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『働く母親と階層化――仕事・家庭教育・食事をめぐるジレンマ』

 
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額賀美紗子・藤田結子 著
『働く母親と階層化 仕事・家庭教育・食事をめぐるジレンマ』

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序章 働く母親と階層化
 
Ⅰ 格差社会における子育てと仕事のダブル・バインド
 
1.「新自由主義的母性」を求められる女性たち
 少子高齢化に伴う労働力人口の減少が進む中、今日の日本社会では女性労働者の活用がめざされている。2010 年代に入って女性活躍の推進が国家目標として掲げられ、2015 年には女性活躍推進法が成立した。企業や官庁もワークライフバランスの重要性を喧伝し、長時間労働の是正や育児休業の整備に乗り出す動きもみられる。この流れの中で働く女性の数も増加傾向にある。1990年代には共働き世帯が専業主婦世帯の数を抜いたが、この10 年で女性の就業率は著しく増加して2020 年には7 割を超えた(総務省 2020)。そのうち25~44 歳の子育て世代については、8 割近くの女性が仕事をしている(厚生労働省2019)。女性が出産後も働くことは日本社会で当たり前になりつつある。
 しかし、国際的には日本の女性の就業率は未だ低い水準にある。結婚・出産によって仕事を辞める女性は減ったものの、第1 子出産後の就業継続率は53.1% にとどまる(国立社会保障・人口問題研究所 2017)。また、出産後の女性が就業継続あるいは、いったん仕事を辞めたあとに再就職をするにあたってはパートタイム勤務の割合が極めて高く、共働き世帯が増加したとはいえ、その半数以上は非正規で就業している。多くの母親が、働きながら家事・育児の責任も負うという「二重役割」を遂行している。
 では父親の育児参加にはどのような変化がみられるのだろうか。1999 年に当時の厚生省は、「育児をしない男を、父とは呼ばない」というキャッチコピーを掲げて女性の社会進出を推進する姿勢を打ち出した。2000 年代後半になると「イクメン」ブームが到来する。子どもをもつ父親を対象にした雑誌が次々に発刊され、育児を楽しむ父親たちがテレビでさかんにとりあげられた。政府の「イクメンプロジェクト」が始動したことも「イクメン」ブームを支えた。石井(2013)によれば、こうした社会的な風潮の中で現在の日本では育児をする父親に対する肯定的なイメージが浸透し、「父親文化」が育ってきている。
 しかし各種の統計データは、実際に家事や子育てに関わる父親がまだ少数にとどまることを示している。近年大きな伸び率がみられるものの、育休をとる男性は全体の12.5% である(厚生労働省 2021)。6 歳未満の子どもを持つ親が育児・家事に費やす時間は、共働きの母親が1 日平均7 時間34 分であるのに対し、父親は平均1 時間23 分で、日本の男性の家事関連時間は先進国の中で最低ランクである(総務省 2016 年)。フルタイム共働き世帯でも6 割の家庭で妻が家事の8 割以上を担っている(国立社会保障・人口問題研究所 2019)。国際比較の視点からも、日本では父親の片稼ぎモデルを前提とした性別役割分業体制が強固であり、基礎的な生活保障機能を提供する福祉国家の基盤は家族が担うという構造が顕著である(白波瀬 2003)。保守的な家族主義のもとで女性のケア役割が強い規範として維持され、男性の家事・育児参加は遅々として進まない。
 このように、国家成長戦略として女性の就労の重要性が喧伝される一方、女性だけが変わらず家事と育児を担いつづけるという社会構造はほとんど変わっていないようにみえる。保育所の待機児童問題に現れるように日本の家族支援政策は未だ不十分で、母親が安心して働きながら子どもを育てる環境が保障されていない。三浦(2015)は、性別役割分業を維持したまま、女性を労働力として活用しようとする安倍政権下の成長戦略が、「新自由主義的母性」を称揚する展開になっていると指摘する(p. 2)。それは、女性の就労を支援しつつ、依然として女性に子育てと家事の責任を担わせるという矛盾したベクトルである。その中で、子どもを生み育てる営みについては、社会化が不十分なまま、家庭の自助努力という女性をあてにする家族政策の色合いを強めてきた(斉藤2017)。
 特に、新自由主義と共振する母親像は、家庭教育の領域で顕著に見出せる。親のもつ資本と選好が子どもの教育達成を決定するというペアレントクラシー(Brown 1990;耳塚 2007)のイデオロギーのもとで、母親の教育選択と責任がさらに強調される傾向がみられる(本田 2008;喜多 2012)。こうした母親役割の強調は、国が家庭教育に介入しようとする安倍政権下の政策においても顕著に見出され(木村 2017)、一連の政策の中で「国家家族主義」(三浦 2015)における母性の復権が意図されている。
 「女性活躍」の推進と母性の強調という矛盾したベクトルの下で、子育てしながら働く女性たちは仕事と母親業の間のダブル・バインド状態をどのように意味づけ、経験しているのだろうか。これが本書の第一の問題関心である。
 
