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『知財とパブリック・ドメイン 第1巻:特許法篇』

 
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田村善之 編著
『知財とパブリック・ドメイン 第1巻:特許法篇』

「はしがき」「第1章(冒頭)」(pdfファイルへのリンク)〉
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はしがき
 
 従来,「パブリック・ドメイン」は,知的財産権の及ばない領域のことを意味するものとして,ともすれば,意識的または無意識的に,知的財産権に対立するものと考えられることが多かった.しかし,知的財産権という制度を設ける目的が,知的財産の創作を促すことで産業や文化の発展を期するところにあるのだとすると,じつは,知的財産権は究極的には皆が利用できるパブリック・ドメインを醸成することを目的としていることになる.合計三巻本で構成される本企画『知財とパブリック・ドメイン』は,こうした観点から,各種知的財産法を横断的に俯瞰し,真の意味での産業や文化の発展に資する知的財産制度の構築を目指す研究プロジェクトである,科学研究費補助金・基盤研究(S)「パブリック・ドメインの醸成と確保という観点からみた各種知的財産法の横断的検討」(2018~2022 年度)の成果である.
 本プロジェクトの研究代表者である筆者は,21 世紀COE プログラム「新世代知的財産法政策学の国際拠点形成」(2003~2007 年度),グローバルCOE プログラム「多元分散型統御を目指す新世代法政策学」(2008~2012 年度),基盤研究(A)「新世代知的財産法政策学の探求」(2013~2017 年度)という3 つの研究プロジェクトの拠点リーダーないし研究代表者として,知的財産制度に関わる研究を遂行してきた.その成果をまとめると以下のようになる.
 第一に,21 世紀COE プログラムを遂行することにより,知的財産権は,構造的に,政策形成過程における少数派バイアスを被りやすく,知的財産権が過度に強化されがちな制度であることを解明した.
 知的財産権は,ごく少数の者,つまり知的財産権者に多数の者の行為を規制させる権利であり,その結果,当該少数の者に大きな利益が集中する反面,他の多数の者が奪われる利益は相対的に小さいものに止まる.しかも,知的財産権は,元来自由である人の行為に対する規制を人工的に政府により設営する制度であるところ,有体物の利用を中心として観念される所有権のような概念上の歯止めがないために,制度設計の自由度が高いという特徴があり,その分,当該少数の者(=知的財産権者)にとってロビイングの甲斐がある.その結果,現実にも,知的財産権を強化する方向の条約,立法がかまびすしく行われている.そこで,21 世紀COE プログラムでは,最終的に,こうした現状を打開するために,市場,立法,行政,司法の役割分担を進めていくことを謳ったのである.
 しかし,こうした21 世紀COE プログラムの成果により,研究は,自己撞着に陥りかねない難題に直面することになった.それは,少数派バイアスが存在する以上,いかなる改革を提唱しようとも,そのような提言は,結局,バイアスによって採用されることはなく,何をいっても徒労に終わるのではないか,ということである.
 第二に,グローバルCOE プログラムは,私にとっては,このゴルディアスの結び目を解く方策を研究するものであった.
 一筋の光明は,国際知的財産法制度の現実の交渉の際には,剥き出しのpower and force ではなく,“polite” reason and justice が用いられ,受け入れられがちであると指摘する文献に接した際に見出された.知的財産権の保護の水準を国際的に引き上げるTRIPS 協定が締結にいたる過程では,途上国に対して,知的財産権の強化が最終的には産業の繁栄をもたらすという言説と知的財産権を守らないことは海賊であるという言説による説得が行われている.こうした話は,国際知財の世界に限ったことではない.私は北大の人文・社会科学総合教育研究棟の5 階で二つのCOE を遂行していたが,そのすぐ上の6階でやはり二つのCOE が遂行されており,そこでは人が必ずしも経済合理的に行動するわけではないということを解明する社会心理学の実験が行われていた.
