あとがきたちよみ
『一票の平等の政治経済学――一人一人の投票価値の平等を追求する』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2024/12/11

 
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和田淳一郎 著
『一票の平等の政治経済学 一人一人の投票価値の平等を追求する』

「0.はじめに」「10.経済学者の視点から」「11.結語」(pdfファイルへのリンク)〉
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0.はじめに
 
日本国憲法第13 条
すべて国民は,個人として尊重される。
One Person, One Vote, One Value.
 
 最高裁判所の裁判には,15 人全員の裁判官により大法廷で行うものと,5 人(定足数は3 人)の裁判官により小法廷で行うものとがある。裁判所法第10 条は,憲法に関わる裁判は大法廷で行うことを定めているが,ここ50 年ほどは「一票の平等」に関わる選挙無効請求事件が大法廷判決の多くを占めており,「一票の平等」が,いかに日本のconstitution(憲法とも訳せるし,構造とも訳せる)において,比類無き大問題になっているかの証左となっている。
 日本国憲法は,その前文冒頭に「日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」と刻み,また「そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであって,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。」と記し,間接民主制を「人類普遍の原理」として高らかに謳(うた)い上げている。間接民主制の基幹である正当な選挙制度は,その規範構造を支えるものとして,今,深く追求される必要があるのである。
 一人一票訴訟を主導する三人の弁護士の一人である伊藤真氏は,オフィシャルサイトの挨拶において「憲法でもっとも大切なもの」として憲法第13 条【個人の尊重】「すべて国民は,個人として尊重される。」を挙げている。また,“憲法の伝道師” として,さまざまな機会に憲法第13 条の重要性を訴え続けている。
 「一票の平等」という概念は,英語では“One Person, One Vote, One Value.”というフレーズで表され,「各個人の投票価値の平等」の問題であることが明確にわかるようになっている。一人一票実現国民会議は,“あなたの一票は本当は何票でしょう?” と問い3,“各個人の一票の価値が毀損されていること”に目を向けさせているが,「一票の平等」問題の本質を,日本においても明確にしているものと考えられる。本書は,すべて国民を個人として尊重し,「各個人の投票価値の平等」を追求する。
 本書の構成を紹介する。まず第1 章で,「各個人の投票価値の平等」が,比例代表制における議席配分のみならず,選挙区制における議員定数配分においても,数学的な意味での厳密な比例配分を意味することを示す。
 しかし,議員定数は整数であり,完全なる比例配分は,比例配分において通常発生する,真の取り分の小数点以下の端数の存在ゆえに,不可能である。そこで,まず第2 章で,1994 年の選挙制度改革と同時に,比例ブロックへの定数配分,および1 人別枠方式とともに小選挙区の定数配分に使われだした,最大剰余方式を紹介する。然るのちに,最大剰余方式が,さまざまなパラドックスをもたらすことを示す。
 次に第3 章で,さまざまなパラドックスを引き起こさない方式として,衆参両院の比例代表制における議席配分の手法でもあるドント方式,2020 年の国勢調査に基づく定数是正で,衆院の各県への小選挙区定数配分のみならず,比例ブロックへの定数配分にまで使われることになったアダムズ方式,北欧やニュージーランドにおける比例代表制の議席配分で使われているサンラグ方式(奇数方式)などの,除数方式と呼ばれる定数配分方法について説明する。これらは,基準として定める票(人)の束を除数として,各政党の得票,あるいは各県(州)の人口を割った商を,切捨(閾値上限),切上(閾値下限),四捨五入(閾値算術(相加)平均)するという形で,統一的に理解される。ここで,比例代表制におけるドント方式の望ましい点,定数配分におけるアダムズ方式の問題点なども指摘される。
 その後,さまざまなパラドックスを引き起こさないという点で望ましい除数方式の中から,一票の平等を追い求めた先人の業績を紹介する。第4 章では,当時のアメリカ数学会会長であるHuntington(1928)が,州の間の“差” の網羅的比較から導出される,ドント方式,アダムズ方式,サンラグ方式,および,アメリカ下院の現行定数配分方式(除数閾値幾何(相乗)平均方式)を含む,5 つの除数方式を整理した。また,第5 章では,人口の多い州と人口の少ない州との間の平等を追求したBalinski and Young(1982,邦訳1987)の業績を示す。
 第6 章でさまざまな不平等指数の可能性を検証した後,第7 章で,人と人との平等,「各個人の投票価値の平等」に基づく定数配分方法を示す。この定数配分方式を追究する中で推奨される定数配分方法は,必ず,Huntington(1928)が推奨した現行アメリカ下院方式(Hill 方式)と,Balinski and Young(1982,邦訳1987)が推奨するサンラグ方式(定数配分の際にはWebster 方式と呼ばれることが多い)の間となり,現実的にはその一方と一致,双方が一致するときには同一解を与える。
 第8 章では総定数(改選総数)が少ない参議院の文脈で一票の平等を追求する。「各個人の投票価値の平等」に近似する定数配分方法が定まったとしても,参議院選挙区選挙のように,総定数に比べて配分すべき県(州)の数が多すぎる場合,とても平等とはいえないような解が現れてくる。そこで,人権論が要求する完全なる比例配分が数学的に無理であるとしても,近似整数値解として,どこまでは求めなければならないかを示す。ここでは,一人一票訴訟を主導する三人の弁護士の一人である升永英俊弁護士が論ずる,統治論,多数決原理が借用される。直感的には厳しい条件のように見えるが,在任当時の西岡武夫参議院議長の提案が採用されていれば達成されえたことが示される。
 第9 章では,ここまで“人口” という形で厳密に追究することなく扱ってきた定数配分の基準について取り扱い,日米をはじめ多くの国と対称的な取り扱いになっていた基準が,安倍晋三内閣の時期に,細田博之氏主導のもと,日本だけが排外的な方向に走ってしまったことを示す。
 本書は,一貫して人と人との公平という観点で論じられるが,最後に,1978年8 月11 日の東京高裁判決などに見られる歪んだ代表感が引き起こす非効率を示し,公平性のみならず,効率性の点からも,一票の不平等は解決されなければいけない大きな問題であることを示して,巻が閉じられる。
 