2.日本社会の階層化と働く女性たち
 本書の第二の問題関心は、子育てしながら働く女性のダブル・バインド状態やそれへの対処が、階層によってどのような影響を受けるかという点にある。戦後、「近代家族」が大衆化し、「夫=稼ぎ手役割、妻=ケア役割」という性別役割分業が日本社会に浸透した(落合 1994;山田 1994)。大企業においては男性の稼ぎで家族を養うことができる形で賃金が整えられ、大企業労働者家族を中心とする日本の家族は企業社会に家族一丸となって包摂されていった(木本1995)。妻の就業は、妻・母役割をよりよく完遂するもの(上野 1990)とされ、生計維持というよりは「家計補助」「職業を通しての自己実現」として解釈されてきた。だが、男性の雇用が不安定化するにつれ、女性には、ケア役割にくわえて、新たに稼ぎ手役割が期待されるようになった(岩間 2008 : 112)。
 2015 年に成立した女性活躍推進法では、「採用者に占める女性の割合」「男女の平均継続勤務年数の差異」「管理職に占める女性の割合」などを把握し、数値目標を盛り込んだ行動計画を策定するなどの取り組みが大企業に義務づけられた。この法整備の下、聞き取り調査(小笠原 2018)では、大企業で両立支援制度が整備される中、高学歴女性が非経済的理由で働くというよりも家計の責任を負うという意味づけをするなど、男性の意識に近似する事例も示された。
 その一方で、技能や資格がより少ない非大卒の女性は、相対的に安定した雇用を得ることが難しいままとなっている。総務省統計局「労働調査詳細集計」によると、1990 年代後半以降に非正規労働者の割合が増えたが、25~34 歳層では学歴間の差が広がり、非大卒の方が非正規雇用になりやすい傾向が強まった。菊地(2019)は、女性活躍推進法について、女性を前面に掲げながら実のところ一部の高い地位の女性のみしか考慮していない点にこの法の矛盾含みの性格があると指摘している。男性労働を基軸として女性労働を序列化・細分化する一方で、女性が非正規であることは問題とはされない。自然化された女性非正規労働者の存在が、非正規労働の待遇の低さを維持し、格差を生んでいることを気づかれにくくしているという(菊地 2019)。また、竹信(2013)は、家事労働の価値が低く見積もられ、労働時間の設計からも家事労働が排除されていると指摘する。
 家事、そして育児や介護は、脆弱な人々の生存を保障する上で必要不可欠なケア実践であるにもかかわらず、女性に押し付けられる中で不当にその価値を貶められてきた。母子関係はケアの代表的なものである(元橋 2021)。岡野(2020)は、ケア倫理学者のヴァージニア・ヘルド(2006)を参照し、ケアの倫理は、「ケア実践の中で見いだされる価値、その重要性や道徳的な含意をわたしたちに伝えるさまざまな経験に、同等な考慮を示すべき、価値を見いだすべきだという意味での平等を訴える」と説明する(p. 138)。ケアの倫理は、看過されてきた母親たちのケア実践に積極的な価値を見出し、「ひとが育まれる・育む、労わられる・労わるといった心身をめぐるニーズ充足の関係性における実践」を家庭の中だけではなく、社会に広げていくことで民主主義を立て直すことをめざしている(岡野 2020 : 138)。
 このようなケアの倫理によって支えられる社会を構想していく上でも、女性たちがどのように働きながら家事や育児といったケア実践に携わっているのか、女性のリアリティに肉薄して明らかにする研究が求められている。女性労働が序列化・細分化され、「新自由主義的母性」が称揚・喧伝される中、子育てしながら働く女性たちは、母親業や働くことをどのように考え、経験しているのだろうか。大学を卒業し大企業で総合職として働く母親たちと、待遇の低い労働に従事する母親たちの間には、どのような差が現れてきているのだろうか。前者に関しては、高学歴女性を対象とした先行研究で、また活躍する女性の現状として報道でも取り上げられてきた。しかし、後者の状況は十分に明らかにされていない。そこで本書では、女性たちの母親役割・稼得役割・職業役割に注目し、女性間の差について考察したい。これが第二の問題関心である。
 
3.本書の問題関心と特徴
 以上の点をふまえ、あらためて本書を貫く問題関心を提示する。
 ⑴  「新自由主義的母性」が称揚される中で、子育てをしながら働く女性たちは仕事、子育て(特に家庭教育)、家事にどのような意味づけをし、そのダブル・バインド状態にどのように対処しているのか。
 ⑵  女性たちのそうした意味づけや対処方法に、階層差はどのようにあらわれるか。
 これらの問題を検討するにあたり、本書は子育てをしながら働く女性55 名へのインタビューデータを用いる。母親の仕事と育児・家事に関する研究蓄積は膨大にあるが、計量的手法が中心であり、働く母親の経験に肉薄したものは希少である。数少ないインタビュー調査は高学歴世帯に偏る傾向がみられる。本書の特徴は、階層的に異なる背景をもつ女性たちの語りを収集・分析し、女性が働きながら育児をすることのジレンマと多義性を当事者視点から明らかにする点にある。
 なお、本書では、研究の目的のために、調査協力者を「母親」ではなく「女性」というカテゴリーを中心に使って表象する。本書は「働く母親」というタイトルを掲げているが、「母親」というアイデンティティを本質主義的に捉えているわけではない。「働く母親」という表現には、「母親」という「存在(being)」に「働く」という「活動(doing)」が付随するというニュアンスがつきまとうため注意が必要である(Garey 1999)。本書は、「女性」だけでなく、「母親」というカテゴリーやアイデンティティも、人びとの活動(doing)の中で社会的に構築されていくという立場にたつ。そして女性たちが、「働く母親」をどのように意味づけ、「母親をする」という活動、即ち母親業を実践しているかに注目する。(以下、本文つづく)
 