 もう一つの啓示は,法概念というメタファを用いる法的思考様式の特質を把握するために,認知言語学の文献に手を伸ばしたことによってもたらされた.認知言語学は人々が現実の世界を観察して解釈する際に,言語あるいはメタファに規定されていることを明らかにしている.かりに知的財産の法制度が,純然たる少数派バイアスの産物というわけではなく,議論が影響を与える余地があるところ,そうした議論をする人々の意識が法概念というメタファによって影響を受けるのだとすると,政策形成過程に影響を与えにくい者の利益をマインド・セッティングのデフォルトとするようなメタファを用いることで,政策形成過程におけるバイアスに抗し,ゴルディアスの結び目を解くとまではいかなくとも,少しは緩めることができるかもしれない.これがグローバルCOEプログラムを終えた時点での私の到達点である.
 第三に,続く基盤研究(A)では,知的財産権の実体を表現するメタファに目を向けることにした.
 一般に流布している知的「財産」,知的「創作物」というメタファは,知的財産権という制度によって人々の自由が規制されているという意識を希薄化させ,「創作物」というメタファは権利が当然のものであるという観念を抱かせるので望ましいとはいいがたい.むしろ,知的財産権と呼ばれているものの実態は「行為規制」,「政府規制」であるというメタファのほうが,人々の行為を政府により規制するものであることを前面に押し出すことで,そのような規制を正当化するに足りる理由の論証を要求することにつながる,という意味で望ましい.
 基盤研究(A)では,このように知的財産権は政府による行為規制であるという発想の下で,プロセスのなかの通過点としての特許「権」というアプローチであるとか,日本の著作権法のリフォーム論という具体的な提言をなした.
 第四に,これに対して,基盤研究(S),つまり本研究では,それまでの「政府による行為規制」という規律の形式に着目するメタファに加えて,新たに「パブリック・ドメインの醸成」という規律の目的に着目するメタファに焦点を当てた研究を遂行した.
 冒頭にも述べたように,従来の知的財産法学の世界では,知的創作物や創作者概念に関心が集中する反面,パブリック・ドメインは知的財産権の対象ではないものとして消極的に定義されるに止まり,スポットライトが当てられることは稀であったと指摘する文献に接したことが,本研究の端緒となった.たしかに,知的財産法の目的が産業や文化の発展にあるのだとすると,知的創作物の創作の奨励とその保護は,産業や文化の発展を実現するための手段だということになる.そして,産業や文化の発展は,パブリック・ドメインを豊かにしその利用を確保することで果たされるはずである.そうだとすると,パブリック・ドメインの醸成こそが,知的財産法の究極の目的であると理解しなければならない.
 たとえば,特許法の世界では,意識的ないし無意識的に,知的「創作物」を保護するというマインド・セッティングがとられていた結果,ビジネス・モデルや金融商品などの抽象的なアイディアであっても,そこに創作が働いている限り,特許を認めるという発想がとられていたり,食品等について新たな用途が発見された場合,これまで発明がなかった以上は新規であり,ゆえに特許を認めるという結論がとられたり,既存の公知技術と構成は同じであっても顕著な効果を見出した場合に特許が認められたり,数値限定発明,用法用量限定発明等のパブリック・ドメインと境を接する特許が認められた場合,パブリック・ドメインに浸食するような場合でも創作者の保護を優先して差止請求を認めるアプローチがとられたりしてきた.他方で,パブリック・ドメインの醸成というマインド・セッティングの下では,抽象的なアイディアに関してパブリック・ドメインに属すべきと判断した以上は,いかにそこに独創性が認められても特許すべきではないことになる。そこで,公衆がこれまで享受していたパブリック・ドメインを保護するために,公知技術と区別できない以上は新規性がなく特許を否定するという結論をとることになり,新しい効果が見出されたとしても,公知技術と構成を同じくするのであれば進歩性を否定するという結論をとることになり,数値限定や用法用量発明について特許を認めるとしても,パブリック・ドメインと区別しうる場合に限り保護を認める工夫を施すことになる.
 著作権法の分野でも,創作者の立場から事前の選択肢に焦点を当てる結果,多数の選択肢から少数のものを選びとるとただちに創作性を肯定する結論がとられることが少なくなく,工業デザイン,つまり応用美術についても創作した以上は,著作物性を認めるべきであるという結論がとられることがある.また,市場で代替可能性がある限りは創作者を保護する必要があるという考え方に基づき,保護範囲の判断基準として需要者基準のみを用いるべきであると提唱されたり,著作権を制限するフェア・ユースを導入するためにはそれを支える立法事実があることが要求されたり,存続期間延長の効果が不明な場合に,創作者の保護を優先する国際情勢との調和を理由として,期間延長を認めるという見解が主張されやすい.これに対して,本研究のパブリック・ドメインの醸成というマインド・セッティングの下では,後発の利用者・創作者に十分なパブリック・ドメインを残すためには,事前ではなく,事後の選択肢に焦点を当て,そのような少数の選択結果については著作物性を否定することになる.また,全ての創作物が著作物となるわけではなく,著作権法が保護を与えるべき創作物を文化の範囲要件で限界づけるという発想の下,工業デザインについて著作物性を否定することになり,後発の創作者に十分な創作の余地を残すために,パブリック・ドメインとしておくべき領域についてはアイディアであって創作的な表現とはいえないことを理由に類似性を否定し,著作権の制限や存続期間の場面でも,むしろ著作権の保護を主張する者のほうに,立法事実を要求することになる.
