あとがきたちよみ
『心理学における量的研究の論文作法――APAスタイルの基準を満たすには』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2024/9/4

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
ハリス・クーパー 著
井関龍太・望月正哉・山根嵩史 訳
『心理学における量的研究の論文作法 APAスタイルの基準を満たすには』

「第1 章 心理学研究のための報告基準」「訳者解説」(pdfファイルへのリンク)〉
〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉
 

*サンプル画像はクリックで拡大します。「第1章」「訳者解説」本文はサンプル画像の下に続いています。

 


第1 章 心理学研究のための報告基準
 
(略)
1. なぜ研究論文における報告基準が必要なのか
 多くの場合,心理学の研究プロジェクトの報告にはレシピが含まれています。材料(操作と測度)と作り方(研究デザインと実施方法)を正確に記述しなければ,あなたが行ったことを他の人が再現することは不可能です。
 近年,社会科学や行動科学において,研究報告に記載されているレシピがしばしば役に立たないことがある,という認識が高まっています。これを受けて,2006 年にアメリカ心理学会(American Psychological Association: APA)の出版・コミュニケーション委員会(P&C 委員会)は,学術論文報告基準作業部会(Journal Article Reporting Standards: JARS ワーキンググループ)を設立し,この問題を検討しました。P&C 委員会は,心理学の関連分野において開発されてきた報告基準について学び,『APA 論文作成マニュアル』第6 版(APA, 2010; 前田・江藤訳,2023)において報告基準の問題をどのように扱うかを決定しようと考えたのです。
 P&C 委員会はJARS ワーキンググループに対して,既存の報告基準を検討し,それが望ましいものであれば,心理学者やその他の行動科学者が使用しやすい形にするよう要請しました。最初のJARS ワーキンググループはAPA ジャーナルの元編集者5 名で構成されました(*1)。それから7 年後,P&C 委員会は,JARS が研究者にどのように受け入れられてきたか,また,研究者のニーズをより満たすためにJARS をどのように改訂・拡大できるかを検討するために,7 人のメンバーからなるワーキンググループを任命しました(*2)。それと同時に,当初のJARS ワーキンググループは量的研究のみに焦点を絞っていたことを受け,P&C 委員会は質的研究の報告基準を作成するための別の委員会を任命しました*3。改訂された量的研究のJARS,および新たに作られた質的研究のJARS は,『APA 論文作成マニュアル』第7 版(APA, 2020)に収録されています。あなたが今読んでいるこの本は,量的研究についての取り組みから生まれた報告基準の改訂版です。質的研究の報告基準については別の書籍が用意されています(Levitt, 2020; 能智・柴山・鈴木・保坂・大橋・抱井訳,2023)。便宜上,本書ではこれらの報告基準をいずれも元の名称であるJARS と呼びます。ただし,質的研究のガイドライン(JARS-Qual; Levitt et al., 2018)と区別するために,JARS-Quant と呼ぶこともあります。JARS-Quant およびJARS-Qual はAPA スタイルのJARS とも呼ばれます。2 つのJARS はいずれも,より良いレシピを作成するためのわれわれのステップであると言えるかもしれません。なぜ報告基準が必要なのか,このトピックに関する文献からわれわれが何を見出したのか,JARS ワーキンググループがどのように報告基準を構築していったのかについて,より詳細な記述に興味のある方は,第9 章を参照してください。
 
2. JARS 改訂版で何が変わったのか
 JARS-Quant ワーキンググループは,改訂過程にしたがい当初のJARS ワーキンググループが確立したのと同じ手続きを用いました(第9 章を参照)。JARS-Quant ワーキンググループの報告書は2018 年にAmerican Psychologistに掲載されました(Appelbaum et al., 2018)。
 最も重要なことは,JARS-Quant が当初の基準には含まれていなかった種類の研究をカバーしていることです。その理由は,これらの研究では,実際に行われたユニークな特徴について,透明性を担保するために読者に知らせる必要があることが多いためです。かくして臨床試験(clinical trials),すなわち健康に関連する治療介入の効果検証のための研究の報告基準がJARS-Quant ワーキンググループによって作成されました(第6 章)。同様に,観察的,相関的,歴史的デザインを含む非実験的研究も,縦断的研究(第6 章)や単一事例(N-of-1;第6 章)を対象とした研究と同じように,それぞれの報告基準(第4 章)を獲得しました。また,(研究デザインに関わらず)先行研究の追試である研究にも,それ特有の報告上の問題が生じます(第6 章)。さらに,JARS-Quant 改訂版では,構造方程式モデリングとベイズ統計という2 種類の統計解析の報告基準を定めています(第5 章)。これらの分析では,一般的なJARS の表でカバーされている以上の手続きや統計的パラメータの設定が用いられます。最後に,当初のJARS 表をより明確にし,過去10 年間で一般的になったいくつかの新しい報告項目を追加するための改訂が行われました。
 