 
10.経済学者の視点から
 
 “0. はじめに” に記したように,本書を通底する平等とは,憲法第13 条「すべて国民は,個人として尊重される。」に呼応する個人の尊重,“人と人との平等” である。「一票の平等」という概念は,英語では“One Person, One Vote, One Value” というフレーズで表され,「各個人の投票価値の平等」を意味し,この概念を規定するのは“人と人との平等”,個人の尊重でなければならない。
 昨今,一部自民党議員や神道政治連盟,統一教会と表裏一体の勝共連合などが「行き過ぎた個人主義」といった言葉を使って,強制的夫婦同姓制度の廃止(選択的夫婦別姓制度の導入)に反対等しているが,本論が行っているのは徹底的な個人還元である。
 統一教会と表裏一体の勝共連合が,「この思想は共産主義から派生して生まれました」などと書いているのは噴飯物で,共産主義をはじめとするこれら全体主義,権威主義と対峙してきた主流派経済学(近代経済学)こそが,方法論的個人主義,個人還元主義を堅持してきたのである。
 個人還元主義を奉じる主流派経済学においては,集計中心の集団主義と違って,個人個人の厚生(welfare)にこだわるだけに,しばしば検討対象になるのが公平性(衡平性)と効率性のトレードオフという問題である。集産主義の中では,集計的アウトプット,あるいは単なる割り算に過ぎない1 人あたりのアウトプットのみが注目され,人と人との平等,さらには人間としての尊厳までもが覆い隠されてしまうが,個人還元主義においてはこのトレードオフがきちんと表に出てくる。一票の平等の追求は効率性を毀損するのだろうか。
 過密過疎論として知られる1978 年9 月11 日の東京高裁判決がある。
 