 商標法,不正競争防止法の分野では,財産的価値がある以上保護を認めるべきであるという議論がなされることが少なくなく,最近では,第4 次産業革命関連で,ビッグ・データに価値が生じている以上,ビッグ・データ保護権を新設すべきであるという議論がなされることもあった.これに対して,パブリック・ドメインの醸成というマインド・セッティングの下では,財産権をデフォルトとする議論はとらず,価値があることに加えて積極的な理由が示されない限り,保護の拡大には慎重な態度をとることになる.
 注意しなければならないことは,知的財産制度自体が,範囲と期間を区切りつつパブリック・ドメインに属さない領域をあえて設けることでパブリック・ドメインを醸成しようとするアンビバレントな構造を有している以上,各種の場面で,創作物アプローチを重視するのか,それともパブリック・ドメイン・アプローチを採用するのかということが一刀両断に一義的に決まるものではないということである.ただ,知的財産法の構造上,パブリック・ドメインの醸成が第一次的な目的であって,創作物の保護は道具的な関係にあることに鑑みると,限界線上の事例で決め手がないのであれば,議論のデフォルトとしてはパブリック・ドメインの確保を優先し,そこから逸脱しようとするほうにその論証を求めるという思考実験を行うところに,筆者が提唱するパブリック・ドメイン・アプローチの眼目がある.
 基盤研究(S)は,こうした筆者の構想に完全に帰依していない者も含めて,まさに議論によりパブリック・ドメイン・アプローチの有用性を検証することに賛同する者を集めて遂行された.紙幅の都合上,その成果の全てを本書に収めることは叶わなかったが,ここにいたるまでにも様々な媒体を通じて本プロジェクトの成果を披露していただいたおかげで,知財法の学者はもとより,実務家の方にも「パブリック・ドメイン・アプローチ」は認知され始めているようであり,実際にこの言葉を用いた文献も散見するようになっている.議論を喚起するという本研究の目的は,達成されたといってよいのかもしれない.
 本来であれば,研究分担者として参加していただいた皆さんの名前をここに記し,感謝の意を表したいところであるが,その情報は目次と重複するので,ここでは控えることとする.ただ,お一人だけ,特に中山一郎教授のお名前を挙げることをお許しいただきたい.本研究の2 年目に当たる2019 年度には,田村は北大から東大に所属を変更したが,後任として北大に着任してもらった中山教授のリーダーシップの下,これまでの各種研究プロジェクトを遂行する過程で北大に蓄積していた人的・物的基盤をスムーズに引き継ぎ,本研究を円滑に遂行することができた.また,北大では特任助手の髙橋直子さんに,東大では特任専門職員の高橋史織さんにその専門的な知見を活かしたサポートをいただいた.また,私が別途,コーディネータとして遂行している東大の卓越大学院プログラム「先端ビジネスロー国際卓越大学院プログラム」に関しては,特任助教の張唯瑜さんの支援をいただいている.これらの方々の尽力なしには,このような形で本研究の成果を世に現すことはできなかったであろう.
 本書は,田村善之=山根崇邦編『知財のフロンティア』(勁草書房,2021 年)に引き続き,勁草書房さんから出版されることになった.『知財のフロンティア』が知財法学者とそれ以外の分野の学者や実務家のいわば横の広がりを示す研究であるとすると,本書『知財とパブリック・ドメイン』は知財法学者の縦のつながりを示す研究ということができる.両者あいまって知財研究の裾野の広がりを示すものとしてご愛読いただけるのであれば,編者としてこれに優る喜びはない.前書のはしがきに記したように,前書はこちらに持ち込まれた企画であるところ,本書はその返礼(?)としてこちらから持ち込んだ企画である.出版を快く引き受けていただくとともに,とりわけ作業が滞りがちの私をうまくコントロールしてここまで漕ぎ着けさせてくださった中東小百合さん,鈴木クニエさんに感謝申し上げたい.
[謝辞] 本研究はJSPS 科研費JP18H05216 の助成を受けたものである。
 
