ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 24〉「選挙ヘイト」とどう向き合うか

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2024/10/8By

「選挙の自由」は、最大限守られなければなりません。投票する側にとっても、立候補する側にとっても、選挙期間に発せられる情報は非常に重要です。だがそれゆえに影響も大きいのも事実。どんな内容の演説や情報も「選挙」の名の下に一律に伝えられるべきなのでしょうか。[編集部]
 
 
記者ゆえのジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。
 

1:: 思考実験

 オンエアも無事に終わり、フロアでの反省会もお開きになったとき、若いディレクターから「先輩、ちょっと相談が」と袖を引っ張られた。
 いつもと違って、何だか神妙な表情だ。後輩は放送時間の直前まで、特集コーナーのVTRの編集にかかりきりだった。わたしが統括役を務める夕方の情報番組では、若手ディレクターによる5分ほどの「街の話題」コーナーを設けている。きょうオンエアされた後輩の作品は、駅からほど近い住宅地にできた「こども食堂」の奮戦記。視聴者の反応もよかった。
 わたしは相談に乗るため、指で合図をして、部屋の隅にある自動販売機コーナーに移動した。缶コーヒーを2本買い、1本を後輩に渡して、笑顔を作ってみせた。「で、なにか気になることでも?」。
 後輩の話では、こども食堂をあとにして駅前の日常風景を撮っていたとき、ある選挙運動の一団と鉢合わせになったという。
 「その一団は、選挙運動にかこつけて拡声器のボリュームいっぱいに差別的な言葉を……」。
 ピンときた。外国人学校の前で「スパイの子ども」「日本からたたき出せ」などと拡声器でわめいて事件になったことがある団体だ。市民運動のスタイルでヘイトデモを繰り返し、近年は選挙に立候補者を立てている。
 わが社の取材班のカメラは、その候補者たちが駅前で差別的な言葉をまき散らしている光景を偶然にも撮っていた。それが彼らの目にとまった。
 その集団は「撮影を許可した覚えはないぞ」と取材班を取り囲んで怒声をぶつけ、「この売国奴」「反日マスゴミ」などと、ありったけの罵詈雑言をぶつけてきたという。
 とんだ災難だったね……。そんな労いの言葉をかけようとしたが、後輩は「番組で取りあげたいんですよ」と唇を結ぶ。
 なるほど、相談っていうのは、そういうことだったのか。わたしは深呼吸すると、後輩を落ち着かせようと平静を装って言った。
 「選挙のニュースは、報道局の仕事と決まってるよね」。わたしは人差し指を左右に振り、渋面を作って言った。「選挙期間中に妙なことをしたら、法律問題が絡んでくるかも。わが社がビビリ体質だって、きみも知ってるでしょ」。
 後輩の眼はかすかに潤んでいた。
 「その差別発言は、子どもたちの耳にも届いていました。見過ごせる問題じゃないです」。そして、わたしをまっすぐ見つめて「もし先輩だったら、見て見ぬ振りをするんですか」と訴えかけてくる。
 返す言葉がなかった。以前、「見てしまった者の責任」という言葉を聞いたことがある。後輩はただの観察者ではなく、すでに当事者になっている。いてもたってもいられないのだろう。
 だが、だからといって、ホッと一息つくような町の話題のコーナーで、差別の問題を取りあげるのは唐突だ。「気持ちはわかるけど、やっぱり、報道局のデスクに相談してみない?」。
 「報道の連中は、規則に縛られて何もできないですよ」。後輩はポケットから取り出したスマートフォンで動画を再生させた。候補者の一団から罵倒されている後輩の姿が映っていた。彼らは映像をネットで公開していたのだ。
 「徹夜をしてでも、あすの特集用のVTRを作らせてください」と後輩は頭を下げる。
 そんな後輩を見ていると、じぶんがすっかり「事なかれ主義」に傾いているような気がする。もし優れた番組ディレクターなら、こんなときどうするだろう。
 口の中のコーヒーがいつもより苦い。
 
[A] 選挙期間中に放送する。白昼堂々と差別発言をまき散らすのは基本的人権を否定する行為。メディアの取材者が見て見ぬふりをすれば、視聴者から信頼されなくなる。速やかに取りあげる義務がある。
 
[B] 選挙後に詳しく放送する。確信犯の挑発に乗ってしまうと、団体の宣伝に利用される。われらに課された使命は民主主義を守ること。撮影した動画もある。選挙後にしっかり検証報道するのが正しい判断だ。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[選挙期間中でも放送する立場] あすの特集で「昨日のこども食堂の取材直後に起こったこと」と題して伝えよう。選挙に立候補しさえすれば、差別発言が許されるなんて異常だ。日本も批准している人種差別撤廃条約はいかなる場合も差別的言動を許していないし、ヘイトスピーチに罰則を科す自治体も出てきた。メディアが沈黙してはいけない。
 
[選挙後に詳しく放送する立場] 選挙期間中に特定候補者の問題行動を報道すれば、「選挙妨害だ」と騒がれるだろう。ディレクター個人の問題ではない。テレビ局全体が特定政党の敵対者と、彼らの政治宣伝の材料になる。検察だって選挙期間中は選挙違反の立件を控えている。われら報道機関も、勇み足にならないよう気をつけなければならない。
 
[選挙期間中でも放送する立場からの反論] 選挙演説が熱を帯びることはよくあるが、越えてはならない一線はある。人の尊厳を踏みにじる言動は絶対に許されない。「選挙ヘイト」は既存の法が想定していなかった事態だ。法が追いついていないなら、私たちは社会から期待されている役割に従うべきだ。それが民主主義を守ることにつながる。
 
[選挙後に詳しく放送する立場からの反論] 放送が法規制を受けていることを忘れるな。放送法には政治的公平を保つよう記されている。それを根拠に「選挙では公平に扱え」と恫喝してくる政党もあったくらいだ。圧力は跳ね返すべきだし、放送の自律性は必要だ。だが、われらは組織で仕事をしている。最悪の結末を考えることも重要だ。
 
[選挙期間中でも放送する立場からの再反論] 組織防衛が見え隠れする議論は情けない。放送人の原点に立ち返ってみよう。放送倫理が最も大切にしてきた価値は「人権」だった。少数者の尊厳が踏みにじられている場面に遭遇し、動かぬ証拠を撮っている。今こそ放送人が人権の問題と向き合い、責任を果たすときではないか。
 
[選挙後に詳しく放送する立場からの再反論] 放送がヘイトを伝えるのに躊躇しがちだったのは、差別表現を不特定多数の人に伝えてしまうからだ。新聞や雑誌は能動的に読むメディアだが、テレビやラジオはつけっぱなしという場合が多く、不意打ちになりかねない。「選挙ヘイト」の問題を夕方の情報番組で放送するのは常識に欠ける。
 
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はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
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