「社会の急激な発展に伴う人口の都市集中化は,経済的・文化的などの諸利益が都市部に存するからこそ生じたものであると同時に,その反面,過疎地域が諸利益に恵まれないという結果の反映ともいえる。したがって,過疎地域における経済的文化的等の魅力を増大させ,こうした現象をできるだけ避けるためには,ひときわ大きな政治的影響力の可能性を持つことが当該過疎地域の住民にとって必要である。すなわち,選挙における投票の価値が大きくなって初めてその政治力に大きく影響する可能性を有するものである。」
 
 東京高裁に言われるまでもなく,一票の不平等は政治的影響力を持ち,それは一票の重い地域に対して財政的受益をもたらす6。日本語の我田引鉄に相当するpork barrel politics という言葉もあるわけで,政治的影響力と地域(選挙区)に対しての財政的利益誘導の関係を断ち切れという精神論で政治家を律しようというのはナンセンスである。
 イエ制度,ムラ社会,それらに伴う家父長的権威主義,性差別,性支配,長幼の序などは,過疎地域と呼ばれる地域に根強く,文化的利益を求めてか,文化的損失から逃れるためか,男性以上に若い女性が都市部に動くということも言われているが,経済的利益の点でも,都市部の方が賃金が高いことは確かであろう。こういった経済的利益を求めて,男女ともに都市部に移動するのは当然である。
 政治的影響力は文化的にも(悪)影響を与えているようにも思われるが,とりあえず文化的利益(損失)の大小は捨象して,東京高裁が言うように,経済的利益を政治的影響力(財政的利益)が補っているとしよう。人々が動かない均衡においては

都市部の賃金(経済的利益)+都市部の財政的利益(政治的影響力)
 =地方の賃金(経済的利益)+地方の財政的利益(政治的影響力)

が成立していることになる。

都市部の財政的利益(政治的影響力)<地方の財政的利益(政治的影響力)

によって

都市部の賃金>地方の賃金

を補って均衡しているということになるわけだが,自由主義経済における賃金は限界生産物価値である。賃金が高いということは労働の限界生産力が高いということで,これは労働力不足を意味する。逆に賃金が低いということは労働力過剰を意味する。
 一国全体の生産を最大化させるためには,限界生産力は均等されていなければならず,限界生産力に差を生むような状況は非効率である。一票の不平等が非効率を生んでいるわけで ,効率性を増し,均衡における厚生水準の向上を達成するためにも一票の平等の確立が必要不可欠なのである。人と人との平等が効率性も生むのである。
 
 
11.結語
 
 一票の平等,“One Person, One Vote, One Value” は,人と人との間の平等である。人を何らかの形で束ねた,イエ,サト,ムラ等の間の平等を持ち込もうとするならば,まとめられた人数が異なるだけに,人と人との間の平等を破壊する。都道府県,市町村,家庭を含め,何らかのグルーピングは,一人一人の人間が幸せになるための擬制に過ぎない。人は,足による投票という言葉が象徴するように,自らの幸せを求めて自らの判断でそれらの間を自由に動くものなのである。
 本論でとられたのは,徹底的な個人還元主義,方法論的個人主義である。導出してきた命題から,一人一人の厚生(welfare)を高めるためにどのような制度が考えられるのか,アイデアを示して本書を閉じたい。
 
