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『パンデミックと社会科学――ポストコロナから見えてくるもの』

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
加藤 晋、田中隆一、ケネス・盛・マッケルウェイン 編著
『パンデミックと社会科学 ポストコロナから見えてくるもの』

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はじめに:パンデミックの中の社会科学者
 
 社会科学研究は,本来長い時間をかけて行うものである。膨大な先行研究から研究テーマや仮説を探し出し,その検証方法について検討を行う。理論的アプローチであれ,実証的アプローチであれ,社会科学者はまず対象となる社会現象をくまなく観察することから始める。時には研究の対象となる現象を測ることで把握し,得られたデータや観察結果から自らの仮説の検証に挑む。自らの仮説が支持されるか否かがわからないまま,自らもその構成員である社会と対峙しつつ検証・検討を重ね,その結論を書籍や論文,報告といったかたちで世に問う。発表された研究成果は,査読等を通じて他の研究者からの批判・検討を受ける。その長く厳しいプロセスを生き延びた研究成果のみが次の世代に受け継がれていく。
 物理や化学といった分析対象の安定した自然科学とは異なり,分析対象である社会そのものが大きく変化する社会科学においては,研究の“ 科学性” を立証しようとするが如く,研究成果に対する厳密な検証がつきものである。それゆえに,社会科学の研究成果が社会に学問として定着するまでには,非常に長い時間がかかり,場合によっては検証を行っている間に対象としての社会そのものが変容してしまうことも起こりうるのである。
 このような長く厳密な研究成果の検証プロセスの重要性は,たとえパンデミックが起きたとしても変わらず,新型コロナウイルス感染症の蔓延が起きた2020 年以前から現在に至っても大きくは変わっていない。しかしながら,予期していなかった新型コロナの蔓延により,社会のあり方が大きく揺すぶられた時期において,社会科学は目の前にある現象をほぼリアルタイムに観察し,分析・理解する必要に迫られた。まさに,嵐の中で船を操りながら,その進む方向を探るような事態となった。
 その社会科学研究の成果として,新型コロナが社会に対して与える影響をテーマとする研究が数多く生み出された。今まで経験したことのないパンデミック下の社会において人々はどういった方法で情報を入手し,またどういった情報源に信頼をおいているのか。感染症の伝染を防ぐために対面での接触を禁じられた人々の行動や意識はどう変化したのか。教育や労働といった,対面を前提としていた活動やその価値はどのように変化したのか。パンデミックによって明らかにされた既存の法制度の問題点や変化は一体どういったものなのか。こういったテーマでの研究が経済学,政治学,社会学,法学といった社会科学分野全般において盛んに研究されるようになった。
 本書は2020 年1 月以降に世界中を覆った新型コロナウイルス感染症が社会科学研究に対してどのような影響を与えたのかを,経済学,政治学,社会学,法学分野におけるそれぞれの研究者の研究成果を通じて考察するものである。コロナ禍でリアルタイムに行われたそれぞれの研究成果からコロナ禍の社会科学者の対応を振り返りつつ,新型コロナが社会科学そのものをどのように変化させたのか,さらには,ポストコロナの時代における社会科学のあり方を考える礎としたい。
 
