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吉田敦彦・河野桃子・孫 美幸 編著
『教育とケアへのホリスティック・アプローチ 共生/癒し/全体性』
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はじめに
世界の先住民の中には,共通した思想があります。
木に実がなると三分の一は自分が生きるために食べる。
三分の一は,自分の子孫のためにもがないで残しておく。
最後の三分の一は,人間以外の生命のために,
やっぱりもがないで残しておく。(灰谷健次郎 1997)
本書はホリスティックな教育やケアをキーワードに,哲学思想,臨床教育,ESD(持続可能な開発のための教育),オルタナティブスクール,多文化共生教育など,分野を超えた研究者かつ実践者が集って,時代のターニングポイントにある現代の課題に果敢に挑もうとしているものである。
80 年代から90 年代にかけて興隆した,近代の諸原理を根本的に問い直す領域横断的な思潮において,教育分野から合流した一つが「ホリスティック教育」である。脱構築的なポストモダニズムの後,相対主義を超えて時代の課題に向き合うことが求められるなか,「ホリスティック・アプローチ」への関心がふたたび高まってきた。それは,持続可能な地球と人と社会の代案的なあり様を構想するユネスコ等の国際社会の動向においても顕著である。
ロシア・ウクライナの戦争やパレスチナでの虐殺,国内外のヘイトクライムなど,現代世界は分断や格差,差別,排除の問題が複雑に絡みあいながら深刻化している。気候変動の影響や自然災害の増加などを人類が如実に体感するような時代になった。地球上の自然環境に人が生かされていることを謙虚にとらえ,多様な背景の他者とともに,どのように歴史や文化を認め合い共に生きることができるか,領域を超えた研究や実践が求められている。
本書ではまず第1 章において,北米でホリスティック教育が提唱された時点に遡ってその基盤理論を押さえ,そこから展開した主な理論的実践的成果を振り返ったうえで,その現代的意義と課題を明らかにする(吉田)。
そして,第Ⅰ部において,共生/ESD/多文化をキーワードに,ホリスティック・アプローチによる教育/ケア実践の展開を検討する。第2 章では,能力開発型にとどまっている教育から人間以外の存在(ノンヒューマンズ)との共生をも視野に入れた教育への方向性を示す(永田)。第3 章では,ESD(持続可能な開発のための教育)で注目されているホールスクール・アプローチに関わって,「コモナリティ」概念に注目した教育環境のあり方を論じる(曽我)。第4 章では,多文化共生教育について,ホリスティック・アプローチにとって重要な脱植民地化の視点から意義と課題を考察する(孫)。
第Ⅱ部においては,癒し/対話/超越性を基底テーマに,ホリスティック教育/ケアの思想と実践を往還しながら考究する。第5 章では,オープンダイアローグにおける対話主義の原則において,垂直方向と水平方向の二種類のポリフォニーの観点から検討する(池田)。第6 章では,教育の根本に「癒すこと」を据えるシュタイナーの教育観を検討し,教育のそうした側面を強調することがはらむ危うさについても述べる(河野)。第7 章では,世俗の時代を超える新しい超越性の地平を論じるCh. テイラーの理論枠組みを用いて,シュタイナー思想を読み解く(奥本)。
第Ⅲ部では,全体性/国家/平和をテーマに,ホリスティック教育/ケアの哲学的思想的な原理を探究する。第8 章では,レヴィナスの『全体性と無限』を読み直しながら「全体性(トータリティ/ホールネス)」概念を再考する(森岡)。第9 章では,国家という「全体」を,京都学派木村素衞の国民教育論の検討を通じて問い直す(西村)。第10 章では,「ホーリズム」の提唱者スマッツに遡り,彼の「文明化の使命」を背負った格闘のなかに,啓蒙近代の両義性と向き合うホリスティック思想の課題を検証する(吉田)。
最後に,「ホリスティック教育/ケア」に関わる研究動向を通時的に概観する。まず,ケアとくに看護領域でのホリスティック概念を用いた研究・実践を,国際動向に着目してレヴューする(青木)。次に,日本におけるホリスティック教育研究を整理しつつ,その広がりと深まりを示す(福若)。
「ホリスティック(holistic)」は,「全体(whole)」・「癒し(heal)」・「聖なる(holy)」等に共通する語源「ホロス(holos)」から20 世紀終盤に辞書に載り始めた造語であるが,本書を通してこのコンセプトのもつ意義が明らかになるだろう。そして,タイトルや本文の中で多用されている「/(スラッシュ)」についても,「ホリスティック」の概念そのものをどうとらえようとしているかという,執筆者たちの思いが顕れており,それは各章に散りばめられている。その一つひとつのかけらを拾い集めながら,読者のみなさんと対話していくことができれば幸いである。
孫 美幸
参考文献
灰谷健次郎(1997)「私が『天の瞳』で書きたかったこと」『小説新潮7 月臨時増刊 灰谷健次郎まるごと一冊』新潮社,pp. 79―84。