あとがきたちよみ
『社会学 アカデミックナビ』

About the Author: 勁草書房編集部

Published On: 2025/5/15

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
数土直紀・山田真茂留 編著/天田城介・山根純佳 著
『社会学 アカデミックナビ』

「はじめに」(pdfファイルへのリンク)〉
〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉
 

*サンプル画像はクリックで拡大します。「はじめに」本文はサンプル画像の下に続いています。

 


はじめに
 
本書の狙い
 社会学について,もうすでに数多のテキストが存在し,そしてそのうちいくつかは研究者がみても質量ともに高い水準にあるにもかかわらず,それでもなお『社会学』と銘打ったテキストを出すことにいったいどのような狙いがあるのか,まずはこのことについて説明したい。
 社会学一般に関するテキストは二つに大別することができるだろう。一つは,社会学の面白さを伝えることに重きをおくタイプのテキストである。もう一つは,社会学に関する基本的な事項を網羅するタイプのテキストである。いずれのタイプのテキストにもそれぞれ長所と短所があり,どちらのタイプが絶対的にすぐれているわけではない。しかし個人的には,どちらのスタイルをとるにしても,この二つのタイプのテキストには共通する難点があるのではないかと考えてきた。それは,どちらのタイプのテキストに依拠しても,そのテキストを通じて社会学の全体像を把握することが容易ではないということである。前者のタイプのテキストでは学習する内容に偏りが生じるし,後者のタイプのテキストでは細部にこだわりすぎることで全体像がみえにくくなってしまうからである。
 そこで,新しく社会学のテキストを出版するならば,社会学を学習する人に対して社会学について明確な全体像を提示できるようなものにしたいと考えた。このとき考えなければいけないことは,明確な全体像を描き出すためには,全体を構成する各部分について十分な知識が必要になるし,その知識は偏ったものではなく,全体との関係のなかでバランスが取れたものになっている必要があるということである。そのうえで,それらの知識が断片的に与えられるのではなく,互いが有機的に関連しあい,一個の全体を構成しているのでなければならない。単なる知識の羅列では,学習する内容は学習者にとって無味乾燥なものとなり,社会学の学習をつまらないものにしてしまうだろう。つまり本テキストで目的とされたことは,社会学を理解するうえで必要な知識をバランスよく提供し,かつそれらの有機的な結びつきを明らかにすることで,ともすれば得体がしれないと思われがちな社会学に,一つの明確なストーリーを与えることであった。
 強調したいことは,本テキストに書かれている事柄は覚えるために用意されているものではないということである。社会学の歴史や,理論や,概念をひたすら暗記しても,そのことで社会学に対する理解が深まることはないだろう。そうではなく,本テキストに書かれている事柄は,社会について考えるための手がかりとして用意されている。社会学者がこれまで社会についてどのようなことを考え,そして何を述べてきたのか,このことを学ぶのは,偉大な社会学者は一般の人よりも社会のことを正しく理解しており,偉大な社会学者の学説を知ることで一般の人も社会のことを正しく理解できるようになるからではない。すでに社会について真摯に問い,そして考えてきた社会学者の考えを理解し,そして批判することで,私たちの社会に対する思索は,それをしなかったときと比べて,より深いものになることが期待できるからである。本テキストでは,いま社会に起こっていることを一人ひとりが真摯に問い,そして考えることで,社会学に対する理解が深まるのだと考えている。言い換えれば,本テキストで紹介されている事柄は,社会学に対する理解を深めるための貴重な手がかりとして用意されているのである。
 
