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永瀬伸子 著
『日本の女性のキャリア形成と家族 雇用慣行・賃金格差・出産子育て』
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はしがき
女性労働と出産そして女性のキャリア形成をテーマに、私が大学院経済学研究科に入ってから30 年余たってしまった。これまでなかなか1 冊に研究をまとめることができず、いったいどのようにまとめたものかと考えたが、30 年研究しているからこそ長い変化も見てこられたと思う。そんな本として読んでいただきたいと、1970 年代から1980 年代、1990 年代から2010 年、2010 年代から2020 年への変化を、またそれぞれの時代の女性たちのキャリアと子育てと家族とについてまとめた。この間、女性が長い生産可能年齢の中に、しかしある程度若くないと実現できない出産を、うまく人生にとり入れ、キャリアも持てる社会を願って、その条件と課題について研究をしてきた。また子どもの頃から何度かにわたって住んだ米国、研究で訪問したドイツ、パネル調査を4 年間実施した中国、韓国など、西欧や他の東アジアと日本を比較することで、相対化する機会も得た。
今日、良くなった面と、まだ多くの改善が必要な面とがある。良くなった面としては、ようやく2010 年以降、大卒正社員女性を中心に第1 子出産をはさんで就業継続する変化がすすみ、正社員で仕事を続ける女性の賃金見通しは良くなり、また男性の育児参加を求める社会の声も広がっていることである。懸念する面は、それでも日本型長期雇用でないと生計維持可能な賃金を得にくいこと、そしてその中には子どもを持つことを想定しない雇用慣行が多くあることである。
人生100 年時代といわれる今日、女性が人的資本を構築し、経済力を持ち続けることは、当然なことであり、必要なことでもある。それには出産・子育てと仕事とを両立できる社会的な制度構築の工夫が必要である。
もう1 つ私が日本社会の大きい課題と懸念しているのは、若者が子どもを持つということをやり直しのきかないリスクとして怖れるようになっていることだ。子どもを持つかどうかは「個人の選択」だと当たり前のように若者が言うようになった。本当にそうなのだろうか。それはもし子どもを持ったら、個人が責任をとるべきという認識なのだろう。しかしそうしたものなのだろうか。そもそも子どもは、親だけの手で育てられるものではないと思う。親族、友人、仲間、保育園、学校など、様々な関係性と仕組みの中で子どもは育つ。次世代が育つ仕組みを工夫できない社会は未来を失う。次世代を育くめる社会に向けた働き方と家族への政策を考えるのも本書のテーマである。そして若年期は、キャリア形成にも家族形成にもきわめて重要な時期である。日本の雇用慣行と社会保障は、この時期のリスクに対して十分なサポートをしているのかを考えていく。
日本で広がる非正規雇用の原型は「パート」労働である。これは主婦の働き方としてもともと1970 年代から1980 年代に形成された。しかし1997 年のアジア金融危機を発端に、初職から非正規雇用に就く若者が増え、また中途で非正規雇用に陥る男女も増えている。しかし非正規雇用という働き方は、本格的に働かない者が就く仕事として、雇用保護がきわめて薄く、人的資本形成機会も少ない。こうした働き方が若者に広がっている。
その一方で、日本的雇用慣行は、男性が妻子を養う前提で、女性については未婚者を前提に形成されてきた。だからこそ、年功的な賃金上昇や雇用安定と引き換えに、企業命令による急な残業、配置転換、転勤を当然視する雇用慣行や配偶者手当などが形づくられてきたのであり、子育てをしながら働けるような働き方は前提とされていなかったのである。このような暗黙の働き方のルールが、共働き・共子育てを難しいものとしている。
こうした背景があり、日本はOECD の中でも男女の賃金格差が大きい。さらに政治家、管理職、専門家など、決定権のある立場にいる女性が先進国の中でも特に低い。
しかしこの間に日本の人口構造は大きく変わった。1980 年代から2005-10年頃まで、有配偶女性はサラリーマンの妻として家庭中心に暮らした時代だったが、2000 年からの20 年は、それまで高賃金を得てきた男性現役労働力が時間とともに減っていき、一方で若者や中年の非婚が増え、非正規雇用が増えた20 年だった。今後の20 年、2040 年までを見通すと、さらに現役世代が減り、かつ、医療・介護・年金などの移転費用がかさむ後期高齢者が増えていく。
女性も男性と同様に生活自立できる賃金を得られるようにすること。同時に、男女が出産をペナルティと感じることなく、子育てという人生の側面を、仕事を失うことなしに、必要な時間の余裕を持てる社会連帯を創り上げること。そうした方向に社会を転換することが、日本経済の重要課題になっている。それを可能にする雇用・家族政策そして社会保障政策が必要となっている。