衆議院
 ある一定期間安定的に行政を担う内閣を作るためにも,第一院である衆議院は多数代表制が望ましい。小選挙区(1 人区)における候補者乱立を少しでも避けるため,復活制はもちろん,比例代表制の並立も止めて,候補者2 人ならば必ず満たされる,絶対多数による多数代表制,すなわち多数代表の真の正統性を目指すべきである。
 第一院である衆議院を構成する総定数は,歴史や類似国の状況にも鑑み,300 から500 程度であろうか。小選挙区(1 人区)を形成するにあたって,年齢別選挙区といった理念の提案もあるが,現存する多くの国で使われているのは空間的な選挙区である。その場合,現在の県境がどれだけ重要なのかは疑問だが,選挙区画定におけるあまりに高い自由度はゲリマンダリングの可能性も高めかねないので,まずは都道府県に議員定数を配分することが考えられる。第7 章で示したように,均等区割パラドックスを避け,個人間の平等への一貫性を確保するためには,閾値下限(アダムズ方式),閾値相乗平均(アメリカ下院方式),閾値対数平均,閾値identric 平均,閾値相加平均(サンラグ方式),閾値上限(ドント方式)などの,閾値Stolarsky 平均 の除数方式が望まれる。これらは除数方式であるから,Balinski and Young (1982)が示したように人口パラドックス,アラバマパラドックス,新州パラドックスなどの各種パラドックスも引き起こさない。そして,分裂すれば分裂するほど有利になる(合併させられれば合併させられるほど不利になる)アダムズ方式はもちろん,比例代表制においては望ましい,合併すれば合併するほど有利になる性質を持つドント方式などの採用も避けるべきであり,第7 章においてさまざまな視点からの証明を重ねて示したように,除数閾値対数平均方式で行われるのが望ましい。さらに,画定された小選挙区において絶対多数による多数代表の正統性を確実に確保するためには,小選挙区版の単記移譲式投票でもある選択投票(alternative voting, instant run-off)が行われるべきである。
 
参議院
 第二院である参議院は,多様な少数意見によるチェックのために,比例代表原理のもとにあるべきであろう。住んでいる地域によって,多数代表制のもとにある小選挙区(1 人区)だったり,党内競合,共倒れ,片倒れなど,さまざまな問題を引き起こしやすい単記非移譲式投票制の大選挙区だったりする,旧地方区,現在の選挙区は即刻撤廃し,比例代表原理のもとにある単一の選挙制度に統一しなければならない。第8 章で紹介したように,「勝敗を決める1 人区」などという表現がすべての全国紙に批判もなく登場するような状況は,人と人との平等に鑑み,許されるようなものではない。
 しかし,全国一区(at large)による総定数の多い大選挙区だと,得票に比して肥大化されたvoting power を持つ単一争点政党(single issue party)による攪乱の問題がある。通常,この問題を避けるために,5%,10% 等の阻止条項が設けられることが多いが,妨げた投票分の議席を大政党につける根拠は不明だし,閾値付近における飛躍の問題もある。したがって,事実上10% の阻止条項に相当する9 人あるいはそれ以下のブロックを15 程度作るのが望ましいと考えられる。参議院は,衆議院以上に一票の平等が蔑(ないがし)ろにされがちだが,ブロック割・定数配分の際には,閾値対数平均の除数方式による配分のもと,升永(2020)が統治論の観点から要求する,議員の過半数を得るためには人口の過半数が必要になるような点まで,追究する必要があろう。なお,各ブロック内で,拘束名簿式や非拘束名簿式などの比例代表制が使われる場合,その議席配分方法はドント式しかありえないが,しっかりとした政党制も持たない日本においては,無所属候補にも道を開き,有権者に人を選ぶことも可能にする,大選挙区単記移譲式投票制が望ましいであろう。ブロックのサイズが巨大にならなければ順序付けは可能だし,そのための記号式投票用紙は,選挙期間を十分にとることにより準備可能である。日本の選挙期間は非常に短く,現職に有利すぎる。
 
