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渡辺利夫 監修
茂木 創・吉野文雄・釣 雅雄 著
『経済成長と産業構造』(東アジア長期経済統計 第1巻)
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刊行の辞
東アジアは欧米列強や日本の長年にわたる植民地支配から独立を達成し,以来,半世紀を経過した。この間,東アジアは経済発展のための物的基盤はもちろんのこと,組織的・制度的基盤さらには人的資源基盤の形成を求めてこれに大きな努力を傾注してきた。努力の成果はまことに大きいものであった。
二つの端的な指標について言及してみよう。一つは,工業化の進展である。東アジアの工業化率すなわち国内総生産額に占める工業生産額の比率は,1950 年前後において5~10% であった。工業化率は1970 年代以降急速に高まり,NIES(新興工業経済群)ならびに東南アジア諸国の同比率は今日30~35% に達し,日本のそれと同水準にいたった。植民地支配の下におかれ語るに足る工業基盤をもっていなかった東アジアが,独立以降に蓄積してきた生産能力には高い評価が与えられるべきである。
もう一つの指標は,世界貿易における東アジアのプレゼンスの拡大である。工業生産能力の拡充が輸出競争力の強化となってあらわれたのである。輸出競争力は1980 年代後半期に入って一段と強化された。世界の総輸出額に占める東アジア(NIES,東南アジア諸国,中国)の比率は,1985 年には10% 以下であったが,現在では20% 近傍に達した。しばらく前まで貧しく停滞的だとみなされてきた東アジアが,たかだか十数年の間に世界のマーケットシェアにおいて2 割近くを占めたという事実は画期的である。
こうした指標にあらわれる東アジアの発展軌跡を追うことは,われわれアジア研究者の重要な課題である。しかし,半世紀にわたる東アジアの発展過程を追究するに際して重大な制約となっているのが,長期経済統計の不備である。近年,東アジアにおいて統計整備が進んでいることは喜ばしい。しかし,1950 年代から1970 年代までの苦闘の開発過程においては統計整備にまでは手がまわらなかったのであろう。統計は多くの国において欠落しており,存在していても断片的であったり,信憑性に欠ける。さらに各国で用いられる統計概念は多様であり,時代をさかのぼればのぼるほど相互の比較可能性は薄くなる。
われわれは,各国政府,国際機関が公表した統計をあたうる限り広く収集し,適切と思われるあらゆる統計学的手法を駆使して欠落部分を推計し,相互の比較を可能とするよう統計概念整合化の努力を試みた。かくして成ったものが本シリーズ『東アジア長期経済統計』(全12巻+別巻3)である。各巻は長期かつ比較可能性をキーコンセプトとして編集された。整備された長期統計を用いて各巻のテーマについての分析も試みられている。
本事業に協力された多くの研究者ならびに勁草書房,同社編集部の宮本詳三氏には心から感謝する。本シリーズは拓殖大学創立100 周年記念事業の一つとして編まれたものであり,研究ならびに刊行のための予算に格段の配慮を賜った同大学に深甚の謝意を表する。
本シリーズが東アジアの長期経済社会発展の軌跡を追うという関心に応える「知的インフラ」として役立つことを切望する。
平成11 年 秋寒
監修者 渡辺利夫
監修者まえがき
東アジア諸国は驚異的な発展を遂げた。しかしそのほとんどは,長きにわたって欧米列強の植民地支配に甘んじるという厳しい初期環境からの出発であった。悲願の独立後に残されたのは,バナナや天然ゴム,パーム・オイルといった農産物,天然ゴムや錫といった資源に依存するモノカルチュア(単一栽培)経済である。東アジア諸国は植民地支配の遺物ともいえる「一次産品輸出を通じての工業化」に依らざるをえなかった。
ところが,戦後の東アジア後発国を取り巻く国際環境は,彼らにとって決して楽観できる状況にはなかった。先進国が生み出す工業製品に比べ,一次産品の国際市場価格は伸び悩み,その結果交易条件は悪化した。また,合成ゴムに代表される代替品の登場と普及も,後発国には不利に働いた。
それだけではない。国内産業を興そうにも原資となる国内貯蓄は乏しく,民間投資に期待はできなかった。政府の後押し(ビッグ・プッシュ)によってインフラストラクチャの整備が断行されたが,それは同時にレントシーキングと政治腐敗を生んだ。増加する人口,都市部に形成されるインフォーマル部門,進まない労働生産性の改善など,後発途上国の「貧困の罠」は,産声を上げたアジア諸国に大きな桎梏となって重くのしかかったのである。
