あとがきたちよみ
『異端の鎖――シャブタイ・ツヴィをめぐるメシア思想とユダヤ神秘主義』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2024/11/6

 
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山本伸一 著
『異端の鎖 シャブタイ・ツヴィをめぐるメシア思想とユダヤ神秘主義』

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序論 歴史記述の呪縛
 
すべてはメシア棄教から始まった
 一六六六年の秋、アドリアノープルの壮麗な宮廷の一室で、一人のユダヤ人が尋問を受けていた。救済者を名乗って、王位簒奪を目論んだ廉だった。四〇歳を迎えたばかりのこのユダヤ人はいかなる申し開きも認められず、死罪か改宗かを迫られた。時のスルタン、メフメト四世が自ら尋問に加わったとも伝えられている。バルカン半島から中東、北アフリカにまで支配を広げるオスマン帝国の強大な権力の中枢で、実際には官職も兵力も持たないこの男の存在は、あまりにも小さかった。緊迫したこの状況のなか、ユダヤ史に深い禍根を残す出来事が起こる。メシアとして名乗りをあげ、すでに多くの同胞に救済の期待を抱かせていたにもかかわらず、あろうことか、彼は自ら公にしたはずの約束に易々としらを切り、その場でターバンをかぶってムスリムになることを選んだのである。この人物こそが、本書の中核を占めるシャブタイ・ツヴィである。
 このメシア自称者を論じるに際しては、様々な背景の人々にも光を当てねばならない。例えば、彼の改宗とメシア性に逆説的な神秘を見出した人々、救済の挫折を踏み台にして新たな救済思想を打ち立てようとした人々、またそうした怪しげな営為に異端の鉄槌を下した人々である。彼らが関与した出来事は、創意と葛藤と憎悪によって特徴づけられ、シャブタイ・ツヴィの死後も含めて約一世紀半に及んで展開した。
 かつてその歴史は異端の系譜として構想された。シャブタイ・ツヴィをめぐっては、実のところ毀誉褒貶が錯綜していたにもかかわらず、正統を自負する者たちは異端狩りに乗り出すに当たって、疑わしい人々の背後に潜む同質性と連続性を暴き出すことに多大な努力を傾注した。本書の目的は、多彩な実態を浮き彫りにするために、疑惑の対象となった人々や書物の差異を強調し、そうした歴史記述の妥当性を問い直すことである。
 この目的に向けて一連の作業に取り掛かる前に、まずはことの発端に遡ることにしよう。シャブタイ・ツヴィがメシアの使命を自覚し、自らの手でユダヤ人に救済をもたらすと宣言したのは、宮廷での尋問から遡ること、わずか一年三か月前のことだった。ユダヤ史において、メシアはつねに希望と幻滅の極相を示す。古来の伝統ではユダヤ民族に救済をもたらす象徴でありながら、いざ我こそはと名乗り出ても、決まって人々を失望させてきた。歴史を振り返れば、メシア自称者はしばしば姿を見せるが、一度たりとも本当の意味で艱難の運命から民を救ったことはない。シャブタイ・ツヴィも例外ではないと見る向きは当初からあった。ラビたちは猜疑の目を向け、一度ならず破門を言い渡した。その一方で、メシア到来の知らせはオスマン帝国領だけでなく、ヨーロッパ全土のユダヤ人共同体にまで広がり、多くの人々がやがてもたらされる救いに心を躍らせたことも事実である。史料はシャブタイ・ツヴィの素性さえ知らない大衆が救済に備えて禁欲と悔い改めに励み、さらにはエルサレムへの移住を企てて財産を売却する者さえいたことを伝えている。人々の期待感は一部の慎重論を抑えて、わずかな期間で一挙に高まっていった。
 ところが救済をもたらすはずのメシアがイスラームに改宗したことにより、彼らの希望はあえなく潰えた。メシア棄教の知らせが届くと、ほとんどのユダヤ人の目に、シャブタイ・ツヴィはもはや一顧だに値しない詐欺師に映った。またも僭称者は同胞を裏切ったのである。結果として、わずか一年三か月という一過的な驀進ののちに、その影響力は急速に失われていった。残されたのは失望と沈黙だった。それから一〇年後、いかなる救いの徴を示すこともなく、シャブタイ・ツヴィがオスマン帝国の僻地で没したことを考えれば、人心の離反はこの男の本質を言い当てていたのかもしれない。
