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『AIと著作権』

 
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上野達弘・奥邨弘司 編著
『AIと著作権』

「はしがき」「第1章 「AI と著作権」の過去・現在・未来」(pdfファイルへのリンク)〉
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はしがき
 
 今から40 年前後昔のことですが,当時テレビで放送されていたアニメや特撮にも,人間と自然な会話ができる高性能なコンピュータ(今から思えばAI でした)がしばしば登場したものです.
 例えば,砂漠の砂嵐に隠された「バベルの塔」に設置された大型コンピュータは,高度な科学知識を有し,正義の味方の主人公の質問に的確に答えてくれるばかりか,傷ついた主人公を治療したり,「塔」を敵の攻撃から全自動で守ってくれたりもしました.
 また,最高速度500 km/h,弾丸やロケットも跳ね返す高強度ボディのドリームカー「ナイト2000」に搭載されたコンピュータ「K.I.T.T.」は,レベル4以上の自動運転を実現するだけでなく,車に搭載された各種秘密装備を使いこなし,更には主人公とウィットに富む会話をこなしました.
 そんな人間とコンピュータのやりとりを,毎週,わくわくしながら見ていましたが,一方で「夢」のような話しであり,それらが現実になるのは,100 年もっと先のことだろうと思っていました.
 しかし,そのような私の勝手な未来予測は,最近のAI 技術の進歩で見事に外れてしまいました.例えば,Microsoft が提供するAI であるCopilot に自分の論文の要約を頼んでみると……

私:インターネット上の論文,タイトルを指定すれば,要約してくれますか.
Copilot:お手伝いできます.論文のタイトルを入力してください.(略)
私:インターネット上の論文「人工知能が生み出したコンテンツと著作権〜著作物性を中心に〜」を100 字程度で要約して.
Copilot:この論文は,人工知能が小説や音楽などのコンテンツを生み出す場合の著作権法上の問題について検討しています.人工知能がツールとして使われる場合と,人間の創作的な寄与がない場合とで,著作物性の有無が異なることを指摘し,後者の場合には,立法的な手当が必要である可能性を示唆しています.(略)

