルヴァン, Jr.、ハンス・ザイセル 著
村山眞維 訳
『米国の陪審』

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訳者あとがき
 
 本書は、Harry Kalven, Jr. and Hans Zeisel, The American Jury, Phoenix edition, The University of Chicago Press, 1971 の全訳である。原著は、最初にLittle, Brown & Company からハードカバー版として1966 年に出版され、その後、ペーパーバック版がPhoenix edition として出版された。
 原著は、シカゴ大学陪審プロジェクトのなかで行われた刑事裁判官を対象とする調査と、関連するいくつかの調査の結果をまとめたものである。その主要部分をなす調査では、刑事陪審裁判の審理を担当する裁判官に対して、これから審理する陪審事件における裁判官の判断と陪審の評決、両者に違いがあればその理由を、事件に関する一連の情報とともに尋ねている。そして、この回答に基づき、陪審の評決と裁判官の判断の違いがなぜ生じたのかを詳細に分析している。原著では、それだけでなく、陪審裁判を刑事司法制度全体のなかに位置づけたうえで、陪審裁判の役割を理解するために、包括的な検討を行っている。原著についての過去の紹介のなかでは、陪審が裁判官よりも寛大であるという食い違いに注目が集まることが少なくなかった。しかし、原著の真価は陪審と裁判官の判断の食い違いに焦点を合わせつつ、その実際の機能を刑事司法制度全体のなかに位置づけて明らかにしているところにあり、原著の論述は陪審制度の全体像を示すために極めて緻密に組み立てられている。陪審事件がどのように選択されるかに始まり、陪審が裁判官よりも寛大な判断を行う事件とその理由、裁判官が陪審よりも寛大な判断を行う少数の事件とその理由、裁判官の説示のあり方と陪審に対するその影響、さらに陪審の評議へと至る議論の全体を読むことによって、陪審が刑事裁判さらには刑事司法制度全体のなかでどのような役割を果たしているのかをより良く理解することができる。読者には、ぜひ本書の全体をお読みいただきた
い。
 原著は、そのなかで繰り返し述べられているように、賛否の激しい論争の対象となっている陪審という法制度の現実の作用についてありのままに記述し、賛成か反対かに与することなく、事実としての陪審の役割を明らかにすることを目的として調査が行われ、データの分析も進められた。
 このような原著の優れた点は、裁判官に対する質問票調査が必ずしも社会調査の「正しいやり方」に合致していないことを率直に認め、いわば手の内をさらして、調査データの偏りの可能性について関連箇所で言及していることである。
 原著のもとになった裁判官への質問票調査は1954 年から55 年にかけてと1958 年に実施されているが、その時代の米国では、男女の役割分業が明確に存在していた。調査に回答した裁判官のほぼ全員は男性であると思われる。原著では裁判官の代名詞として常に「彼」が使われており、裁判官が女性であることは1 箇所で注記されているにとどまっている。また、公民権法運動は始まったばかりであり、同性愛者や原住民に対する偏見も広く存在していた。本書に出てくる州法上の犯罪や陪審の評決のなかにそうした社会状況は明確に表れている。このような米国の社会状況は、今日では大きく変化している。
 また、連邦裁判所において陪審員になる機会と陪審員を務める義務を定めた1968年の連邦法Jury Selection and Service Act は、主に、投票者登録名簿に基づいて陪審員候補者名簿を作成するものとし、多くの州がこれに倣うことによって、地域住民の多様性が陪審員の構成にも反映されるようになってきており、連邦最高裁判所も州における極端に偏った陪審員構成は修正第6 条に違反すると判示してきている。このように陪審員の代表性が高まってきた結果、評決のなかに反映される陪審の「価値」も変化してきていると思われる。
 このような社会変化と陪審構成の変化の結果、本書に描かれている陪審評決と裁判官との食い違いの状況は、その内容において今日では異なってきていると推測される。しかし、陪審を含む米国の刑事司法過程の構造それ自体は大きくは変化しておらず、陪審と裁判官がどのような理由でその判断を異にするに至るのかについての基本的な構造に大きな違いはないであろう。また、米国の刑事司法制度全体のなかで陪審が果たしている役割にも、大きな違いが生じているとは思われない。
 原著が米国の刑事陪審についての最初の本格的な経験的研究であることは、広く知られている。シカゴ大学ロースクールは、1952 年にフォード財団から、法と行動科学の分野における研究のために当時としては巨額の研究費を獲得したが、陪審についての研究が、追加予算も得て、その主要部分として進められた。陪審についての一連の研究は、法学者と社会科学者の協働作業として進められたが、その中心となったのは、法学者であるハリー・カルヴァン・Jr と、社会科学者であるハンス・ザイセル、およびフレッド・ストロードベックであった。この陪審プロジェクトからの研究成果としては、まずHans Zeisel, Harry Kalven, Jr., Bernard Buchholz, Delay in the Court, Little, Brown & Company, 1959 が出版され、本書の原著が1966 年に出版された後に、Rita James Simon, The Jury & the Defense of Insanity, Little Brown & Company, 1967 が出版されている。このプロジェクトのなかでは民事陪審についての調査も行われており、原著でも言及されているが、研究成果は出版されなかった。この他、陪審に関連する様々な調査が行われており、それらは巻末のプロジェクト文献に掲載されている論文から知ることができる。