広域自治体
 とりあえず都道府県だが,毎日の通勤で軽々と越えられていく県域が広域自治体という名にふさわしいかは甚だ疑問かもしれない。New York City を取り囲むthree-state area をはじめ,広域自治体が人々の1 日の生活圏をカバーできないと,政策的な協調も難しくなる。州が先にあり,連邦がそれによって作られた国だと,再編も難しいかもしれないが,明治藩閥政府が中央集権的統治の都合で定めたにすぎない都道府県は,郡同様にそろそろ廃止,再編していってもよいのかもしれない。ただし,道州制にせよ,都道府県制にせよ,広域自治体の議会には選挙区が必要となろう。
 現行の都道府県議会選挙制度は,公職選挙法第15 条に定められた強制合区制度のおかげで,一票の不平等が酷くならないだけ参議院選挙区選挙よりマシだが,参議院選挙区選挙同様,多数代表の原理に基づく小選挙区と,比例代表の原理に基づくとも思われる大選挙区単記非移譲式投票制が,住む場所により異なって適用されるという問題がある。参議院選挙区と違って一票は平等に近くとも,5 人から9 人程度の単記移譲式投票の大選挙区に分割される必要があろう。また,1 人区である首長は,その力が大きいだけに,小選挙区版の単記移譲式投票でもある選択投票(alternative voting, instant run-off)による選挙を行い,絶対多数による正統性が確保されるべきである。なお,選挙公営は日本の選挙制度の望ましい点であるとは思うが,2024 年の都知事選ではそれを悪用した事案が発生した。10% も取れない候補者が乱立する必要はなく,十分な供託金を取り,これらの悪用事案の発生を防ぐ必要があろう。供託金は現行制度でも10% の得票を得れば戻ってくるわけだし,供託金の準備にはクラウドファンディングの使用も考えられる。(しばしば問題が起こる署名制度よりはるかに望ましいであろう。支持者の方も,供託金が揃わなかった場合,あるいは候補者が10% 以上の票を獲得した場合には,出したお金が戻ってくるのである。)
 
基礎自治体
 無投票,定数割れも数多く発生している町村議会選挙だが,当該自治体の有権者が必要な議員を支えられる(食わせられる)程度への自治体そのものの集約が必要であろう。議員6 人に年収500 万円を保証するならば,人口3,000 人の村だと,赤ん坊からお年寄りまで1 人あたり年間1 万円を負担する必要がある。人口6 万人の市でも1 人あたり500 円の負担である。逆に,議員はボランティアに近いような状況でよいとしても,役場からの仕事が受けられなくなるといった理由で候補者がなくなる自治体というのは,皆が税金(それも当該自治体の住民税や固定資産税ではない可能性が高い)にぶら下がっている状況であり,“自治” 体としての体を成していないといってもよいかもしれない。もちろん要件を外してしまって,そういった利権のためにボランティア議員になるという形は,財政に著しい歪みを与えることになる。
 市の場合,政令市にはすでに行政区単位の選挙区が導入されているが,特別区や中核市等の,総定数が大きい自治体の全域一区(at large)の選挙区では,単記非移譲式投票制を使っているがゆえに,トップ当選と最下位当選の間の得票の較差(当該候補者に入れた有権者の一票の較差)はもちろん,第8 章において参議院全国区で見たような問題のある例が多発している。都道府県同様,定数5 から9 程度の選挙区を設け,単記移譲式投票制を導入すべきであろう。実際,東京23 区や中核市には,都道府県人口を超えるところも多いのであるから。
 
定数配分の基準
 各国の在外投票も進む現在,外国人参政権というのはありえない。それは一部の人間のみに国内外の2 票を与えることになるからである。しかし,さまざまな定数配分,区割,ブロック割を行うとき,外国人の人数を排除すべきなのであろうか。日本では歴史的に,有権者数ではなく,人口を定数配分の基準にしてきており,安倍晋三内閣のもと,細田博之氏主導で外国人を定数配分の基準から排除してからも,国内にいる外国籍ではない子どもの数は定数配分の基準に入っている。逆に在外有権者を含む在外邦人は入っていない。日本の外務大臣が保護扶助を依頼した日本のパスポートを持ってアメリカに滞在している日本人は,アメリカの定数配分においてきちんと数えられているのに,日本国内にいる一人一人の生きた人間を慮らない集団主義に基づく拝外思想が蔓延るのは,国際貿易によりその生存を維持しなければいけないこの国において,非常に危険なことであるとしか言えない。
(注と図は割愛しました。PDFをご覧ください)
 
 
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