あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
中野智世・前田更子・渡邊千秋・尾崎修治 編著
『カトリシズムと生活世界 信仰の近代ヨーロッパ史』
→〈「序」(pdfファイルへのリンク)〉
→〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉
*サンプル画像はクリックで拡大します。「序」本文はサンプル画像の下に続いています。
序
中野智世
今から数年前、ポーランドの古都クラクフでのことである。まだ夏の気配の残る九月初めの土曜日、人々の活気あふれる夜九時過ぎの旧市街で、大勢の若者が次々と集まってくるところに出くわした。グループやカップル、あるいはバイクで乗り付けた革ジャンパー姿の青年が入っていく先はドミニコ会の聖堂である。堂内からは説教の声が聞こえ、オルガンの音とともに聖歌が響いてきた。大きな聖堂だが半開きの扉の外まで人があふれ、礼拝が終わると人々は一斉に、まるでロック・コンサートがはけた後のように夜の街に再び戻っていった。
同じその夏、ドイツ、ベルリン近郊のポツダムで、天気の良い日曜日の朝にカトリック教会の礼拝に参加した。聖書の朗読や聖歌斉唱の後、せいぜい三〇代か四〇代にみえる若い司祭が、壇上から厳しい口調で、しかし熱を帯びた調子で訴えていたのは、ちょうどその頃、メディアで広く報道されるようになっていた聖職者による児童の性的虐待の問題についてであった。そして、礼拝が終わった後も、当の司祭と中高年の何人かの出席者が、聖堂を出たところでずっと話し込んでいた。
教会に行く人々の数は、ヨーロッパ全体としてみれば、年々「減少の一途を辿っている」とされる。しかし、そうした中でもなお教会に足を運ぶ人々にとって、その場所にはなお欠くことのできない「何か」があり、それは古色蒼然とした伝統の墨守とは限らない。マクロな統計や制度の検証にとどまらず、人々の生活や日常的な行為をみることで、その折々の時代・社会の中の宗教を捉えることができるのではないか、本書の構想はここに端を発している。
本書は、近代ヨーロッパ史を専門とする研究者が中心となって、近代社会の形成過程における宗教の役割を人々の生活世界に着目して明らかにしようとする試みである。人々の日々の生活や習慣、ふるまい、人とのつながり、人生の選択に影響を及ぼし、生き方をも左右する宗教の力や作用、そしてその変容と持続を可視化することがねらいである。
つい数十年前まで、近代とは宗教が影響力を消失し、人々は宗教のくびきから解放され、より自由に生きていくことができるようになる時代、そう理解されてきた。しかし二〇世紀後半以降、そうした世俗化論は大きく揺らぎ、近代と世俗化とを無条件に等置する議論は見直しを余儀なくされている。近代社会の到来とともに宗教は自動的に消滅していくわけではなく、むしろそのあり方や機能が変化するものとして、近年ではその変容のプロセスが多面的に問われるようになってきているのである。本書もまたこうした問題意識を出発点とし、近代ヨーロッパにおける宗教の変容を、その持続の局面も含めて明らかにすることをめざしている。人々が近代という激変の時代を宗教とともにどう生きたか、宗教的な縛りとつながりの中で生きる人々の姿に目をこらすことで、近代社会において宗教が持つ意味を探りたい。
本書の特徴は、一つには、人々が宗教とともに生きる姿を生活レベルでみようとする点にある。ただしこのことは、本書の分析がもっぱら私生活の領域にとどまることを意味しない。ここでは、礼拝などの宗教実践や儀礼、宗教的な行為規範、さらには、こうした実践をともにする場から生まれる宗教共同体への帰属や社会生活への回路となるネットワークなど、宗教の影響力が及ぶ様々な局面が分析の対象となる。ここでの宗教とは、個人の心の中にとどまる私事、個人的な問題ではなく、公的な、社会の領域と地続きの問題なのである。
もう一つの本書の特徴は、カトリックという一つの宗派に着目する点である。周知の通り、カトリシズムはヨーロッパの伝統宗教として、人々の文化・生活習慣に深く根づいてきた。カトリックの信仰は様々な宗教儀礼や共同体内の儀式と不可分であり、例えば、個人の内面をより重視するプロテスタントに比して、外的な行為、実践と深く結びついていたためである。また、カトリックの信仰実践や儀礼は、信徒の生涯の始まりから終わりまで――この世に生まれ落ちてからこの世を去るまで――様々な形で関わり続けるものであった。日常生活における慣習やふるまい、あるいは共同体における行為規範と密接に結びついているカトリシズムは、その存在や形、さらにはその変容が、生活の中の具体的な局面においてより鮮明に可視化されるといえよう。
