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デイヴィッド・エドモンズ 著/森村 進・森村たまき 訳
『デレク・パーフィット 哲学者が愛した哲学者(上・下)』
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パーフィット先生の思い出
森村たまき
「あなたたちはミスター・パーフィットを知っている? 世界で一番スウィートでラブリーな人なの」
一九九〇年から一九九二年まで、本書の共訳者である夫の森村進がハーヴァード大学哲学科に客員研究員として在外研究する機会を得た。結婚したばかりだった私も夫と一緒にはじめてのアメリカ、ニューイングランド生活に臨んだ。
ケンブリッジに到着してすぐ、ティム・スキャンロン先生に会った。夫の前に井上達夫さんと深田三徳先生がお世話になり、私たちもそのご縁でスキャンロン先生のスポンサーシップで哲学科に出入りできるようになったのだ。哲学科のすぐ近くにあるシーフード料理店のランチではじめて会ったスキャンロン先生は大柄で、ムール貝が大量に蒸しあげられた料理を召し上がりながら、「今度は家に招待しよう」と言ってくださった。
それからすぐ、私たちをご自宅に招いてくださって、陶芸家である夫人のルーシーさんと娘のサラさんとジェシカさんを紹介してくださった。スキャンロン夫妻は幼い頃からサラさんを全米各地で開催される哲学関係の集まりに連れて行くのが常だったそうで、サラさんはアメリカ中の哲学者をよく知っているらしかった。それで、「誰々教授を知っている?」とよく聞かれたのだ。で、初対面の私たちにサラさんは、「パーフィット先生を知っているか?」と聞いた。彼は世界で一番スウィートでラブリーな人なのだと。
夫は結果的にパーフィット先生の全著書を翻訳することになったのだが、留学当時はパーフィット先生の人格の同一性論に大いに触発されて書いた『権利と人格』(創文社)を刊行したばかりだった。もちろんパーフィット先生の名前は知っていたけれど、会ったことはない。そうか、そんなにスウィートでラブリーでいい人なのかとうれしかったものだ。
ハロウィンの頃にはハーヴァードのファカルティ・クラブで、ジョン・ロールズ先生夫人のマーガレットさんの水彩画展があった。「場所と顔」と題していたが場所はごくわずかで顔、顔、顔ばかりの展覧会だった。ロールズ先生はじめ、アメリカ哲学界を代表する哲学者たちの水彩肖像画がずらりと展示され、ロバート・ノージックやスタンリー・カヴェル、アマルティア・センといったハーヴァードの教授たちのなかで、真っ白な長髪と若々しい精悍な顔がアンバランスなデレク・パーフィットの肖像はひときわ目を引いた。
スキャンロン先生一家は、私たちの家に何度も来てくださった。とりわけ最初の年に「忘年会」という日本語を直訳してお招きしたときにはひどく面白がって、「年を忘れる」というのは、英語ではその年は悪い年だったなあ、忘れてしまおうといったネガティブな意味なのだけど、「私は悲観主義者だから、その表現に深く心動かされた」と喜んでいただいたのだ。
その年末にはボストンの劇場でモリエールの『タルチュフ』が上演された。スキャンロン先生夫妻は観劇したが、あまり感心しなかったそうだ。タルチュフがいかにも悪そうな小悪人で面白みがなかった、と不満げだった。スキャンロン先生が考えるタルチュフはもっと悪魔的で、善悪どちらでもありうる、デレク・パーフィットのイメージだという。「私はミスター・パーフィットこそがタルチュフ役にふさわしいと思う」、とスキャンロン先生はおっしゃった。
スキャンロン先生はパーフィット先生の招きでオール・ソウルズ・コレッジに滞在したときの話もしてくれた。イギリスではこれが正装だと思って蝶ネクタイを結んでいったのだけど、ミスター・パーフィットに、「そういう格好はここでは怪しげに思われる」からやめるよう言われてやめたのだ、とか。翌一九九一年の春学期には、パーフィット先生の講義があった。パーフィット先生は真っ白い髪で、いつも白いワイシャツに赤いネクタイをして紺のズボンを履いていた。大人気でいつも院生たちが取り囲んでいて、なかなか声をかけられなかったのだけど、夫といっしょに挨拶ができた。パーフィット先生は「あなたは何を書いていますか? あなたの書いたものを見せてください」と誰にでも言っていたから、夫は英語の論文を渡し、先生は持っていたスターマーケット(ポーター・スクウェアにある大型スーパーマーケット)の薄茶色いビニール袋にそれを入れた。先生は学内でも配布物や論文や草稿がどっさり入ったスターマーケットのビニール袋を持って歩いていた。授業の資料もスターマーケットの袋から取り出して配っていらっしゃった。スターマーケットの袋も幸せ者だと思ったものだ。会えば「グッデイ」と笑って挨拶してくださる。えも言われぬ優しさと品とかわいらしさがあって、なるほどサラさんが言っていたのは本当だとうれしかった。
パーフィット先生はうちに一度夕食に来てくれた。お招きすると快くOKして、「住所を教えてくれれば『バイク』で行きます。ただし私はフィッシュ・ベジタリアンで魚は食べるけれども肉は食べません」とおっしゃった。
