あとがきたちよみ
『アメリカ「小さな政府」のゆくえ――トランプ、バイデンに継承されるオバマの決断』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2024/11/7

 
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渋谷博史 著
『アメリカ「小さな政府」のゆくえ トランプ、バイデンに継承されるオバマの決断』

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序 21世紀的アメリカ自由主義と「小さな政府」
 
1.オバマからトランプ、バイデンへの変化と継承
 オバマが対テロ戦争の収束と「世界の警察官」の役割からの撤退を進めながら、国内では画期的な医療保障改革(オバマ・ケア)を実現したのは、21 世紀的な世界構造の平準化とアメリカ国内の構造変化という状況への対応であった。トランプは、対テロ戦争の収束と「世界の警察官」の役割からの撤退という歴史的な転換を「アメリカ第一主義」と表現しながら、平準化する世界構造の中でアメリカ経済の回復を目的とするトランプ減税を実現した。バイデンの功績は、その「アメリカ第一主義」的な対外政策を継承して、ウクライナやガザの戦場にアメリカ軍を投入しなかったことである。しかし、オバマもトランプも、20 世紀的な「世界の警察官」機能から撤退するにしても、最大の経済大国、軍事大国として世界秩序と混乱回避のための外交努力をしていた。
 他方、オバマ民主党政権の最大の成果である医療保障改革について、トランプ共和党政権が批判しながらも実際にはそれを維持したのは、オバマ・ケアの立法と制度設計の中に、アメリカ自由主義的な「小さな政府」の本質的な理念が織り込まれていたからである。逆からみれば、そのアメリカ自由主義的なオバマ・ケアでは無保障者を5 千万人から2 千万人に減少させるという驚異的な成果があったが、まだ2 千万人の無保障者が取り残されていた。バイデン民主党政権は、その2 千万人を救済するための医療保障改革を積極的に展開していない。すなわち、オバマ・ケアには、共和党保守派が妥協できる程度にアメリカ自由主義的な「小さな政府」の理念が織り込まれ、それ故に、トランプ共和党政権は受容したのであり、バイデン民主党政権もそれを継承して、リベラル左派の主張する社会保険的な方向性を追求していない。
 オバマ民主党政権(2009-16 年)とトランプ共和党政権(2017-20 年)とバイデン民主党政権(2020-2024 年)の16 年間は、21 世紀初頭の9.11テロ事件や対テロ戦争、リーマン恐慌という歴史的なショックで思い知らされた時代の転換、20 世紀的なパクス・アメリカーナとその基軸国としての役割から次の段階への模索が要請された時代であった。しかも、オバマ・ケアにアメリカ自由主義的な「小さな政府」が内蔵されることが象徴的に示すように、アメリカ国内の経済社会も、グローバル化された世界システムにおけるアメリカの位置取りと役割も、オバマとトランプとバイデンが共有するアメリカ自由主義を背骨とするものであった。
 
