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田村善之 編著
『知財とパブリック・ドメイン 第3巻:不正競争防止法・商標法篇』
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第1 章 プロ・イノヴェイションのための市場と法の役割分担:インセンティヴ支援型知的財産法の意義
──限定提供データの不正利用行為規制を素材として
田村善之
Ⅰ 問題の所在
コンピュータ・プログラム,バイオ・テクノロジー,インターネットなど新たなイノヴェイションが人々の耳目を集めるたびに,特許権の保護が模索されてきた.近時は,IoT,ビッグ・データ,AI など,第四次産業革命とも総称されるイノヴェイションについての知的財産権の保護の適否が論じられており,特許制度による対応についても議論がなされている.
しかし,イノヴェイションの促進のために特許が果たしうる役割は限定的であり,市場先行の利益や秘密として管理しうる可能性など,特許以外のインセンティヴも研究開発投資のインセンティヴとして重要な役割を果たしている.これらの特許以外のインセンティヴが相応に機能しているのであれば,あえて新たに特許の保護を与えなくても,あるいは現状以上に特許の保護を強化しなくても,適度の成果が開発されていく可能性がある.
その反面,いうまでもなく,当事者が完全な情報と完全な合理性を有しており,取引費用もない(ついでにいえば資産効果もない)というCoasian world(コースの定理が妥当する世界)は,現実には存在しない.排他権を設定することに伴うコストを無視することはできない.物理的には誰もがなしうる行為に対して排他権を設定するということは,その分,排他権がなければなされえたはずの利用を制約してしまうというコストが発生することにも留意しなければならない.
さらにいえば,法の介入なしに,市場に存在するインセンティヴに委ねるという方策には,自由主義的,民主主義的な利点があることにも着目すべきである.第一に,Friedrich August von Hayek が強調したように,市場原理は必然的に自由の思想を伴っている.市場による選択が機能している場合は,特定の個人が配分を決定するわけではなく,したがって,個人が特定の個人の決定に支配されるわけではないという意味での自由を享受する.第二に,市場は,立法,行政,司法と同じく,決定への参加の一形態であるということが,Neil Komesar によって指摘されている.市場とは,日々の取引の過程を通じて,個々の市場の参加者が,そこで個別的な決定に分散的に参加し,その結果,価格機構を通じて,ある一定の財の供給と需要が交換される決定機構であるというのである.そうだとすれば,市場的な決定にはプロセス的な正統性,もっと踏み込んでいえば民主主義的契機をも内包した決定機構であるということがいえよう.
こうした市場の利点に比して,特許権に代表される知的創作物に対する権利は人の自由を規制するものであるから,その創設に対しては謙抑的であるべきだということになる.しかも,プロセス的に見ても,少数派バイアスがかかるために,知的財産権は過度に強化されたものになりがちである.
さらに悪いことには,人工的な制度には,Douglass North が指摘する,「経路依存性(path dependence)」という問題が随伴する.ひとたび制度ができると,そこに係わる人的な組織というものも形成され,その人的な組織が制度を維持する方向に動く.その組織が,社会全体の効率性という観点から変更したり淘汰したりしたほうがよい制度に対して,特異的にそれを維持する方向に運動する結果,非効率的な制度が残存することになりがちである,というのである.知的財産権も制度である以上は,創設された知的財産権に関わる組織が,それを維持,強化する方向に運動する.その結果,制度が不必要に存続し,拡大することになりかねない.その分,権利の拡張には,なお一層の慎重さが必要であろう.知的財産法の介入を最小限に抑えることができるとすれば,それに越したことはないのである.
そこで,本稿では,市場と法の役割分担という観点から,知的財産法の介入を謙抑的なものとしようとするインセンティヴ支援型知的財産法という発想の意義を明らかにしたうえで,その応用例として,2018 年の不正競争防止法改正により導入された限定提供データの不正利用行為規制導入時の立法論を紹介することにしよう.
(以下、本文つづく。注番号と脚注は割愛しました。Pdfをご覧ください)
あとがき
知的財産法の究極の目標は,パブリック・ドメインの醸成と確保にある.
これは,3 冊に及ぶ本書の基となった共同研究(JSPS 科研費 JP18H05216「パブリック・ドメインの醸成と確保という観点からみた各種知的財産法の横断的検討」.以下,「本共同研究」という)が掲げるテーマである.
一見すると,奇をてらったテーマに映るかもしれない.しかし,よくよく身の回りを見渡してみると,薬局に行けば特許権の存続期間が満了した後発医薬品を勧められるし,本棚には著作権の存続期間が満了した古典作品が並び,スピーカーからはクラッシック音楽が流れる.荷物を送るときに複数の宅配便業者から好きな業者を選ぶことができるのも,宅配便というビジネス上のアイデアは独占されていないからである.同様に,男女が入れ替わって恋に落ちるラブ・ストーリーという抽象的なアイデアが独占されないからこそ,そのアイデアを異なる形で表現した多様な作品を楽しむことができる.また,商品を探すときに,その商品の普通名称を手がかりに目的の商品にたどり着くことも多いだろう.購入した製品を分解して用いられている技術を解明し,それを利用することも自由である.