それで本当に約束の日の約束の時間にパーフィット先生は自転車に乗って家に来てくれた。ドアベルが鳴って降りてゆくと自転車を入り口脇の柵にチェーンでロックしようとしているところで、にっこり笑って階段を上って二階の我が家に来てくださった。
居間に案内すると、夫が買ったクロード・ロランの画集を見て、自分もクロードが好きだとおっしゃって、「これは持っていない」と、手に取られた。「先生もクロードが好きだなんて、なんて偶然でしょう!」と私は言ったのだけど、パーフィット先生は「これは偶然ではないのですよ」と言ってくれて、夫はとてもうれしかったようだ。「クロードは建築を大変うまく描くのだけれど、人物はうまくない、たとえばこの絵は」、と、ロンドン・ナショナルギャラリーにある「クピドの宮殿の外にいるプシュケ」の絵の真ん中に描かれたプシュケを指して、「この女性の腕は太すぎる」とおっしゃった。ロンドンにある絵だから、何度も直接見たことがあるのかと思ったら、そうではないそうで「私はほとんど実物を見ることはない。ほぼすべて画集で見ている。大変だった一日の終わりには書店に立ち寄って美術書コーナーで画集を開いて、心を安らげるのです」と言いながら、「今日の私の授業の説明はうまくいかなかった」と振り返られた。その日の授業は「一人で百人助けられる人がいて……(Single-handedly と腕を振るって力を込めて言う言い方が印象的だった)」というようなトロリー問題のいろいろなパターンを比較する話だったのだが、パーフィット先生は、面白くてクレバーな思考実験としてこういう話をしているのではなく、救える命の数の多寡を本当に切実な問題として考えているんだと思って心動かされたのを覚えている。
美術談義はもう少し続いて、初期ターナーはいいけれど後期ターナーは苦手とか、クロードやプッサンもいいけどガスパール・デュゲもいいとか、ハーヴァードのフォッグ美術館にあるドゥッカーレ宮殿とベネチアを描いたカナレットの絵の話とか、ガウディは機械的すぎるとか……。私が描いたボストン美術館裏手の公園の絵にも目を留めて、前途有望だと実力以上にほめてくださった。(以下、本文つづく)
訳者あとがき
本書はDavid Edmonds, Parfit: A Philosopher and His Mission to Save Morality (Princeton University Press, 2023)の全訳である。訳者からの問い合わせに応じて著者から示された訂正箇所が十数か所あるが、いずれも比較的軽微なものなので、訳文ではいちいち断らずに取り入れた。
「はじめに」でも書かれているように、この伝記の主人公であるデレク・パーフィットは『理由と人格』と『重要なことについて』(全三巻)によって知られるイギリスの重要な現代哲学者である。彼は専門家以外のために書くことがめったになかったため、哲学界ではつとに畏敬すらされていたのに対して、一般には知られていなかった。
生前のパーフィットの知己を得る機会があり、その画期的な著作だけでなく特異な人柄にも魅されていた著者は、二〇一二年のパーフィット没後からあまり時期を置くことなくその伝記執筆を計画し、おそらく手を尽くしうる限りと思われる膨大な資料調査とインタビューをおこなった結果、原著で四〇〇
ページ近い本書を執筆した。
本書はパーフィットの哲学をすでにいくらか知っている読者はもちろん、二十世紀後半以降の英米哲学の世界に関心ある読者には尽きせぬ興味をもつ書物だろう。さらにそれ以外の一般読者にとっても、パーフィットという絵に描いたような変人天才哲学者の生涯と生活が、エドモンズの手にかかるとページを繰る手を止めさせない読み物になる。
本書は刊行直後から多くの絶賛を受け、すでに現代哲学者の伝記のなかで最も優れたものの一つとしての地位を確立している。たとえばアメリカの作家ジョイス・キャロル・オーツはこう書いている。
「デレク・パーフィットは自分の仕事に没頭してユニークな隠遁的生活を送ったが、エドモンズの共感的ではあるが無批判的ではない伝記が示すように、彼の生涯にはドラマがあった。本書は、この抵抗できないほど興味深い、不撓不屈の、そして最終的にはとらえがたい思想家――多くの人びとにとって、現代の最も重要な道徳哲学者――の決定的な伝記になるだろう」。
またパーフィットの友人でもあった哲学者のピーター・シンガーはこう書いた。
「私が出会ったことのあるあらゆる人びとのなかで「天才」という名が最もふさわしい哲学者について読んで楽しい伝記を書くということは大変な仕事だ。エドモンズはこの徹底的に調査され見事に書かれた書物のなかでそれをなしとげた。本書はまた過去六十年間のオックスフォードにおける専門哲学と生活を瞥見させて読者を魅了する」。
