あとがきたちよみ
『利他主義の可能性』

About the Author: 勁草書房編集部

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Published On: 2024/8/20

 
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トマス・ネーゲル 著
蔵田伸雄 監訳
『利他主義の可能性』

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監訳者解説
 
蔵田伸雄
 
《1》著者トマス・ネーゲルについて
 本書はトマス・ネーゲル(Thomas Nagel )によるThe Possibility of Altruism, Princeton University Press, 1970 の翻訳である。トマス・ネーゲルは一九三七年七月四日に当時のユーゴスラビアのベオグラードで生まれ、一九三九年にアメリカに渡り、コーネル大学(一九五四~八)、オックスフォード大学(一九五八~六〇)、ハーバード大学大学院(一九六〇~三)で学び、カリフォルニア大学バークレー校助教授(一九六三~六)、プリンストン大学助教授(一九六六~九)、同准教授(一九六九~七二)、同教授(一九七二~八〇)を経て、一九八〇年以降はニューヨーク大学教授であり、二〇一三年以降はニューヨーク大学の名誉教授である(ニューヨーク大学ホームページの本人の履歴書より)。本書以外の主要著作としては以下のものがある。

Mortal Questions, Cambridge University Press, 1979 (邦訳:『コウモリであるとはどのようなことか』永井均訳、勁草書房、一九八九年、新装版二〇二四年)
The View from Nowhere, Oxford University Press, 1986 (邦訳:『どこでもないところからの眺め』中村昇ほか訳、春秋社、二〇一〇年)
What Does It All Mean? Oxford University Press, 1987 (邦訳:『哲学ってどんなこと?─とっても短い哲学入門』岡本裕一朗・若松良樹訳、昭和堂、一九九三年)
Equality and Partiality, Oxford University Press, 1991
Other Minds: Critical Essays, 1969-1994, Oxford University Press, 1995
The Last Word, Oxford University Press, 1997 (邦訳:『理性の権利』大辻正晴訳、春秋社、二〇一五年)
The Myth of Ownership: Taxes and Justice (with Liam Murphy ), Oxford University Press, 2002(邦訳:L・マーフィー、T・ネーゲル『税と正義』伊藤恭彦訳、名古屋大学出版会、二〇〇六年)
Concealment and Exposure and Other Essays, Oxford University Press, 2002
Secular Philosophy and the Religious Temperament: Essays 2002-2008, Oxford University Press, 2008
Mind and Cosmos, Oxford University Press, 2012

 現代倫理学に対するネーゲルの影響はきわめて大きい。たとえば論文集『コウモリであるとはどのようなことか』には、心の哲学の基本文献の一つとなっている表題論文だけでなく、現代の哲学・倫理学の基本的な立場を提起し、新たな問題圏を切り拓いた論文が収録されている。たとえば「人生の無意味さ(The Absurd )」と題された論文は「人生の意味」に関する分析哲学的な議論の領域を確立し、「死」では「死の剥奪説」を提起し、「道徳的な運」では道徳的な運と行為の道徳的価値との関連という問題圏をバーナード・ウィリアムズとともに切り拓いている。またこの論文集には戦争倫理、アファーマティブ・アクションについての重要な論文も収録されている。ネーゲルの問題関心は幅広く、心の哲学、認識論、規範倫理学、メタ倫理学、社会哲学・政治哲学、応用倫理学、実存主義、宇宙論といった、現代では分断されてしまった観のある哲学の諸領域を横断しつつ活躍を続けている。また倫理学・社会哲学の分野で最も影響力のあるジャーナルである、「哲学と公共の問題」(Philosophy and Public Affarirs )誌の創刊時の編集者でもあった。
 そしてネーゲルの最初の著作である本書もまた、「利他主義」に関するモノグラフであるにとどまらない。確かに本書は規範倫理学・メタ倫理学に関する著作ではあるが、そこで用いられている道具立ては心の哲学や認識論、さらには形而上学に関する領域にまたがっている。また本書はネーゲルの最初の著作ではあるものの、本書で提起されたアイディアはネーゲルのその後の著作でも用いられており、その後の哲学・倫理学に大きな影響を与えていて、ネーゲルの最良の書であるとも評価されている。本書はネーゲルの学位論文をもとにしたものであり、学位論文の主査はジョン・ロールズであった。ロールズとの相互の影響関係は、本書と、本書と同時期に書かれたロールズの『正義論』の双方に見られることも注目に値する。
 
