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『政治哲学者は何を考えているのか?――メソドロジーをめぐる対話』

 
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宇野重規・加藤 晋 編著
『政治哲学者は何を考えているのか? メソドロジーをめぐる対話』

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はじめに
 
 本書のタイトルは『政治哲学者は何を考えているのか?』である。これは私としては、かなり正直につけたものである。いわゆる政治哲学者と呼ばれる人の思考法について、自分自身よく理解しているのかというと、実はそうでもない。わかっているつもりになっているだけかもしれない。ならば、一度、きちんと本物の政治哲学者たちから話を聞いた方がいいのではないか。そのような思いから本書の企画は出発した。
 私自身のことをいうと、本来の専門は政治思想史になる。丸山眞男などの傑出した政治思想史研究者の存在によって、戦後日本の政治学においては政治思想史研究が大きな位置を占めてきた。自分自身、そのような学問的伝統の中で研究者としてのキャリアを築いてきたという自覚がある。
 しかしながら、その一方で、思想をあくまで歴史的な流れの中において捉える思想史ではなく、むしろ政治をめぐる重要な概念をそれ自体として、哲学的に再検討したいという思いをいつしか抱くようになった。『政治哲学へ─現代フランスとの対話』(東京大学出版会、二〇〇四年)は、そのような思いの産物である。
 この場合、私の念頭にあったのはピエール・ロザンヴァロンをはじめとする現代フランスの政治哲学者たちであった。フランスの政治哲学の場合、それでも伝統的に社会学や歴史学との結びつきが強い。これに対し、その後の日本において主流になったのは、むしろ英米的な、より純粋に概念分析を武器とする政治哲学であった。自分の中でも、このような政治哲学という概念自体をめぐるズレのような感覚に戸惑い続けることになった。
 いったい自分は政治哲学者(あるいは政治哲学研究者)の端くれなのか、あるいはそうではないのか。政治をめぐる重要概念を哲学的に再検討したいという思いは強いが、そのためには概念をめぐる経験的要素はすべて排除して、純粋に概念をそれ自体、論理的に分析するべきなのか。それこそが政治哲学なのか。思いは千々に乱れた。
 そのような葛藤はジョン・ロールズの『正義論』や『政治的リベラリズム』などを読み続け、さらに熟議民主主義や認識的民主主義などをめぐる最新の知見を得るにつれて募るばかりであった。そうだとすれば、現代政治哲学の展開を理解するにあたって、あらためて自分の方法論的前提を見直すしかない。そのような思いを、同僚であり、厚生経済学者であると同時に政治哲学者として活躍されている加藤晋さんと温め、実現したのが本書である。その際には、現代が社会科学のメソドロジー(方法論)をめぐる大変革期であることをつねに意識することになった。
 最初の対話の相手は井上彰さんと犬塚元さんであった。井上さんは、いうまでもなく、現代日本を代表する政治哲学の理論家であり、犬塚さんは私がもっとも信頼し、尊敬する同世代の政治思想史研究者である。お二人の真摯、かつ真正面からの方法論的対決こそ、本書の基調をかたち作っている。およそ思想を研究することの本質的な意味を問い直すことから本書はスタートすることになった。
 次に私たちはリバタリアニズムを検討したいと考え、第一人者である森村進さんと広瀬巌さんの胸を借りることになった。思想として非常に魅力的でありながら、なかなか日本で十分に理解されているとは言えないのがリバタリアニズムである。左派リバタリアニズムやリバタリアン・パターナリズムを含め、リバタリアニズムの可能性を再考するのに格好の議論を提供できたと信じている。
 ここでやや視点を移し、「道徳理論としての利己主義」について考えたいと思い、お招きしたのが重田園江さんと押谷健さんである。政治思想史・社会思想史研究者である重田さんは、近年、『社会契約論』や『ホモ・エコノミクス』などの話題作を次々に刊行されている。押谷さんはスキャンロンの契約主義を研究する政治哲学研究の俊英である。経済学者としての加藤さんの問題意識がお二方の議論と交錯し、実に興味深い対話ができたと思っている。
 自分自身、もっとも深く反省を迫られたのがリベラリズム論であった。安易に歴史を超えた「リベラリズム」の概念の存在を前提とし、議論しがちな研究潮流に対し、敢然と異を唱えられるのが、思想史研究の最前線に立つ馬路智仁さんである。日本政治思想史を研究される趙星銀さんからの問題提起と合わせ、そもそも思想史研究はいかにして可能かを再考することになった。
 現代の政治哲学者の思考法について知りたいと冒頭で書いた。しかしながら、私にとっての足元である思想史研究においても大きな波が押し寄せているようだ。グローバル・ヒストリーを研究する前出の馬路さんもそうだが、古田拓也さん、柳愛林さん、関口佐紀さん、上村剛さんという四人の優れた若手研究者に、受容史をテーマに存分に語っていただいたのも、本書の魅力の一つである。
 この二〇年を通じて、もっとも発展した政治哲学・政治理論のテーマの一つが熟議民主主義であろう。その第一人者であり、日本での議論をリードされてきた田村哲樹さんと、ハーバーマス研究から出発して現代民主主義論を展開する田畑真一さんに参加していただき、本書を終えられたことをうれしく思っている。この間における熟議民主主義論の達成と、逆にそれゆえに見えにくくなった問題点を存分に論じることができたのではなかろうか。
 私たちが日頃、当たり前のように使う「民主主義」や「リベラリズム」、「利益」や「社会的」といった概念の自明性が、今こそ真剣に問い直されなければならない。SNSなどを見れば、あらゆる言葉が恣意的に、そして政治的に濫用されることにうんざりするばかりであるが、そのような動きに少しでも反撃するためにも、政治をめぐる諸概念を鍛え直さなければならない。本書をまとめる過程であらためてその思いを新たにした。
 本書は現在、あるいはこれから政治哲学について専門に研究したいと思っている方はもちろん、およそ政治哲学や政治思想史に関心を持ち、現代の研究状況を知りたい方にぜひ読んでいただきたい。第一線の研究者による発表と、二人の編者が加わっての、ときに「知的乱闘」を交えたパネルディスカッションを楽しんでいただければ幸いである。
 
宇野重規
 
 
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