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阪口祐介 著
『リスク意識の計量社会学 犯罪・失業・原発・感染症への恐れを生み出すもの』
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はじめに
現代日本社会において,どのような人々がなぜ高いリスク意識をもつのか.犯罪・失業・原発・新型コロナウイルス感染症といった様々なリスクに向けられる人々の意識は,社会階層・ジェンダー・家族形態などの社会的要因によってなぜどのように異なるのか.全国規模の社会調査データを用いた計量分析によって,これらの問いに答えることが本書の目的である.
私たちが生きる現代社会では,失業,凶悪犯罪,自然災害,原発事故,環境汚染,感染症といった数多くのリスクに関する問題が次々とあらわれている.そのことは20 世紀の終わり頃から日本で起こったいくつかの出来事をふりかえれば明らかだろう.1991 年のバブル崩壊と長期化する経済不況,そして非正規雇用の拡大によって,1990 年代中頃から2000 年代初頭にかけて雇用不安が高まった.1990 年代後半から2000 年頃に相次いだ少年犯罪や無差別殺人はメディアで盛んにとりあげられ,人々の治安悪化認知や犯罪不安が上昇した.2011 年の福島第一原発事故を機に脱原発を求める世論が高まり,2010 年代前半には原発の是非をめぐる政治的対立が先鋭化した.そして,2020 年のはじめ頃からは新型コロナウイルス感染症(以下,新型コロナと表記する)が世界的に流行した.コロナ禍の日本では,自治体によって外出や営業の自粛要請が行われ,要請に従わない者を非難するという現象もみられた.
このように数多くのリスクに関する問題が生起するなかで,私たちは様々なリスク意識を抱いて生きている.人々は失業の不安を感じ,犯罪の被害を恐れ,脱原発を望み,コロナ禍で自粛要請に従わない者を非難するように,リスク意識は私たちが生きる社会に広く深く浸透しているといえるだろう.
以上のように,新たなリスクが次々と問題化し,人々のリスク意識が高まる状況は,後期近代における社会変容と密接に関連する.この点について論じた代表的な研究がU・ベックのリスク社会論(Beck 1986=1998)である.近代化の過程で,かつて伝統的・宗教的枠組みから意味づけられていた危険は,人間の力によって克服可能なリスクとして認識されるようになった.しかし,産業社会の成功によってあらわれた新たなリスクは補償不能・限定不能・知覚不能で統制が困難であり,人々のあいだにリスクに対する不安や脆弱性の感覚が浸透していく.そこでは,リスクを避けることが人々にとって重要な関心事となり,リスクへの「不安」が社会を駆動する運動エネルギーとなる(Beck 1986=1998).たとえば,犯罪不安の高まりは厳罰化につながり,脱原発を求める世論はエネルギー政策の転換を促し,新型コロナに対する恐れは政府や自治体に対応を迫る.後期近代の社会変容のなかで浮上した「リスク意識」は私たちの行動や社会のあり方に大きな影響を及ぼしていると考えられる.
では,このリスク意識の現代日本社会における姿はいかなるものか.どのような人々がなぜ高いリスク意識をもつのか.
この問いを探究するにあたって本書が出発点にするのは,現代社会におけるリスク意識の姿について論じたベックのリスク社会論の検討である.ベックは,原発事故といった科学技術の発展によってあらわれた新たなリスクについて,人々は階級や集団を超えてその脅威にさらされるという「普遍性」を強調する.そして,リスクそれ自体が増大するだけではなく,人々のリスク意識も高まることで,社会的・政治的ダイナミズムが生み出されるという(Beck 1986=1998).個人化が進行するなかでの人生のリスクについても同様の枠組みから論じられる.
こうしたベックの議論に対して,本書は次の3 点に着目し,現代社会におけるリスク意識の姿をより明確に描き出すことを目指す.
第1 は「リスクの普遍性説の経験的検証」である.ベックによるリスクの普遍性説によれば,「人々は,階級や集団とは関係なくリスクにさらされ,高いリスク意識を有する」ことになるだろう.しかし,普遍性を強調するベックの理論に対して,欧米における計量研究では,犯罪不安,失業リスク認知,科学技術や環境のリスク認知,原発への態度といった様々なテーマについて,リスク意識は社会階層・ジェンダー・家族形態などによって異なることが明らかにされている.ベックの普遍性説は日本における特定のリスクに関してはあてはまるかもしれないが,それは経験的に検証されるべき問題だと考える.
第2 は「客観的・主観的リスクの比較」である.ベックは,リスクとリスク意識を明確に区別せず,両者が相互に重複し合うものと捉えた.しかし,たとえば,「誰が失業に遭いやすいか」という問いと「誰が失業リスクを認知しやすいか」という問いは同一でないように,両者の規定要因は異なる可能性もある.本書は客観・主観レベルのリスクを区別し,両方の規定要因を分析・比較することで,リスク意識の規定構造を明確に把握する.
第3 は「多様な種類のリスクの比較」である.ベックはとくに原発や環境汚染のリスクに注目したが,現代社会において問題化し人々の恐れを生み出すリスクはその他にも数多く存在する.また,ベックは様々な種類のリスクを「普遍性」という特徴から捉えるが,リスクの種類によってリスク意識の規定要因が異なることも想定される.そこで,本書は,原発や環境汚染だけでなく,犯罪,失業,新型コロナも含めた様々な種類のリスクをとりあげる.そして,それぞれの結果を比較することによってリスク意識の社会的規定要因を体系的に把握する.
