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佐藤邦政・神島裕子・榊原英輔・三木那由他 編著
『認識的不正義ハンドブック 理論から実践まで』
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はしがき
本書は、認識的不正義についての近年の研究動向と、日本社会で生じている認識的不正義の諸側面について知ることができるハンドブックである。ミランダ・フリッカー(Miranda Fricker)の『認識的不正義』出版から約一七年、海外ではさまざまな専門分野で認識的不正義の議論が展開してきたが、近年、日本でもこの概念が言及されることが多くなってきた。それと同時に、認識的不正義の理論的問題だけでなく、日本の法制度や諸実践における認識的不正義という新たな問題に対する関心も高まっている。本書は、以上のような問題を読者が自分で考えていくための一助となることを意図して編まれたものである。
読者のなかには認識的不正義に関する先行研究の多さや、認識的不正義概念と日本の制度や実践とのつながりの見えづらさから、何から手をつければよいのかと思っている人がいるかもしれない。この思いは認識的不正義の研究者も多かれ少なかれ持っている。そこで本書は、認識的不正義についての理論的問題の深さと広がり、および、日本社会で生じている認識的不正義の実践的問題を見通せるよう構成に意匠を凝らした。
具体的には、本書は以下の三部からなる。
第Ⅰ部では、フリッカー以降の認識的不正義の研究動向が説明される。第1章では、認識的不正義の諸特徴と研究方法論に関する議論が紹介される。第2章では、フリッカー以降のさまざまな認識的不正義概念が類型化されて提示される。第3章では、認識的不正義の不正の根拠についての異なる見解が整理されて紹介される。第4章では、認識的不正義の是正について個人面と制度・組織面からアプローチする議論が詳しく紹介される。
第Ⅱ部では、異なる哲学分野における認識的不正義概念の受容と今後に向けた批判的議論の展開について説明される。第5章では、分析認識論における認識的規範性という観点からフリッカーの『認識的不正義』に示された議論が検討される。第6章では、規範倫理学とメタ倫理学の観点から『認識的不正義』で提起された諸概念の意義が検討される。第7章では、言語哲学における言語行為と認識的不正義の関係について説明されたうえで、コミュニケーション的不正義という概念が提案される。第8章では、政治哲学における政治的自由に関する議論の観点から認識的不正義が検討されたうえで、民主主義のための認識的正義が素描される。第9章では、現象学における知覚論を踏まえて『認識的不正義』に見られる知覚的経験論について批判的に検討される。
第Ⅲ部では、日本社会の法制度や諸実践に見られるさまざまな認識的不正義が取り上げられる。第10章では、性暴力に関する現行の法制度に見られる諸課題が認識的不正義という観点から明らかにされる。第11章では、医療現場における患者と医療スタッフの間で生じる固有の認識的不正義のあり方が詳述される。第12章では、当事者研究において障害者の被りがちな解釈的不正義が指摘されたうえで、その制度的な是正方法として研究のコ・プロダクションが示唆される。第13章では、水俣患者の差別問題に対する原田正純医師の取り組みや姿勢が詳述されたうえで、認識的不正義を克服するための私たちの見方の変容について論じられる。第14章では、政治哲学の枠組みを踏まえて日本における入国管理行政の現場で生じている認識的不正義とその構造的要因が詳しく分析される。
「はしがき」の最後に、先行する類書である二〇一七年にラウトレッジから出版された認識的不正義の研究書(I. J. Kidd, J. Medina & G. Pohlhaus Jr. (Eds.), The Routledge Handbook of Epistemic Injustice. Routledge, 2017)との違いを説明しよう。こちらは認識的不正義についての多岐に渡るテーマを掘り下げた論文集に近いのに対して、本書は認識的不正義研究の現状を見渡せるガイドブックとなることが目指されている。ガイドブックと言っても、各章の記述には案内役の各執筆者の認識的不正義への見方が色濃く反映されている。ガイドに身を任せながら、そんなところも味わっていただければ嬉しく思う。
二〇二四年八月
佐藤邦政