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安藤元博 著
『価値創造する市場 テクノロジーが紡ぐあたらしい交換(コミュニケーション)』
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序章 「価値」をめぐる問い
本書の狙いは、市場社会、とくにテクノロジーの進展により情報ネットワーク化された市場社会の「価値創造」機能を示すことにある。社会の諸相で市場化された領域が拡大しつつあることは衆目の一致するところだが、その是非については見解が分かれる。弊害が増していると指摘されることも多い。果たして市場領域の拡大は社会にとって是か否か、それはどのような論拠をもってそうであるのか。その問いに対し、市場それ自体が「価値創造」の機能をもつこと、それゆえに、市場社会に伴うとされる諸問題を自ら超克する可能性を示すことでこたえたい。
「市場の問題」とはなにか。第1章で示すように、それは経済理論の内部で検討されるものと、経済学を離れた一般的、社会的視点によるものとがある。前者の代表的な議論としては「独占」、「負の外部性」といった経済学で一般にいわれる「市場の失敗」、および「不平等」の問題があげられる。また後者においては、消費者は市場で自らの意思を自由に発揮することができていないとする「選択の依存性」や、市場それ自体がもつ性格が人間社会の本来あるべき性質と異なるために、その進展は社会を蝕むという「非・道徳性」の指摘があげられる。
逆に、そもそも市場が果たす役割とは何か。一般にはそれは需給の調整による経済社会の価値の最適配分であるとされる。それが単に市場の外でうまれる価値を配分するだけならば、市場社会が拡大するにつれ「市場の問題」もまた、大きくなっていくおそれがある。市場が社会の価値そのものをうむことをせず、価値配分のためのコストのみが肥大化するならば、確かにそこには重大な欠陥があることになる。
しかし、「価値」というものが市場の外にあらかじめ存在しているのではなく、むしろ市場自らが「価値」を生成、創造する機能をもつならば、「市場の問題」とみえた問題群の異なる像が浮かび上がる。市場自らがそれらを乗り越えるためのより積極的な役割を果たす、という姿である。
「価値」とは何か。「価値」はいかに創造されうるのか。それがわれわれにとって枢要な問いとなる。
第2章において詳述するが、現代の経済学において一般に、価値とは何かは問われない。だが経済思想史において価値論は最初から存在しないわけではない。いや逆に、アリストテレスの時代に始まる多くの経済学者や経済思想家は、価値とは何かという問いに挑み続けた。そこには膨大な数の価値論が存在する。しかし19世紀後半の限界主義の時代を経て現代に至る途上、客観を旨とする経済学の数理体系化の経緯のなかで、価値とは何かという問いそれ自体が捨象される。交換の成立という経験可能な事象から遡及して双方の財を「等価」であると捉えるという構造認識のもと、機械論的な枠組みで理論が展開されていく。
だが経済思想史を見直せばこれと並行して、近代市民社会の自我の覚醒に照応する主観主義を軸に、数理解明の軛に囚われずに経済社会のありようを見、価値の性質を問うたオーストリア学派の議論がある。オーストリア学派は市場参加者を、静態的、受動的、すなわち機械論的な対象として扱わない。彼らが考察したのは、形成されていく市場経済の過程に能動的に働きかける、単なる生産者でも消費者でもないあたらしい性格を持つ人びとによる市場過程であった。それは、価値概念自体が揺れている成熟した現代の経済社会に生きるわれわれの像との重なりをもつであろう。第3章ではまず、この議論を詳細に検討する。
のみならず、人間社会にとっての「価値」を考察することはすなわち、既存のディシプリンを前提とせずそれらの共通の土台、根源を考察することであり、したがってそれは学際的な探究のもとにおこなわれなければならない。ここでは社会科学、人文学および基礎情報学を架橋的に参照し、欲求の生成と価値判断、価値意識の成立に関する諸議論に焦点を絞り検討する。そのことにより「価値」とは何か、「価値」はいかにうまれるのかを示し、市場社会が「価値創造」機能を果たす理路をあらわす。
「価値」とは、交換を通じてそれが何かを諸個人が互いに、不断に問い続け新たにうまれ続ける動的な社会的合意による生成物であり、市場社会とはそれが人びとの日常の営みとして為される場である。
第4章では、市場の「価値創造」機能が「市場の問題」とみえた問題群そのものに働きかけ、結果としてそれらを超克しうる理路をあらわすことにより、市場社会の拡大の理論的意義を示す。鍵になるのは第3章で示された、「価値」とは未知の課題を乗り越えようとする諸個人の試行のもとに更新される進行形の集合知である、という概念である。われわれは社会の問題と見えるものにいかに対応するべきかという「答え」を知らないのではない。知らないのは解かねばならない問題の真の姿とはいかなるものかなのであり、その「問い」である。われわれは個人が本来もつべき欲望とは何か、社会のあるべき調和とは何かがあらかじめ決められている「閉じた社会/小さな社会」に生きているのではない。それらが常に新たに編み直される「開かれた社会/大きな社会」に生きている。
しかし市場の意義が理論的に示されるとしても、現実の社会でその機能が十分に働いてきたとはいえない。その性質が発現するためには、いくつかの条件が社会に備えられていなければならない。第4章の最終節に記すように、その条件はテクノロジーによる情報ネットワーク化がすすむ経済社会において具備されることが予想される。第5章ではまず、情報ネットワーク経済社会の特質を抽出し、その進展が、市場が本来の「価値創造」機能を有効に発揮するための条件を満たすことをあらわす。テクノロジーの進化がもたらす経済社会の現在進行形の変化を対象とした同時代の多くの論者の研究、考察は重要であるが、価値論を扱ってきた経済学史・思想史の流れを踏まえてそれがいかに現代の経済社会に位置付けられるか、「価値」の創造がいかになされうるか、そして「市場の問題」を克服できるかについては充分に触れられていない。本書の狙いは、それらを結びつけることで、現代の市場社会がその力を十全に発揮し「市場の問題」を自ら超克する可能性を示すことにある。
「価値創造する市場」が安定的に機能するには、自由で広範な交換を促進するテクノロジー基盤が存在するだけでは不十分である。そのためには、経済社会における「信頼」の成立が重要な条件となる。この「信頼」も狭義の経済理論を超えた社会科学の対象として学際的に扱われなければならない。交換の歴史は社会における信頼の形態の変遷の歴史と捉えることができ、技術進化は新しい「信頼」を形づくる。第5章の後半では、ここまで示してきた市場機能が先行的、具体的に現代社会の諸相にあらわれつつある事象としてのロングテール、シェリングエコノミー、およびブロックチェーン技術活用のありようを示す。
本書の試みをあらためて挙げる。第一に、市場社会の価値生成のメカニズム、「価値」は市場の外でつくられて市場で配分されるものではなく、市場そのものが「価値創造」する機能をもつことを示す。第二に、その機能が「市場の問題」とみえたものを変質させ、市場自らがそれらを超克する可能性を示唆する。第三に、そうした市場機能は現代に拡大する情報ネットワーク経済社会において、いかなる条件のもとに生起するか/しているかを示す。
本書は、テクノロジーの進化により拡大する情報ネットワーク化された市場社会の「価値創造」が現実に、十全に機能する理論的根拠と展望を示すことを企図して著されるものである。