本書の構成
 本書の構成について,説明したいと思う。本書は5 部構成になっているが,第Ⅰ部では社会学の基礎理論と方法論について解説している。本テキストでは学問としての社会学の骨格は理論と方法にあると考えており,だからこそ社会学を理解するための最初のステップとして,基礎理論と方法論の学習を重視した。第1 章「社会学の基礎理論」では,社会学初期の社会学理論を大きく方法論的集合主義と方法論的個人主義に大別し,その二つの理論的立場が時を経るなかで融合し,そして多様化していった流れを明らかにしている。第2 章「社会学の方法論」では,社会学の方法論を,社会学が扱うデータのタイプを質的データと量的データの二つに大別したうえで,それぞれタイプに対応させる形で分類している。質的データに対応する方法論は意味解釈法に相当し,量的データに対応する方法論は統計帰納法に相当する。そのうえで,二つの方法にまたがるものとして,数理モデルやコンピュータ・シミュレーションを扱う数理演繹法についても紹介した。
 また第Ⅱ部では,社会の組成について社会学がどのように考えてきたのかを,まなざし,つながり,集まりの概念を基軸にして解説している。社会学という学問を難しくしている理由の一つは,社会なるものの捉えがたさにある。だからこそ,そもそも社会学が対象としている社会とは何であるのか,このことについての理解が大切になる。第3 章「アイデンティティと相互行為」では,自我・自己・自分といったものが他者との対比を介して社会的に構成されていることを明らかにし,社会的行為の多様な類型についても紹介している。人びとが日々の行為を通して構築している社会的な意味世界は,機械的に確定できるようなものではなく,多様で複雑に構成されている。第4 章「人びとの関係」では,制度化された価値を内面化する社会化について紹介したうえで,社会化をめぐるダイナミクスがさまざまな問題に曝されていることを明らかにし,さらに社会関係の種類について述べたあと,その関係性が現代社会においてどのように変容してきているのかを論じている。さらに,人と人とのつながりを,ネットワークあるいは社会関係資本という観点からどのように捉えられるのか,このことを明らかにし,匿名の人たちが織りなす集合性の様態(群集・公衆・大衆)についても紹介した。第5 章「集団と組織」では,集団と組織について述べている。集団には基礎集団と機能集団の違いがあること,機能集団である近代組織の典型として官僚制があること,そして官僚制は集権性・公式性・専門性を特徴とする非人格的な組織であることを論じている。官僚制に代表される近代組織はさまざまな問題を含んでおり,フォーマルな組織も実はインフォーマルな集団や関係に大きな影響を受けている。
 第Ⅰ部と第Ⅱ部で目指されていることは,社会学のアイデンティティの核となる部分についての学習だといえる。それに対して,第Ⅲ部と第Ⅳ部は,社会学が扱ってきた個別領域に関する内容の解説だといえる。まず第Ⅲ部では,家族,ジェンダー,障害,病い,老いといった主題が扱われている。社会学は,私たちがこれらについて当たり前だと考えてきたことが決して当たり前ではなかったこと,実は別様でもありえること(あるいは,ありえたこと)を明らかにしてきた。そして重要なことは,そのような社会学による常識の問い直しは今も現在進行形でおこなわれており,決して終わることのない営みだということである。たとえば,第6 章「家族と親密性」では,家族形態はかつての拡大家族から核家族・小規模家族に変化してきたという常識が正しくないこと,家族の普遍的・本質的機能は愛情を基盤とした関係にあるという常識が正しくないこと,これらのことを明らかにしている。さらに,女性はいまだに家族のなかでケアに関わる負担やコストを担わされており,そのことで深い苦悩・葛藤を抱えていることを述べ,最後に国民国家と個人の結び目として位置づけられた家族が社会から強い介入を受けていることを論じている。第7 章「ジェンダー・セクシュアリティ」では,ジェンダー・セクシュアリティ研究が日常生活のなかに埋め込まれた権力構造を明らかにしてきたことを紹介している。性別規範としての「ジェンダー」は人びとの実践を規定する構造であり,この構造のもとで性別分業パターンやマクロなジェンダー体制がつくられている。また「ジェンダー」は,同性愛やトランスジェンダーを規範から逸脱した存在と位置づけてきたが,いまは二元的性別と異性愛主義にとらわれない自由なセクシュアリティの可能性を考察する必要があると指摘する。第8 章「障害・病い・老い」では,障害・病い・老いを生きる人びとの「生」を捉え直すことで,従来の社会学研究が前提にしてきたことに対する異議申し立てがなされ,その妥当性が問い直されていることを紹介している。たとえば,障害学では,障害者運動の影響を受けて「能力主義」や「優生思想」によって構築された社会を強く批判している。あるいは,医療社会学では,患者運動や消費者運動や医療批判などを背景に医療のあり方や病いを生きることの意味の捉え直しが起こっている。また老いの社会学についても,高齢者運動やエイジズム批判のもと,「老いを生きること」の批判的検討がなされてきている。
 同様に,第Ⅳ部では,政治,経済,権力といった主題が扱われている。これらについても,社会学はかつての常識を問い直し,それが何でありうるのかについての問いを深化させてきた。第9 章「社会的不平等」では,そもそも社会的平等をどのように概念化するかについて困難が存在することを確認したうえで,社会的不平等が不平等によって不利益を被る人びとにとってだけの問題ではなく,社会全体にとっての問題であることを指摘している。第10 章「社会階層」では,多くの国で社会階層が世代を超えて再生産される傾向があり,その背後には機会格差の問題があることを指摘している。そして,機会格差は,単に経済の領域だけにとどまるのでなく,教育や文化といった領域にまで及んでいることを論じている。最後に第11 章「権力と国家」では,権力には抵抗を排除する形で個人に直接的に行使される権力以外に,人びとの意識に影響を与える形で間接的に行使される権力があることを指摘している。それとともに,権力主体には国民国家だけでなく金融機関やグローバル企業なども含まれるようになってきており,何が権力なのか,権力の何が問題なのか,このことが次第に不明瞭になってきていることを論じた。
 社会学の魅力は,私たちが体験していながら,にもかかわらずみえていなかったことに言葉を与え,私たちの世界に対する視野を拡げてくれることにある。いわば第Ⅲ部と第Ⅳ部で目指されていることは,社会学を学ぶことの楽しさについての学習だといえる。最後に第Ⅴ部では,現代社会の特徴を描き出し,私たち一人ひとりが社会に対してどのように関与しているのか,そして関与すべきなのか,このことについて問題提起を行っている。社会は絶えず変化しており,社会の変化に応じて,私たちの社会への関わり方も変わってこざるをえない。あまりにも早く変化する社会のなかで,ともすれば私たちは自分の進むべき道を見失ってしまいかねない。しかし,私たちは社会の動きの背後にあるものを見据えることで,そうした困難に立ち向かうことができる。いわば第Ⅴ部で目指されていることは,道に迷って,途方に暮れてしまわないための知的なツールとして,社会学を役に立ててほしいというメッセージを伝えることにある。社会学は,プラクティカルな意味では役に立つ学問とはいえないかもしれない。しかし社会学は,私たちの生き方に直接に関わっており,その意味ではきわめて重要な学問である。第12 章「社会を動かす力」では,一人が社会全体に及ぼす影響力がどんなに微小にみえても,それらが合わさることで社会を良い方向にも悪い方向にも変えうることを,社会的ジレンマ,社会運動,社会ネットワークといった主題を手がかりに明らかにしている。第13 章「新しい時代の社会性」では,価値観が多様化し,文化を共有することが困難になっているなか,公共性の問題を考えることがかつてよりも困難になっていることを指摘している。また,近代社会では再帰性が高まったことで,社会がより流動的になり(言い換えれば,見通しの効かないものになり),生きることの難しさも強まっている。そんななか,いかに生きるべきかについて,宗教や寛容といった主題を手がかりにさまざまな可能性が検討されている。
 以上のことからわかるように,社会学は社会に起こるさまざまな現象をただ単に記述するだけの学問ではない。社会学は,社会現象を生み出す社会過程や社会構造の解明を目指す学問である。いわば,社会を成り立たせているものの根底を問い,それを批判する学問だといえるだろう。社会とともにある社会学は,社会の変化に応じて絶えず変わっていかざるをえない。それは,社会学とは何かをわかりにくくさせている一つの原因かもしれないが,同時に社会学がもっている魅力だともいえよう。
 
