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『格差社会のセカンドチャンスを探して――東大社研パネル調査にみる人生挽回の可能性』

 
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石田 浩・石田賢示 編著
『格差社会のセカンドチャンスを探して 東大社研パネル調査にみる人生挽回の可能性』

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序章 セカンドチャンスを探して
 
石田 浩・石田賢示
 
1.格差の連鎖は断ち切れるのか
 
 「格差」という言葉は,ある事象について同じ物差し・水準でみた場合の違いや差を表す.
 例えば,日米の価格の格差として,ハンバーガーの値段を円換算して違いをみたりすることがある.この言葉が日本社会のありようを表すものとして広く用いられるようになったのは,2000 年代以降に格差社会論が普及してからである.ここでの格差とは,所得,資産,仕事,学歴(高卒・大卒などの教育水準)や学校歴(通った高校・大学の学校名),あるいは生まれ育った環境(出身家庭の経済状況,親の学歴)などに関して人びとの間で生じる差を意味している.
 格差社会論は,これらの格差が拡大しているのではないか,あるいはこれまでにはなかった新たな種類の格差が生まれているのではないかということを問題にしている.所得,雇用についての経済格差の拡大を論じた『格差社会』(橘木 2006),人びとの抱く希望や絶望について扱った『希望格差社会』(山田2004),また社会的背景による教育・学習への取り組みの「意欲格差」(苅谷2001)など,2000 年代はさまざまな格差の存在を社会に広く知らしめる著作が多く世に出たといえる.近年も,子どもの社会的背景による成績や進学行動などの「教育格差」が依然として存在し続けていることを明らかにした著作が多くの注目を集めた(松岡 2019).
 人びとの間に存在する社会的,経済的格差をどの程度深刻なものと捉えるべきかは,それらがどれくらい固定的で変化しにくいのかによる.格差の固定化については,大別して3 つのシナリオを想定することができる.すなわち,(1)格差の縮小・挽回,(2)格差の連鎖・継続,そして(3)格差の蓄積・拡大である(石田 2017b).(1)ではもともと存在した格差が,時間を通じて縮小・解消される.(2)では人生(ライフコース)の初期あるいは特定の時点での格差が変わることなく継続・維持される.そして,(3)ではある時点での格差が時間を通じてより大きくなり,差が拡大していく.格差の固定化という点では,(1)が最も楽観的,(3)が最も悲観的なシナリオだといえる(図序-1).
 例えば,就業継続の意志があるにもかかわらず何らかの理由で仕事を失った人と働き続けることができている人の間には,就業機会の格差があるといえる.しかし,失業してもすぐに(前職と同様,あるいはより好条件の)別の仕事を見つけられる環境が整っているのであれば,その社会では就業機会の格差は容易に解消(挽回)しやすいため,それほど深刻に捉えなくてもよいのかもしれない.一方,いったん失業すると新たな雇用機会を見つけることが難しく,時間が経過するほどますます次の仕事が見つかりづらくなる環境だとすれば,その社会は格差が固定化し格差蓄積のシナリオに沿った状態にあるといえる.
 少なくとも,先に挙げた著作や各種の先行研究の知見からは,日本が格差の縮小・挽回シナリオに沿った社会であるとは言い難い.本書を通して分析を進めてゆく東大社研パネル調査(Japanese Life Course Panel Surveys,以下JLPS)を用いたこれまでの研究でも,すでに社会的背景や人生の各局面(進学,就職,転職,結婚など)で生じる格差が,その後の格差に引き継がれやすいことが明らかになってきた(石田編 2017; 佐藤・石田編 2019; 石田ほか編 2021).一方,ある時点での格差がその後の格差をより拡げて,格差拡大の傾向にあるとは明確には支持されていない.JLPS によるこれまでの研究からは,どちらかといえば格差の連鎖,すなわちある時点での格差が縮小も拡大もせずに継続してゆくという見方がおそらくあてはまりそうである.
 それでは,日本社会では人生の比較的早い段階での格差が,その後のさまざまな機会を決定してしまうと結論づけるべきなのだろうか.本書では,さまざまな不利に直面しながらも,不利からの挽回に成功する人びともいることに注目している.日本が格差の連鎖・継続シナリオに沿った社会であると指摘されてきたからこそ,連鎖・継続のシナリオに乗らない人びとに着目することに意味がある.おそらく少ないと想定される挽回の機会がどの程度あるといえるのか,あるいは挽回の機会の得やすさに何らかの傾向があるのかなど,格差の連鎖という社会全体の状況の背後に隠れがちなこれらの論点は,これまであまり検討されてこなかったといえる.
 人生のなかで不利に直面したとき,そこからの挽回のチャンスがあることが重要だという問題意識は,学術的な議論の場だけではなく,政策的にも一時期注目された.主だった例の1 つは2006 年の第一次安倍内閣において掲げられた「再チャレンジ」である.「「多様な機会のある社会」推進会議」(再チャレンジ推進会議)が2006 年3 月に設置され,就労支援や生涯学習などの充実について議論がなされた.第一次安倍内閣の終了とともに「再チャレンジ」と銘打った議論は下火となったが,その後も就職氷河期世代の安定就職の支援,女性の就業中断後の再就職支援,再チャレンジ起業家育成事業など,類似の問題意識が引き継がれている.こんにちにおいても,挽回の機会に関する地道な検証の重要性は失われていない.
 