子どもを育てるということは、仕事とは大きく異なるが、人生の別の深さを感じる時間である。また仕事も生産活動だが、子どもを育てる時間も創造的な生産活動時間だ。私自身はやせ我慢をしながら、持ち前の体力で、また配偶者のサポートもあって、当時の社会規範にあらがって、どうにか両立をしてきた。振り返って思うのは、親になる喜びは誠にかけがいのないものだということだ。もちろん親にならない人生には別の充実があるだろう。しかし次世代の若者は、キャリアを失う懸念を持たずに、子どもを持てる社会になってほしいと願って本書を書く。
本書は2 部構成としている。第Ⅰ部では、日本の労働市場や雇用が、時代とともにどう変化したのかをデータを踏まえて示していく。日本は、優秀な女性の多くが無業であったり低収入であったりとして、海外からは女性が虐げられていると見られているようだ。米国で「静かな革命」といわれた米国女性の働き方の変化が日本とどう違うのか日本と対比する。1980 年代から最近までのデータを扱った私の研究を中心にこれをかいつまんで、時代の変化がわかるように示していく。1990 年代から2020 年にかけて度々行なった聞き取りから、男女の声を取り上げるなどして、どういう点が日本の特徴で、それがどう変化してきたのか、また子どもを持たない女性の賃金が、なぜ相変わらず男性より低い現状があるのか、日本の課題を読みやすく示したいと思う。
この課題は、人口減少、現役世代の大幅な縮小の中で、もはや見過ごすことができないものであること、子どもを持てる社会の構築に向けて、男女の働き方や社会保障の大きい改革が必要なものだということを本書のメッセージとして発信する。
第Ⅱ部では、2016 年以降の私の論文をもとに、個別のテーマを取り上げ、政策の効果について、より詳しく見て行く。
以下、各章を紹介する。
第Ⅰ部 日本の女性の就業と少子化、家族の変化
第1 章 現代日本のキャリアと出産の課題
第1 章は、現代日本の抱える大きい悩みをグラフで示す章である。若者に、人的資本形成の道筋が見えない非正規雇用が拡大したこと、また子育てを回避する態度が急速に強まっていることを示す。若いコーホートでは、キャリア構築、次世代への人的投資、どちらも沈滞している。その一方、夫婦世帯をみると、女性の高学歴化にもかかわらず、夫が生計を維持し、妻は低収入という構造が、過去20 年間、驚くほど変わらないできた。この中で未婚シングルが増えている。女性活躍の掛け声はあるが、今日も昇進の大きい男女格差は顕著だ。女性が男性同様に賃金を得られること、しかしまた雇用者であっても子育てができること、そのような形に日本の雇用構造を変革することが日本経済に必要なのだ。なぜ女性と低賃金とが強く結びつくのか、どこに歪みがあるのかを考える。
第2 章 女性の労働供給の変化を時代を追ってたどる
2013 年以降、日本の女性の労働力率はさらに上昇している。しかしなぜ日本では現在も男女賃金格差が大きいのか、1900 年以後から現在に至る変化について、主に米国を比較対象として、日本の女性労働の特徴を示す。ノーベル賞経済学者クラウディア・ゴールディン氏は、米国では若い女性が将来自分は一生仕事を持つようになると考えるようになった、このアイデンティティの変化が今も続く「静かな革命」を起こし続けているとし、それは米国では1970 年代からだとする。では日本はどうだったろうか。あまり指摘されない点だが、日本では、米国とは逆に、1980 年代から2005 年頃までむしろ出産離職と女性の育児専業化がすすんだ。1970 年代から現在に至る日本女性の労働参加とジェンダー賃金ギャップについて国際比較データを概観した上で、第1 子出産後の女性の無職比率が日本は1980 年代から2010 年頃まで7 割近いものであったこと、ようやく最近になって出産を通じた就業継続が増えていること、また有配偶女性の場合、教育投資をした大卒女性よりも、むしろ高卒女性の方が労働参加が高いこと、すなわち大卒女性にふさわしい仕事が有配偶女性に対して提供されないという日本の特徴を示す。
第3 章 日本における「正社員」と「正社員以外の働き方」間の高い壁──日本の女性労働供給モデル
欧米では同じ人的資本であればその賃金率は一定であるとの仮定のもとで、最適な労働時間働くというモデルが労働供給モデルの基本である。ところが日本では「正社員」とそれ以外との働き方で、同じ個人にオファーされる時間あたりの賃金率は大きく異なる。日本の「正社員」は入口が若い頃に限定され、かつ長時間労働の働き方であり、他方「パート」/「自営業」は、時間の自由度が高いという点で質が異なる働き方だ。家事と両立がしやすいので、その代償として低賃金が受け入れられているという私自身の補償賃金差モデルを提示する。しかしながら計量分析の結果、家事との両立のしやすさから低賃金を受けいれるという部分もあるが、加えて税制や社会保険がそうした働き方を奨励するインセンティブづけがあることも大きいこと、さらに「正社員に採用されない」という正社員への入口の狭さもあることを指摘する。