 原著が出版された1960 年代は、米国における法社会学の黎明期とも呼びうる時期であり、その後の経験的研究を牽引するような研究がいくつも行われた時期であった。シカゴ大学陪審プロジェクトは、そのなかでも巨額の研究費を使って行われた研究として、注目を集め、多数の書評も書かれている。わが国においても、米国における法制度の経験的研究に関心が高まってきた時期であり、原著は、米国における書評をも含めて紹介されている。米国では、原著に対して、あるべき法社会学研究についての異なる立場からの批判だけでなく、社会調査の基本的作法に従わない調査手法や、裁判官を陪審との比較のベースラインにする研究デザインへの批判も行われた。しかし、原著は、公刊数年後には、陪審の判断についての裁判官の推測が正しければという条件付きではあるが、陪審についての理解に記念碑的貢献をする研究であると評価されている。その後も、原著はいわば陪審研究のための基本的座標軸のような役割を果たしており、経験的研究で著名なセオドール・アイゼンバーグは、原著が出版から35 年を超えてもなお、米国の陪審研究のベンチマークであり続けていると述べている。
 米国における陪審研究は、原著刊行後、量的にも質的にも大きな発展を遂げてきたと言えるであろう。1970 年代には、フェニックス版への序言にも述べられているように、連邦最高裁判所はまず6 名の陪審員からなる陪審を修正第6 条違反ではないとし、後に6 名未満の陪審員からなる刑事陪審は修正第6 条違反であるとした。また、連邦最高裁判所は、陪審員12 名の全員一致に至らない9 対3 の有罪評決が修正第6 条に違反しないと判示している。これらの連邦最高裁判所の判決は、陪審員の数が12 名よりも少ない陪審評決と多数決による陪審評決が12 名の陪審員からなる全員一致の評決とどのように異なるかについての研究を急激に増加させたと言われている。こうして多数の陪審研究が行われ、1980 年代には陪審研究をまとめた著書が刊行されるようになった。陪審についての研究は、当初、その多くは学生や一般人を被験者とした模擬陪審による実験によって行われたが、その後、実際に近い実験環境が重視されるようになり、実際の陪審員を用いた実験や陪審員の面接調査が行われるようになってきている。
 1990 年代以降も多数の陪審研究が行われてきたが、ここではその主なものだけに触れておきたい。1993 年にアリゾナ州最高裁判所は、陪審改革の委員会を設置し、その委員会は翌年に陪審構成手続から事実審理、評議に関わる55 項目の改善策を提案した。それらの改善策の一部しか実際には採用されていないが、そうした改善策がどのような効果を持ったかについての調査研究が主に民事陪審について行われることとなった。
 本書では、第35 章で死刑についての検討が行われているが、原著刊行後の1972 年に、連邦最高裁判所は、差別的結果をもたらす恣意的な仕方によって科される死刑は、修正第8 条の禁止する「残酷で異常な刑罰」にあたるとし、憲法違反であると判示した。その4 年後、連邦最高裁判所は、死刑それ自体は修正第8 条によって禁止されていないとし、死刑を科す明確で客観的な基準があり、かつ陪審に十分な裁量を与える場合には合憲である、と判示している。この結果、人種的偏見を中心に、死刑を科す判断が恣意的でないものであるのかどうかが争われるようになり、1990 年頃に研究者のコンソーシアムである死刑陪審プロジェクト(Capital Jury Project)が組織され、18 州の死刑陪審事件についての研究が行われてきている。
 また、1990 年代には注目を集めた陪審事件が評決不能で終わることが続き、評決不能に対する研究者の関心が高まったと言われる。そうしたなかで、州裁判所全国センター(National Center for State Courts)の研究者を中心に研究プロジェクトが組まれ、4 つの州の重罪事件の陪審裁判を対象にして評決不能の原因を探るために陪審事件の詳細なデータが収集され、研究業績が生み出されている。
 このように、現在では、米国の陪審研究は主に実際の陪審を対象にしたものが行われてきているが、それらの研究において『米国の陪審』は今でも研究の座標軸として用いられているのである。
 原著の存在を知ったのは学生時代であるが、翻訳を思い立ったのは、明治大学に赴任し、学部の授業で原著を学生と読み始めてからである。きっかけを作ってくれた学生諸君に感謝したい。本来であれば司法改革のなかで国民の司法参加が論じられている時期に翻訳をすべきであったが、その時期は別のテーマについての研究に没頭しており、翻訳をする時間を見つけることができなかった。しかし、時宜に遅れたとはいえ、本書は米国の刑事司法制度における陪審の全体像を提示するものであり、裁判員制度を含むいわゆる参審制度と陪審制度の違いを広い制度的文脈のなかで考えるために、また、民事司法における国民の司法参加を考えるうえでも、重要な知見を提供していると思う。
(以下、本文つづく。注は割愛しました。pdfでご覧ください)
 
 
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