2.本書の問題意識
 小さな頭で精いっぱい風呂敷を広げてみたい。アダム・スミスもハイエクも「無政府主義」ではなく、「小さな政府」を自由主義的な資本主義社会にとって必要不可欠な仕組みとして積極的に位置づけている。20 世紀後半のパクス・アメリカーナの中でアメリカは、世界編成の基軸国としての役割を担いながら、国内ではアメリカ自由主義的な「小さな政府」を基本とする資本主義経済と福祉国家のシステムを構築した。拙著『20 世紀アメリカ財政史Ⅰ~Ⅲ』(全3 巻、東京大学出版会、2005 年)で詳しくみたように、アメリカは、20 世紀的状況に整合する「小さな政府」を構築・維持していた。そして21 世紀的状況への変化に伴って、それに整合するように「小さな政府」を再編することが要請されたなかで、オバマ的な模索があり、そして、トランプ的な模索があった。
 すでに拙著『トランプ財政とアメリカ第一主義』(東京大学出版会、2023年)でみたように、トランプ的な模索では「速い変化」に少しブレーキをかけるために、国内の雇用や製造業を温存・防衛するベクトルが内蔵された。他方、オバマの模索では、むしろ、21 世紀における「速い変化」に遅れまいとする方向のベクトルが読み取れる。
 スミスやハイエクが自由主義的な資本主義社会にとって不可欠な社会的インフラと位置付ける政府の役割は、ポランニ的に言えば、「人間社会の防衛」の仕組み、メカニズムである。本書で最重要な分野として取り上げるオバマ・ケア(医療保障改革)は、21 世紀的な経済社会への転換において「取り残される階層」にとっての生活基盤の確保である。周知のように、皆保険といわれる日本においても医療保障システムの狭間に「取り残される階層」が社会問題となっている。視野を広げると、21 世紀的状況下における非正規雇用の累積問題であり、ポランニ的な「人間社会の防衛」メカニズムの欠如が、近年の少子化問題の根本的な原因であると指摘される。
 他方世界状況では、アメリカの相対的な「力の衰退」の故に、オバマもトランプも同盟国や友好国による負担・責任を要請・要求している。アメリカ国内における21 世紀的な「人間社会の防衛」メカニズムを拡充するためには、20 世紀的な基軸国としての軍事大国の負担は無理というのである。軍事予算の次元だけではなく、ベトナムやアフガニスタンの作戦・戦闘における人的損害でアメリカ国民が、20 世紀的な基軸国の役割の困難と無理を思い知るのである。オバマ時代に対テロ戦争からの撤退を開始し、トランプ時代に「アメリカ第一主義」が徹底され、バイデン時代にはウクライナに対して武器支援に留めてアメリカ軍を派遣していない。
 21 世紀におけるアメリカの「大砲とバター」の内実は、カミソリのような冷徹さを秘めた平和主義と、自立と自助を理念とする市場メカニズムを軸とするアメリカ型福祉国家の組み合わせなのかもしれない。スミスとハイエクとポランニの「小さな政府」的な「人間社会の防衛」メカニズムが、21 世紀的な状況下ではオバマ的なアメリカ自由主義の形で表現されるのであろう。もしかすると、そのカミソリのような切れ味を少しだけ鈍らせるのが、ポピュリスト的なトランプの歴史的な役割なのかもしれない。
 20 世紀末にパクス・アメリカーナが地球の全体を覆ってしまうかに見えた後、21 世紀に入って暗転する中で、基軸国アメリカの役割も、また、グローバル化の象徴であったアメリカ・モデルも大きな転換が求められるようになった。しかし、その転換にも、アメリカ・モデルの軸となるアメリカ自由主義の理念が内蔵されることになる。オバマあるいはオバマ民主党政権の歴史的な位置づけは、21 世紀的な状況下においてアメリカが模索する国内の再編や国際的な役割の調整を、本来的なアメリカ自由主義を内蔵する、あるいは実現できる方向で推進することであった。
 もちろん、その模索の中で成功もあれば失敗もあろうが、本書では、2つの重要な分野に焦点を当てて考察する。すなわち、第1 に医療保障改革を、アメリカ自由主義の「小さな政府」的なアメリカ型福祉国家の枠内で実現したこと、第2 に「泥沼化」した対テロ戦争を収束させながら、軍事支出の抑制基調の下で、21 世紀の世界構造に整合する軍事高度化を進めたことである。その力強い政策運営・実施を支えたのが、オバマ大統領のアメリカ自由主義であり、それ故に、国民的な支持とコンセンサスを得たと考えられる。
 オバマのアメリカ自由主義は国民の暮らしや人生に根差しており、そこで実現すべきものである。それを実現する政策手段として、「小さな政府」の役割も積極的に位置づけられている(本書第1 章の冒頭で引用するオバマ回顧録)。ハイエクやフリードマンやブキャナンの書物(拙著『20 世紀アメリカ財政史』の第1 巻第1 章と第2 巻第4 章で検討している)における自由主義と「小さな政府」よりも理解しやすい。「大きな政府」の弊害や欠点を指摘しながら縮小・削減する方法を考えるのではなく、実際の自立的な暮らしや人生を維持するのに必要な社会的仕組みを、政府が積極的に構築するという論理の運びである。
 