 それでも、なかにはシャブタイ・ツヴィの改宗に神秘的な理由が隠されていると信じ続ける者たちがいた。預言者としてシャブタイ・ツヴィをメシア宣言に導いたガザのナタン、「メシアの偉大な書記」と呼ばれたシュムエル・プリモ、改宗ユダヤ人の家系に生まれてメシアに自らの使命を重ね合わせたアブラハム・カルドーゾらである。彼らはメシアがただ死の恐怖に怯えて為政者に阿諛追従したのではなく、土壇場の変節に深甚な神意が介在したはずだと確信していた。矛盾にこそ真理を見出すこの種の思惟は、彼らの宗教的背景に起因する。シャブタイ・ツヴィのメシア性を信じ続けた人々は、ユダヤ教の知的伝統のなかで薫陶を受け、加えてカバラーと呼ばれる秘教に通じた神秘家だった。これらのカバリストたちは、メシアがユダヤ教を捨てるという現実に直面しながら、皮相的な理解では到達できない秘密の理由を探求したのである。シャブタイ・ツヴィがメシアとして人々の関心を集めた時期に比べれば、カバラーに通暁した信奉者たちが改宗の秘密を語った時期のほうがはるかに長い。そうした意味で、シャブタイ・ツヴィをめぐる多彩な解釈は、一人のユダヤ人がイスラームに改宗したという事実を超えてユダヤ思想史における重要な意味を含んでいる。
 
カバラーの歴史におけるメシア棄教の神秘的解釈
 神秘的なメシア論を繙く前に、まずはシャブタイ・ツヴィを信じる者たちの共通の思想的源泉であるカバラーについて触れておこう。この秘教の淵源は一二世紀後半のフランス南部に遡る。本来はヘブライ語で「受け取ること」あるいは「伝承」という意味しか持たなかったカバラー(qabbalah)という単語が、神の秘密をめぐる特定の伝承を指すようになったのは、南仏はラングドック地方の学塾だった。ナルボンヌのアブラハム・ベン・イツハクやポスキエールのアブラハム・ベン・ダヴィドといった最初期のカバリストは、ユダヤ法(halakhah)の大家として知られている。つまり、カバラーは伝統的なユダヤ教のなかで顕幽を跨ぐ領域に発生したと言える。黎明期を特徴づける『清明の書』(Sefer ha-Bahir)がまとめられたのはまさにこのころであり、そのなかには神の性質をめぐる神学的議論だけでなく、戒律の釈義(taʿamei mitsvot)への関心も垣間見える。
 その後、一三世紀になると中心地はスペイン北部に移った。カバラーの古典にして神秘文学の精華、『光輝の書』(Sefer ha-Zohar)がこの地で書かれたのは一二八〇年前後のことである。『光輝の書』は一般的にミドラシュ(midrash)と呼ばれるユダヤ教の聖書註解のジャンルに属し、シャブタイ・ツヴィが愛読したことでも知られている。カバリストたちは『光輝の書』を単なる註解ではなく、聖書の表面的な言葉の奥にある深層を解き明かすための知恵の宝庫だと考えた。そして、のちには聖書やタルムードに比肩する聖典と見なすようになったのである。この時代、カバラーの基礎をなす概念が完成した。神に備わる力や性質を表す一〇個のセフィロート(sefirot)である。それぞれは単数形でセフィラー(sefirah)と呼ばれる。最も聖性の高い「王冠」(Keter)のセフィラー、そこから「知恵」(Hokhmah[Hは下に「.」が付く。以下同])と「理知」(Binah)が生じるとされた。両者の間には「知識」(Daʿat)が描かれることもある。さらに下へ向かって「慈愛」(Hesed)、「厳正」(Gevurah)、「壮麗」(Tifʾeret)、「永遠」(Netsah)、「栄光」(Hod)、「根幹」(Yesod)、「王権」(Malkhut)と続く。「王権」はしばしば「臨在」(Shekhinah)とも呼ばれる。セフィロート体系はシャブタイ・ツヴィや彼を取り巻くカバリストの思想のなかで、つねに不可欠な役割を果たす概念である。