と,瞬時に答えが返ってくるまでになっています.まさに,遠い未来の「夢」だったはずのものが,身近な現実になろうとしているわけです.しかも,これはまだ通過点にすぎません.AI 技術はこれからも急速に進歩するでしょう.そして,私たちの世界の,科学技術,医療,経済,社会を豊かなものとし,大きく発展させるに違いありません.
 もっとも,「夢」には良い夢もあれば,悪い夢もあります.再び,空想作品で例をあげれば,遠い未来の都市国家の政治・行政・司法の全てを人間に代わって統御するマザーコンピューターは,他の都市国家のマザーコンピューターと,それぞれが計算で導き出した政策のどちらが正しいかで争い,ついには,最終戦争をはじめて人類を滅亡させてしまいます(「火の鳥 未来編」).
 空想から現実に戻りましょう.さすがに,今のAI がそこまでのカタストロフィをもたらすことはないでしょう.とは言え,AI によって,人間が活躍する機会やその仕事が奪われるのではないかと憂慮する声は,そこかしこに充満しています.AI が人間を助けるのではなく,人間を置き換えたり,排除したりするのだとすると,それは悪い「夢」の始まりに他なりません.
 同じことは,著作権の世界にも言えます.生成AI の普及で,表現を生み出すための新しい手段が,誰にも身近なものになりつつあります.写真が,映画が,レコードが,放送が,そしてデジタル・インターネット技術が普及する中で,従来にない表現が様々に生み出されるようになり,私たちの文化は豊かになりました.同じことは,生成AI にも言えそうです.もしかすると,テクニックがなくても,アイデアを表現にすることが可能な,ある意味「革新的」な未来を,生成AI は実現するかもしれません.
 一方で,AI とりわけ生成AI に対しては,作家,イラストレーター,歌手,俳優などの様々なクリエーターやアーティストから,彼・彼女らの作品を,機械学習の名の下に,実際は「盗んでいる」のではないか,しかも,競合する作品を量産して,彼・彼女らの市場と活躍する機会を奪い,最後には文化を枯渇させてしまうのではないか,そういう強い懸念と批判や反発が示されています.
 AI が著作権法制にもたらす,良い夢と悪い夢をめぐる議論は,生成AI が社会で急速に普及し認知される中で,加速しています.本書の出版企画について,上野達弘先生と勁草書房編集部の中東小百合さんからお話を頂いたのは,去年(2023 年)のゴールデンウィーク明けでしたが,当時,既に,著作権関係者だけでなく,広く世間一般の関心を巻き起こし,様々な議論が活発に行われていました.
 一方で,生成AI の出現と共に登場したとして,盛んに議論されている論点は,著作権法学的には,既視感のあるものがほとんどでした.例えば,学習対象著作物と生成表現が類似している場合の問題については平成30 年(2018 年)改正の前から,情報解析と著作権の問題については平成21 年(2009 年)改正の前から,そしてコンピュータが生成する表現の著作物性については30 年近く前から,研究の蓄積がありました.もちろん,完全な結論は出ていませんが,一定の整理はなされており,世界的にも先駆的と言って良いはずの成果でした.しかし,生成AI というバズワードを前にして,それらはあまり省みられないままに,様々な議論が進んでいきそうな状況に,個人的には少なからぬ焦燥を覚えていました.
 本書の企画を頂いたのはまさにそのようなときであり,これまで学界でなされてきた研究の蓄積を踏まえて,現在の問題状況を整理し,専門家のあいだで,どこまでがコンセンサスが得られており,どこから先が今後の検討対象となるのか,AI と著作権に関する研究の「現在地」を世に示すという企画趣旨は我が意を得たりと思えるもので,力不足ながら,編者をお手伝いさせていただくことを申し出ました.
 執筆に当たっては,企画趣旨を反映させるべく,AI と著作権の問題に精通する研究者として広く知られる先生方に,ご参加頂きました.今村哲也先生,愛知靖之先生,前田健先生,横山久芳先生(五十音順)には,タイトなスケジュールで,最先端の内容をおまとめくださったことに,深く感謝しております.また,当初は論文パートの補足として位置づけていた討論は,蓋を開ければ,議論が白熱して,想定の倍近くの時間と分量の充実したものとなりました.執筆者の先生方,ゲストとしてご参加くださった谷川和幸先生(2024 年度の著作権法学会研究大会で,AI と著作権をテーマにしたシンポジウムの企画・統括をご担当)にお礼を申し上げます.そして何よりも,スタートからゴールまで,まるで短距離走のようなスピードで進行する中,企画・編集・校閲を一手にお引き受けくださり,本書が世に出る原動力となったと言っても過言ではない勁草書房 中東小百合さんに,心から感謝いたします.
 本書が,AI と著作権に関する研究の「現在地」を示し,研究・教育・実務の各分野での議論,そしてこの問題に関心を持つ社会の多くの方々の間での議論の一助となることを切に願っています.
 
2024 年1 月
「はしがき」はいっそのこと生成AI に任せるべきだったかと思いつつ
編者を代表して 奥邨弘司
 
 
Part I 序論
第1章 「AI と著作権」の過去・現在・未来

 
上野達弘
 
1 AI とは
 
 人工知能(Artificial intelligence: AI)を定義することは難しく,専門家の間でも,「それだけで1 冊の本となってしまう」とされるが,本稿ではさしあたり,認識,推論,言語理解,問題解決など人間の知能と同様の知的行動をコンピュータで実現する技術と理解しておく.
 AI のうち,何らかのコンテンツを生成するAI は生成AI(Generative AI)と呼ばれるが(例:画像生成AI,作曲AI,文章を生成する大規模言語モデル〔Large Language Models: LLM〕),何らコンテンツを生成するわけではないAIもある(例:自動運転AI,画像認識AI).
 ただ,いずれのAI も機械学習(machine learning)や深層学習(deep learning)といった形でデータの学習が行われるのが一般的である.
 