3.アメリカ自由主義とJob と映画『夜の大捜査線』
 アメリカ経済社会に根付いているアメリカ自由主義の展開プロセスを、アメリカ映画の最高傑作である『夜の大捜査線(In the Heat of the Night)』(1967 年公開)を使って、考えてみたい。ちなみに、主役のバージル・ティッブス刑事を演じたシドニー・ポアチエという黒人の俳優は1968 年のアカデミー賞の主演男優賞をもらえず、助演男優賞に該当すると思われるギレスピー警察署長を演じた白人俳優が主演男優賞を獲得したことも興味深いが、これは別の機会に考えよう。
 1963 年に「Job とFreedom を求めるワシントン大行進」でキング牧師が「I have a dream」と叫び、1968 年にポアチエがアカデミー主演男優賞を逃してから半世紀近くが過ぎた2008 年11 月に、キング牧師のDream を実現してオバマが大統領に当選した。
 それを可能にしたのは、外部からの圧力ではなく、アメリカ国内の経済社会の変化である。その国内の変化は、公民権運動等の政治的な要因だけではなく、それを必然ならしめる経済的な要因が不可欠であったことを、映画『夜の大捜査線』が見事に描き出している。DVD の入った箱に書かれた解説を引用したい。

偏見と差別の根強い南部、ミシシッピの田舎町で殺人事件が発生し、……(鉄道の乗り換えのために駅にいた:引用者)黒人青年バージルが身柄を拘束された。実は彼はフィラデルフィア(北部の大都市:引用者)の敏腕刑事で、……事件解決に手を貸すことになる。難航する捜査に苛立ちを募らせる地元の白人警察署長との対立。立ちはだかる人種偏見の壁。事件は無事解決するかのように思えたが──。鋭い人間描写と緊迫感に満ちた演出で描く犯罪映画の傑作。作品賞を始めとする5 部門でアカデミー賞を獲得した。

