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井口真紀子 著
『関わりつづける医療 多層化する在宅医の死生観と責任感覚』
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はじめに
「人生の最期の段階をどのように過ごすか考えましょう」
最近しばしば耳にする言葉だ。終活という言葉はすでに一般的になり、書店ではエンディングノートに類するものが何かしら売られている。納棺体験など死を擬似体験することで自分の死について思いを馳せ、どのように最期のプロセスを過ごしたいかを考えるイベントなども各地で行われている。少子高齢化が進み、パンデミックも経験した日本では、人生の最期をどう考えるかはさほど遠い問題ではなくなってきている。
しかし一方で、死を前にした時間の過ごし方をどう考えたらいいのかについてわかっている人は、実はほとんどいないのではないだろうか。だからこそ「考えましょう」という言葉が力を持つのだろう。
死と死にゆく過程に関わる代表的な職業として「医師」が挙げられる。筆者も医師の一人である。では、医師はこうした問題について十分わかっているのか。そう言われると、必ずしもそうとは言い切れないのではないか、とも思っている。もちろん筆者だけが特に理解できていない可能性は否定できないけれども、周囲の医師との会話を通して、死を前にした患者との関わり方に悩む医師は少なくないように感じている。
確かに医師は多くの患者の死に関わる職業である。死にゆくプロセスに専門職として関わり、死亡診断を行う。だからといって死に関わるすべての側面が医学で説明がつき、解決できるのかというともちろんそうではない。
医学は、このような状態を放置すると命に関わる疾患のリスクが上がる、この疾患にはこの治療で死を回避できる可能性が高まる、そういった問題に関しては、多くの知見を持っている。医学は根本的には生きること、救命することを目指してきた領域である。
他方、医師が死を前にした患者に関わる臨床の中で、死とともにあるいのちのあり方に接近することは、単に医学的に正しい実践を行うだけでは達成できない。死を前提にした臨床とは、科学的に根拠のある医学の実践と、そこにはおさまりきらない問題をともに扱うことであり、わかりえない他者と不確実性に向き合いながら関わりつづけることでもある。医師が関わるのは死とともにある生であり、医学では合理的に整理しきれないいのちである。
筆者はそのような「いのち」との関わり方や考え方を広い意味での「死生観」と捉え、近年日本で広まりつつある在宅医療に携わる医師たちにインタビュー調査を行い、本書を執筆した。ここで「いのち」という言葉を用いて描きたいのは、自然科学の対象であり、物質としての理解が可能な「生命」という意味合いだけでなく、意味や価値、あるいは自己を超越した領域にも関わる側面から捉えた生と死の全体である。生命倫理学者の安藤泰至は「いのち」という言葉のニュアンスが、科学的客観的な概念としての「生命」も含みつつ、「死によって終わる『生命』と対比するような形で、死後も続いていくもの、ずっと何かにつながっていくもの」(安藤2018 : 156)を指すこと、さらに、無生物的なもの(器や芸など)や人間を超えた存在(神や仏など)についても用いられることを指摘し、「『いのち』という言葉は『生命』『生活』『人生』といった生の諸次元を含み、貫きつつ、私たちがその生老病死において出会い、触れ合い、つながるさまざまな『いのち』(他者のいのち、自然のいのち、神仏のいのち)との関係において営まれるような生の全体的な営み、すなわち『人が人として生きること』の全体を表すものとしても用いられている」とする(安藤2018 : 157)。
「いのち」に向き合うことは、死とともに生きていくことでもあり、だからこそ死生観が問われることになる。大まかに言えば、この本は在宅医に死とともにある「いのち」に関する考え方を聞き、その内容をまとめた本である。死に関わる代表的職業であり、その中でも医学と生活世界の境界で死に関わる在宅医の死生観を明らかにすることを通して、死とともにある「いのち」に向かい合うことの意味の一端を探ってゆきたい。
本書の構成は以下のようになっている。
第1章ではなぜ在宅医の死生観に注目するのかについて扱う。医療の中の一つの運動として立ち上がってきた在宅医療が、ケアする専門職という新たなあり方を医師に求めることになった経緯を明らかにする。さらに、死生観の歴史的な変遷を概観した上で、医師の死生観に関する先行研究を参照する。こうした議論を通して、なぜ医師の中でも在宅医療に関わる医師の死生観に着目するのか整理し、全体の分析枠組みを提示する。
続く第2章では、医師患者関係は常に不均衡な力関係があることを踏まえた調査の方法と倫理的配慮について述べる。
第3章からは医師たちの語りの分析に入る。第3章では主に医療社会学の医療専門職論を手がかりに、医師が医学的な合理性と生活世界の狭間で葛藤する経験を経て、専門職役割の変容を引き受け、意思決定規範を拡張させる姿を描き出す。
第4章では、意思決定に関わる経験についての語りを取り上げる。現在ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の推進など、言葉を用いて終末期の過ごし方について考えておくことが推進されている。しかし、語りからは言葉を用いて決める、というだけではない意思決定への関わり方を見いだすことができた。そうした語りも提示しながら、在宅医が日々の実践の中で、非言語的な要素も重視しながら意思決定に関わっていることを示す。
第5章では、医師のいのちに関わる価値観の中でも、死についての考えという狭い意味での死生観を探るため、医師自身の喪失体験の語りを分析する。家族の死、自分の怪我や病気など、自分が身をもって経験した苦悩の経験は医師自身のあり方を大きく変えてしまう。本章では医師自身が喪失体験を通して死生観を深め、時には自分の力や理解を超えた領域にも接近する姿を描く。
第6章では、第3章から第5章で扱った語りを死生観と責任という観点からさらに分析しなおし、医師の死生観と責任の感覚が多層的に展開していることを示す。
最後に、読者の方へ。第1章、第2章は本書の学術的位置づけや調査概要、倫理的配慮など、堅苦しい記述が続く章となっている。冒頭から読んでいただければもちろんありがたいが、医師の語りをはやく読みたいと思われる方は、第1章、第2章はスキップしていただき、第3章から読んだ上で、最後に冒頭に戻ることもできる。それぞれのご興味にあわせた順番でお読みいただければ幸いである。
