共和党知事のいる諸州は先を争って……投票を非常に難しくした。テキサスとジョージアとフロリダはやりたい放題だった。アラバマは酔いしれた。ノースカロライナはバーカウンターの上で踊り狂った。……厳格な有権者ID法の制定、有権者登録要件の厳格化、マイノリティが使う投票所の閉鎖、有権者登録の抹消。……選挙結果に少しでも影響を及ぼせる技が全部披露された。(『レイディ・ジャスティス』p.236)
アメリカ国内だけでなく海外からもたいへんな注目を集めている今年(2024年)のアメリカ大統領選挙。投票日は2024年11月5日(火)である。まだしばらく先のように感じられるが、実は一部の地域では先月半ばから投票が始まっている*1。各候補者は、明日にでも投票するかもしれない有権者を相手に演説などを行なっているということである。
日本では、有権者であれば何もしなくても投票所入場券が自宅に届き、その入場券だけを持っていけば投票ができる。ところがアメリカでは投票はそう簡単ではなく、州によっては相当な時間とお金と労力をかけなければ実際に投票ができない場合がある。今回はそんな投票事情を取り上げる*2。
おおまかに言うと、民主党はなるべく多くの人がなるべく容易に投票できるように動いてきた一方、共和党は長らく、とくにマイノリティの投票を制限しようとしてきた。選挙の具体的な実施方法は各州が州法によって定めるので、州議会で共和党が強い州では投票するのに色々なハードルが設けられる傾向にある。
まず、アメリカでは投票資格のある人は有権者として登録しなければ投票できない。最近は、たとえば運転免許を取得すれば自動的に有権者としても登録される制度を採用する州も増えてきたが*3、その他の州では有権者自らが登録を行なわなければならない。もちろん、そこはさすがのアメリカ、有権者登録の推進を目的に活動する団体もあり、たとえば高校で投票年齢に達した生徒がいっせいに登録できるイベントを行なったりしている。しかしフロリダなど共和党の強い複数の州では、前回2020年の選挙以降に、そのような有権者登録促進活動をより困難にする州法を制定した*4。
一度有権者登録をしても安心できない。過去数回の選挙で投票しなかったとか、有権者名簿上の氏名の綴りがほかの公式書類上の氏名の綴りと一致していないとか、州によって様々な理由で登録が抹消されている可能性があるからである。
氏名の綴り、ハイフンの位置の間違い、アクセントのつけ間違いなど――どんなことでも登録を[無効とする]根拠になりえた。(『レイディ・ジャスティス』p.243)
今回の選挙で民主党支持者の投票率を上げるための活動をしている Vote Save America というネットワークがある。その有権者向けのページに行くと最初に出てくるのは、住所などを入力すれば有権者登録状況を確認してくれるフォームである*5。
有権者として確実に登録されていても投票できるとは限らない。冒頭の引用にある「有権者ID法」とは、投票の際に特定の身分証明書(ID)を提示しなければならないと定める州法のこと。たとえば激戦州の一つであるオハイオ州では8種類のID(すべて写真付き)のうちどれかを見せなければ投票できない*6。また、提示するIDにある氏名の綴りが、有権者登録名簿上の綴りとぴったり同じでなければならない。
そもそも、写真付きIDの取得が必ずしも容易ではない。以下は、数年前のテキサス州の状況である。
州が無料で発行する有権者身分証明証を取得するには身元確認のための書類を提出しなければならなかったが、そのなかでいちばん安い出生証明書でも取得に二二ドルかかった。テキサスでは自動車局に行くのも一苦労となることもあった。テキサスに二五四ある郡のうち八一の郡には自動車局がなく、最寄りの自動車局が四〇〇キロも離れている有権者もいた。当然ながら、ヒスパニック人口の多い郡に自動車局がない確率が高く、そのような郡ではヒスパニック住民が投票に使える身分証明証や車を持っていない確率が白人住民の倍だった。テキサスでは主要都市以外に公共交通機関はないに等しく、投票する際に必要な身分証明証を取得するのがそれだけ難しくなっていた。(アリ・バーマン著、秋元由紀訳『投票権をわれらに』白水社、p.354)
有権者としての登録状況を確認し、指定されたIDを持っていても、州や地域によってはまだまだ難関がある。正式な投票日は火曜日で、休日ではないため、多くの有権者が期日前投票制度を利用するが、共和党の強い州では期日前投票期間が短縮される傾向にある*7。投票権を保護する投票権法の主要な部分を無効にしたシェルビー郡対ホルダー事件判決(連邦最高裁、2013年)以降、投票所の数も大きく減った*8。このため11月の投票日には、期日前投票をしたかったのにできなかった人を含めて大勢の人が、その人数に対して少ない数しか開設されない投票所に来るため、多くの投票所で、投票するまでにかなり時間がかかる。
さらに、「オハイオ州では、郡の選挙管理委員会が配置した投票機の数は必要に対してはるかに少なかった。それも……人口が多く民主党の強い都市やケニオン・カレッジなど大学のキャンパスではとくに数が足りず、ケニオンでは学生が投票するまでに最長で一〇時間も待った」(『投票権をわれらに』p.293)とあるように、投票所に設置される投票機の数も投票にかかる時間に影響する。多くの地域で寒い11月に、場合によっては屋外で何時間も列に並ぶのは普通に大変である。さすがはアメリカ、並ぶ人たちに水や食べ物を差し入れるボランティアもいるのだが、ジョージア州はこうした活動に制限を加えようとした*9。
キャロル・アンダーソン(エモリー大学教授)はブラックをはじめとするマイノリティの投票についてこう述べている。「マイノリティの居住地域では投票までの待ち時間が長いことが予想できるでしょう。だから準備して行きなさい。携帯電話を持って。予備のバッテリーを持って。水を持って、おやつも持って、痛くない靴で行く。それをしなければ、その後に間違いなく恐ろしい事態がやってくるのですから」*10。投票する権利の貴重さを思い出させ、胸を打つ言葉だが、同時に、民主主義国であるはずのアメリカで、まさに民主主義の基盤の一つである選挙の制度が異常な状態にあることも伝わってくる。