田村善之
 
 
第1 章 特許制度における創作物アプローチとパブリック・ドメイン・アプローチの相剋
 
田村善之
 
Ⅰ  問題の所在:創作物アプローチvs. パブリック・ドメイン・アプローチ
 
 知的財産法において,パブリック・ドメインは長い間,日陰の存在であったといってよいかもしれない.パブリック・ドメインは,知的財産権の保護が及んでいない領域として消極的に定義され,その結果,創作物の保護という形で内実が与えられる知的財産権に比して,二次的な地位を与えられることに甘んじていたといえるかもしれない.創作物・創作者中心主義の知的財産法の体系観が前提とされており,創作の保護がなかば無意識的にパブリック・ドメインの保護に優先する事項として捉えられてきたといってもよいように思われる.
 Jessica Litman は,こうした無意識的な前提に疑問を投げかけたことで知られる.
 
「パブリック・ドメインを著作権を与えることの見返りとして,あるいは,重要でない貢献の固まりとして把握することは,しかし,パブリック・ドメインが,創作という企てを促進するためには,中心的な役割を果たすということを軽視することになる.パブリック・ドメインというものは,保護に値しないものの領域であると理解すべきではない.むしろ,パブリック・ドメイン以外のシステムの全てを,創作のための生の素材を創作者の利用に供するために残しておくことで,機能するように仕向ける仕組みであると理解すべきである.」
 
 少し時代が下るが,Pamela Samuelson も,パブリック・ドメインに関する研究を総括する論文のなかで,次のように説いている.
 
「パブリック・ドメインを知的財産権を免れているものとして定義することは,鈍きに失し,退屈に過ぎ,古くさく,発展性を欠き,あまりにも消極的で,パブリック・ドメインの研究者がパブリック・ドメインに見出してきたその積極的な価値を表現することができない.」
「パブリック・ドメインは,その語が示唆しているように,知的財産権によって守られている領域から分離し独立した場所ではない.むしろ,パブリック・ドメインは,文化的な風景(the cultural landscape)であって,誰もが利用(draw)してよいものなのである.」
 