こうしたなかでとられた成長戦略が,工業製品の輸入を制限して自国の工業部門でそれに代替する製品を作り,その過程を通じて経済成長を実現させようという「輸入代替工業化政策」である。マレーシアの国民車構想などはこの典型である。しかし,貿易や外資を規制し,為替市場にまで介入を行う内向きの工業化政策は,早々に頓挫することとなった。
東アジア諸国は開発独裁と呼ばれる強いリーダーシップのもと,大きな政策転換を断行した。「輸出志向工業化政策」である。これは自国の産業を保護することよりも,積極的に直接投資を受け入れ,世界的な競争力を持つ財の輸出を通じて経済成長を実現しようという,外向きの工業化政策であった。折しも,プラザ合意の円高が成長の追い風となって,韓国,台湾,香港,シンガポールといったNIEs(新興工業経済群)は高度経済成長を達成し,続く東南アジア諸国と中国は先行するアジア新興国の外部性を享受する形で,より早い速度で成長を実現していった。いわゆる圧縮型発展である。その波は現在,南アジアへと急速に拡大している。
農業部門でも大きな変化が見られた。爆発的に増え続ける人口を養うためには,生産性の改善,単位当たり収量(単収)の増加が不可欠である。これが実現できなければ貧困の罠からの脱出はおろか国家の存在自体が危ぶまれる。僥倖なことに,1962 年にフィリピン稲作研究所(IRRI)が設置され,倒伏に強く,一株当たりの収量が多い新品種,IR8(コメ)やソノラ小麦が開発されたことで国家的悲劇は回避された。後にその成果は「緑の革命」と称賛されることになる。なお,IR8 やソノラ小麦の開発過程においては,磯永吉や末永仁らの台湾における蓬萊米の育成と普及活動,ソノラ小麦の親品種,小麦農林10 号(ノーリン・テン)を生み出した稲塚権次郎の研究など,戦前の日本人の努力があったことも付記しておきたい。
かくして東アジア諸国は,潤沢な労働力を背景に輸出志向型工業化を推し進めることが可能となった。もっとも,そこに至る道程は,平坦とはいいがたい坂道であった。しかし,世界銀行をして「奇跡」と称賛せしめたアジアの成長力は,その後世界的規模の経済危機を幾度となく乗り越える強靱さをもって世界経済を牽引し続けている。本シリーズ『東アジア長期経済統計』は,こうしたアジア経済の動態的変化について,統計を整備する過程で明らかにしたものである。
経済を論じる以上,まず追わねばならないのが「国民所得」あるいは「GDP」と呼ばれる概念である。これらの概念は人間の生活を記述するにとどまらず,その動向はわれわれの生活にも多大な影響を与える。しかし,この最も身近な経済指標は自然界に存在するものではなく,人間の創作物にほかならない。その歴史は浅く,国連による国民経済計算の基本的な枠組みが構築されてまだ70 年程しか経っておらず,いまも試行錯誤が続けられている。
シリーズ第1 巻となる本書の第1 章(担当:茂木創)「国民経済計算と経済成長・産業構造」では,国民所得の歴史,概念の説明から始め,東アジアの経済発展と産業構造の変化について概説する。第2 章(担当:吉野文雄)は「工業化時代のアジア経済」と題して東アジア諸国の工業化に焦点を絞って説明し,第3 章(担当:釣雅雄)「長期経済統計でみるメコン経済圏の経済発展」は,新たな成長フロンティアと目されるメコン川流域に位置するカンボジア,ラオス,ミャンマー,ベトナム,タイを含むメコン経済圏の発展の可能性について論じる。
最後になるが,刊行予定から大幅な遅れとなってしまったことについて陳謝申し上げたい。本書は当初計画では梶原弘和氏が執筆する予定であった。しかし,2019 年,梶原氏が完成を見る前に鬼籍に入られ,それを引き継ぐ形で茂木創,吉野文雄,釣雅雄の三氏が担当することとなった。そこから統計および資料の渉猟が始まり,分析については勉強会を開催し,慎重な議論が重ねられた。統計編纂にあたっては国民経済計算の各版についての理解が不可欠であり,この勉強会は継続的に行われた。特に産業分類などについては時間をかけた検討がなされた。梶原氏からバトンを引き継ぎ5 年。途中,コロナ禍によって進捗が遅滞するする事態も発生したが,研究は休むことなく継続された。三氏の真摯な努力に敬意を表したい。そして,本書刊行を心から待ち望んでいた梶原弘和氏と拓殖大学,勁草書房の宮本詳三氏にこの場を借りて感謝申し上げる次第である。
監修者 渡辺利夫