追伸。様々なハードルを越えて無事に投票することができても、今度はその票が選挙の結果にきちんと反映されるかという問題がある*11。『レイディ・ジャスティス』の著者ダリア・リスウィックも最近、自らが司会するポッドキャスト「アミカス」に『投票権をわれらに』の著者アリ・バーマンを迎え、まさにこの問題を取り上げた*12。暴力が起きる可能性もある。前回2020年の大統領選挙後には、連邦議会によるバイデン勝利の認定を阻もうとしてトランプ支持者らが暴動を起こした事件があった(2021年1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件)。
注
*1 ミネソタ州とサウスダコタ州では全米でもっとも早い9月20日から期日前投票期間が始まった。
https://www.vote.org/early-voting-calendar/
*2 投票制限の問題の歴史や州ごとの状況については次を参照。アリ・バーマン著、秋元由紀訳『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社、2021年)
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b508465.html
*3 アメリカでは自動車免許は州ごとに発行される。自動的な有権者登録についてはたとえば次を参照。
Brennan Center, “Automatic Voter Registration”.
https://www.brennancenter.org/issues/ensure-every-american-can-vote/voting-reform/automatic-voter-registration
*4 たとえばフロリダ州の状況については次を参照。
NPR, “Groups that register voters are feeling besieged by new state laws,”May 16, 2024.
https://www.npr.org/2024/05/16/1251289736/voter-registration-drive-state-restrictions
*5 Vote Save America, “Be A Voter”.
https://votesaveamerica.com/be-a-voter/
*6 オハイオ州の有権者ID法についてはたとえば次を参照。
Ballotpedia, “Voter ID in Ohio”.
https://ballotpedia.org/Voter_ID_in_Ohio
*7 期日前投票期間の短縮についてはたとえば次を参照。
ACLU, “Cutting Early Voting is Voter Suppression”.
https://www.aclu.org/issues/voting-rights/cutting-early-voting-voter-suppression
*8 投票所数の削減についてはたとえば次を参照。
Leadership Conference on Civil and Human Rights, “The Great Poll Closure,” November 2016.
https://civilrights.org/resource/the-great-poll-closure/
*9 列に並んでいる人への差し入れの禁止などを定めたジョージア州法をめぐっては裁判が行なわれている。たとえば次を参照。
ACLU, “Sixth District of the African Methodist Episcopal Church v. Kemp”.
https://www.aclu.org/cases/sixth-district-african-methodist-episcopal-church-v-kemp
*10 Amicus, “Election Meltdown, ” Part 4, February 15, 2020.
https://slate.com/podcasts/amicus/2020/02/election-meltdown-harsh-words
*11 選挙結果の認定をめぐる動きについてはたとえば次を参照。
ロイター、「米民主党、ジョージア州選管当局提訴 新たな選挙手続き規則巡り」2024年8月27日
https://jp.reuters.com/world/us/UGYWSWSFUBMRFJRQM4CIQMJV3I-2024-08-27/
*12 Amicus, “Subvert the Election, But Make It Legal,” September 7, 2024.
https://slate.com/podcasts/amicus/2024/09/election-2024-how-trump-and-his-gop-lawyers-are-attempting-to-gain-the-presidency
女性+法=変革! 法を公平、平等、尊厳を得るための力に変えてきた女性法律家たちの闘いを描くエンパワリング・ノンフィクション。
『レイディ・ジャスティス
――自由と平等のために闘うアメリカの女性法律家たち』
ダリア・リスウィック 著、秋元由紀 訳
3,850円(税込) A5判 336ページ 2024年8月1日発売
ISBN 978-4-326-60372-5
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b647474.html
【内容紹介】 人種差別、人工妊娠中絶の阻害、投票権の制限、性暴力……トランプ政権時代の暴政に抗して自由と平等を守るべく即座に立ち上がったのは、多くの女性法律家たちだった。女性やマイノリティができることや望めることを常に規定してきた法。その法を権利獲得のための武器に変えてきたアメリカの女性法律家たちの歴史と現在の闘いを描く。
本書の第1章の一部と訳者あとがきはこちらからお読みいただけます。→《第1章/訳者あとがき》
》》》連載バックナンバー ⇒《一覧》
第1回 アメリカの弁護士たちは「海の底」?
第2回 憧れのローヤーたち
第3回 司法女子パワーのポッドキャスト
第4回 指名承認公聴会とは