こうした3 点に着目して本書は,主に日本全国を対象とした無作為抽出法による社会調査のデータを用いてリスク意識の社会的規定要因を明らかにする計量社会学的アプローチから分析を進める.その際に重視するのが「欧米の知見に依拠する点」と「日本の社会的コンテクストをふまえる点」である.
日本ではリスク意識の社会的規定要因を問う計量研究はあまり蓄積されてこなかった一方で,欧米では各分野において,数多くの説が提示されている.たとえば,ベックのリスクの普遍性説が示す見解とは異なり,R・イングルハートの脱物質主義説は,社会階層の高い人々がリスクに敏感になることを予想する.他方で,脆弱性・資源の欠如説は,社会階層の低い人々がリスクの危険性を高く見積もることを指摘する.ジェンダーについては,女性がケア役割を担う影響から安全や健康に関心を向けやすいという点に注目して,女性のリスク意識の高さを説明する議論がある.リスクの文化理論は,人々のあいだでリスク評価が異なる背景には,平等主義や個人主義といった価値観の相違がある点に注目する.年齢,家族,メディア,国の特徴といった要因のリスク意識への影響を検討した研究も多い.こうした欧米の知見に依拠することで,日本におけるリスク意識の社会的規定要因についての理解を深められると考える.
ただし,欧米で検証されてきた説が日本に適用できないケースも多く存在する.たとえば,本書で明らかになるように,日本における犯罪リスク認知は欧米の研究が示す身体的・社会的脆弱性説によっては説明できない独自の規定構造をもつ.また,新型コロナに対する反応について,アメリカでは政治的分極化が生起しているが,日本では属性・価値観・政治的態度による差がほとんどみられない.国によって,客観的なリスクの状態,メディアや政治におけるリスクの社会的構築の状況,文化的背景には様々な違いがあり,それらが各社会に固有のリスク意識の規定構造を形づくると考えられる.そこで本書では,欧米の知見に依拠しながらも日本における社会的コンテクストをふまえて,リスク意識の社会的規定要因についての仮説の構築と分析結果の解釈を行う.
序章では,多様に展開するリスク研究を概観しながら,本書のアプローチや分析課題について説明する.1 章~7 章では,リスク意識の社会的規定要因を解明する計量社会学的研究を行う.1 章~3 章では犯罪リスク意識,4 章では失業リスク認知,5 章では原発への態度,6 章では新型コロナに関する意識,7 章では環境リスク認知をとりあげる.終章では,分析結果をもとに現代日本社会におけるリスク意識の姿を描き出し,本書の知見について考察する.
本書の主要な意義として2 点をあげる.第1 の意義は,計量分析の結果にもとづいて,これまで不鮮明であった日本におけるリスク意識の姿にはじめて形を与え,現代社会におけるリスクにかかわる問題の実態と背景についての理解を深めるという点である.前述の通り,「リスク意識」は後期近代の社会変容のなかで浮上し,人々の行動や社会のあり方に大きな影響を及ぼしている.こうしたリスク意識の姿の把握は,現代社会において次々とあらわれるリスクにかかわる様々な問題の実態や背景を理解することに他ならないと考える.しかし,これまで日本では,どのような人々がなぜ高いリスク意識をもつのかについて実証的に明らかにした研究が少なく,リスク意識の姿は不鮮明であった.ベックの普遍性説が予想するように,人々は社会階層・ジェンダー・家族形態とは関係なく,普遍的に高いリスク意識を有しているのか.脆弱性や資源の欠如がリスク認知を高めるのか.逆に,豊かな人々が生活の質を重視してリスクに敏感になるのか.リスクにかかわる問題についての意見の違いの背後にはどのような価値観の対立が存在するのか.これらは,犯罪・失業・原発・新型コロナといったリスクの種類の違いによって,リスクの客観・主観の違いによって,どのように異なるのか.こうした問題がほとんど明らかにされていない.本書では,以上の問題を実証的に明らかにし,リスク意識の姿に形を与えることで,治安悪化認知の上昇,雇用不安の高まり,脱原発へと向かう世論,新型コロナの流行による社会変容,グローバルなレベルで広がる環境問題への危機意識といったリスクにかかわる諸問題の実態や背景について理解を深める.
第2 の意義として本書は,リスク意識の規定要因を解明する研究において,心理学に比べて少なかった計量社会学の出発点となる.リスクの心理学に関しては,1970 年代・1980 年代からプロスペクト理論,ヒューリスティックとバイアス,サイコメトリックといった分野の研究が進められ,リスク評価に関する人間の認知の普遍的な特徴や法則について数多くの知見が蓄積されてきた.しかし,全国無作為抽出調査のデータを用いて,リスク意識が社会階層・ジェンダー・家族形態といった社会的要因によってなぜどのように異なるのかについて実証的に明らかにする試みは,とくに日本では少ない.こうした状況において本書は,社会調査データを用いてリスク意識の社会的規定要因を探究する計量社会学の端緒を開く.