2.セカンドチャンスという概念
 
2.1 本書でのセカンドチャンスの定義
 本書では,各章を通してライフコースにおける「セカンドチャンス」に焦点を当てる.セカンドチャンスは「やり直しの機会」と言い換えることもできる.本書では一度不利に陥ってもそこから挽回できたり,その後のライフコースで不利が継続することを回避できたりする機会に注目するため,以下のようにセカンドチャンスを定義する.

それまでの人生の歩みの過程で,典型的なライフコースから逸脱した経験を持った人,あるいは不利を被った人が,それらによるその後の不利の継続を回避し,不利な状態から復帰,回復,挽回できる機会

何を「逸脱した経験」あるいは「不利」とみなすかは,具体的な対象やテーマによって異なる.しかし,とりわけ「逸脱経験」という言葉は抽象的であるため,ここでは緩やかな定義を与えておきたい.
 ここでの「逸脱経験」とは,ライフコースのある側面において当たり前,あるいは標準的・典型的(メインストリーム)とされているものとは異なる経験をすることを意味している.例として個人の職業キャリアを考えてみよう.現実にはさまざまな事情により就業を中断したり,中断したまま職業生活に戻らなかったりとさまざまなケースが考えられるものの,職業キャリアは継続してゆくことが標準的な軌跡の前提となっている.この前提があるからこそ,就業年数が長く継続している人ほど「より経験があり職業スキルが蓄積されている」とみなされ,平均的には高く評価されやすい.逆に,途中で仕事を辞めてキャリアに空白が生じることは,理想的なキャリア形成の軌跡のなかでは想定されていない逸脱的な経験である.そして,想定されていないという事実が,実際にその通りであるかは別にして経験不足や資質の問題として解釈され,低い評価を招く要因となる可能性がある.
 ただし,このような経験はただちに不利とみなせるものとは限らないため,「逸脱経験」という表現を用いている.例えば,ある個人が純粋に自発的な動機でワーキングホリデーを活用するために,日本の仕事を辞め海外に滞在する場合,その間のキャリアの空白は,本人にとっては不利の表れではなくポジティブな選択の結果として生じたものといえる.一方,このような個人にもキャリアの軌跡上でいずれ「やり直し」としての再就職,転職の場面が訪れる可能性が高い.言い換えれば,セカンドチャンスは不利な位置にいるとみなされた人だけでなく,標準的とされるライフコースとは多少なりとも異なる経験を持つ人も直面する.このように考えることで,さまざまな角度から現代日本社会のセカンドチャンスのあり方を検証する視点を得ることができるようになる.
 逸脱的な経験,あるいは不利な状態が生じるのは職業キャリアだけではない.ライフコースのさまざまな側面で,その社会では標準的といわれている軌跡からは想定されていない経験をしたり,できれば避けるべき状態におかれたりすることがある.本書では,人びとが生きていく人生の歩みの過程で,社会的背景,教育,労働,家族形成など,さまざまな側面におけるセカンドチャンスの検証を通して,日本社会で挽回,やり直しができることと,できないことが何を意味するのかを明らかにしてゆく.
 
(中略)
 