《2》本書の構成
 本書は三部構成になっている。本書の基本的な意図は、利己主義と対決し、「利他主義はいかにして可能になるのか」ということについて、「理由」の概念を用いて説明することである。本書の第一部では行為の動機づけ、第二部では慎慮(prudence)、第三部では利他主義について論じられている。本書でネーゲルは倫理学を道徳心理学(道徳について研究する実験心理学ではなく、メタ倫理学におけるmoral psychology )に限定し、「利他主義はいかにして可能になるのか」という問いに対して、「〈客観的理由〉を受け入れることにもとづく動機づけ」という発想を用いて答えることを意図している。
 本書の第一部では行為の動機づけに関する一般的な理論が述べられている。ネーゲルは行為の動機づけに関する「ヒューム主義」の枠組みを修正し、理由によって「動機づけられた欲求」(四二頁)という概念を導入している。
 また第二部では、慎慮、つまり現在の欲求に従うだけでなく、将来の自分の利益についても考慮するという態度について合理的に説明することが試みられている。ここでは〈理由は無人称的で無時間的である〉という着想が用いられている。ネーゲルは行為者の未来の利益と、行為者を現在動機づけている欲求とを結びつけることは困難であり、未来の利益と現在の行為の動機づけを結びつけるものは「理由」だと考えている。
 第三部でネーゲルが意図することは、(認識論的・存在論的立場としての)独我論に関する批判を応用する形で、倫理的立場としての利己主義を批判し、利他主義の可能性を示すことである。第三部では、第二部の慎慮に関する議論における理由の機能を自分と他者との関係に応用することで、利他的行為の可能性を示すことが試みられている。つまり慎慮についての説明をモデルとすることによって利他主義の可能性を示そうとしている。未来の自分の利益について考える慎慮が「理由」によって可能になるなら、それと同様に「理由」によって他者の利益を考慮に入れることも可能であろう。だが、将来の自分の利益を考えることは、同じ一人の人間の内部の問題であるが、他者の利益を考えることは自己の内部の問題ではない。また利他主義の原則は自分の欲求の実現などの主観的な原則と衝突することになるのではないか、とも考えられるであろう。
 本書の第三部は利己主義と道徳懐疑論の批判でもある。利己主義者は、そもそも私たちは道徳的である必要があるのか、と問うであろう。このような道徳懐疑論に対してネーゲルが用いる論拠の一つは、私たちの心の中には、「利他的であらざるをえない」という性質があるということである(もちろん、そのような性質が常に現れているわけではない)。また「利他主義」といっても、本書で問題にされているような利他主義は「高貴な自己犠牲」を要求するような強い利他主義ではない。ネーゲルによれば利他的行為とは、「他の誰かが利益を得るだろう、あるいは害を避けられるだろう、という信念のみによって動機づけられたすべての行動」(二一九頁)である。具体的には、誰かに「タイヤがパンクしていますよ」とか「ハンバーガーに蜂がとまっていますよ」などと言うことであり、「何の犠牲も払わなくてすむような日常の思いやり(mundane considerateness)」(同)である。訳語として定着していることもあり、本書でもaltruism には「利他主義」という訳語を用いているが、「主義」という表現はむしろ強すぎるものであり、「利他性」くらいの意味合いで理解する方がよいであろう。
 さらにネーゲルの利他主義は、他者の利益を直接考慮するような利他主義、あるいは共感(sympathy )にもとづくような利他主義ではなく、「理由」を媒介としている。利他主義は「他者の利益に全く言及することなく記述可能な形式的原則」(一三〇頁)に由来するとされ、そしてそこで前提されているのは、「すべての理由は主観的価値ではなく、客観的価値を表現している」(同)ということである。先に述べたように本書では「理由」がキーワードとなっている。ネーゲルは「利他主義はいかにして可能になるか」、という問いに「〈客観的理由を受け入れること〉にもとづく動機づけ」という概念を用いて答えることを試みているのである。
(以下、本文つづく。注番号と傍点は割愛しました)
 
 
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