 一四世紀末になると、カバラーの中心地スペインではカトリック勢力のレコンキスタが進むにつれ、ユダヤ人迫害が激しさを増した。そのなかでユダヤ人は洗礼を強いられることもあり、強制改宗者はコンベルソ、あるいは蔑称でマラーノと呼ばれた。一四九二年にユダヤ人のスペイン追放が命じられると、人々は寛容な土地を目指して、オランダ、イタリア、北アフリカ、バルカン半島、パレスチナに逃れ、これを機にカバラーの中心地も広がっていくことになる。
 ユダヤ人の人口移動の結果、カバラーは一六世紀のパレスチナで爛熟期を迎えた。とりわけ、ガリラヤ地方のツファットでは、一五三〇年頃からいくつもの学塾が営まれ、各地から神秘を考究するユダヤ人が集った。こうしてツファットは、次第に秘教の総本山とも呼べる重要な場所になっていく。ツファットのカバラーの特徴は、セフィロート体系に基づく神学が宗教的な実践に取り入れられていったところにある。カバリストが集まるこの土地は、霊魂と神の世界をめぐる想念に満たされていた。彼らは人に憑いた邪悪な霊を祓い、罪によって汚れた人間の霊魂を浄化した。交霊術や悪魔祓いの記録には事欠かない。また、カバリストは分断された神の世界に原初の調和をもたらそうと、戒律に隠された意味を探求し、厳格にそれらを守った。もともとユダヤ教では戒律によって生活が細かく規定されるが、ツファットでは精緻で複雑な神の世界の構造と結びつけられて、それまで知られていなかった戒律の奥義が明らかにされた。この時代のカバリストたちは祓魔師であり、神働術(theurgia)に長けた神秘家であり、同時にユダヤ法に通じる賢者だった。
 本書でシャブタイ・ツヴィのメシア性を信じるカバリストの思想を論じるときに、とりわけ重要なのが、ツファットのカバリスト、イツハク・ルーリアである。ルーリアは、『光輝の書』に代表される古典カバラーがもはやこの時代に適さないと考えて、新たな教えを説いた。その教えは創造論や霊魂転生論を基軸とし、緻密な網羅性と構造的な反復性を特徴としている。彼の教義は数名の弟子に伝えられたが、なかでも主要な役割を担ったのがハイム・ヴィタルである。ヴィタルはルーリアの教えを門外不出としたため、当初はパレスチナのごく限られたカバリストしか学ぶことはできなかった。ルーリアの名を冠したカバラーが広まっていくのは、ヴィタルの死後、半世紀ほどが経ってから、つまりシャブタイ・ツヴィのメシアニズムが盛んになる時代と一致する。ルーリアのカバラーの流布は、本書が扱う新たなメシアニズムの発生と無縁ではない。
 シャブタイ・ツヴィ自身も若い頃からカバラーの世界に心酔し、ムスリムになってからもカバラーの概念で神と自身との親密で排他的な関係を説明した。カバラーは一貫して彼のメシア性を語るうえで不可欠な共通言語であり続け、一部の信奉者の間でメシア棄教に隠された神の秘密が論じられた。カバラーの象徴論において、異教はとりもなおさず悪である。それなのに、なぜメシアはターバンをかぶってムスリムになってしまったのだろうか。なぜあえて救済者が悪の跳梁する奈落へと自ら降りていかねばならなかったのだろうか。こう問い、悪の根拠に目を凝らすことによって、一見すれば挫折にしか映り得ない棄教が、信奉者には隠然と輝く神秘の薄衣をまとって見え始めたのである。注意しなければならないのは、カバラーそのものが宗教的な逸脱として指弾されたわけではないという事実である。それどころか、一七~一八世紀はカバラーの概念がユダヤ人のあらゆる宗教的な実践に浸透していった時代であり、シャブタイ・ツヴィを敵視するラビも例外なくカバラーに通じていた。秘教はユダヤ人の時代精神が胚胎するマトリクスであり、問題はその秘密の門扉を開くための鍵が誰の手に握られているかということだった。シャブタイ・ツヴィという存在に救済の秘密を見出そうとするカバリストは、往々にしてその鍵の専有を主張したために、一八世紀以降は幾度となくユダヤ教内部の対立と論争のきっかけを作ることになる。
 
「シャブタイ・ツヴィの教団」という異端の系譜