 たしかに,特許権や著作権等の知的財産権の存在意義が産業の文化の発展にあるのだとすれば(参照,特許法1 条,著作権法1 条),これらの権利は,発明や創作を促進することによって最終的には人々が利用しうる「知的創作物」ないし「知的財産」を増大させることを企図しているはずである.そうだとすると,知的財産制度の究極の目標は,「パブリック・ドメイン」を豊かにして,人々にその利用を享受させるところにある.これを徹底するのであれば,創作者に対する権利というものは,その産業や文化の発展を目的とするための手段だということになり,つまりは,パブリック・ドメインの充実のための手段にすぎないように思われてくる.
 もちろん,何の論証もなく,特許権や著作権制度の目的が産業や文化の発展のみに存し,パブリック・ドメインの醸成こそがこれらの権利の唯一無二の存在意義であると断じるとすれば,強力な異論が提出されることであろう.実際,筆者自身,これらの権利が産業や文化の発展を目的としていると理解するインセンティヴ論ばかりでなく,創作者であるから保護されるという自然権論をも組み合わせた二元論により知的財産権を正当化することを試みてきた.
 しかし,従前は,創作者の保護を知的財産法の目的と捉える立場の者ばかりでなく,産業や文化の発展を知的財産法の究極の目的と捉える者の間でも,半ば無意識的に,創作物の保護を中心に据えたアプローチが主流となる傾向がないわけではなかった.そのような状況下で,創作物や創作者中心主義ではない,パブリック・ドメイン中心主義の知的財産法というアプローチを示すこと,換言すれば,パブリック・ドメインを中心に置いた知的財産法に対するものの見方を軸に,いかにしてパブリック・ドメインを豊かにし,その利用を確保するのかという観点から各種の知的財産法の論点を横断的に考察することには,少なくとも思考実験としての意義を見出すことができるように思われる.
 
Ⅱ 特許制度における課題
 
 実務的に見ても,近時,特許の世界では,パブリック・ドメインが焦点となりつつある.
 ターゲットを絞った漸進的なイノヴェイションが進行するなかで,数値限定発明や用法用量発明など公知技術との境界線上で特許が取得され紛争に至るケースが頻発している.先発医薬品メーカーが特許権の存続期間満了前に代替的な特許発明を開発し実質的に存続期間を延長したのと同様の効果を得ようとしたり,パブリック・ドメインに属しうる発明に出願の際のクレイム・ドラフティングで化粧を施すことにより特許庁の審査をかいくぐって権利化に成功したりするなど,組織的にパブリック・ドメインを縮減する試みもなされている.そもそも特許の対象とならないとされる自然法則や抽象的アイディアと特許発明との境界も不明確な状態が続いている.
 他方,パブリック・ドメインとの境界線上での紛争が多くなっている背景には,製造・測定技術やバイオ技術の進歩に伴い,より具体的な技術的課題や個別のユーザーのニーズにピンポイントに焦点を当てたイノヴェイションが可能となり,そこに付加価値を見出すサービスが創出されているという側面があるから,一概に否定的に評価すべきでもなく,単線的な処理を許さない.
 そこで,本稿では,パブリック・ドメインとの境界線に位置する創作物に係る特許権の入口論とその権利行使のあり方の双方の場面に分けて,創作物アプローチとパブリック・ドメイン・アプローチの対立がどのように対照的な帰結をもたらしうるのかということを論じることにしたい.
 
Ⅲ 権利の入口の場面における相剋
 
1 新規性喪失の成否の場面
 最初に取り上げるのは,新規性喪失の有無を吟味する場面において引例たりうるためには発明が具現されている必要があるのか,という論点の取扱いである.
 象徴的な事案を扱った判決として,東京地判平成26・3・27(平成24 年(ワ)第11800 号)〔銅張積層体〕,知財高判平成27・4・28(平成26 年(ネ)第10045 号)〔同(侵害訴訟)〕を紹介しよう.
 この事件は,「フィルムの機械搬送方向(MD)の熱膨張係数aMD が10 ppm/°C 以上20 ppm/°C 以下の範囲」にあり,「幅方向(TD)の熱膨張係数aTD が3 ppm/°C 以上7 ppm/°C 以下の範囲」にあるという数値限定がかかったポリイミドフィルムに係る特許発明に基づく特許権の侵害訴訟である.被告が本件特許発明の優先日前に先行製品を実施していたので,公然実施を理由とする無効の抗弁が成り立つのかということが争点となった.
(以下、本文つづく。注は割愛しました。pdfでご覧ください)
 
 
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