 第1 に、「偏見と差別の根強い南部、ミシシッピの田舎町」と北部の大都市フィラデルフィアの対比があり、黒人でありながらもフィラデルフィア市警の殺人課の敏腕刑事であるバージル・ティッブス青年は、アメリカ国内における「20 世紀的な南北戦争」の状況を象徴する存在である。
 第2 に「難航する捜査に苛立ちを募らせる地元の白人警察署長」の存在が興味深い。捜査を進めるには、「北部の敏腕刑事」の技術・能力が有効であり、その「田舎町」の秩序を回復・維持するためには、それを活用することが必要と気づいていた。
 第3 に、この「箱の解説」では省略されているが、殺人事件の被害者は、この田舎町で工場建設を予定する北部の企業の社長であった。そして、社長夫人が、「北部の敏腕刑事」の科学的捜査による事件解決がなければ、工場進出を中止すると抗議したことが、「南部の田舎町」にとって歴史的な決断を迫る圧力となり、「地元の白人警察署長」の社会秩序と法正義の論理が「根強い偏見と差別」を上回り始める。北部の資本主義的企業の進出がもたらす経済発展と雇用は、北部のアメリカ自由主義的な法秩序を不可欠な前提条件とするのである。
 さて、殺人事件の結末は映画を見ていただくとして、1963 年のキング牧師のDream を実現して、2008 年選挙で大統領に当選したオバマは、アメリカ自由主義の「Job とFreedom」の理念を体現するアメリカ大統領であった。キング牧師のDream は、「絵にかいた餅」のような自由ではなく、アメリカ国民のそれぞれの勤労(Job)を基盤とする自立的な自由を獲得することである。オバマは、白人だけのアメリカ自由主義ではなく、黒人もヒスパニックも含めたアメリカ国民全体のアメリカ自由主義を体現する大統領となった。逆からみれば、アメリカ国民全体が共有できるアメリカ自由主義を政策運営や制度設計の理念とすることを不可欠の前提条件として、オバマ大統領あるいはオバマ民主党政権が支持されたのである。
 また、Freedom の絶対的な基盤となるJob を確保・維持するための経済政策の重要分野として、オバマ大統領は、発足当初のリーマン恐慌対策の時点から始まって最後の2017 年大統領経済報告(2016 年12 月に執筆)に至るまで、常にエネルギー政策や高等教育や研究支援を力説している。財政全体の規模からみれば、それらの未来志向の政策分野は相対的に小さく、また、実績もそれほど大きくないように思える。しかし、2017 年1月に発足したトランプ共和党政権が「アメリカ第一主義」の一環として20 世紀型の製造業の回帰を主張するのに対抗して、民主党の側はオバマ民主党政権の遺言のような未来志向の政策システムを提示する。
 もし、2008 年9 月のリーマン恐慌の原因・発端がサブプライム・ローンという非未来志向の経済活動であったとすれば、そして、金融市場の本来の役割が、将来性のあるビジネスに社会的な規模で資金・資本を投入するために投資家がリスク・テイクする仕組みであるとすれば、そのリスク・テイクすべき将来性のあるビジネス機会を、オバマ民主党政権が示しているように思える。
 すなわち、金融市場の監視・規制メカニズムを再構築してウォール・ストリートを再建するにしても、その目的は、21 世紀の金融市場の本来的な役割を意識して、地球環境問題や世界規模の人間安全保障システムを前提とするビジネスの可能性を示すことであると、主張しているように思える。
 オバマ民主党政権が発足してから1 ヶ月後の2009 年2 月24 日に発表された最初の施政方針演説の中で、当時のリーマン恐慌による大混乱からアメリカ経済を再建するためには、金融・財政面の緊急対策だけではなく、「研究所や大学や農業や工場」における「企業家の創造性と勤労者のプライド」にかかっていると述べて、さらに具体的に、「永続的な繁栄のための新しい基盤」としてエネルギーや医療や教育の分野への投資を掲げている。同政権は、リーマン恐慌からのアメリカ経済の再建には、単純な有効需要の注入のための財政支出だけではなく、21 世紀的な新段階のアメリカ経済の構造変化を促す方向性を織り込むというのである。
 1963 年当時に「Freedom」の基盤となる「Job」は、GM に代表される重厚長大型産業に牽引される経済成長の中で確保・維持されるものであったが、オバマの時代には、「研究所や大学や農業や工場」における「企業家の創造性と勤労者のプライド」や、エネルギーや医療や教育の分野への投資に誘導される21 世紀的な新段階のアメリカ経済の構造変化を内実とする経済成長の中で確保・維持されるという方向性が示される。
 さらに、21 世紀の新時代に整合する構造転換の必要性を論じた上で、その歴史的な発展を担うのは民間企業であり、政府はその活動について「触媒」の働きをする(catalyze)と述べて、以下のように続けた。

エネルギーと医療と教育の分野に重点化する。……エネルギー分野では、2009 年ARRA によって、これからの3 年間で再生可能エネルギーの供給が2 倍になる。……しかし、アメリカの経済の転換と安全保障のために、そして、地球を気候変動の破壊から護るために、再生可能エネルギーを採算ベースに乗せる必要がある。……アメリカにおける再生可能エネルギーを増やすために「炭素汚染に対する市場ベースの上限」を設定する法律の制定を要請する。……(2010 年度予算案では:引用者)風力発電・太陽光発電やバイオ燃料や精炭(環境に悪影響を及ぼさない石炭利用技術:引用者)や低燃費自動車の技術開発に150 億ドルを計上する。

 21 世紀の構造変化を主導するのは民間企業であり、その採算ベースの確保のために「政府の触媒機能」を発揮するというのである。本書第2 章でみるように、全体の予算規模が3 兆ドルを超えている中での150 億ドルはあまりにも規模が小さく、初年度の施政方針演説で大きく取り上げたのは唐突なように思えるが、大きな視野の中で画期的かつ歴史的で未来志向の企業行動・投資を誘導しようとしたのかもしれない。アメリカ経済社会だけではなく世界を大混乱に陥れたウォール・ストリートを、制御可能な形で再建した後に、その本来的かつ社会的な役割として、アメリカ経済社会及び世界に貢献する未来志向の企業行動・投資のメカニズムとして機能すべしという方向性を示しており、逆からみれば、未来志向の企業行動・投資によってアメリカ経済社会と世界が発展できるはずであるという楽観的な見通しをアピールしている。
 なお、オバマ民主党政権は同じ施政方針演説の中で、この未来志向の経済戦略を歴史的な文脈に位置付けている(本書の第1 章第2 節)。