 本書には一貫して批判的に検討を加え続ける問題がある。それはシャブタイ・ツヴィをめぐるメシアニズムの連続性である。一八世紀、異端との戦いに身を捧げたラビたちの文書には、しばしば「シャブタイ・ツヴィの教団」という表現が現れる。伝統の守護者を自認する彼らは、世代を超えていまだ人々を惑わすメシア信仰に危機感を覚え、「シャブタイ・ツヴィの教団」に対して繰り返し呪詛の言葉を投げ、ときに破門を言い渡した。メシア信仰を疑われた人々に対する迫害は、異端狩りの様相を呈することさえあった。共同体からの追放、手稿の押収と焚書、被疑者との破門の応酬など、告発の結果はときに苛烈を極めた。このとき攻撃に回ったラビたちの語り方には、ある特徴が見られる。それはシャブタイ・ツヴィの冒瀆的な傾向を継承する人々のつながりを指摘することである。彼らが著した文書からは、救済論を唱えた人々やカバラーの流布に勤しんだ神秘家たちがいかに連綿と偽メシアの思想と習俗を継承していたかを読み取ることができる。「シャブタイ・ツヴィの教団」を列記する文書は、あたかも直線的な異端の鎖があったかのように綴られたのである。
 こうしたラビたちの筆頭に挙げられる人物は、ヤコブ・エムデンである。一八世紀のヨーロッパで起こったいくつもの論争に関わり、異端狩りの急先鋒として知られる。中世キリスト教の異端狩りがそうであったように、その執拗な攻撃が純粋な正義感から出たものでないことは、エムデンの駁論の片言隻語から読み取れる。本書でしばしば参照することになる彼の著作は、メシアニズムの第一世代が活動した一七世紀後半に書かれた記録の抜粋と抄訳で始まる。そこにはシャブタイ・ツヴィの経歴や改宗の経緯が記され、さらにナタンやカルドーゾの言動、そして「シャブタイ・ツヴィの教団」の諸相へと進んでいく。だが、そこに書かれた多くの出来事にエムデンは直接関与していない。彼が物心ついたときにはすでに第一世代は世を去り、その時代の信奉者の集団に接触したことはなかったからである。エムデンの本当の宿敵は、彼と同時代に生きたヨナタン・アイベシッツだった。アイベシッツは一八世紀の最も権威あるラビに数えられ、雄弁な説教師、自然科学の知識を備えた開明的な賢者、ユダヤ法の伝統を護持する大家として今日なお名高い。まさに時代を代表するラビである。エムデンはそのアイベシッツがシャブタイ・ツヴィの異端に冒されていると非難したのである。それを周知するために、シャブタイ・ツヴィの時代からメシア信仰に関わってきた人物の系譜をたどることがエムデンの戦略だった。そしてこのあと、のちにカトリックへの集団改宗を先導するヤコブ・フランクに対して異端の疑惑が持ち上がると、エムデンはこの新たな敵との闘争に立ち上がった。ここでも同じようにフランクの素性を明らかにし、この異端者がシャブタイ・ツヴィのあとを追ってムスリムになったドンメ教団の後裔であると指摘する。アイベシッツやフランクに対するエムデンの敵意を考えれば、異端駁論に一定の史料価値を認めることはできるとしても、歴史記述として読むには細心の注意を要する。エムデンの戦略は、異端の系譜を時系列で綴ることによって「シャブタイ・ツヴィの教団」の代表格であるアイベシッツやフランクの過ちを白日のもとに晒し、依然としてユダヤ社会に潜む悪に対して正統という名の鉄槌を下すことだったからである。アイベシッツとフランクの問題をシャブタイ・ツヴィに遡求したエムデンは、独自の立場から異端史を描こうとしていたと言える。
 シャブタイ・ツヴィを介して救済を探求したユダヤ人がいたことは事実だが、一八世紀に異端を疑われた人々の神学やメシアニズム、社会的な地位や相互のつながりは極めて多様で曖昧だった。破戒と棄教はメシアにしか許されない行為だと捉える人々がいる一方、メシアを信じる者も同じようにユダヤ教を棄てて新たな救済に与ることができると考える人々がいた。シャブタイ・ツヴィを神格化する教団があり、他方でメシアの霊魂が別の指導者に継承されたと主張する者たちがいた。このように信仰の秘密をめぐる意見の対立のほうが際立っていた。つまり、シャブタイ・ツヴィに何らかの救済論的な役割を見出した人々がいたとしても、彼らは決して一枚岩の集団ではなかったのである。したがって、シャブタイ・ツヴィの異端の鎖は、もとをたどればエムデンをはじめとする一八世紀の一部のラビたちによって恣意的に形作られたと断じても過言ではないのである。
 