2 AI と著作権をめぐる諸論点
 
 そのようなAI と著作権に関する論点は多岐にわたるが,以下では,本書の構成に沿ってその内容を概観する.
 
Ⅰ AI 学習と著作権──Part Ⅱ
(1)問題の所在
 第一に,他人の著作物等をAI 学習のために用いることが著作権等の侵害に当たらないかどうかという問題である.
 AI の学習には大量のデータが用いられるのが一般的であり効果的でもあるが,そうしたデータの中に,他人が著作権法上の著作権・著作隣接権(以下「著作権等」という)を有する著作物・実演・レコード・放送・有線放送(以下「著作物等」という)が含まれる場合,これをコンピュータに複製することについて著作権等の問題が生じ得る.
 もちろん,データの中には,著作権等の対象にならないフリーのもの(例:著作物性のないコンテンツ,存続期間の満了により著作権等が消滅した著作物)もあり,そのようなものについては,これをAI 学習のために複製しても著作権等の侵害にならない.
 また,たとえ著作権等の対象になる著作物等であっても,コンピュータに複製することなくAI 学習を行うことが可能であれば,その場合は著作権等の問題にならない.著作権法上,複製とは「印刷,写真,複写,録音,録画その他の方法により有形的に再製すること」と定義されており(同法2 条1 項15 号),ハードディスクに蓄積される場合は複製に当たるが,他方で,RAM における一時的・過渡的なデータの蓄積は複製に当たらないとされる.
 さらに,仮にAI 学習のための著作物等の利用が複製に当たり,著作権等が及ぶとしても,著作権者等の許諾を得れば著作権等の侵害に当たらない.もっとも,AI 学習においては,大量のデータを網羅的に学習することが必要ないし効果的な場合が多いと考えられるため,個別に許諾を得た著作物等のみを用いてAI 学習を行うことは必ずしも有用ではない.
 そこで,著作権法上の権利制限規定(同法30 条~50 条・102 条)が問題になる.権利制限規定は著作権等を制限するものであるから,これに当たると,著作物等を無許諾で利用しても著作権等の侵害に当たらないのである.特にAI学習に関わるのが情報解析に関する権利制限規定(同法30 条の4 第2 号)である.この規定は,情報解析の用に供する場合は,著作物を「その必要と認められる限度において,いずれの方法によるかを問わず,利用することができる」と定めるものである.そして,ここにいう「情報解析」とは「多数の著作物その他の大量の情報から,当該情報を構成する言語,音,影像その他の要素に係る情報を抽出し,比較,分類その他の解析を行うこと」と定義されている(同号括弧書).AI 学習も情報解析に当たり得るため,この規定はAI 学習にとって有用な規定と言える.ただ,この規定をどのように解釈すべきか(解釈論),そして,この規定を改正すべきか(立法論)という点が問題になる.
 
(2)本書Part II の概要
 本書Part II[AI による学習の侵害成否]はこうした問題を取り上げる.
 第2 章[日本法における権利制限──著作権法30 条の4 を中心に](愛知靖之)は,著作権法30 条の4 に関する諸問題(例:享受目的の併存,但書の適用)を中心としつつ,同法47 条の5 にも目配りしながら,すでに激しい議論が展開されている諸々の解釈論に切り込み,独自の観点から新たな方向性を提示するものである.
 第3 章[諸外国における情報解析規定と日本法](上野達弘)は,諸外国(英国,欧州指令,スイス,シンガポール)における情報解析規定を紹介した上で,それとの比較で日本法の特徴を分析すると共に,国際的な議論を踏まえつつ,情報解析規定の正当化根拠に関する理論的探求を試みるものである.
 第4 章[アメリカにおけるフェア・ユース該当性](奥邨弘司)は,明文の情報解析規定を有しないアメリカにおいて,一般条項であるフェア・ユース規定がAI 学習に適用されるかどうかについて,豊富な裁判例の動向を踏まえた見通しを明らかにすると共に,画像生成AI に関する現在係属中の訴訟についても最新の状況を紹介する.
 