混乱や転換の時期には、大胆な行動とアイデアをもって対応してきた。(19 世紀半ばの:引用者)南北戦争の時代には大陸横断鉄道を完成させて商業と工業を促進した。産業革命(南北戦争後のアメリカの工業化を指していると思われる:引用者)の混乱の中で、新時代に生きる技能を国民に提供するために公立高校システムが構築された。……(20 世紀に入って:引用者)世界大戦や大恐慌を経て、退役軍人に大学費用を支援する仕組みが広範なミドル・クラスの形成に寄与した。冷戦期の自由への戦いが、全米ハイウエイ・システム、月面着陸、そして現在でも世界を形作っている技術の爆発的発展につながった。

 回顧録や施政方針演説の魅力に惑わされてオバマを褒めすぎているのかもしれないが、21 世紀のグローバルな規模の構造変化の中で最強の経済大国であり軍事大国であるアメリカの新しい役割と位置取りを模索するプロセスで、オバマ民主党政権は、市場メカニズムや金融市場や新しい科学技術を織り込んだビジネス感覚をもって、アメリカ経済社会の発展の構想を提示しようとしたと解釈できる。
 このようなオバマのビジネス・センスの視点から、名作映画『夜の大捜査線』の第3 の論点、「北部の資本主義的企業の進出がもたらす経済発展と雇用は、北部のアメリカ自由主義的な法秩序を不可欠な前提条件とするのである」の部分を解釈すると、19 世紀的な黒人差別を基盤とする農園経営から20 世紀の資本主義的な企業と労使関係の経済社会への移行によって、人種に関わりなく職業上の能力や技能を基準とする労働編成システムが広く展開して、それが人種差別を排除する法秩序を必然ならしめたといえよう。
 そして、1960 年代にキング牧師が夢見たアメリカ自由主義の普遍的な実現を、21 世紀にオバマが推進するためには、Job へのアクセスの初期条件を確保するための重要かつ不可欠な生活インフラの構築・整備としてオバマ・ケアが位置付けられたとみることができる。
 