最後に本書の特徴としてあげられるのは、右記に掲げた問いを、ヨーロッパの様々なカトリック国・カトリック圏を対象とした個別の事例研究を通して検討するという点である。カトリックという宗派は教皇庁を頂点とする教会制度と統一された教義を持ち、その来歴から明らかなように、一国史を超えたグローバルな性格を有している。そのため、地域や時代によって多彩な姿を取る歴史的現実を、一つの宗派というまとまりの中で検証することが可能である。
本書では、典型的なカトリック国であるフランス、スペイン、イタリアに加え、複数の宗派が併存するドイツ、アイルランド、ハンガリーといった国々を分析の場とし、各執筆者が個別に設定したテーマ、時代区分に沿って検討が進められる。取り上げられる時代は、一八世紀末から一九、二〇世紀、現代にまで及ぶ。個々のテーマこそ異なるものの、時代の変化とともに変わっていく局面と持続する局面とが読み取りやすいように、全体の章構成はほぼ時代順となっている。
それでは、各章の主題とねらいを簡潔にみておこう。
第1章「もう一つの母性愛――アイルランドにおけるカトリックの里親たち」(勝田俊輔)は、ダブリンの捨て子養育院から委託されて養育にあたったカトリックの乳母たちに着目する。アイルランドでは人口の大半を占めるカトリックを少数のプロテスタントが支配しており、公立の捨て子養育院もプロテスタントを養成する機関としての役割を負わされていた。ここでは、当初、その「情愛深さ」が賞賛されたカトリックの乳母たちが、そのカトリック性ゆえに「里親失格」とされていくプロセスを追いながら、カトリックと「母性愛」との関わりを様々な観点から検討していく。
続く第2章「B・ガーボルの苦悩――一九世紀ハンガリーの離婚と(再)改宗」(渡邊昭子)は、離婚と再婚のために改宗した一人のカトリック信徒の「苦悩」がとりあげられる。カトリック的環境に生まれ育ったガーボルは、「不運な結婚」を解消し、再婚するために、婚姻の解消を認めていないカトリックからカルヴァン派に改宗したが、その後、度重なる「打撃」を負って再びカトリックへの再改宗を望むようになった。ここでは、ガーボルが大司教あてにしたためた二通の嘆願書を手がかりに、彼自身にとっての信仰、カトリック教会への期待、宗派帰属の意味などが、当時の時代状況をふまえつつ読み解かれていく。
第3章「近代を生きる修道女たち――ドイツの慈善修道会施設にみる信仰・労働・生活」(中野智世)は、一九世紀後半に修道女として生きることを選んだ女性たちに着目する。ドイツのカトリック地域では、修道生活を営みつつ救貧・慈善や看護に従事する女子修道会が次々と新設され、二〇世紀半ばに至るまで、万を数えるカトリック女性たちが修道女となった。ここでは、カトリックの邦国バイエルンの慈善施設で従事する修道女を例として彼女たちの生活と日常を明らかにし、当時の女性たちにとって修道女という「生き方」が持っていた意味を探っていく。
第4章「女性平信徒と公共圏――スペイン・カンタブリア地方におけるアクシオン・カトリカ婦人部の活動を例に(一九一二〜一九三六)」(渡邊千秋)では、二〇世紀初頭のスペインにおける女性平信徒の政治的公共圏における活動がとりあげられる。当時のスペインは、王政、独裁、共和政、内戦と目まぐるしく政治体制がいれかわる大変動の時期にあり、カトリック教会やその信徒たちも暴力的攻撃にさらされる危機の時代にあった。ここでは、そうした中で結成された「アクシオン・カトリカ」の地方支部、サンタンデール婦人部を事例として、平信徒の女性たちが展開した様々な社会事業が検討される。
第5章「生殖と信仰――両大戦間期フランスのカトリシズムにおける避妊をめぐる議論」(長井伸仁)では、生殖という生の根源に関わる事象に着目する。戦間期のフランスでは、人口停滞への危機感から出産の増加や家族への支援が国民的課題とされ、カトリック教会はその点で共和政国家と方向性を共有していた。そのような中で広まったオギノ式避妊法は、「自然な方法」でありながらも確実性が高かったため、教会内では賛否が分かれた。ここでは、その際の議論を読み解くことで、生殖に関する問題がカトリシズムにおいてどのように認識されていたのかを、国家のそれとも対比しながら考察する。
第6章「カトリック女性教員とライシテ――フランス政教関係の社会史」(前田更子)では、カトリック信仰とともにライシテの共和国を生き抜こうとした公立女性教員の姿が描かれる。二〇世紀初頭、政教分離体制を確立したフランスでは、公立学校が宗教的中立の場とされ、カトリック信仰を持つ女性教員たちは、教育行政や左派の教員組合、さらには教会当局からも批判と猜疑の目にさらされた。ここでは、「ダビデ」と呼ばれるカトリックの公立女性教員グループに集った女性たちが、自身のカトリック信仰とライシテの学校での宗教的中立性をどう捉え、政教分離体制をいかに受容しようとしていたかが検討される。