本書はパーフィットの一生に関する比類ない伝記だが、それだけでなく、大部で詳細すぎることもあって多くの読者にはなかなか手を出しにくいパーフィットの著作の、最も核心的な部分をわかりやすく解説することによって、彼の哲学への入門書としての役割も果たしている。著者はその際、パーフィットの道徳哲学の不偏的・非人格的・客観主義的な性質を正当に強調する。ただしこれらの性質が、第23章後半で検討されている彼の特異なパーソナリティといかに結びつくかは、哲学というよりは心理学の問題だろう。パーフィットは自分の哲学的主張の一部が世人の常識やほかの哲学者の見解とは異なるということを認めても、誰でも偏見や歪曲から離れて理性的に考えるならばその正しさは否定できないと考えていたはずだ。
訳者二人は幸いいずれもハーヴァードとオックスフォードでパーフィットと親しく話をする機会があったので、その思い出を森村たまきが寄稿した。
森村進はパーフィットの著書のほとんどを勁草書房から訳出してその訳者解説のなかで彼の哲学と人となりについてすでにいくらか書いたので、ここではそれをくり返さず、まだ書いたことがない情報だけを記しておくことにする。
まず『理由と人格』の邦訳について――本書第15章の冒頭によると、この本は「〔初版刊行後〕修正を反映した新版が一九八四年に刊行された。さらに修正を加えたペーパーバック版が一九八六年に刊行され、それから一九八七年にそれまで以上の修正を入れて別のペーパーバック版が出された」とのことだ。私(森村進)は一九九〇年代後半にこの本を翻訳したとき自分が持っていた一九八六年のペーパーバック版を用いた(ただしその際スペース上の理由から短縮化されていた原注は初版のまま残した)が、その後の変更はないかとパーフィットにエアメールで問い合わせたところ、一九八七年版でいくらか修正したという返信があって、それには修正個所のコピーが同封されていた。そこで私はこの修正個所を訳書に取り入れたのだが、最近になってから、一九八七年版の修正個所はそれ以外にもあったということを知った。パーフィットが送ってくれた修正個所のリストは不完全だったわけである。結果として私の訳書は一九八六年版と一九八七年版の中間形態を示していることになる。
次にパーフィットの授業について――私はハーヴァードで一九九一年秋学期の単独の講義およびセミナーと、二〇一五年冬から春のセリム・バーカーとの合同セミナー(第23章のはじめの方で言及されているもの)の一部に出席した。一九九一年の講義ではシジウィックの『倫理学の諸方法』と彼自身の『理由と人格』が教科書として使用され、セミナーでは「平等か優先か」の草稿にあたるものが利用された(しかし本書下巻五五ページのようなエピソードは記憶にない。私はそのとき出席していなかったのだろう)。二〇一五年には『重要なことについて 第3巻』の草稿が使用されたが、これはまだ書物化された最終段階のようにテーマごとにまとめられておらず、十三本の批判論文それぞれに対する十三篇の回答という単純な形をとっていた。個人的なチュートリアルの場は知らないが、これらの授業は真摯ながら、学生を問い詰めるような緊張した雰囲気がなく、ごく和やかだったように記憶している。
これらの授業の際、寒い日もあったにもかかわらず、パーフィットが上着を着ていた記憶はない。彼はいつも白いワイシャツと赤いネクタイしかしていなかったという印象がある(二〇一五年にはネクタイもしていなかった)。パーフィットはよほど寒さに強かったのだろう。ちなみに徳仁(なるひと)親王(当時)のオックスフォード滞在記『テムズとともに』(学習院教養新書・一九九三年)にはオックスフォードの学者について「見かけからしていわゆるエクセントリックな先生がいる。真冬でもワイシャツ一枚で出歩いたり(以下略)」(一〇八ページ)という記述があるが、著者はその頃研究指導を受けるためオール・ソウルズ・コレッジをしばしば訪れていたのだから、ワイシャツ姿のパーフィットを真冬に見かけたのかもしれない。
デイヴィッド・エドモンズは一九六四年生まれの哲学者かつ文筆家で、一般読者向けに書かれた哲学書をあらわし、そのいくつかは多くの国語に翻訳されている。日本語に訳されているものとしては、
『哲学がかみつく』(ナイジェル・ウォバートンとの共著)佐光紀子訳・柏書房・二〇一五年
『哲学と対決する!』(ナイジェル・ウォバートンとの共著)菅靖彦訳・柏書房・二〇一五年
『太った男を殺しますか?』鬼澤忍訳・太田出版・二〇一五年
『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎』(ジョン・エーディナウとの共著)二木麻里訳・ちくま学芸文庫・二〇一六年
がある(最初の二冊はエドモンズがウォバートンと共同で運営しているポッドキャストでおこなわれた哲学者たちとのインタビューをまとめて書籍化したもの)。
翻訳の担当は第1│7章、第10-11章、第13-15章が森村たまきによるものであり、それ以外が森村進によるものだが、最終的には両者が相談して全体を確定した。
最後に勁草書房編集部の鈴木クニエさんには、この訳書の出版を積極的に後押ししただけでなく、訳文を読みやすくするために無数の提案をしていただいたことについて訳者二人は感謝する。
二〇二四年 立秋の日
森村 進