3. JARS の表をどのように用いればよいか
 本書ではさまざまなJARS の表を,最初に取り上げた章の付録として示しています。これらの表はオンラインでも見ることができます(http://www.apastyle.org/jars/index.asp)。加えて,本文中で特定の材料について議論する際には,JARS の表の記載事項を言い換えた欄を設けています。JARS の推奨事項が別の表で繰り返されている場合もあります。これらについてその都度論じることはしませんが,それぞれの推奨事項が最初に出てきたときに取り上げ,次に出てきたときにはその議論を参照することにします。(以下、本文つづく。注は割愛しました)
 
 
訳者解説
 
 本書はハリス・クーパー(Harris Cooper)著Reporting Quantitative Research in Psychology: How to Meet APA Style Journal Article Reporting Standards, Second Edition, Revised. American Psychological Association. の全訳です。著者のハリス・クーパー博士はデューク大学のヒューゴ・L・ブロムクヴィスト特別教授で,教育政策に関する社会心理学的,発達心理学的な研究を精力的に行ってきました。また,リサーチ・シンセシスや研究方法論に関する著書を多数出版しています。特に,リサーチ・シンセシスとメタ分析に関する教科書である『Research Synthesis and Meta-Analysis: A Step-by-Step Approach』は第5 版まで版を重ねており,世界中の研究者が参照しています。
 そのクーパー博士が学術論文報告基準(Journal Article Reporting Standards: JARS)の量的研究に関する各項目について詳細に解説した著作が本書に当たります(質的研究に関する項目についてはハイディ・M・レヴィット(Heidi M. Levitt)著Reporting Qualitative Research in Psychology: How to Meet APA Style Article Report Standards, Revised Edition. American Psychological Association が出版されており,すでに邦訳が能智正弘先生他により『心理学における質的研究の論文作法─APA スタイルの基準を満たすには─』として新曜社から出版されています)。JARSは,アメリカ心理学会(APA)が学術論文に最低限含めるべき情報のガイドラインとしてまとめたものです。JARS そのものについては,論文の執筆方法についてまとめたAPA のサイト(APA Style; https://apastyle.apa.org/jars) や『APA 論文作成マニュアル 第3 版』(American Psychological Association, 2020 前田・江藤訳 2023)にも掲載されています。しかし,箇条書きと表を中心に簡潔にまとめられたJARS の項目だけでは,具体的に何を書けばよいのか迷う方も少なくないのではないでしょうか。また,『APA 論文作成マニュアル』は基本的には書式についての指針であり,それだけで相当なボリュームのある書籍です。そのため,どのような内容を報告すべきか,なぜそれが必要かといったことを詳細に述べる余裕はありません。そこで,本書の出番となるわけです。JARS について,どのような理由で各項目が設けられ,どのように記述すればよいかを実際の論文の文章例と照らし合わせて説明する本書は,他の論文執筆の指南書とは一線を画す実践的な虎の巻といえるでしょう。
 