Ⅱ AI 出力と著作権── Part Ⅲ
(1)問題の所在
 第二に,生成AI が出力したコンテンツが著作権等の侵害に当たらないかどうかという問題である.
 生成AI はコンテンツ(例:画像,音声,文章)を出力するが,当該コンテンツがまったく新規のものであるならば,他人の著作権等の侵害に当たらない.しかし,生成AI が出力したコンテンツが他人の著作物等(特に当該生成AI が過去に学習した著作物等)と似ている場合,著作権等の侵害に当たらないかどうかが問題となる.
 一般に,著作権侵害に当たるためには類似性と依拠性が必要である.
 このうち類似性とは,他人の著作物の「表現上の本質的な特徴を直接感得」できるかどうかによって判断され,それが認められるためには,事実やアイディアの共通性にとどまらず,著作権保護の対象となる「創作的表現」の共通性が必要になる.したがって,生成AI が出力したコンテンツが,学習元著作物における事実やアイディア(画風やスタイルも含む)と共通するだけでは類似性が肯定されないが,学習元著作物における創作的表現と共通する場合は類似性が肯定される.
 他方,依拠性とは,ある著作物が他人の著作物に依拠して作成されたものであることを意味する.したがって,ある者がある他人の著作物に依拠することなく偶然同一の著作物を創作した場合は著作権侵害に当たらない.もっとも,人間の場合であれば,他人の著作物を過去に見聞きしたことがあっても完全に忘却していれば依拠性が否定されようが,AI の場合,過去に学習した大量の著作物について常に依拠性を肯定すべきかどうか問題になる.
 また,生成AI が出力したコンテンツが他人の著作権等の侵害に当たる場合,誰がどのような責任を負うかが問題になる(例:AI 開発者,AI 提供者,AI 利用者).さらには,AI に関する行為が国境を越えて行われる場合,どこの国の法律が適用されるのかという問題もある.
 
(2)本書Part III の概要
 本書Part III[AI による生成の侵害成否]はこうした問題を取り上げる.
 第5 章[依拠・類似](奥邨弘司)は,依拠性に関する一般的な議論を踏まえた上で,AI 操作者による依拠とAI による依拠を区別した上で,特に後者について独自の見解を提示すると共に,類似性については生成AI に関して特別な取扱いをすべきでないと論じるものである.
 第6 章[侵害主体と準拠法](横山久芳)は,行為主体論に関する従来の議論を踏まえた上で,生成AI に関する規範的な利用行為主体について考察を行うと共に,準拠法に関する一般論を踏まえた上で,インターネットにおける生成AI サービスについて具体的なケースを想定した分析を展開するものである.
 
Ⅲ AI 生成物の保護──Part IV
(1)問題の所在
 第三に,生成AI が出力したコンテンツが著作権等の保護を受けるかどうかという問題である.
 生成AI はコンテンツ(例:画像,音声,文章)を出力するが,当該コンテンツは著作物として著作権保護を受けるかどうかが問題になる.著作権法上,著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであつて,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう」と定義されているところ(同法2 条1項1 号),ここにいう「思想又は感情」は人間のものに限られるという従来の議論に従うならば,AI が自律的に生成した純粋なAI 生成物は人間の思想または感情が表現されていないことから著作物に当たらず,著作権はないと考えられる.他方で,人間がAI を道具として,自己の思想または感情を創作的に表現したと評価できる場合,そこで作成されたコンテンツは著作物に当たり,著作権保護が認められよう.
 もっとも,① AI が自律的に生成した純粋なAI 生成物と,② AI を道具として人間が創作した著作物との境界線は曖昧である.例えば,人間が生成AIにプロンプトを繰り返し入力した上で選択や調整等の試行錯誤をした場合,そこで作成されたコンテンツが著作物に当たるかどうか問題になる(解釈論).
 また,イギリスでは,人間の関与なくコンピュータによって生成されたコンテンツにも著作権保護が認められている.そうすると,日本においても,これにならってAI が自律的に生成した純粋なAI 生成物について新たに権利を付与するなど,何らかの法的保護を認めるべきかどうかが問題になる(立法論).
 