2023 年秋
加藤晋,田中隆一,ケネス・盛・マッケルウェイン
 
 
あとがき
 
 COVID-19 パンデミックは,社会科学者である私たちにとっても厳しい体験だった。大学内での研究活動の多くが停止を余儀なくされることは言うまでもない。社会科学の分野の中には,国内に限らず海外でも実地調査を行う者も少なくないが,その場合は,研究全体が停滞することになった。研究実施が不可能でないにしても,対面でのやり取りに頼ってきた,自分たちの今までの研究方法を見直す必要に迫られることとなった人は多くいるはずである。
 パンデミックのもとでは,あらゆる人びとが感染の危機に直面する。それゆえ,社会科学者である私たち自身が当事者になることが免れない。ある意味でこの書籍に収められているすべての章が,実体験から切り離せないものである。社会科学的に研究する際には,研究対象をできるだけ客観的に捉えられるように,対象との距離をとるのが通常である。対象との距離をとりにくいという意味でも,パンデミックは社会科学者たちに特殊な経験を与えたと言える。
 そのようななか,なぜこのような書籍に取り組むことになったか,その成り立ちに触れておきたい。この書籍は,東京大学社会科学研究所の全所的プロジェクト「社会科学のメソドロジー:事象や価値をどのように測るか」の成果の一つである。全所的プロジェクトでは,社会科学上の重要な研究テーマを横断的に議論しながら,数年間の研究期間の共同研究を行うものである。1964 〜1968 年度の「基本的人権」から始まり,直近のものは「危機対応の社会科学(危機対応学)」(2016 ~ 2019 年度)である。今回の全所的プロジェクトは,COVID-19 パンデミックの最中の2021 年度から始まった。
 全所的プロジェクトで何のテーマをやるべきかを討論した際に,当事者としての私たちがCOVID-19 をトピックとして挙げることはほとんど避け難いことだった。社会科学者である私たちの会話は,直近で興味を持っている社会現象についてのやりとりで始まることが多いが,COVID-19 やそれに伴う社会問題で埋め尽くされてしまったからである。全所的プロジェクト「社会科学のメソドロジー」は5 つのサブグループからなっているが,その一つが「COVID-19と社会科学」となった。このサブグループに20 名弱のメンバーが集まり,2021 年度と2022 年度にオンラインミーティングを通じて,研究交流や討論を続けた。本書には寄稿はしていただいていないが,深井太洋さん(筑波大学)やショー・メレディス・ローズさん(東京大学)には,このオンライン研究会を通じて貴重なコメントをいただいた。他にも,2022 年の末には東北大学の政策デザイン研究センターを訪ね,COVID-19 に関する研究についての意見交換会なども行った。久々の対面会議に幾分か緊張感と興奮を覚えながら参加したことを覚えている。
 「COVID-19 と社会科学」のグループでは,オンライン社会調査もいくつか実施した。刻々と状況が変わるなか,企画から実施までの期間を短くすることができて,かつ実験的要素を取り入れられるオンライン調査は,COVID-19 の社会科学的研究を行う上で極めて有用だった。パンデミックの発生以降,世界中で社会科学者たちがこれまで以上にオンライン調査を行ったが,われわれも例外ではなかった。
 全所的プロジェクトの特任研究員として,2 人の若い研究者にサポートしてもらった。一人は第8 章の著者の一人である呂沢宇さん(現東北大学准教授)である。博士号を取り立てのもう一人は,2021 年度に所属していた川口航史さん(現琉球大学准教授)である。川口さんには,調査会社とのやり取りや調査票の確認などについて多くの時間を割いていただいた。彼らの協力なしではこのプロジェクトがここまで辿り着くことはなかったように思う。
 最後に勁草書房の宮本詳三さんに感謝したい。宮本さんはこの企画を立ち上げた時から,多くの助言と支援を下さった。編者の一人にとっては,研究者としてキャリアをスタートしたときからの知り合いだが,こうした共同作業ができることは大きな喜びである。
 多くの人びとの協力と支援を受け3 年間ほど続けた「COVID-19 と社会科学」の活動にとって,この書籍の出版は区切りとなる。研究会の公式の活動は名実ともに終わる。パンデミックの発生から4 年が経ち,徐々にCOVID-19 後の社会へと移りつつあるなか,このタイミングでの区切りは悪くないように思う。しかし,これがパンデミックのことを考えることを終えることを意味するわけではない。COVID-19 後の社会と社会科学は,緩やかにその姿を形作りつつあるところである。そして,パンデミックのような,世界全体に影響を与える,大きな不確実性を伴う社会的危機は再び起こらないと限らない。さらなる問題を考えるための区切りだと捉えたい。
 
2023 年秋
加藤晋,田中隆一,ケネス・盛・マッケルウェイン
 
 
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