近代ユダヤ学におけるシャブタイ派
 奇妙なことに、エムデンら告発者が綴った異端史は広くユダヤ学のなかで受け入れられてきた。研究者たちは「シャブタイ・ツヴィの教団」という言葉の代わりに「シャブタイ派」という名称を当て、あたかもそうした組織的な実態、あるいは思想の水脈が存在したかのように歴史を記述した。古き伝統の守護者を自負したラビたちの枠組みを踏襲したのは、近代のユダヤ研究(Wissenschaft des Judentums)に携わった人々である。一九世紀に入るとドイツのユダヤ人は学術的な歴史研究を発展させ、ドイツ語で民族史を書くようになった。ユダヤ啓蒙主義(haskalah)の精神に涵養された初期のユダヤ史家は、往時のユダヤ社会を混乱に陥れたシャブタイ・ツヴィだけでなく、メシア信仰の迷妄に惑わされた信奉者をも辛辣な言葉で非難した。世俗と伝統の狭間でユダヤ教が一義的に説明できないほど雑多な様相を呈し始めた一九世紀にあって、彼らは歴史を綴ることによってユダヤ教を精錬することを目指した。そのためには、選り分けられるべき不純物についても明らかにしておかねばならなかった。この時代、啓蒙主義の歴史家は、エムデンが属した中世ユダヤ教の精神とは明確に異なる世界を生きていた。動機もさることながら、出自さえ相違するにもかかわらず、ここにはほとんど無自覚にエムデンとの共犯関係が成立している。
 嚆矢となったのはペーター・ベールの歴史記述である。ベールは改革派ユダヤ教の発展に尽力した人物で、ラビの伝統にこそ信仰の本流が通じているとし、ユダヤ人は「純粋なモーセの宗教」(rein mosaische Religion)あるいは「モーセの原宗教」(mosaische Urreligion)へ回帰すべきだと主張した。そこから逸脱した傍流の歴史を研究した主著、『あらゆるユダヤ人の宗教教団[…]およびカバラーという秘教の歴史と教義と見解』(Geschichte, Lehren und Meinungen aller […] religioesen Sekten der Juden und der Geheimlehre oder Cabbalah)にはこの信念が刻印され、近代ユダヤ教の歴史的な正統性を示そうとする意図がうかがえる。「ゾハル主義者、すなわちシャブタイ派」と題された章では、エムデンの著作を主要な史料に用い、異端がたどった顛末を批判的な論調で綴っている。ベールの手法はイザーク・マルクス・ヨストの歴史書でも繰り返される。『ユダヤ教とその諸教団の歴史』(Geschichte des Judenthums und Seiner Sekten)において、ヨストはエムデンをはじめとする告発者の文献を史料に用いた。ドイツで発展した近代ユダヤ学の金字塔、ハインリヒ・グレーツの『ユダヤ人の歴史』(Geschichte der Juden)も例外ではない。当時まだ信奉者が書いた文書は手稿のまま各地で保管されていたためにほとんど明らかになっておらず、これらのユダヤ史家は同時代のキリスト教徒の記録や一八世紀に出版された異端駁論を参考にしながら、シャブタイ派の歴史を記述した。シャブタイ・ツヴィのメシアニズムとその後の影響に関する学術研究は、このように告発者たちの反駁を借用しながら、近代的な歴史記述によって補綴されることで始まったのである。彼らの著作で用いられるシャブタイ派(Sabbathianer)という言葉は、ほどなくヘブライ語でShabtaʾi と翻訳され、シャブタイ・ツヴィからヤコブ・フランクに至る流れのなかで異端者を指す総称として流通するようになる。