 
あとがき
 
 この研究は、藤田が額賀に声をかけたことから始まった。藤田は任期無しの職をようやく得て出産したのだが、今度は子どもの世話で、遠くにあるフィールドに行くことも長期間滞在することもできなくなった。もう研究はしばらくあきらめるしかないと思った。そんなとき、あるきっかけから、新しい分野を勉強することにはなるけれど、長時間滞在できる目の前のフィールドを調査してみようと考えるようになった。「保育園落ちた」に象徴される待機児童問題が大きなニュースになっていた時期で、少しでも多くの調査研究が必要とされているようにも感じた。そこで、藤田が、教育を専門とし家庭や子育てに関連する研究の経験があり、出産時期や調査方法が同じである額賀に声をかけた。
 額賀の方は当時育休中であったが、手のかかる乳幼児の世話に翻弄されて活字を読む気力すらない時期だった。出産前は毎年調査や学会発表していたが、子どもが生まれてからは許されない贅沢のように感じられた。研究者としての行きづまりを感じていた折、藤田からプロジェクトをもちかけられる僥倖を得た。小さい子どもの世話をしながらでも、身近なフィールドなら調査ができるかもしれないと思った。もともと子育てや家庭教育に学術的な関心を持っていたこともあるが、何よりほかの母親たちが一体どうやって子育てと仕事を乗り切っているのかを知りたいという個人的な思いにも突き動かされた。
 こうして私たちは、子育てと仕事の狭間で自らが経験する焦燥感を学問的な知見と結びつけながら、構想を練り始めた。そして、研究という仕事と育児に葛藤しながら、仕事と育児に葛藤する女性たちに母親たちに話を聞くという当事者研究を2016 年に発進させた。
 それからあっという間に6 年の歳月が過ぎた。最初は身近な知り合いに声をかけて話を聞くことから始まった調査だったが、四方八方手を尽くす中で、さまざまな背景をもつ55 名の子育て中の女性たちにインタビューの協力を頂くことができた。彼女たちの語りから、私たちは現代の日本社会で仕事と母親業の両方をこなしていくことが、女性にとっていかに困難な営みであるかを深く知ることになった。「仕事と子育ての両立に関する調査」という文言が入った募集チラシを見て、「全然両立なんてできてないんですけど……」と申し訳なさそうに呟いた女性たちがいた。まさに子育て中の女性にとっては毎日が綱渡りで、家族の誰かがちょっと体調を崩したら、すべての歯車が狂いだす。そうした危ういバランスをどうにか保ちながら、彼女たちは家庭と職場を行き来する慌ただしい日常を成り立たせていた。私たちは、彼女たちが語る憤りや不安に深く共感したり、仕事と母親業を織り合わせる彼女たちの知恵や工夫に学ばせてもらったりした。と同時に、「働く母親」が一枚岩の存在ではないことにも気づかされた。仕事と母親業への意味づけや葛藤の経験はさまざまであった。そして、そのバリエーションには日本社会の格差が色濃く反映されていた。
 なぜ母親でありながら働くことがこんなにも息苦しいのか。私たちの個人的な経験から湧き出たこの疑問を、本書では多様な背景をもつ女性たちが語るリアリティをもとに探究した。執筆を終えて、自分たちのもやもやした気持ちが少し晴れたような感覚はある。しかし、調査に協力していただいた女性たちの豊かな語りをどこまで適切に解釈し、本書に反映できたかについては正直心もとないところもある。紙幅の都合もあり、限られた範囲で語りを切り取らねばならない作業に頭を抱えつづけた。私たちは調査方法やデータの解釈、表象の仕方について何度も議論を重ね、すべてのデータに目を通しながら分析を精緻化していったが、それでも理解が不十分であったり、掬いとれていないリアリティの断片があったりすることだろう。不安が残る中で思い出すのは、協力してくれた女性たちの何人かが、自分たちが置かれた厳しい状況を知ってもらいたかったと調査への参加動機を話してくれたことである。彼女たちの生きづらさのすべてを捉えきれているとはいえないが、本書を通じて、子育てしながら働く女性たちの切実な思いが広く共有されることを強く願う。そして、仕事や子育てにおいて多様なライフスタイルが承認され、人々が共にケアを担い余裕をもって自由に生きられる社会を構想していく一助になれば幸いである。
 
 
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