世の中は,パブリック・ドメインにあふれている.消費者である我々がその恩恵を享受していることはいうまでもないが,創作者としての我々も,また,パブリック・ドメインの恩恵を享受している.創作という営為が果たして全くの無から新たなものを生み出すものであるのか,については,創造性とは何かという点と相俟って,様々な見方があるだろう.この点に深入りすることは避けるが,「巨人の肩の上に」乗っているからこそ遠方を見ることができたとのニュートンの有名な言辞が示すとおり,創作活動には,先行する「何か」(その多くがパブリック・ドメインと考えられる)が不可欠であることも否定できないように思われる.
他方,パブリック・ドメインの重要性は,知的財産法の意義を失わせるものではない.知的財産法による保護がなければ,フリーライドし放題となり,いずれパブリック・ドメインに属するであろう創作がそもそも生まれなくなるおそれがある.また,需要者の誤認混同を招く行為を放置すれば,需要者の利益を害し,信用蓄積のインセンティブも失われる.かくして知的財産法には,社会にとって必要な範囲で保護を与える一方,長期的にはパブリック・ドメインをより豊かにするとともに,その自由な領域を守る役割が期待される.
このように考えるならば,パブリック・ドメインを支える知的財産法という発想は,決して奇想天外なものではない.にもかかわらず,そのような発想が奇抜に映るとすれば,それは,知的財産法の世界に浸かった我々の呪縛ではないのか.
一般に,知的「財産権」は,発明や著作物などといった無体物の「客体」に排他権という「財産権」を設定するものと理解されている.そのような観点からは,パブリック・ドメインとは,知的財産権により保護されないものという消極的な位置づけが与えられやすい.しかしながら,無体物という「客体」に着目した議論は,物理的には無体物を自由に利用できる第三者の行為が知的財産権により「規制」されるという側面を見えにくくする.そのため,本共同研究の研究代表者である田村善之教授は,かねてから知的財産法の行為規制的側面を指摘されている.パブリック・ドメインから知的財産法を考えるという本共同研究の発想も,また,知的財産権という概念の理論的陥穽への問題提起であるともいえる.
実務的にも(理論面以上に)パブリック・ドメインの醸成と確保というよりも知的財産権の保護強化が先決であるとの信念は根強いかもしれない.かつて世界一だった特許出願件数は減少を続け,国際競争力ランキングなるものにおける順位低下を見るに付け,日本のイノベーション創出能力に疑問を持ち,創作者の自己の創作に対する熱い思いを聞く一方で,蔓延する侵害品・海賊版やわずかな金額の損害賠償を目にすると,知的財産権の保護を強化すべきとの信念を固くすることも理解できなくはない.
筆者は,実務家としての経験を有しないが,大学に転じる前の公務員時代における最後の部署は,内閣官房知的財産戦略推進事務局であった.折しも,「知財立国」を旗印に知的財産基本法が立法された直後であり,同法に基づいて知的財産戦略本部が作成する知的財産の創造,保護及び活用に関する推計計画の準備を担当した.むろん,推進計画は,知的財産の保護と並んで活用も柱の一つとしており,保護一辺倒ではない.とはいえ,当時,米国のいわゆる「プロパテント政策」(果たしてそのようなものが存在したのかも疑わしいのであるが)がしばしば参照されていたように,知的財産権(保護)重視という命題が底流に存在していたことも確かであろう.いずれにしても,そこでは,パブリック・ドメインという視点は希薄である.
このように,知的財産の世界に深く浸るほど,我々が,消費者としても,創作者としても,パブリック・ドメインの恩恵を受けていることを忘れがちになる.知的財産権の保護は,それ自体が目的ではなく,豊かなパブリック・ドメインを醸成し,確保することを究極の目的とすべきであるとの田村善之教授の問題提起は,まさに,知的財産法の世界にいる我々が見失いがちな視点を気付かせてくれる.本書は,そのような田村教授の問題意識に呼応し,共鳴した共同研究者達の研究成果の一端である.果たして本書がパブリック・ドメインの観点から見た知的財産法の姿を描き出すことができたかについては,読者諸賢の判断に委ねるほかない.
3 冊にも及ぶ本書の出版については,勁草書房の中東小百合さん及び鈴木クニエさんに大変お世話になった.お二人には,『知財のフロンティア1・2』(勁草書房,2021 年)に続いて,本書においても,筆が滞りがちになる執筆者達を叱咤激励していただくとともに,きめ細かい原稿確認作業を通じて,執筆者達を大いにサポートしていただいた.改めてお二人に心より感謝を申し上げる.
中山一郎