 一般にシャブタイ・ツヴィのメシアニズムを指すシャブタイ派という総称は、シャブタイ・ツヴィを信じ続ける人々や組織の系譜を想定している。その想定は自明でないにもかかわらず、一九世紀のユダヤ史家の視角は批判的な検証を経ないまま、二〇世紀のユダヤ学にも引き継がれた。代表的な例として、シャブタイ派研究最大の功労者であるゲルショム・ショーレムが挙げられる。ショーレムはシャブタイ・ツヴィに始まるシャブタイ派の歴史が、ラビから一般のユダヤ人にいたるまで、多くの人々を巻き込みながら展開したと主張した。その勢いはさながら燎原の火のごとく、教養あるラビから一般大衆にまで広がり、彼らの心をメシア到来の期待で燃え上がらせた。ショーレムによると、一六六六年のメシア棄教によりシャブタイ派運動は地下に潜行したが、影響はユダヤ社会のそこかしこに見出すことができる。その範囲はエムデンが標的にしたアイベシッツやフランクだけでなく、ハシディズム、ハスカラー、改革派ユダヤ教にまで及んだという。このように、ショーレムはシャブタイ派を単なる異端や逸脱と捉えず、近代ユダヤ教の諸形態を生み出した前駆的な現象だったと論じた点で、一八世紀の反対派のラビや一九世紀の啓蒙主義的な歴史家とは大きく異なる。それでも依然としてシャブタイ派の一体性や連続性はショーレムの研究の前提であり続けた。シャブタイ派を一つの連続した運動として捉えるという彼の宣言からは、むしろその傾向が強調されたと言ってもよいだろう。
 ここまでの記述を簡潔に整理するならば、次のようにまとめることができるだろう。すなわち、シャブタイ・ツヴィをめぐる神秘的なメシアニズムは救済の失敗にもかかわらず、確かに約一世紀半の間広範な地域でおびただしい数のユダヤ人を引きつけてきた。しかしながら、それは決して一つの組織を形成していたわけではなく、むしろ「シャブタイ・ツヴィの教団」の一体性は異端を糾弾するラビたちによって作られ、シャブタイ派は近代の歴史家が付与した枠組みだった。したがって本書が明らかにすべきは、失敗したメシアニズムが長期間にわたり人々を引きつけた理由、およびこの現象を単数形で語ることをやめたときに姿を現す多様な実態である。
 
本書の構成
 本書では、シャブタイ・ツヴィからヤコブ・フランクが活動した時代までの一世紀半を扱うことになる。とはいえ、ゲルショム・ショーレムが書こうとした「シャブタイ派」の通史を、彼に代わって実現させることが目的ではない。むしろそれとは逆にシャブタイ派という枠組みに疑義を呈しながら、シャブタイ・ツヴィをめぐるメシアニズムに関わった人々の関係や相違を評価し直すことを目指す。一連の思想史を書くことが不可能だと主張しているわけではない。そうした通史が書かれるとき、一貫性を前提とせず、特定のイデオロギーに重ね合せることのない、批判的な観点で綴られなくてはならない。本書が「シャブタイ派」という呼称をあえて回避するのは、そうした観点を念頭に置いた意図的な試みだからである。「シャブタイ派」に代わって、シャブタイ・ツヴィをめぐるメシアニズムといった表現が頻出するだろう。そのように述べる場合、文字通りシャブタイ・ツヴィを信じる者だけでなく、彼の存在を乗り越えたところに開ける新しい思想、そして彼のメシア性を踏み台にする救済論までが含まれる。言い換えるならば、ユダヤ教の根本をなす救済や終末に思索を傾ける際に、シャブタイ・ツヴィの存在を経由するあらゆる道程を指している。実際にシャブタイ・ツヴィが現れて以来、たとえ一切その名前に言及しなくても、ユダヤ教のメシアニズムがこの人物を無視することはできなかった。沈黙のなかにもつねにシャブタイ・ツヴィについて語る様々な声の残響を聞くことができた。この宗教現象の重要性は、まさにこうした目に見えない呪縛にこそある。それを確認するためには、少なくともシャブタイ・ツヴィからフランクまでの範囲を網羅する必要がある。