4.「もはや世界の警察官ではない」演説と「優先順位の変更」
 第1 章で紹介するように、オバマの2013 年の「もはや世界の警察官ではない」演説で、「我々は世界の警察官」であるべきでなく、「私は、アメリカ国内の雇用促進や教育やミドル・クラスの拡大という政策に専念したい」として、アメリカにおける「優先順位の変更」を明確に示した。
 本書では、オバマ民主党政権とトランプ共和党政権における対照性の背後にある連続性に着目する。すなわち、オバマ民主党政権期における対テロ戦争の収束とオバマ・ケア等の福祉拡充は、次のトランプ共和党政権期におけるアメリカ第一主義と連続しており、それは、21 世紀的な世界状況とアメリカ経済社会の構造変化への政策システムの整合的な再編の模索と考えたい。1990 年代からのグローバル化の中で、一方では、世界の平準化が進み、他方で、アメリカ国内ではミドル・クラスが流動化して「取り残される階層」が累積的に増加した。台頭する新興国等からの輸入増加に圧迫されて国内の製造業が縮小してサービス化が急激に進行する中で、労働編成においてもサービス部門の低技能・低所得の職種に「取り残される階層」が累積した。第1 章で詳しくみるように、1990 年代以降のJobの増加は、サービス部門の低技能・低所得の職種の比重を高める構成変化を内蔵していた。
 その21 世紀的な状況への整合的な政策再編として、「取り残される階層」にとって自立的に生活基盤を確保・維持するための最重要な政策分野が医療保障であり、オバマ民主党政権はオバマ・ケア(医療保障の拡充)を推進し、他方で、20 世紀的なパクス・アメリカーナにおける「警察官」機能からの撤退を前提として軍縮と軍事再編を実施した。その「優先順位の変更」を明確に把握するために、第2 章で連邦財政の構造を考察するが、財政支出の構成変化は、財政赤字の縮小策による抑制圧力の下で、「大砲とバター」(軍事と福祉)のバランスを変更するプロセスをとおして実現される。
 終章で述べるように、第2 次大戦後の20 世紀的なパクス・アメリカーナの基軸国の役割の重要な一環として「世界の警察官」機能があったとすれば、アメリカ国内の経済や福祉国家のシステムを貫徹するアメリカ自由主義とは本来的に矛盾するものであった。「世界の警察官」機能を確立したのはアイゼンハワー共和党政権期(1953-60 年)であったが、それは、同盟国や友好国が第2 次大戦の戦禍から回復して自立的な経済社会と軍事力を構築するまでの期間に、戦禍を免れた経済大国アメリカが支援するというものであるべきであった。アメリカ国内における個人の自立的な自由を本質的な基盤とする経済社会システムと同様に、世界のそれぞれの国の自立性を本質的な基盤とする国際システムが形成されるまでの支援が、20世紀半ばのアメリカが担う「世界の警察官」機能である。
 その無理と矛盾が露呈するのは1960 年代から1970 年代半ばのベトナム戦争であった。そのベトナム敗戦の記憶が薄れた21 世紀初頭に再び対テロ戦争によって、20 世紀的な「世界の警察官」機能の無理と矛盾を思い知らされた。その結果、第4 章でみるように、1970 年代半ばのベトナム戦争の敗北を起点とする軍事支出の相対的な縮小傾向を、オバマ民主党政権の軍縮及び軍事再編が加速した。他方で、アメリカ自由主義的な「小さな政府」の理念が貫徹するオバマ・ケアを通して、アメリカ型福祉国家におけるアメリカ自由主義的な「小さな政府」の基本構造を再確認したのである。
 このような歴史的な文脈に位置付けると、オバマ民主党政権とトランプ共和党政権の連続性を見出すことができよう。トランプ共和党政権はNATO を始めとする同盟国や友好国に責任の分担を求めるが、それは、オバマ民主党政権がアフガニスタンの収束作戦の中で不可欠な要素として組み込んでいた。同盟国や友好国への責任分担は、アメリカ国内のアメリカ自由主義的な福祉拡充の財政余力に必要であった。しかも、抑制的な圧力下の「小さな政府」的な福祉拡充であったので、次のトランプ共和党政権による保守的な圧力下においてもオバマ・ケアは維持されたのである。
 なお、21 世紀的なグローバル化の中で取り残される階層のための福祉拡充をオバマ・ケアで加速する役割をオバマ民主党政権が担ったが、それを、20 世紀からの歴史的な財政動向に位置付けて考えると、1930 年代の大恐慌時のニューディールや、1940 年代の第2 次大戦という危機的な混乱による「転位効果」で形成された個人所得税と法人所得税と社会保障税の税収基盤に支えられる連邦財政の中で、「大砲」から「バター」に比重をシフトさせる長期的な傾向を読み取ることができる。終章で考えてみたい。
 