女性の労働参加は日本でも諸外国同様に年々高まっていった。しかし女性の多くが「パート」という正社員と不連続で低賃金の雇用に閉塞され、一方で、こうした非正規雇用の働き方によって男性長期雇用者の雇用安定と年功賃金が支えられる労働市場が形成され、前者が法的にも保護されてきた。このため、欧米型の労働時間供給モデルは日本の女性労働を上手く説明できないのである。このように「正社員」と「非正社員」とで賃金構造が大きく分離された二重労働市場の構造は現在も続いている。それだけでなく、「非正社員」が多様化しつつ拡大している。同じような能力や資格を持つ者がどちらかの市場に振り分けられ、いったん非正規雇用の市場に入ると訓練機会も少なくそこから出にくい労働市場の構造改革は、今まさに必要となっている。
第4 章 女性の労働供給の変化と経済理論
この章では日本の有配偶女性の労働供給に関する理論と実証研究を米国と比較することで相対化しつつたどる。米国では、1970 年代以降、高スキルの女性への労働需要が高まり、賃金上昇は妻の労働参加および労働時間を増やし、この効果は、夫の賃金の上昇が妻の就業を抑制する効果よりも常に強いものであったから女性の労働時間も伸びていった。これに対して、日本は1960 年代から90 年代初頭までは有配偶女性に家族従業者という働き方が多い点が米国との差としてある。同時に雇用者も増えていくが、米国のように同じ人的資本を持つ個人であれば時間あたりの賃金率は一定という仮定では労働供給時間の推計がうまくいかない。すなわち正社員と正社員以外の働き方において、大きい賃金格差が見られるからである。このため有配偶女性の労働力率推計は行なわれるが、労働時間推計はあまり行なわれてこなかった。また賃金上昇が起きるほど、無業の妻の有業化はすすむものの、賃金率が上がるほど労働時間が大きく減るという米国にない強い負の効果が有配偶女性の労働供給で計測される。それは「パート」では殊更強い。
男女賃金格差については、コース別人事がある企業では時間とともに男女の賃金差が拡大すること、勤続は賃金評価されるが出産離職した女性について外部経験はほとんど評価されない賃金構造であること、また主婦の多くが働くパート労働が低賃金であることを述べる。働き方改革法では「同一労働同一賃金」という言葉が謳われたが、「同一」の概念には「仕事内容」だけでなく、残業、配置転換の範囲、転勤の有無など、家庭生活を大きく阻害する内容が含まれ、実質的な男女の賃金差の縮小に役立たないことを述べる。
第5 章 聞き取り調査からみる若年女性の仕事と家族形成
この章は私の1990 年代から2022 年まで断続的に行なってきた聞き取り調査から得た声を時代別にまとめた章である。主には20 代後半から30 代前半を中心とした男女の声だ。はじまりは1997 年の若い正社員女性を中心とした聞き取りだ。これは少子化が懸念された1997 年の人口問題審議会で報告されたものだ。今のシングルの生活は楽しいので、今ではない将来に専業主婦になって大事に子育てをするという未婚女性の声である。言い換えれば、子どもを持って働く自分の将来像が見えていない。2 番目は就職氷河期後の2006-2012 年の大卒正社員女性の聞き取りである。女性の就業継続意欲は大きく上がっている。しかし首都圏では依然として出産後の継続ができない。総合職は出産と両立しにくく、一般職は仕事を続ける強い意欲を持てる仕事の面白さに欠ける。さらに非正規雇用者は低賃金であって、そもそも仕事で技能構築するような仕組みが弱い。3 番目は2010 年の非正規雇用に就く未婚の男女の聞き取りである。資格職を目指し勉強をする者もいたが、資格をとっても仕事に生かされていない。簡単で限定された仕事が割り振られ賃金が上がらない様が語られる。4 番目は2021 年の育児休業復帰女性の聞き取りである。人事部は上司教育を拡充した結果、女性が社内では復帰しやすい雰囲気が全般に高まった。しかし両立が容易だとまではいえない。これはお茶の水女子大学のゼミ生とともに聞き取ったものだが、女性たちが前向きで希望を持てたという声と、こんなに大変とは思わなかったという声が大学生からあがった。5 番目は最近の20 代の未婚大卒女性あるいは女子大生の声である。子どもは大変、お金がかかるという消極的な声である。シングルでいるのが一番安心だと思っている様子だ。しかし第9 章で見るとおり、シングルには大きい隘路があるのだが……。
第6 章 聞き取りと統計調査からみる米国の高学歴女性の就業と出産
日本女性の聞き取りである第5 章と比較するために、米国において子どもがいる雇用者および管理職女性を中心に行った聞き取りを紹介する。日本のように正社員と非正社員という形で分かれてはいないため、時給払いの雇用者として入ったとしても、社内公募に採用されて良い成果を出し上司が引き上げてくれれば、採用の入口にかかわらず昇進していける。一方で安定雇用だった者も、勤務していた部門が売却されれば容易に失業の憂き目にあう。日本企業を経験した有配偶女性は、米国の方が大卒女性については子育てと両立しやすいと語る。それは、仕事内容が明確であり、労働時間の裁量性を個人が持ちやすいからであり、また会社内で子どもや家族を話題にすることが多く、「子どもが病気になった」などを普通に語れる雰囲気があることが大きいと見られる。(以下、本文つづく)