 一世紀半の出来事を綴るにあたって、本書は三つの部分から構成される。あらかじめそれぞれの問いを提示しておくならば、次のようにまとめることができる。第I部「破戒と改宗をめぐる葛藤」では、第一世代を代表するシャブタイ・ツヴィ、ガザのナタン、アブラハム・カルドーゾの三人の具体的な思想を分析しながら、彼らが何を共有し、いかなる点において相違を抱えていたのかという問いに答える。シャブタイ・ツヴィとナタンは、宗教的カリスマとそれを支える戦略家として描かれることがある。確かに二人が相互に触発し合うことなしにこのメシアニズムが生まれることはなかったが、メシア棄教以降はむしろすれ違いの方が際立っていることを指摘する。また、カルドーゾはシャブタイ・ツヴィに影響を受けて活動した人物だが、彼が描くメシアのイメージはシャブタイ・ツヴィともナタンとも大きく異なる。メシアは真実の神を宣べ伝えるカバリストであり、自分自身をおいて他にいないという確信にたどり着いたのがカルドーゾである。シャブタイ・ツヴィという矛盾に満ちた存在を共有しながら、ナタンもカルドーゾも反故にされた救済の意味を闡明しようと葛藤し、そこからそれぞれが独自の思想を練り上げたのである。
 続く第Ⅱ部「ユダヤの内部に渦巻く異端の疑惑」では、一八世紀の三つの展開に光を当てる。最初に扱うのが放浪のカバリスト、ネヘミヤ・ハヨーンである。ハヨーンが出版したカバラー論考では、シャブタイ・ツヴィが一切言及されないにもかかわらず、共同体を超えた異端論争に発展した。ハヨーンとは対照的に、イタリアの名家に生まれパドヴァの知的気風に育まれながらも、ラビたちによって激しく攻撃された人物がいる。今日では倫理文学の祖として知られる、モシェ・ハイム・ルツァットである。シャブタイ・ツヴィのメシア性を否定したにもかかわらず、ルツァットについて問題になったのは彼の啓示体験と権威に対する不遜な態度だった。また、すでに権威が認められていたラビさえも異端狩りの対象になった。一八世紀を代表するラビ、ヨナタン・アイベシッツである。アイベシッツの周りでは、東欧の怪しげなカバリストたちとの噂が絶えなかった。それでも彼がシャブタイ・ツヴィを信仰していると認めたことは一度もなく、潔白を信じて支持するラビは多かった。ハヨーン、ルツァット、アイベシッツは、一つの集団に属していたわけでも、密接な相互関係を持っていたわけでもない。それでも告発者たちが一連の異端の系譜に彼らを組み入れたのはなぜだろうか。第Ⅱ部を通して見えてくるのは、シャブタイ・ツヴィとの関わりを疑われた人々の多様性だけでなく、異端狩りに従事したラビたちによる伝統や権威を守るための戦略である。
 第Ⅲ部「ユダヤからの解放を目指す新しい救済論」では、シャブタイ・ツヴィのメシアニズムに影響を受けてユダヤ教を棄てた二つのグループに注目する。その一つは、シャブタイ・ツヴィに倣ってイスラームに改宗したサロニカのドンメ教団である。彼らは第一世代の信奉者の多くの文書を保有し、教義のなかに取り入れていった。しかし、改宗が救済につながるという逆理を除いて、彼らがどれほどシャブタイ・ツヴィの思想を知っていたかは疑問が残るし、そもそも救済が実体的な意味を持っていたかどうか極めて疑わしい。ポーランドで約三〇〇〇名のユダヤ人がカトリックの洗礼を受けるきっかけを作ったヤコブ・フランクも、改宗が救済の条件であると教えた人物である。ただしフランクの場合、救済はユダヤ人自治の確立という現実的な解決として提示される。ナタンやカルドーゾだけでなく、ほとんどの信奉者にとってメシアのみに許された特権として捉えられた改宗には、どのような意味がこめられていたのか。そして、正統を自認するラビたちは、もはやユダヤ人ですらない彼らに対してどのように応答したのだろうか。
 結論「拡張し続ける異端の鎖」では、ショーレム以後の世代においてさえ、シャブタイ派の影響をユダヤ教の内部に見出そうとする研究者がいることに言及する。本書でしばしば参照するユダ・リーベスである。リーベスはシャブタイ派にユダヤ民族主義を見出し、そのエートスを内包するシャブタイ派がフランクを超えて、一八世紀の宗教的権威に影響を与えたと主張する。彼の発見が正しければ、もはや正統のなかにさえ異端が巣食っていることになる。該博な知識と鋭敏な洞察に裏打ちされたリーベスの論証は、異端狩りが過去のものとなり、多くの資料によって批判的な研究が可能になった現代でさえも、異端の鎖が容易に解き難いものであることを印象づけるのである。
 
 
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