4.本書で用いる調査データ
 
 本書で用いるのは,すでに参照してきた東大社研パネル調査(JLPS)である.正式な名称は,「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」である.東京大学社会科学研究所(東大社研)社会調査・データアーカイブ研究センターの社会調査研究分野が実施主体となっていることから,「東大社研パネル調査」という名称で呼ばれてきた.この調査の最大の特色は,同じ個人を長期に渡り毎年追跡していくパネル調査であることである.これによって,個人の教育,就業,交際,結婚,健康,意識といった実に多面的な側面にわたり,どのように変化しているのかを跡付けすることが可能となる.学校を中退したり,失業をしたりという逸脱した経験についても特定でき,セカンドチャンスの研究に適した調査データとなっている.
 東大社研パネル調査は,5 つのパネル調査により成り立っているが,本書で用いているのは,若年パネル調査(JLPS-Y,Youth Panel),壮年パネル調査(JLPS-M,Middle-aged Panel)と若年リフレッシュパネル調査(JLPS-R Refresh Youth Panel)の3 つである.若年パネル調査と壮年パネル調査は,2007年にそれぞれ20-34 歳と35-40 歳の日本全国に居住する男女を母集団として対象者を抽出したもので,調査票は郵送し後日調査会社の調査員が回収する,郵送配布・訪問回収という調査方法を用いた.回収数と回収率については,表序-1 に示した.調査を継続すると住所不明や調査の継続拒否などでアタックできない対象者がでてくるため,回収数は減少していく.そこで対象者を補充するために,2011 年には2007 年の継続サンプルと同年齢の追加サンプルを,継続サンプルと同様な形で抽出した.調査方法は予算の制約上,郵送配布・郵送回収とした.表序-2 は,回収数と回収率を示したものである.
 2019 年には,若年パネル調査の対象者が32 歳から46 歳になったことを踏まえ,新たに20 歳から31 歳の対象者を若年リフレッシュサンプルとして,2007 年の若年パネル調査と同様の形で全国から抽出し,追跡している.調査方法についても,郵送配布・訪問回収の方法を採用しており,2007 年から実施している若年パネル継続サンプルと世代間比較が可能となるように設計されている.回収数と回収率については,表序-3 に示した.
 さらに終章においては,2022 年3 月にウェブにより実施した「これまでの人生経験に関する調査」について,その結果を紹介している.この調査は,日経リサーチに登録しているモニターを対象にしており,JLPS の対象者の2022年時点の年齢と同じになるように,23 歳から56 歳の日本に居住する男女に対象を絞った.調査の実施期間は,2022 年3 月15 日から22 日までとし,6,287名からの回答を得た.これまでの若年・壮年パネル調査で尋ねてきた基礎的な調査項目(学歴,社会的背景,就業状態,婚姻状態,意識)に加えて,これまでの人生を振り返って,つらい経験,その経験の結果起こったこと,つらい経験をしたときに支えとなったこと,つらい経験を抜け出すのに役立ったこと,について質問し,自由記述の形式で回答してもらった.
 
5.本書の方針と構成
 
 本章の最後に,本書の方針と構成を述べておこう.本書では,ライフコースのなかでセカンドチャンスを得られる可能性の検証に取り組んでゆくが,先にふれた構造的要因とエージェンシー要因の扱いについては各執筆者の問題意識と判断に委ねている.セカンドチャンスの研究にあたっての全体的な方向性や分析の視点については,研究会を通して共有が図られてきた.一方,JLPS のなかで緒についたばかりのセカンドチャンス研究を今後も自由に展開していく可能性を残すという点から,編者の問題意識により各章の分析方針を統一することは必ずしも望ましくないと判断した.そのため,本書では個別の章の内容については執筆者の独自性を活かしながら,各章の知見を総合的に論じるなかで構造とエージェンシーの視点についても改めて終章で再度議論する方針をとることとした.
 本書は3 部構成であり,第1 部はライフコース初期の不利をどの程度乗り越えられるかに着目した3 つの章からなる.第1 章(石田浩)では,子ども期に経験する初発の不利が成人期においても長期的な影響を及ぼしているのかを問うている.また,初期の不利から脱出する機会として利用できるライフコースの要因は何かを検討している.第2 章(菅澤貴之)では,高等教育機関の夜間部進学者の職業的,経済的地位達成について検討している.夜間部に進学しやすいのがどのような人びとなのか,また夜間部出身者が昼間部出身者と比べて地位達成において不利なのかを検証している.関連して,第3 章(下瀬川陽)では大学等(大学,短大,高専,専門学校)の中退者の不利が挽回できるのかについて,世代差を含めた検証をおこなっている.
 第2 部ではキャリアや経済的生活に関するセカンドチャンスが検討されている.第4 章(石田賢示)は無業になった者の再就職機会に焦点を当て,求職行動を誰が起こしやすいのかとともに,その影響が無業者を取り巻く社会ネットワーク状況により異なるのかを検討している.職業キャリアと関連して,第5章(仲修平)では自営業をやめた人びとが別の就業形態に移行した後,どのような環境で働くことができているのかを分析している.第6 章(林雄亮)では成人期の貧困経験パターンを記述するとともに,貧困からの脱出の背景を検証している.
 第3 部では,上記のライフステージに即した構成とは異なり,主要な主観的ウェルビーイングの1 つといえるメンタルヘルスの軌跡に着目した分析がなされている.第7 章(百瀬由璃絵)は,子ども期の逆境体験が成人期の健康格差と関連しているか,またメンタルヘルスの不調がいかなる要因で緩和されるのかを検証している.第8 章(池田めぐみ)は,男性のメンタルヘルスに対する失業の負の影響に焦点を当て,他者からのサポートとストレス対処力が緩衝要因として機能するのかを分析している.第9 章(俣野美咲)は,人生中年期以降に多くの人びとが経験する親との死別がメンタルヘルスに与える負の影響と,そこから立ち直るための背景要因を検討している.
 最後に,終章ではそれまでの分析結果を総括する.また,「これまでの人生経験に関する調査」での自由回答結果を補完的に用いることで,現代日本のセカンドチャンスの可能性と課題を論じる.
(図表と注、参考文献は割愛しました。Pdfをご覧ください)
 
 
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