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稲井智義 著
『子ども福祉施設と教育思想の社会史 石井十次から冨田象吉、高田慎吾へ』
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はしがき
教育は福祉との関係においてどのようなものであるか。本書はこの問いに、近代日本における子ども福祉施設の男性指導者たちが持つ教育思想の展開をたどることによって答えようとするものである。
日本では一八七〇年代以降、育児院や養育院、孤児院、感化院、保育所、夜間小学校といった、子どもたちに特別な養育をする福祉施設が創出された。この過程を通じて、施設で暮らす子どもがどのような養育と教育を受けるかについての異なる考えが示され、それまでの子ども福祉施設と教育の意義が問われてきた。このような変遷については、第二次世界大戦後の子どもの福祉と教育機会を保障する制度(施設と法令)へと発展していく前段階であるという分析がなされることもあった。しかしながら近代日本の子ども福祉施設と教育は、必ずしも戦後から遅れたものではなく、近代の公教育制度やその根底にある家族と子どもに関する規範と理想を実現するために模索され続けてきたものであった。
こうした歴史から、現在の教育と福祉の関係やそれぞれの役割をどのように考えるかという問いが浮上する。日本で二一世紀初頭に再発見された「子どもの貧困」の問題は、適切な福祉と教育を子どもたちに保障することによって解決できるかのように見られがちである。近代日本でも同様であった。しかし実際には福祉と教育の制度もまた、社会や政治に埋め込まれており、不平等な社会や秩序、ジェンダーを再生産する役割を果たしている。
本書は、そうした「福祉と教育の保障」という認識の下では注目されてこなかった、子ども福祉施設と教育思想の展開に新たな光をあてる。そのために石井十次から冨田象吉、高田慎吾へと至る系譜に注目する。この三人は、一八八〇年代後半から一九三〇年代半ばまでの日本で、貧困家族と子どもの問題に最も取り組んだ民間事業家である。彼らの事業と論考では、近代教育を構成する家族と学校、国家との関連と、母親を子育ての担い手とする規範は再編されつつも一貫していた。石井による孤児院と保育所、夜間小学校の設立と冨田による施設の継承もその一環であり、高田は他者を支配せずに助け合うアナーキズムに接近し、母親の自己修養のための託児所を提案した。本書は彼らの実践と思想に注目することによって、子ども福祉施設と教育のあり方が繰り返し問い直されていたことを浮き彫りにする。
本書はこの点を明らかにするために、この三人の系譜を、彼ら自身の事業と論考に即して検討するとともに、その背後にある歴史的社会的な文脈を掘りさげることを目指した。そのなかで、近代家族と近代学校、国民国家との関連や、都市下層家族、福祉国家、ユートピア思想、アナーキズムといった、今日、家族史や教育史、社会史、経済史、歴史学、哲学の領域で広く議論されている諸側面との接点に光があてられている。
本書の研究を通じて、福祉と教育の保障という認識を見直し、教育と福祉の関係をとらえ直す視座を得たい。私たちは、さまざまな事情を抱える家族の子どもが通う公教育の役割が何であるかを根本的に問い直し、その地点からこの問題を探究し始めなければならない。