第7章「独ソ戦に従軍した司祭ペラウの日常」(尾崎修治)では、カトリックの従軍司祭が残した日記を手がかりに、戦場における宗教について考える。不条理な死と隣り合わせの戦場においては少なからぬ兵士が信仰に「回帰」したとされるが、兵士の信仰上のケアを担うために軍隊に同行し、戦場で礼拝やミサを執行し、出撃する兵士に秘跡を授け、傷病兵に寄り添ってその死を看取り、埋葬するといった司牧業務を行ったのが従軍司祭である。ここでは、ナチ・ドイツの「絶滅戦争」として苛烈を極めた独ソ戦に従軍した一人の司祭の目を通して、前線兵士の信仰や占領地の宗教状況など、戦場の宗教のありようが描かれる。
第8章「家族と国家――戦後西ドイツの児童手当導入にみるカトリシズムの論理」(芦部彰)では、カトリシズムと家族政策をめぐる議論が分析の対象となる。カトリシズムにおいて、家族は国家に先行する自然法的存在として位置づけられており、国家に家族の保護や支援を求める一方で、そうした家族の位置づけを損なう介入や、家族を社会工学的な操作の対象とすることは否定されていた。ここでは、戦後西ドイツ政治に影響力を持っていたカトリック政治家やカトリック系の社会団体などが、家族賃金や児童手当をめぐって展開した議論を追いながら、カトリックの家族観、社会秩序観を明らかにする。
第9章「『夫婦の愛、神への道』――二〇世紀フランス・カトリック世界における「カップル」」(寺戸淳子)は、二〇世紀に新たに登場した男女の「カップル」という人間観に着目する。二〇世紀半ばのフランスでは、伝統的な社会秩序や家族観、性規範の変化を背景に、「家父長と妻子からなる家族」や、「子どもに対する父母としての夫婦」ではなく、あくまで一対の男女の結びつきとしての夫婦と「人間愛」に価値を見出し、祝福されることを求める信徒が現れた。ここでは、「エキップ・ノートル・ダム」と称される平信徒カップルの活動とそれを指導したアンリ・カファレル神父の生涯と言動を追いながら、カップルとしての「結婚の霊性」の形成過程をたどり、そこに表れた「人間観」の意義を検討する。
第10章「われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え――カトリック教会における聖職者による児童性虐待をめぐる考察」(村上信一郎)は、「宗教改革以来カトリック教会の最大の危機」とも言われる、司祭による児童性虐待がとりあげられる。すでに中世から一部の聖職者によって非難されていたこの問題は、教会の「現代化」を目指したはずの第二ヴァティカン公会議によっても解決には至らず、二一世紀の現在に至っている。ここでは、アメリカに端を発する告発の波が世界各地に広がる中で、教皇庁がどのような対応を取ってきたのかが、カトリック教会が抱える構造的諸問題とともに検証される。
以上のように、本書は様々な局面で人々の「生」を規定する宗教の力を――あるときは逆境を生き抜く命綱となる一方で、あるときは生涯を縛りつける鉄鎖ともなる――、個別の主題に沿って明らかにしようとするものである。
カトリシズムという一宗派に分析対象を限定し、ヨーロッパの様々なカトリック国、地域を取り上げた社会史的アプローチの論集は、管見の限りではあるが、国内外でも珍しいものと思われる。宗教史研究は各国の宗派状況や史学史的背景に大きく左右されるので一概には言えないが、ことカトリックに対象を限定する場合には、教会史的アプローチが主となることが多い。他方、本書のように生活世界に着目した社会史研究は、「奇跡」や「巡礼」など特にカトリック的な事象をテーマとする場合を除き、特定の宗派に限定されることは稀である。
本書が特にカトリックに着目する理由は冒頭で述べた通りであるが、もう一つ、本書は、本書の執筆者の大半が以前から進めてきた共同研究の延長線上にあることも付記しておきたい。二〇一六年に刊行された『近代ヨーロッパとキリスト教――カトリシズムの社会史』は、その最初の成果であった。そこでは、一般に近代の「対抗勢力」とみなされてきたカトリシズムが近代の諸制度や社会システムを補完する役割を果たしていたことを、政治、教育、労働、福祉といった分野の事例研究を通して検討した。同書を上梓した後、こうしたカトリックの理念、組織、ネットワークを支えているものは何なのか、あらためて考えてみたときに、次なる検討課題として浮かび上がったのが本書の掲げる人々の生活世界に根づいた宗教性、その実態と機能を明らかにすることであった。前著と本書をあわせることで、近代ヨーロッパ社会におけるカトリシズムの持つ力、ある種の「耐性」をより立体的に浮かび上がらせることができれば幸いである。(扉写真と注番号と注は割愛しました)