5.本書の構成
 オバマ民主党政権が21 世紀的なアメリカ自由主義を体現するという認識をベースとして、本書では主に、オバマの財政と医療保障改革と軍事再編を考察する。
 第1 章「アメリカの「小さな政府」の理念と21 世紀的状況」では、オバマ民主党政権によるオバマ・ケア(医療保障改革)は、アメリカ自由主義を背骨として歴史的に形成されたアメリカ型福祉国家の基本構造を前提としており、また、対テロ戦争の収束や軍縮の分野についても、21 世紀的な世界構造に対応できる基軸国アメリカの役割と軍事力を模索するというスタンスを基本としていることを、オバマ回顧録や議会公聴会記録、そして名著『ヒルビリー・エレジー』及び『ノマド』を使って、多面的に考察する。21 世紀的状況とは、第1 にグローバル化に伴うアメリカ経済社会の構造変化による低技能・低所得層の累積であり、第2 にそのグローバル化による世界構造の平準化と複雑化である。それらに対応するために、オバマ的なアメリカ自由主義を理念として、オバマ・ケアと軍事再編が推進される。
 第2 章「アメリカ型福祉国家の再編成と「世界の警察官」からの撤退──オバマ財政の基本構造から読み解く」では、オバマ財政(2009-16 年度)を詳しく概観することによって、21 世紀の新しい世界構造とアメリカ経済社会に整合する形の政策・制度・軍事システムを模索するプロセスを追う。第1 に2009 年度に急増したリーマン恐慌対策費が経済回復に伴って縮小し、他方でその経済回復で税収が増加したが、その財政余力の枠内にオバマ・ケア等の支出増加を収めるという「抑制的な増加」を基調とした。さらに、第2 に、連邦財政の主力である社会保障年金とメディケア(高齢者の所得及び医療の基礎保障)は人口高齢化(特にベビーブーム世代の退職への移行)によって財政状況が悪化し始めていたので、上記の抑制的な圧力を強めていた。第3 に、対テロ戦争の収束と軍縮下の軍事再編も、その抑制圧力の下で進められた。
 第3 章「「取り残される階層」の生活基盤の確保――オバマ・ケア(医療保障改革)の狙い」では、無保障率の大幅な低下(無保障者数の減少)という成果をもたらした、2010 年ACA(Patient Protection and Affordable Care Act)の立法・実施のプロセスを詳細に検討する。第1 に低所得層の勤労者における膨大な無保障状態について、議会公聴会記録やカイザー報告を使って把握する。オバマ・ケアが、勤労という自立的な自助努力にもかかわらず無保障・低保障の状態に置かれる国民・大衆への支援であり、国民的なコンセンサスであるアメリカ自由主義を逸脱しないことを含意している。第2 に、オバマ民主党政権と民主党議員がアメリカ型福祉国家の基本構造(勤労をベースとする雇用主提供医療保険をアメリカ医療保障の主軸とする)を維持することを確認して、共和党側も協力するという立法プロセスを詳細に考察する。第3 に、具体的な政策手段として、公設保険市場の設置や「メディケイド拡大」(新たに低所得層の健常な成人を適格とする)等が立法化され、また、立法後の違憲訴訟のプロセスを経て、アメリカ自由主義や分権の仕組みと調和的に調整され、アメリカ経済社会に定着した。しかし、第4 に公設保険市場における保険料の高騰や、2 千万人以上の無保障者が取り残されるという社会問題が残されており、今後の研究課題としたい。
 第4 章「軍事の高度化と再編――対テロ戦争と軍縮」では、オバマ民主党政権が、対テロ戦争を収束させながら、アメリカの軍事力全体の高度化を進めるプロセスを検討する。第1 に、有名な2013 年の「もはや世界の警察官ではない」という演説の前から、21 世紀の複雑化した世界構造における新たな役割を模索しながら、アメリカの軍事力の再編を始めている。第2 に、その新たな役割とは、それぞれの同盟国・友好国における自立的な国防努力を前提とする国際的な仕組み(自立・自助を理念とするアメリカ自由主義の援用)を支えるアメリカ軍事力という構想である。結果として、第3 に、1970 年代のベトナム戦争の敗戦後から長期的に進行する軍事支出の相対的規模の縮小傾向を加速することになったのである。
 
 このような問題意識と構成で本書を刊行できたのは、勁草書房の黒田拓也氏が何度も原稿を読んで示唆に富む助言をしてくださった御蔭である。その問題意識と時代認識と歴史観を授けてくださったのは林健久先生と故加藤栄一先生である。1949 年から現代史を観察するための時間と命を与えてくれたのは亡き両親と先祖である。それでも、拙著であるとするならば、その拙さは「今後の伸びしろ」と理解していただいて、御容赦願いたい。
 
渋谷博史
 
 
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