(2)本書Part IV の概要
 本書Part IV[AI 生成物の著作権保護]はこうした問題を取り上げる.
 第7 章[AI 生成物の著作物性](前田健)は,コンピュータ生成物に関する従来の議論を踏まえた上で,解釈論として,生成AI に関する様々な人間の関与を想定した検討を加えると共に,立法論として,AI が自律的に生成した純粋なAI 生成物に関する法的保護の必要性について改めて考察するものである.
 第8 章[イギリスの著作権法におけるコンピュータ生成物の保護](今村哲也)は,イギリスにおけるコンピュータ生成物の著作権保護制度について,その沿革や裁判例および学説を詳しく紹介すると共に,イギリス法上のオリジナリティ概念について,EU 離脱前後の影響も含めて分析するものである.
 
Ⅳ 総合討論──Part V(座談会)
 本書Part V[座談会]は,執筆者全員にゲスト(谷川和幸)を加えた座談会(全3 回)の記録である.本書に掲載された各論文の草稿をもとにその時点での各人の見解について議論を行ったが,あえて多様な立場のメンバーを集めた本書の狙い通り,熱い議論が展開されている.
 
3 展望──生成AI ブーム?
 
 2023 年以降,日本でも生成AI が極めて大きな話題になり,それが社会にもたらす便益に対する賞賛や期待も大きい一方で,これがもたらす(可能性のある)負の側面に対する懸念の声も小さくないところである.
 もっとも,AI ブームは繰り返している.第一次AI ブーム(1950 年代後半~1960 年代)においては,コンピュータによる推論や探索が発展したとされ,自然言語処理による機械翻訳等が開発された.第二次AI ブーム(1980 年代)においては,様々なエキスパートシステムが開発された.そして,第三次AI ブーム(2000 年代以降)においては,機械学習や深層学習の発展とビッグデータの活用を経て,ある種の生成AI の飛躍的な発展も見られた.こうしたAI ブームにおいては,その各段階において,著作権の問題が指摘され,様々な検討が加えられてきたのである.
 例えば,すでに現行著作権法制定(1970 年)の直後である1972 年には,著作権審議会第2 小委員会(コンピュータ関係)が設置され,同年3 月から1973 年5 月まで検討が行われたが,そこでは「コンピュータ創作物」も検討課題の一つであった.その後,1985 年12 月には,驚くべきことに「コンピュータ創作物」のみをテーマとした著作権審議会第9 小委員会が設置され,1986 年3 月から1993 年10 月まで8 年近くにもわたって検討が行われた.また,その約20 年後,内閣府知的財産戦略本部に,次世代知財システム検討委員会(2015 年11 月~2016 年4 月) および新たな情報財検討委員会(2016 年10 月~2017 年3 月) が設置され,AI と著作権について様々な検討が行われた.
 本書で取り上げる論点の多くも,こうした場において盛んに議論されてきたものである.そして,本書脱稿後の2024 年1 月には,文化審議会著作権分科会において,「AI と著作権に関する考え方」をめぐって激しい議論が行われているが,これも上記のような長い歴史の延長上に位置するものに他ならない.
 このように,昨今話題の生成AI も,そして本書が取り上げる「AI と著作権」という問題も,決して“新しい”ものではない.
 そう考えると,現在の生成AI ブームも,そしてこれに対する期待や懸念も,些か過剰に過ぎるように思われる.というのも,常に時代の流れや技術の変化と共に歩み,「新しい技術」や「新しい時代」に翻弄されやすい運命の著作権制度にとっては,これまで繰り返されてきた様々なブームが“一夜の夢”でなかったことは,むしろ稀のように思われるからである.
 おそらく,生成AI も早晩,何ら特別なものではなくなるであろう.むしろ,それはすでに我々の日常の一部であったことが再認識されるのではなかろうか.時を経ても一貫性ある理論を平静に探究する姿勢の重要性を強調して,序論の結びとしたい.
(注は割愛しました。Pdfでご覧ください)
 
 
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