本書の読み方・使い方
 どのような図書も,著者の手を離れて読者の手に渡った瞬間,著者のものではなく,読者のものとなる。読者のものである以上,著者がそのテキストの読み方(あるいは使い方)について読者に指南するというのはあまり適切なことといえないように思う。基本的に,本テキストの読み方・使い方は読者の自由に委ねられるからである。しかしそうであるにしても,著者の立場から本テキストを通して社会学を学習する際のスタンスについて,一つ大きな提案をしたいと思う。
 おそらく社会学については,その学問のすべての問題・領域を網羅した100%完璧なテキストの存在を想定することができない。そう考える理由は,二つある。一つは,社会学は社会に生じているすべての事象を研究対象にできるために,そして実際に社会学は私たちの社会に生じているさまざまな事象を研究対象にしてきたがゆえに,そのすべてをコンパクトにはリスト化できないからである。そしてもう一つは,社会学が対象にする社会は絶えず変化しているために,ある時点で社会について書かれた事柄はある程度の時が経てば時代遅れになり,ときには誤ったものにもなりうるからである。このことを念頭におくならば,社会(学)について正しい答え(説明)を与えるという意味での権威主義的なテキストなど,社会学についてはおよそ考えようがない。そうである以上,本テキストも,そのようなテキストとして使われるのではなく,むしろ読者の社会に対する関心を惹起し,社会について深く考えるための手がかりとして読まれることを期待している。
 そのうえで,本テキストでは,社会学の学習に役立つように,いくつかの工夫を加えた。一つは,章ごとにその章の内容の要点を示し,テキストを読解するときに特に何に注意すればよいのかがわかるようになっている。また,その章で書かれた内容について関心をもち,さらに学習を進めたいと思ったとき,適切なガイドとなる文献を紹介する「文献ガイド」も設けた。さらに,特に重要と思われる用語・人名はゴチック体で強調し,重要用語については巻末に解説も加えた。最後に,テキスト本文では言及することができなかったけれども,章で扱っているトピックを理解するうえで重要と思われる論点については,コラムという形で説明を加えている。テキストを読み進めていくうえで,有効にこれらを活用してもらいたいと考えている。
 実は,本書を執筆する際に最も参考にしたのは,有斐閣から出版されているNew Liberal Arts Selection シリーズの『社会学』(長谷川公一・浜日出夫・藤村正之・町村敬志著)であった。有斐閣から出版されている『社会学』は,本格的で正統派の社会学のテキストでありながら,著者の個性が反映された,読み物としても面白い,現役の一線級テキストである。しかし2019 年に新しい版が出されているとはいえ,さすがに初版から20 年近くも経つと,気になる点も少なからずでてきているようにみえた。だからこそ,自分たちの手で新しい『社会学』を書きたいとの思いが募り,そしてその気持ちが本テキストを作成するうえでの強いモチベーションとなった。(すでに述べたように)100%完璧な社会学のテキストなどありえないと思いつつも,それでもなお,この当初の目的はある程度までは実現できたのではないかと自負している。
(以下、本文つづく)
 
 
banner_atogakitachiyomi
 

About the Author: 勁草書房編集部

Go to Top