1. JARS-Quant の背景と新しい“スタンダード”
 JARS 成立の経緯やその後の改訂作業については,本書の第9 章を参照していただくこととして,ここでは,現行のJARS-Quant(量的研究についてのJARS)の特徴について簡単にみていきたいと思います。初代のJARS には量的研究と質的研究の区別はありませんでした。現行のJARS は2015 年から改訂作業が始められ,内容の充実に伴い,量的研究のJARS-Quant と質的研究のJARSQualに分けるかたちとなり2018 年に公開されました(JARS-Quant はAppelbaum et al., 2018 を参照)。改訂の意図として,心理学の研究報告において「透明性を高める必要性が再認識され(本書p. 239)」たことが挙げられるでしょう。心理学では2010 年頃以降,研究の再現性に関する議論が大きく増えました。改訂に着手された2015 年には,大規模追試によって心理学の研究の再現性の低さを明らかにした論文がScience で発行され(Open Science Collaboration, 2015),大きな注目を集めました。それまでは何か新しいこと,目立つことをやりさえすれば,後でその成果について深く追及されることのない「言った者勝ち」の雰囲気があった心理学の研究界隈にとって強く反省を促す出来事であったと思います。現行のJARS-Quant では,論文の執筆において,研究の新規性を強調するだけでなく,手続きや実施における透明性と公正性が強調されています。
 具体的には,これまでの論文執筆の常識から何が改められたのでしょうか。初代のJARS から現行のJARS-Quant で新たに設けられたり一層の充実が図られた内容や,日本の研究者の間ではまだ十分に浸透していないと思われる内容をいくつか挙げてみます。まずは「方法」セクションにおいて,初代のJARSでは「測度と共変量」の項目にまとめられていた「測定の質」や「測定装置」,「心理測定」などの内容がそれぞれ独立した項目となり,記述も追加されています。加えて,「データの収集方法」,「マスキング」といった項目が新たに追加されています。これらはいずれも研究で使用された測度や測定装置,およびそれらを用いて得られたデータについてどのように信頼性・妥当性を担保したかに関連する項目であり,まさに研究の透明性や公正性に直結する部分です。JARS は当初より,研究を再現するために必要な情報を提供するためのガイドラインを目指しています。このことは,研究全体を通じた参加者フローの記述(本書p. 92 および図5.1)や,実験操作を伴う研究における操作方法と操作チェックの記述の充実(本書p. 114 および付録4.1)などにも現れています。改訂に伴い,こうしたJARS の特徴がさらに拡充されたといえるでしょう。
 現行のJARS-Quant では「方法」セクションにおいて「データの診断」と「分析方針」について報告することが求められています。特に「分析方針」については,研究の仮説を主要な目的に対応した一次仮説,副次的な目的に対応した二次仮説,および探索的仮説に区別し,それぞれの分析計画を記載することが推奨されています。こうした変更は,再現性問題とも関連の深い“問題のある研究実践(Questionable Research Practices: QRPs)”を防止することを意図したものであると思われます。一次仮説,二次仮説,探索的仮説の区別については,「序論」や「結果」,「考察」といった他のセクションにおいても強調されています。
 「結果」セクションに関しては,最尤法などを用いた場合の推定値の収束状況や収束しなかった場合の対応について詳しく報告することが求められています。この問題が重要であることは統計学のテキストでもソフトウェアの警告メッセージでもたびたびくり返されているはずですが,多くの研究報告では未だ見過ごされがちであるように思います。また,JARS-Quant への改訂に伴い,初代JARS ではカバーされていなかった多様な研究手法や統計手法の報告基準が追加されています。中でも,構造方程式モデリングとベイズ統計の報告基準(本書p. 119 および付録5.1)が整理されている点は特筆に値します。これらの比較的新しい統計手法は,研究報告に記載すべき内容に関して十分なコンセンサスが形成されていませんでしたが,今後はJARS-Quant が良い指針となることが期待されます。
 このように見てくると,本書の内容は新しい“スタンダード”に対応しているということだけでなく,これらの内容を実際に研究報告に盛り込むためには,研究を終えた“後”に知ったのでは遅いということに気がつくと思います。いくつかの内容は研究遂行時点で詳細に記録を取っておくことを求めます(装置の詳細や参加者のフローの推移,分析の実際の進展やモデル改訂の流れなど)。さらに,一部の内容は研究計画の段階で組み込んでおく必要があります(一次仮説と二次仮説の区別,操作チェックを測る方法など)。そうすると,本書の内容はその準備の段階,すなわち,研究を行う“前”に知っていただく必要があることになります。本書を解説から読まれているという方は,さっそく本文を読み始めていただくのがよいでしょう。(以下、本文つづく)
 
 
banner_atogakitachiyomi
 

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Go to Top